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群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
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57 廻る命2

 ディエゴは報告書の束を手に足早にミハイルの執務室に向かっていた。通常の報告書であれば下官に使いを任せればいいのだが、極秘扱いのものでもあり、シーナが家で休んでいるので、様子見を兼ねてルデラック公王である彼が直々に足を運んでいるのだ。

「義父上、失礼しますよ」

 シーナが離れて2日は経過している。惨状を覚悟して扉を開けるが、部屋は思いの外片付いていた。

「……ディエゴ、ノックぐらいしてくれ」

「それは失礼」

 いつもの苦情をさらっと受け流し、ディエゴは部屋の中を見渡す。書類が散乱しているが、足の踏み場がないと言った状態にはなっていない。物珍しそうに見渡しながら部屋の主が仕事をしている机に近寄る。

「片付けは……必要ないみたいですね?」

「……ここで休憩するなと言われたからな」

「なるほど」

 有能な妻は悪阻による体調不良で父親の補佐を離れる時に、当人のみならず彼の身の回りの世話をする侍官にもこの部屋での飲食厳禁を通達した様だ。休憩する時と部屋を分ける事でどうにか部屋の状態を維持できているらしい。

 以前離れた時は彼が無理やり彼女を攫って行ったので、その通達を出す暇が無かったのだろう。

「ところで、急ぎの用事は何だ?」

「先のワールウェイド公に雇われていた竜騎士の正しい身元が分かりましたよ」

「ほう……」

 グスタフの死を理由に討伐期に入る直前で契約を無効として国外に出てしまった竜騎士の行方をディエゴは伝手を頼りに調べ上げていた。元々が本名では無かったので、少々時間がかかってしまったが、先ほどようやく最終的な調査報告書が彼の下に届いたのだ。

「こちらをご覧ください」

 差し出された資料に目を通していくうちにミハイルの表情は険しくなっていく。そこにあげられていたのはタルカナやエヴィルの貴族や礎の里の高神官の子息の名前だった。いずれも竜騎士を数多く輩出している家柄で、挙げられている子息達は残念な事に力が足りずに飛竜に選ばれなかった若者達だった。

 しかもここに上げられた面々の実家は、以前にガスパルが手に入れたベルク主催の春分節の宴の招待客と大部分が符合している。

「前々から流れているタランテラで修業をすれば竜騎士になれるという噂は、ただ単に竜騎士の経験を積めるからだと思っていましたが、どうやらあの薬を使っていたようですね」

「ベルクが薬を売りさばいた客にワールウェイド公が飛竜を用意していたと言う事か。薬で力を高めただけでは普通、飛竜はパートナーとして選ばない。だが、パートナーを失った飛竜なら可能性は有るな」

「そうですね」

 討伐等で命を落とした竜騎士のパートナーは一旦神殿に預けられ、まだ若ければ次のパートナーを選ぶことが多い。最初のパートナーを選ぶ基準よりも随分と妥協する事が多く、飛竜が先のパートナーを無くした悲しみから逃れる為に早く次のパートナーを選ぼうとするからだろうと言われている。討伐期が長く、竜騎士の死亡率が高い北国ならではの裏技ともいえるだろう。

「これも当代様に報告しよう。勿論、アリシアにも教えておかなければ」

 そこへ遠慮がちに戸を叩く音がする。ミハイルが返事をすると、次席補佐官が見事な細工を施した書簡筒を持ってきた。その筒を使用するのはただ1人。現在ラトリに滞在している彼の妻、アリシアだった。

