62 策謀の果て2
3日間の蜜月を終え、本宮に帰って来たアスターとマリーリアは、竜舎でラグラスの要求の件を聞きつけ、慌ててエドワルドの執務室に向かった。
「殿下」
「……出仕は明日からではなかったか?」
執務室に飛び込んで来た2人の姿に、半ば予感していたらしいエドワルドは大して驚いた様子を見せなかった。だが、相変わらず山となった書類に囲まれており、急ぎの仕事を抱えているのか、2人にちょっと待つように言い置いて再び書類に目を戻す。
ウォルフが2人にお茶を淹れて席を勧めてくれるが、とても落ち着く気になれず、アスターは座らずにエドワルドの執務机に近寄る。
「手伝います」
「……その山だけ頼む」
本当に立て込んでいたのだろう。エドワルドは少しだけほっとした様子で一番端にある山を指す。アスターは予備の机にそれを運び、慣れた様子で書類をめくる。マリーリアがその側に控え、さりげなく手伝う。
髪を降ろして隠してあるが、彼女の首元にはくっきりと赤い跡がついている。今の自分には目の毒なのだが、自分の負担を減らそうと常に先回りして動いてくれているアスターが新妻と2人だけの甘い時間を過ごせ、少しは休養になったと思うとエドワルドは自然と笑みが零れていた。
2人掛かりで黙々と作業したおかげで、予定よりも幾分か早く書類の山は片付いた。ウォルフが全ての書類を運び出すと、改めてエドワルドはアスターに席を勧め、マリーリアが3人分のお茶を淹れなおした。
「……ラグラスの戯言の件はヒースが持ってきたのですか?」
「まあ、そうだな」
エドワルドは優雅な仕草で茶器を口に運ぶ。予測していた答えにアスターは大きくため息をつく。
「どうなさるおつもりですか?」
「あの要求には応じるつもりは無い。だが、すぐに答えず、様子を見るつもりだ」
エドワルドはそう答えると、2通の報告書をアスターに手渡す。1通はヒースが運んできた第1報。もう一つは今朝方届けられたものらしい。
手渡された報告書を受け取ったアスターはそれに目を通していく。隣に座っていたマリーリアも横から覗き込み、その内容に顔を顰める。
「……フロリエ様が奴の元にはいない確証は有るのでしょうか?」
「なかなか近寄らせては貰えないが、エアリアルは彼女達の気配を感じる事は出来なかったそうだ。奴の元にいるのは偽物だ」
ラグラス側が見せつけた女性がフロリエ本人では無くても、人質がいる事には変わりない。早く救出をした方が良いのだが、迂闊に近寄ればその女性の命も危うい。
「今朝届いた報告書によると、ラグラスは近隣の領主から巻き上げた糧食の大半を売って酒に代えたらしい。そのままであれば、配下も含めて審理までどうにかしのげる量だったが、残ったのはどう見積もっても数日が限度。しかも上層部で独占し、下端には行き届いていない状態らしい」
「それでは……」
「既に離脱者も出始めている。ベルクが奴に付けていた部下も砦を出たと聞くし、このままでは砦で暴動が起こる可能性もある」
「何か対策は?」
「ヒースの報告では離脱者から砦内の情報を集め、彼等を利用して更なる離脱を促している」
後から届いた報告書には、帰順した後も砦に残って情報を集めたり、離脱者を募ってきたりする者もいるらしい。どこまで信用できるか分からないが、それでもラグラス側の糧食不足は深刻な状況だと推測できる。
「審理が来月と決まった。それに先駆けロベリアとフォルビア、ワールウェイドの視察を行う」
「私の役回りは?」
「第1騎士団の第1から第3大隊を連れて行く。その指揮を任せる」
手薄になる皇都の警護にサントリナ領とブランドル領から竜騎士を集め、第2、第5騎士団の一部をワールウェイド領に待機させる。ロベリアでは第3騎士団も合流し、第7騎士団はフォルビア領の西で待機。ワールウェイド家はその後方支援を任され、新たな女大公となったマリーリアが指揮をとり、エルフレートとリカルドがその補佐を行う事が決められていた。
ただ、雛が卵から孵ったばかりなので、カーマインは本宮で留守番になり、実際に戦闘となっても彼女が前線に出ることは無いだろう。
その大がかりな軍容に2人は思わず息を飲む。武力のみでの解決を禁じたダナシアの教えに反するとも見られ、審理に悪影響を及ぼすのは必至だった。
「その様な事をすれば……」
「あくまで内乱で荒れた地域の復興の為だ。叔母上の墓参をし、焼け落ちた館の跡を視察してあの湖畔の村で犠牲者の追悼をする。ロイス神官長の墓にも参らなければな……。
