表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
107/156

56 廻る命1

 カーマインは一晩かけて3つの卵を産み落とした。多めに敷いた寝藁の上、卵が転がらないようにうまく並べ、尾と体で抱え込むようにして世話をする飛竜は既に母親の顔をしていた。

「よく頑張ったわね、カーマイン」

 アスターと共に徹夜でカーマインに付き添ったマリーリアはパートナーを労い、その首筋に触れる。それでも飛竜は卵に呼びかける様にクルクルと鳴きながらお世話に余念がない。

 保温のため、室の周囲は厚手の帳で覆ってあるのだが、その合わせ目から産卵中は別の室に移動させられていたファルクレインが顔を覗かせる。グッグッと低く尋ねる様に鳴くと、カーマインがゴロゴロと喉を鳴らした。どうやらお許しを貰えた様で、ごそごそと中に入って来る。そしてカーマインと一緒に卵に呼びかける様に鳴きだした。

「後は2頭に任せよう」

「そうね……」

 仕事を放りだしたままのアスターは立ち上がるとマリーリアに手を差し出す。その手を取って彼女も立ち上がるが、卵から視線を外そうとしない。

「マリーリア?」

「……」

 彼女の口からは小さく「いいなぁ」と零れていた。それに気づいたアスターは彼女の正面に回り込んで顔を覗き込む。

「羨ましいのか?」

「……」

 マリーリアの視線が泳ぐ。不遇な生い立ちゆえに家族への憧れが強い彼女は、皇家に迎えられたとはいえ慣れない環境に未だ落ち着かない様子を見せている。飛竜達が卵を慈しむ光景に思わず本音が出たのだろう。

「今すぐは無理だが、いずれ君の理想とする家庭を築こう」

「アスター……」

 プロポーズらしい言葉は、迎えに来た時に既に受けているが、それでも一時の感情だけでは無くてこうして自分との将来を考えていてくれることが嬉しい。マリーリアは気恥ずかしさを隠す様にその胸に顔を埋めた。

「嫌か?」

「そんな事ない。……嬉しいわ」

 アスターはそっと彼女の額に口づけた。

「国が落ち着いてからになるから、それまで待っていてくれ」

「……うん」

 マリーリアは泣きそうになるのを堪える為にアスターに抱きつく腕に力を込め、アスターもそんな彼女を抱きしめた。そして彼女の頬に手を添えると顔を上に向けさせ、唇を重ねた。




「邪魔するぞ」

 ロベリア、リーガスの執務室にジグムントが姿を現した。冬至が過ぎ、討伐のピークは過ぎたものの、まだまだ予断を許さない状況のこの時期に東砦の補佐役をしている彼が姿を現してリーガスは驚いた。

「おう、どうした?」

「とりあえず、これな」

 ジグムントは先ず、持ってきた書類をリーガスに渡す。事務的な内容の書類は特に急ぎのものでは無く、便に言づければ済む程度のものだった。何か深刻な事態でもあったのか、リーガスは内心で身構える。

「何か、あったのか?」

「砦は問題ない。あの若いのは良くやってるよ」

「そうか」

 わざわざ来てくれたのだ。無下に追い返すわけにもいかず、若い侍官にお茶の支度を命じる。

「なんだ、酒じゃないのか」

「すまんな」

 口では不平を漏らすが、この時期に竜騎士が過剰なアルコールの接種を戒めるのは常識である。物足りないのは仕方ないのだが、どうしても愚痴を漏らしてしまう。

「で、わざわざお前が来たと言う事は、何か情報でも入ったのか?」

 傭兵仲間の情報網で、先日もラグラスの居場所を特定できていた。ただ、フォルビアでもルークが見当をつけていた砦に動きがあったので、ラグラスの動きが判明したのはほぼ同時期だった。

 それでもその情報の正確さを証明できたようなもので、他にもベルクからの金の動きなどが伝えられ、ラグラスに冬を乗り切るだけの十分な資金が与えられている事が分かったのだ。