「おお、ちょうどいい所へ」

 それを受け取ると、ミハイルは首から下げている鍵を使ってその筒を開封する。

中から書類を取りだし、素早く目を通していく。

「では、私は席を外しますよ」

「いや、待て」

 次席補佐官がすぐに席を外したので、ディエゴも奥方からの手紙を読むのに邪魔にならない様、気を効かせたつもりだったが、当のミハイルによって呼び止められる。

「何か、重大な事でも起こりましたか?」

「赤子が生まれたそうだ」

 あちらで出産を控えているのは1人だけ。誰のとは聞くまでも無い。

「早くないですか?」

「手違いがあって、ベルクの妄言が彼女の耳に入った。そのショックでお産が早まったらしい」

「マジか……。で、お生まれになったのはどちらで?」

「皇子だそうだ。父親譲りのプラチナブロンドに顔のつくりは母親譲りだそうだ」

「おお、タランテラ皇家待望の皇子ですね」

「そうだな」

 ミハイルの口元には笑みが零れている。

「早く生まれてきた割には、赤子は元気いっぱいだそうだ。ただ、フレアの回復が遅れているそうだ」

「それは心配ですね」

「あちらに任せておけば大丈夫だろうが、何か滋養のある物を贈らせよう」

 ミハイルは自分の考えに満足したのか、手紙を読みながら何かブツブツと独り言を始める。こうなるとしばらくは周囲の声が耳に入らなくなる。ディエゴはそっと執務室を後にする。

 その日のうちにミハイルは返事の手紙を書き上げた。全体の8割は愛する妻へのラブレター。1割はディエゴからの情報をまとめたもの。残り1割はフレアへの出産の祝いと体を気遣う内容だった。そして手紙の最後のページには大きく名前が1つだけ書かれていた。


「エルヴィン・ディ・タランテイル」


 名付け親を頼まれていた彼が孫に送った最初の贈り物だった。




 討伐期の終わりを間近に控え、春を思わせる穏やかな天気に恵まれたこの日、冬の最中に他界したロイスの葬儀が、補佐官だったトビアスの手によりフォルビア正神殿でしめやかに行われた。

 実は彼の死が一般の市民に公表されたのは、しばらく経ってからだった。アレス達が占拠したあと、小神殿に数多く残されていたベルクからの指示書の中に、そういった記述があったからだ。

 ベルクはあの神殿がアレス達によって占拠されていることをまだ知らない。彼の油断を誘うためにもその事を感づかせないためにフォルビア側と協議し、ベルクの指示通りロイスの死亡を公表するのは控えていたのだ。

 会場には総督であるヒースとその補佐役であるルーク、そしてロベリアからは騎士団長のリーガス、ワールウェイドからはエルフレートが出席していた。彼の人徳を物語るように、近隣の住民の大半が押し寄せて、先日のアロンの鎮魂の儀もかすむくらい大規模な葬儀となっていた。

「それにしても残念ですな」

「左様」

「ちょっとした油断だったのでしょうが、このような最後となられてしまった」

「惜しい事ですな」

「しかし、彼にはこれでよかったのでしょう」

「と、言いますと?」

「彼のそのちょっとした油断が今日の混乱を招いた訳です。その責任を追及されずに済むのですから」

「確かにそうですな」

 会場の隅ではこんな会話が交わされていた。上質な服に身を包んだ彼等はフォルビア城下の小神殿の神官長と西部の地主達だった。逃亡し、いにしえの砦に立てこもっているラグラスにより無理難題をふっかけられて困っている彼等からしてみれば、その原因ともなったロイスに愚痴の1つでも言いたくなるのは確かだろう。

 だがそれは、彼等が謀反を起こしたラグラスに取り入り、甘い汁を吸おうとした付けを払わされているにすぎない。それに気付くことなく、彼等の愚痴は葬儀が終わるまで続けられた。

 



 つつがなく葬儀は終わり、ロイスの棺は霊廟に収められた。招かれた参列者達も帰途に就き、正神殿は常と変わらぬ静寂を取り戻していた。

「神官長様……」

 そんな中、女神官のイリスは1人中庭のハーブ園にたたずんでいた。実は地主達のロイスへの愚痴を聞いてしまい、沈んだ気持ちを落ち着けようとここに来たのだ。だが、ここは昨年と一昨年と正神殿を訪れたフロリエを案内した思い出の場所。彼女達の不遇を思うと余計に悲しくなってしまい、その場にしゃがみ込んでいた。

「大丈夫ですか?」

 不意に声をかけられ、顔を上げると竜騎士正装に身を包んだ若者が心配そうに顔を覗き込んでいた。胸には上級竜騎士とフォルビア所属を示す記章がついている。

「す、すみません」

 慌てて立ち上がろうとすると思わずよろめいてしまい、相手が差し出した手にすがっていた。さりげなく差し出されていたにも関わらず、その手はゆるぎない力で彼女を支えている。