こちらから仕掛けるつもりは無い。私の目的はあくまで視察だ。だが、向こうが何かを仕掛けてくれば、武力を行使する事は許されているはずだ。だから、騎士団を大がかりに動かしている事を気取られてはならない」
エドワルドの注文にアスターは思わず頭を抱える。地方への視察に同行する竜騎士は通常1大隊である。竜騎士は動くだけで目立つと言うのに、それだけの大軍が動いている事をあのベルクに気取られずに移動させなければならないのだ。
「護衛として連れて行くのは第1大隊。残りの2大隊は小隊単位に別れて移動」
「合流箇所は決めてありますか?」
「叔母上の館の跡だ。火急の時にはそこから駆けつける事になっている」
アスターは思わずため息をつく。自分が蜜月で留守中の間に、何も知らされず、ここまで決められてしまっている事に何だか納得がいかない。
「決定事項ですか?」
「そうだな」
「……」
「アスター?」
黙って聞いていたマリーリアが隣の夫を気遣う様に見上げる。
「仕方ありません。出来る限りの事を致します」
「頼むぞ」
アスターは渋々承諾し、エドワルドもマリーリアもほっと胸を撫で下ろした。
「では、早速手配いたします」
「……明日からでもいいのだぞ?」
2人は今日まで休みだった。返上させるつもりのなかったエドワルドは少し慌てる。
「今度こそ確実に奴を捕えなければなりません。ならば取り掛かりは少しでも早い方が良いでしょう」
これだけは譲れないらしく、アスターは新妻を促して席を立つ。そしてエドワルドに暇を告げ、執務室を後にした。
自分で休暇を与えたものの、アスターが復帰してくれてほっとしたのも確かだった。エドワルドは2人を見送ると、1つ伸びをして新たな書類が山積みになっている机に向かった。
僅かに差し込む月の光を頼りに、ゲオルグは子供用の手習い本片手にチョークで木盤に文字を書き連ねていた。討伐期に入って間もない頃にエドワルドが尋ねて来て要望を聞かれ、彼は後から勉強がしたいと申し出た。
最初はハルベルトがしたように高レベルの学者を手配されたのだが、ゲオルグの学習レベルが子供の手習いと同程度とわかり、冬の間避難民の子供を長く面倒見てきた神官が講師に選ばれた。1年前とは心構えも違い、心を惑わす言葉をかける者もいない。ゲオルグは今、生まれて初めて真面目に勉学に取り組んでいた。
「皇都・ファーレン……マルモア……ロベリア……」
どうやらタランテラの地理の綴りを覚えているらしく、呟きながら木盤に書いていく。慣れない筆致はどこかたどたどしく、まるで子供が書いたようだ。
ギギギ……
軋むような音をたてて扉が開く。ゲオルグが驚いて振り向くと、そこには何時かの様にフードつきの長衣を羽織ったエドワルドが立っていた。
「相変わらずこの扉は固いな」
ガチャンと音をたてて扉を閉めると、エドワルドは苦笑する。
「囚人が簡単に逃げては困るからだろう」
「確かに困るな」
呆れたように返され、エドワルドは苦笑する。そして彼が向かっていた古びた机に目をやって少しだけ目を細めた。
「真面目にやっている様だが、夜は止めておいた方が良いな。目が悪くなる」
「今夜は月が出ていて十分明るい。雨だとさすがにする気は起きないけど」
そう答えるゲオルグの表情には、半年前のような焦燥感は最早ない。あの一件は自分の中で吹っ切れたのか、夜もよく眠れている様子だと牢番からの報告は受けていた。
「やればできるじゃないか」
「……前は……遊んでいた方が喜ばれたし……」
褒められる事に慣れていない上に、まさか子供の手習いと同等の物で褒められると思っていなかったゲオルグは視線を逸らした。
「今は本当にする事ないんだよ」
天邪鬼な答えしかできないが、エドワルドは彼の顔が少しだけ照れて赤くなっているのに気付いた。あのままグスタフの元で庇護されていれば、決して見る事のなかった表情だろう。今更ながらにねじ曲げられてしまった彼の人生を元に戻してやれない事が悔やまれる。
「で、何の用だ?」
エドワルドがここまで足を運ぶのは冬以来である。世情に疎くとも彼が自分に何か用があって来たのかぐらいはゲオルグにも推察できたらしい。
「ベルク準賢者に会った事は有るか?」
「ベルク? ベルク……ベルク……」
ゲオルグはしばらく考え込んでいたが、ようやく思い出したのか嫌な表情を浮かべて顔を上げる。
「あの偉そうなジジイ」
「……」
