68 踏み違えた道
前話の裏で起こっていた話。
閑話の様なものです。
ゲオルグは簡易の寝台に体を横たえていた。急な予定の変更により、彼までがこちらに来る事となったので、マーデ村に設営された本陣にある物資を保管する倉庫の中で彼は休むこととなったのだ。別に不満は無い。きちんと屋根は有るし、例え簡易でも寝台を用意してもらった。今の自分がこれで文句を言えば罰が当たるだろう。
牢から出るのは半年ぶり。ほとんど動かない生活をしていた体で一日飛竜の背に乗っていたのは相当堪えた。しかもラグラスが立て籠もっていた砦で起きた暴動の知らせを受け、予定を早める為に休憩を減らしての強行軍となったので、体は疲れ切っていた。だが、頭が妙に冴えてしまって眠れないのだ。
「為政者の責務……か」
その原因の一つが、廃墟となったグロリアの館で見かけたエドワルドの妻子である。行方が分からなかった彼女達が、身を寄せていた故郷から親族に付き添われて1年ぶりに帰還したのだ。しかもエドワルドの嫡男が誕生しており、思いがけない慶事に陣全体が歓喜で湧き上がっている。
それだけでは無い。ラグラスとの最終対決を控え、危険を回避する為にロベリアへの避難を勧めたところ、それを見届けるのが自分の務めだと言って食い下がり、しかもコリンシアはそれが為政者の責務だと言ってエドワルドを唸らせたらしい。その逸話は瞬く間に全軍に広まっていた。
ゲオルグを警護する兵士達もその話題でもちきりとなり、彼女達の一挙手一投足が詳しく伝えられてくる。騒がしくて眠れないのも確かだが、彼の心にはコリンシアが発したと言う言葉が引っ掛かっていた。
「本当に姫様は成長されたよなぁ」
「確かに。ちょっと前までは我儘で手に負えなかったのにな」
倉庫の警備を兼ねてゲオルグの警護をしているのはフォルビアの兵士だった。彼等は幼い頃のコリンシアを良く知っている様で、帰還した彼女の言動を聞いてひどく驚き、先程からコリンシアの話で盛り上がっている。
「あの姫様を立派にお育てになったのだから、あの方は本当にすごい方だったんだな」
「ああ、それを知っていれば、1年前……」
言葉の端々に悔しさがにじみ出ているのは、彼等がラグラスや親族の言葉を鵜呑みにし、彼女達を排除する一翼を担ってしまったからだろう。親族達は当時、フロリエと呼ばれていた女性を素性が分からない事を理由に大公家の当主に相応しくないと声高にして訴え、更には成人後に彼女の後を継ぐこととなっているコリンシアがどれだけ我儘かを強調して兵士達に吹き込んでいた。一部のごく間近に警護していた竜騎士以外はそれを信じ込まされ、ラグラスら親族達に従っていたのだ。
今、倉庫の外で警護をしている彼等もエドワルドが救出された後になって真相を知り、慌てて謝罪した口なのだろう。
「俺にもあんな母がいたら少しは違ったかな……」
ゲオルグは自嘲気味に呟く。彼を育ててくれたドロテーアはグスタフの腹心だった。その為、彼の方針に従い、ゲオルグを甘やかせるだけ甘やかして我儘に育てた。半年前、彼女の本心を知り傷ついた心はまだ癒えてはいない。だが、恨み言を言おうにも、彼女はもうこの世にはいなかった。本宮での一件の数日後、気のふれた彼女は窓から身を投げた。罪を問われていた彼女は故郷に埋葬される事も許されず、皇都郊外の墓地にひっそりと埋葬されていた。
「そこ、いつまで喋っている」
どうやら兵士達の上司が見回りに来たようだ。浮かれている部下を窘めてはいるが、口ぶりからすると彼も本当は騒いでいたい心境らしい。ただ、まだラグラスとの決着がついておらず、審理も控えている。理性が働いている辺りが一般の兵士との差なのだろう。
「強行軍で中のお方もお疲れである。ゆっくり体を休めて頂くためにも私語は慎む様にと殿下の御下命である」
「はっ」
上司の言葉に彼等は襟を正した。皇家から除籍されたものの、ゲオルグが皇家の血を引いていない事は伏せられている。彼自身の為でもあるし、これ以上の皇家の威信の失墜を防ぐ意味もある。その為、行軍中も比較的丁寧に扱われていた。もしかしたらエドワルドが何か通達を出しているのかもしれない。
こんな時にも気を回してくれるエドワルドを今までどうしてあんなに憎んでいたのか……。いろいろ考えているとどんどん眠れなくなってくる。用を足しに出れば少しは気分転換になるかもしれないと思い、ゲオルグは体を起こして外の兵士に合図を送る。