「大丈夫ですか?」

「は、はい、お見苦しい所を……」

 イリスは慌てて手を離す。規律の厳しい先輩女神官に見られれば、はしたないと厳しく注意されるに違いない。容赦がない人なので相手にも迷惑がかかってしまうだろう。

「お加減が悪いのですか?」

「い、いえ、違います。その、神官長様、悪くないのに、その、原因と言われてるのを聞いて、その、悲しくて……」

 泣いている姿を見て具合が悪いと思って声をかけてくれたらしい。慌てて言い訳をするのだが、動揺から支離滅裂な答えになってしまい、ほろりと涙がこぼれる。

「え、あ、こ、これ使ってください」

 イリスの流した涙に狼狽したらしい竜騎士は、懐から白い手巾を取り出すと彼女に手渡す。彼女も動揺から立ち直っておらず、その手巾を受け取ったまま固まっていた。

「ラウル」

 2人して固まっていると、竜騎士の背後から声をかけられる。彼がビクリとして振り向くとその背後に竜騎士正装の若い男性が2人立っていた。1人はタランテラで最も有名な竜騎士の1人と言える、雷光の騎士だった。もう1人はイリスも幾度か顔を見かけたことがあるシュテファン卿。と、言う事は目の前にいる彼は皇都から配属されたラウル卿なのだろう。

「た、隊長……」

「どうした?」

 イリスの姿を認めたらしく、ルークは怪訝そうな表情を浮かべ、その傍らにいるシュテファンはどこか面白がるような視線を彼に向けている。

「お前が泣かせたのか?」

「いえ、そのっ」

「あのっ、違うんです。その、ちょっと、落ち込んでて、その、私が、具合が悪いと思って気にかけて下さったんです」

 自分を気遣って来てくれたのに、誤解させてしまっては申し訳ない。イリスはたどたどしい口調になりながらも慌てて弁明する。

「そうか」

 すっかり無表情が板についてしまったルークはそう呟くと「後は任せる」と言い残してきびすを返した。

「じゃあな」

 シュテファンもそう言ってルークの後に続き、2人はその場に固まったまま取り残されていた。

「その、全部言わせてしまって申し訳ない」

「いえ、貴方の所為では……」

「元はと言えば俺が変に声をかけてしまったから……」

「でも、気にかけて下さって嬉しかったです」

 互いに謝っているうちに何だかおかしくなってくる。互いに目が合うと思わず吹き出していた。

「でも、元気になられたようで良かった」

 相手に指摘され、ここに来た時の沈んだ気持ちが消えていることに気付いた。

「貴方のおかげです」

 そこで彼は何かを思い出し、慌てて居住まいを正す。

「俺はフォルビア騎士団所属、ラウル・ディ・アイスラーといいます。貴女のお名前を教えて頂きますか?」

「イリスと申します。ラウル卿」

 ラウルの誠実な態度に好感を抱き、イリスは頬が染まるのを感じながら答えた。もっと話をしていたいと思ったが、気付けば辺りは暗くなっていて、イリスは慌てる。

「あ、もうこんな時間……。行かないと」

「あ、送ります」

 日が暮れると同時に急激に気温が下がってくる。戻るのはすぐ傍の建物だったが、慌てて差し出されたラウルの手をイリスは少し躊躇ためらった後にとった。

「当面忙しいのですが、落ち着いた頃にまた会えますか?」

「は、はい」

 国の一大事が控えている現状で浮ついている場合ではないのだが、それでも魅かれる気持ちを止める事ができず、別れ際のラウルの申し出にイリスはうなずいた。彼は彼女の返事に笑みを浮かべると、竜騎士の礼を取ってから彼女の手の甲に口づける。

「お気を付けて」

「ありがとう」

 ラウルの姿が見えなくなるまで見送ると、ふと、彼の手巾を握りしめたままだったことに気付いた。

「あ……」

 どうしようかと迷ったが、きちんと洗濯し、また次に会えた時にお返ししようと思いなおした。そして少し幸せな気持ちのまま部屋に戻っていった。

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