間違ってはいないなぁとエドワルドは内心思いながら、講師が来た時に使っている古びた椅子に座る。そして以前来た時と同じように懐から蒸留酒の小瓶を取りだしてゲオルグに手渡した。
「ラグラスが私を訴えていて、その審理をベルクが仕切る。それにお前も連れて来いと言って来た」
「俺を?」
もらった蒸留酒を早速飲もうと、木の椀に移したところで動きが止まり、理解できないとばかりにゲオルグは首を傾げる。
「奴は私を排除して何でも言いなりになりそうなお前を国主に据えようとしている」
「な、何で今更……」
呆気にとられ、ゲオルグの手元から少しだけ意識が逸れる。エドワルドに蒸留酒が零れそうになっているのを指摘され慌ててその貴重な差し入れの瓶に栓をする。
「ラグラスの主張では、私も部下も正統な後継者である自分を武力で排除した悪者だからな。同じ被害者であるお前を国主にと考えたのだろう」
「……そんなこと言われて平気なのか?」
この半年余りで自分が間違っていたことぐらい充分理解している。それなのに理不尽な要求を受けても平然としているエドワルドを彼は理解できなかった。
「平気ではないが、戯言に過ぎないのは私も周囲もよく分かっている。ありがたいことにさまざまな援助も受けていて、それを覆す程の味方も得ている」
「そう……なのか……」
よく分からないなりに他にも何か屈託が有りそうだとは理解できたが、それ以上は何も訪ねなかった。ごまかす様に蒸留酒を入れた椀に水を足し、それを一息に飲みほした。
「うまい……」
「そうか」
久しぶりの酒にゲオルグの顔も緩み、エドワルドもその様子に顔が綻ぶ。
「ベルクの要求だが、先ほどの会議にお前も連れて行くことに決まった。もちろん逃げられないように十分な警護を付けての移動になる。不満は有るだろが大人しくしてくれるとありがたい」
「分かった……」
ゲオルグは神妙にうなずいた。おそらく、これで何かあればエドワルドの一存ではどうにもできなくなるのだろう。一時は覚悟したが、それでも死を宣告されるのは怖い。多少なりとも分別を付けた今でははっきり分かる。今更ここを出ても自分を庇護してくれるものは最早皆無だろう。
「これはまだ確認されていないからあくまで噂だ。お前の取り巻き2人がラグラスの元にいるらしい」
「あの2人が?」
「ああ。フォルビアの農家を荒らすのに手を貸している。ウォルフが彼等を説得すると言っているが、下手に近づくとアイツの命も危ない」
「……それはそうだ」
正しいことをしたのだが、彼等にしてみればウォルフは裏切り者である。話に耳を傾けることなく斬りつけられるのが目に見えていた。
「お前がフォルビアに付いたらもしかしたら何か仕掛けて来るかもしれない。十分な警護はつけるが、お前自身も気をつけなさい」
「分かった」
ゲオルグがうなずくと、エドワルドは満足そうにうなずき腰を上げる。そして来た時と同じようにフードをかぶるが、何かを思い出して振り返る。
「ああ、そうだ。そこ、マルモアの綴りを間違えているぞ」
「え?」
慌てて木盤に向き直ると、指摘された通りマルモアの綴りを間違えていた。慌ててそこを消して正しい綴りで書き直す。
「ではな、ゲオルグ」
扉の軋む音がして振り返ると、エドワルドは牢を出て行く。ゲオルグは慌てて立ち上がり、彼を呼び止めた。
「叔父上」
「何だ?」
「ありがとう」
礼を言われ、エドワルドは寸の間目を瞬かせる。だが、口元に笑みを浮かべると彼は手を上げて牢を出て扉を閉めた。そしてこの半年での彼の成長にエドワルドは満足して自室に戻って行った。
「おう、お前達、よくやった」
ラグラスは積み上げられた戦利品に上機嫌で部下を労った。畏まる2人は元々ゲオルグの取り巻きで、フォルビアではあまり顔が知られていないのを利用して近隣で情報を集めていた。今回はその情報が役立ち、近くの村の代表者が街へ買い出しに行った帰りを襲撃したのだ。
細々とした生活雑貨が大多数を占めるが、運がいいことに中には干し肉等の保存食や酒もある。彼等は意気揚々と砦に引き上げてきた。偽物の人質のおかげで竜騎士達も容易に砦へは近づいてこないので、仕事は楽に進められた。
「近日中にあのエドワルド殿下がフォルビア入りするそうです」
「追悼の儀式をすると聞きました」
新たにもたらされた情報にラグラスは色めき立つ。
「やっと来る気になったか。まあ、審理には顔出さないとなぁ、俺様の不戦勝になっちまうからな。金もしっかり払ってもらおうか」