「厠へ行きたい」
ゲオルグの要望に彼等はすぐに応えてくれる。厳重に施錠されていた扉が開けられ、念のために腰に縄をかけられる。倉庫の周囲を警護していた10名の内、2人が付き添って村の外れにある厠へ向かう。
「っ……冷えるな」
外は思った以上に気温が低くブルリと身震いをする。だが、空を見上げてみると、綺麗な星空が広がっていた。近頃は牢の天窓から空を眺めるのが日課になっていたが、こうして外で眺めるのは初めてだった。そのささやかな感動をごまかす様に、一つ伸びをして促されるままに歩き出す。
元々の村長の家を中心に陣は作られていた。何か進展があったらしく、彼等がいる中心から少し外れた場所にまで緊迫した空気が伝わって来る。煌々と篝火で照らされた中心部の方を見れば、忙しそうに人が行き来していた。
主要な竜騎士達の飛竜を休ませている仮の竜舎の脇を抜け、村の外れまで来るとさすがに人通りが少なくなる。警備の者も立っているが、中心部に比べるとその数は少ない。害意ある者が近づけば、飛竜達の方がすぐに気付くからだ。
厠は村の一番外側にあった。信用してくれているのか、兵士達は外で待っていてくれると言う。ゲオルグは1人で中に入った。
「……で、具体的にどうするよ?」
「騒ぎを起こせばいい。倉庫に火をつけりゃ、奴ら、相当慌てるだろう」
「なるほど。その間にガキを連れ出せばいいってわけか」
「おう」
用を足し終え、厠の窓から外を眺めていると、密やかな会話が聞こえて来てゲオルグは凍りつく。会話の内容もさることながら、その声は忘れる筈もない。自分の取り巻きとして供にやんちゃを繰り返し、現在はラグラスの手下に成り下がっていると言われているあの2人の声だったからだ。
「!」
驚きのあまり音をたててしまい、慌てた様子で足音が遠ざかる。ゲオルグも急いで厠を出ると、外で警護している兵士達に血相を変えて問いただした。
「今、誰かいなかったか?」
2人の兵士は顔を見合わせる。そう言えば厠の陰から下働きらしい男達が村の敷地の外へ向かったと言う。暗がりではっきりと顔を見たわけではない。しかも今は複数の騎士団が集まっているので、誰が何処の所属かまでははっきりしていない状況だった。
「その2人は俺のダチだ。どっちに行った? 探してくれ、何か企んでいる」
俄かには信じられない様子で兵士達は顔を見合わせる。
「俺が逃げ出そうとしてると思うならそこらへんに縛り付けて行って構わない。追ってくれ、アイツらが罪を重ねないうちに捕まえてくれ!」
エドワルドからラグラスの元にいると聞いてあの2人の行方はずっと気がかりだった。彼等が今、ゲオルグをどう思っているかは分からない。でも、ゲオルグにとって彼等は幼い頃から供に遊んだ仲間だった。これ以上罪を犯せば極刑に処せられる可能性も出てくる。もうこれ以上身近にいた仲間を失いたくなかった。知らずに彼は兵士達に頭を下げていた。
「……私が後を追います。ただ、その2人の顔を私は知りません」
「それでもお願いします」
済まなそうにそう申し出る兵士にゲオルグは頭を下げた。彼は少し驚いた様子を見せたが、それでもすぐに2人が向かった方向に駆けてゆく。だが、それらしい2人を見つけたところで今は証拠がない。手配されている2人だとはっきりわからなければ捕えることも出来ないのだ。
「一先ず戻って応援を頼みましょう」
もう1人の提案にゲオルグも頷く。とにかく彼等が紛れ込んでいる事を知らせなければならない。だが、案の定、戻って他の兵士に事情を説明してもなかなか信じてはもらえなかった。
「ウォルフ・ディ・ミムラスを呼んでくれ! 彼ならあの2人が分かるはずだ」
躊躇する彼等に苛立ち、ゲオルグの声も自然と大きくなる。それだけ彼は必至だった。
「隊長には私が報告する。だから誰かウォルフ殿をお連れしてくれ」
先程厠まで付いて来てくれた兵士がゲオルグの提案を快諾してくれる。なかなか気乗りしない様子の仲間にはこのままここで警護するように言い残し、もう1人若い兵士には何か言われたら全部自分のせいにする様に言い置いてウォルフを呼びに行かせる。
「ありがとう……ありがとう……」
ゲオルグは頭を何度も下げて彼を見送り、他の兵に促されるまま倉庫の中に戻った。
「ゲオルグ殿下が私を?」
文官として従軍し、報告書をまとめる先輩の手助けをしていたウォルフは、若い兵士に呼び出されて目を丸くする。こちらは真っ先に裏切った後ろめたさから、向こうは身分をはく奪された気恥ずかしさから行軍の間中、互いに声をかけ損ねていた。
彼自身が持つプライドから絶対に向こうから声をかけて来る事は無いだろうと思っていたのに、思いがけなくも相手がどうしてもと呼んでいるのだ。エドワルドに帰順してからは常に相手を立てる言動を心掛けていた彼だったが、その時ばかりは思わず素で問い返していた。
「何で?」
「騒ぎを起こし、その隙に皇子様を誘拐する内容の会話を聞いたと……。それが昔のお仲間の声だったと……」
「何だって?」
兵士の答えに思わず声が裏返っていた。自分は途中からゲオルグの下に付いたが、あの2人は子供の頃からの付き合いである。そのゲオルグが彼等の声を聞き間違えるはずは無いし、自由になったところで行く当てのない彼が嘘をつく理由は無い。ゲオルグがそう言うのなら、彼等は間違いなくそれを実行するつもりなのだろう。
「ウォルフ! いつまで休んでる? 仕事しろ!」
審理を間近に控えていたのに立て籠もっていた砦で暴動が起きてラグラスは逃走、ベルクの部下はやって来るし、皇子誕生のおまけつきで行方不明だったエドワルドの妻子は帰還するし、逃亡したラグラスの部下が次々と捕縛され、おまけにとんでもなく大物のお客様までやって来たのだ。記録に残す作業を命じられた文官達はてんてこ舞いをしている最中で、記録係の責任者に任じられた先輩の文官は、その忙しさにキレかかっていた。
「すみません、一大事です。ちょっと抜けます!」
ウォルフはそう言い残して逃げようとするが、先輩がその肩をがっちりつかんで阻止する。
「逃げるなぁぁぁ!」
「すみません、行かせてください!」
振りほどこうとするが、羽交い絞めにされて阻止される。締め付けられてもがくウォルフの姿を見て若い兵士はただおろおろするばかりだった。
「騒々しいですよ」
そこへ姿を現したのはクレストだった。竜騎士だとはとても思えない程柔らかな物腰の彼は、いつもの様に柔和な笑みを浮かべて戯れる文官2人を窘めた。
「ク、クレスト卿……」
「ウォルフ君を離してあげなさい。それで、何があったのですか?」
優しい口調ながらも有無を言わさない雰囲気にようやく体が自由となる。それでも締め上げられてまだ呼吸が整わないので、おろおろしていた年若い兵士がクレストの求めに応じて説明をする。
「なるほど。そう言う事ならウォルフ君、行ってきなさい。殿下への報告は私がしておきましょう。それからここは誰か応援を呼びますから」
「ありがとうございます」
ウォルフはすぐに駆け出して行こうとするがクレストはすぐに彼を呼び止める。
「ああ、ウォルフ君、その2人を見つけたら言ってやりなさい。ラグラスは捕えたからもう従う必要はないとね」
「は……はい!」
クレストによってもたらされた最新の情報に、その場にいた全員が雄叫びを上げた。待ちに待った情報がやっともたらされたのだ。それに後押しをされるようにウォルフは若い兵士と共に駆け出していた。
「どうするよ?」
2人は途方に暮れていた。良い計画を思いついたのだが、それを他人に聞かれてしまったのだ。村の外れならば誰も来ないと思い、油断したのがまずかった。
「腹減ったな……」
ポツリと呟く。数日前に砦を出てからまともな食事にありつけていない。ここでエドワルドが何らかの追悼の式典を行うと聞きつけた彼等は、隙をついて襲撃しようと昨日からこの村に潜り込んでいたのだ。
だが、今日になって村に滞在する竜騎士の数が増えたかと思えば一面に立派な天幕がいくつも張られていく。下働きに扮してみたものの、一通りの作業が終われば村の敷地外へ追い出され、再び入るには許可が必要になってしまった。物々しく警備されているので忍び込むことも出来ない。
しかも先日の買い出しに出た村人を襲った件で彼等の顔は知られてしまっているので、ばれるのが怖くて人が集まるところにも近寄れない。その為、振舞われる食事にもありつけないでいたのだ。
ただ、陣を駆け巡った噂は耳にした。エドワルドの妻子が帰還し、しかも皇子が誕生していたと。それを聞きつけて先程の計略を彼等は思いついたのだ。
「どうするよ?」
「どうするって……やるしかないだろう?」