以前、ベルクの部下に審理に顔出すのは面倒だと言った所、当事者が出席しない場合、自動的に負けになるのだと脅された。訴えられた方はその要求を呑むことになり、訴えた方はその請求を取り下げたと見なされるのだ。その後も例外や細かな注意事項の説明があったが、ともかく審理に出られなかった場合は自動的に負けになるとだけは記憶していた。
「良いこと思いついたぜ」
ラグラスが不敵な笑みを浮かべる。その様子に彼の側近達は嫌な予感しかしなかった。
「その儀式をどこでするか探りだせ。護衛の人数もだ。待ち構えて奴を殺す……いや、深手を負わせるだけでもいい。そうすれば、もうこっちのもんだ」
ラグラスは戦利品を漁って酒を見つけ出すと、早速それに口をつける。
「皆に触れを出せ。奴に関する有益な情報を持ってきた者には銀貨をやる。奴に傷をつけた者には金貨だ。うまく仕留められたら金貨10枚だ」
一体どこから出すつもりなのか、なかなか気前のいい報酬である。偽の人質を盾にした金が手に入るのを当てにしているのか、それともベルクに出させるつもりなのか。身代金に関してはフォルビアは様子をうかがっているらしく何の音沙汰も無く、ベルクの部下は既にここを出て行っており、連絡を取るのも難しい。
それでもその触れを聞いた一部の者達は色めき立ち、中には早速行動に移す者もいる。ゲオルグの取り巻きだった2人も例外では無く、彼等も慌てて準備を整えると砦を後にした。
「見てろよ……。フォルビアだけじゃねぇ、タランテラ全てが俺様のものだ」
ラグラスは安い酒をまたあおる様にして飲むと、酒に支配された頭で己がタランテラの支配者となった明るい未来を夢想する。自称未来の国主様は自分の考えに満足すると、また次の酒瓶に手を伸ばして封を開ける。
そんな彼を青い顔したダドリーがどうしたものかと様子を窺っていた。
アスターとマリーリアの蜜月はR15で納まりそうにないので省略。
ファンの方すみません。
暴走が止まらないラグラス。
彼の企みは成功するのか?
おまけ 首座様のゆかいな仲間たち
3 旧友 ダーバ先代国主
新年の春分節が過ぎ、ようやくお祭り気分が抜けた頃、ソレルに招かれざる客がやってきた。今は自由気ままに隠居暮らしを謳歌している、隣国ダーバの先代国主だった。 仕事が忙しすぎて手が離せないミハイルは、突然現れた賓客を仕方なしに自分の執務室へ招き入れた。
「私が協力を仰いだのは現国主の君の息子だったはずだが?」
「アイツは忙しいからな。代わりに暇なワシが来た」
胸を張る旧友の答えにミハイルは疑わしげな視線を送る。
「面倒な事を嫌うお前が自ら進み出て来るとは思えないんだが?」
「ブレシッドの美酒が飲めるのなら話は別だよ。うん。それにだ、今まで辛酸を舐めさせられてきた奴に復讐できるんだ。こんな美味しい場面を見逃す手は無いだろう?」
どうやら隣国の先代国主様はブレシッド産のワインが目当てでやって来たらしい。だが、そのもっともらしい理由にミハイルは容易くうなずくような真似はしなかった。
「浮気がばれたか?」
「な……何の事かな?」
彼は否定するが、思いっきり目が泳いでいる。
「この半年余りの間に2人……いや、3人か。若い女官との噂を聞いている」
「……」
「その他に元部下の若妻や騎士団長の娘とも噂になっているな」
ミハイルが知り得た情報を披露すると、気の毒な位顔色が悪くなっていく。
「奥方に追い出されたか、それとも怖くて逃げだしてきたか……。おそらく後者だな」
昔から見目麗しい女性を見ると社交辞令代わりに口説いてきた先代国主様は、ミハイルの推理にだらだらと冷や汗を流している。結婚した当初は大人しく夫に逆らえなかった奥方だったが、年を経るごとに強かになり、今では完全に夫を尻に敷いていた。それでも浮気を止めないのは、もう一種の病気としか言いようがない。
「息子に匿ってもらおうとして、こちらの協力要請をききつけたって所か。坊やは知っているのか?」
「も、もちろん」
図星だったらしく、冷や汗を流しながらもコクコクとうなずいている。
「ま、そう言う事なら役に立ってもらおう。先ずはガウラを説得したい。手を貸せ」
「分かった」
居場所が確保できるのなら彼に否応は無かった。しかもブレシッド産のワインを毎日飲めるのならこれ以上の贅沢は無い。
だが、目の前のご褒美につられ、ミハイルに良いようにこき使われ、今までにない位働かされた先代国主様だった。