ずっと庇護してくれたグスタフやゲオルグがいない今、彼等にはもう後が無かった。ここで何かしら行動を起こし、ラグラスに有利な状況を作らないと、またもや居場所がなくなってしまうのだ。罪を重ねてきた彼等が捕まれば間違いなく死罪になる。そうラグラスに脅され続けてきた彼等は、自分達の為にも腹をくくるしかなかった。
「行くぞ」
1人が動き出すともう1人もそれにつられて動き出した。2人が先ず目指したのは昼間目をつけておいた倉庫である。村の敷地の外れにあり、夜陰に乗じればたどり着くのも不可能ではないだろう。中に糧食が運び込まれていたのをしっかりと確認しており、忍び込むことが出来れば、自分達の飢えを満たせるし一石二鳥である。
2人は物陰に隠れながら慎重に近寄るが、昼間と違い、何故か物々しく警備されている。先程の失敗が脳裏をかすめる。
「あー、もうだめだ……」
「弱気になるな」
1人は頭を抱えてその場に蹲った。それでも諦めきれていないもう1人は彼を叱咤するが、それが相棒の癪に障る。
「大体、お前があんな所で作戦をしゃべるから……」
「何? 俺のせいにするのか?」
「違うとでもいうのか?」
「何だと、この野郎!」
2人は状況も忘れて口論を始める。要は空腹で2人共苛立っていたのだ。
「止めなよ、2人共」
「邪魔をするな」
「お前は黙ってろ!」
頭に血が上った2人は、突然割って入った言葉に違和感すら覚えず取っ組み合いを始めた。だが、何者かによってそれは力ずくで止められる。気付けば2人は兵士によって羽交い絞めにされていた。周囲は兵士に取り囲まれ、文官らしい若い男が心配そうに2人の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫か?」
「お、お前……」
痩せて体つきがすっきりしたので直ぐには気づかなかったが、その声は紛れも無く彼等の昔の仲間ウォルフだった。その変わり様に2人は驚いて固まっていたが、すぐに彼が自分達を裏切ったことを思い出して掴みかかろうとする。
「ウォルフ! この裏切り者!」
「お前の所為で!」
だが、屈強な兵士に羽交い絞めにされている状態ではそれも叶わず、すぐに地べたに這いつくばる事となる。
「落ち着いてよ、2人共。状況を良く見て」
ウォルフは困ったような表情を浮かべて2人の前にしゃがみ込む。
「うるせぇ! お前が、お前が……」
「全部お前の所為だ!」
2人は視線をウォルフに向けたまま、取り押さえていた兵士を振りほどこうともがく。慌てて周囲の兵士も加わるが、ものすごい力で抵抗する。
「止めないか!」
制止する声に振り向くと、真っ赤な髪をした若者が歩いてくる。彼の隣にはクレストがおり、他にも数名の兵士が周囲を固めていた。
「ゲ、ゲオルグ殿下!」
「殿下! 生きて……」
ゲオルグの姿を目に留めると、2人は先程までの抵抗が嘘の様に大人しくなる。
「ウォルフを責めるんじゃねぇ。こいつは俺達の中で一番に間違いに気づいたんだ」
ゲオルグの言葉ならば、すんなり受け入れられるようで、2人はその場に膝をついて項垂れる。
「俺が死んだと思っていたのか? 勝手に殺すんじゃねぇ。それにな、ラグラスはもう捕まった。もう無駄に足掻くのは止めろ」
生きていたことを2人が驚きながらも喜んでいるのが嬉しいのに、口から出るのはぶっきらぼうな言葉だけだった。それでもほぼ1年ぶりの再会に、思わず本音が零れ出る。
「でも、お前達にまた会えてよかった」
「……っ」
2人はその言葉に涙を流した。
「場所を変えましょう。君達もこれ以上騒ぎを起こさず、大人しく従うのならば、殿下との面会を許します。但し、兵士が同席するのは了承して頂きます」
クレストが優しく、そしてきっぱりと2人に言い聞かせる。もう抵抗する気が起きないのか、2人は大人しく頷いた。ゲオルグもウォルフもそんな2人にホッとして互いの顔を見合わせる。ついさっきまで顔を合わせるのもどこか気まずい思いがしていたのもどこかへ消え失せていた。
ちなみに、4人で揃って顔を合わせたのはこれが最後。
ウォルフは下官として務め、誰もやりたがらない古書の整理を自ら担当。
ゲオルグはラグラスが立てこもっていた砦で蟄居となり、自給自足の生活を自ら望んで行う事に。
今回出て来た2人は労役が課せられ、水路を作ったり、壊れた砦を補修したりと肉体労働で罪を償います。