「ああ、昨日情報が届いた。少し前だが、『死神の手』が動いた」

 久しく聞いていなかった傭兵団の名前にリーガスはジグムントの顔を二度見する。

「フォルビア城制圧の折には見かけなかったが、一体どこから湧いたんだ?」

 エドワルド救出後にラグラスの手下は全員捕らえたが、その中にそれらしい傭兵は存在しなかった。そこでヘデラ達親族にも尋問したのだが、芳しい答えは返ってこなかった。

 領内も捜索したのだが、それらしい大規模な集団はみつからなかった。何分雇った当の本人は既にこの世におらず、その兵を借りたラグラスは逃亡したので詳細を知るすべがない。憶測になるが、エドワルドを襲撃する時だけ借り、グスタフの目論見が潰えた後は、何かと関わりが噂されているベルクが回収したのだろうというのが一致した見解だった。

「すまんな、情報が少なすぎて詳細が分かっていない。だが、用心にこしたことは無いだろう」

「そうだな。ヒース卿にも伝えておこう」

「そうしてくれ」

 その後はお茶を飲みながら情報交換をしていたのだが、そこへ戸を叩く音がしてジーンがひょっこり姿を現した。安定期に入り、母体もお腹の子供もとにかく順調で、時折差し入れ持参でリーガスの顔を見に来ているのだ。

「あら、ジグムント卿。いらっしゃい」

「これは奥様、お久しぶりでございます」

 ニコニコとジーンが挨拶をすると、ジグムントは少しおどけて騎士の礼を取る。そんな2人をリーガスは面白くなさそうに引き剥がし、ジーンの手から差し入れが入った籠を取り上げる。

「一人で来たのか? 気分は悪くないのか?」

「大丈夫よ。昨日もお医者様に診て頂いたけど、子供も順調ですって」

「そうか……」

 リーガスは安堵すると、寒くないように暖炉の側にジーンを座らせ、柔らかな毛織物のひざ掛けをかけて膨らみが目立ち始めたジーンのお腹を撫でた。

「10年前には想像できなかった光景だな」

 甲斐甲斐しく妻を労わるリーガスの姿にジグムントはおかしそうに揶揄する。

「う……うるさい」

 狼狽するリーガスをなおもジグムントはからかい、終いには早く帰れと執務室を追い出される。その様子をジーンはお腹を撫でながらクスクス笑って眺めていた。

「全く……」

「そう怒らないの」

 ジーンはリーガスを宥め、頬に軽く口づけた。勿論、それだけでは飽き足らず、リーガスはジーンの顎に手をやると唇を重ねた。2人が手を添えているお腹の中では、赤子がポコポコと両親の手を蹴り飛ばしていた。




 フレアは大きくせり出したお腹を抱え、コリンシアに手を引かれながら母屋の廊下を歩いていた。長引く悪阻で食事がとれず、挙句の果てに体調を崩して長く寝込んでしまった。しかもアロンとロイスの訃報がそれに追い打ちをかけていた。

 だが、臨月を迎える頃にはショックからもどうにか立ち直り、幾分体調が良くなっていた。子供を無事に出産する為にも、落ちた体力を回復させる必要があり、こうして散歩をしているのだ。屋外を歩かないのは雪が積もっていて危ないからである。

 それでも時には裏口から表に出て、厩舎にいるグラン・マに会いに行く事もある。そこまでがペドロやマルトの妥協の範囲内だった。防寒着を着込み、必ずティムかバトスを同伴するように言われている。今日は裏口でティムが防寒着を用意して待っていた。

「足元にご注意ください」

「ありがとう」

 ティムとコリンシアに手を取られ、ルルーを肩に乗せてゆっくりとフレアは歩く。長かった冬も終わりに近づき、今日は幾分温かな事もあって雪が解けて通路へ水が流れ込んでいた。足元には滑らないように古い絨毯が敷かれており、少年の細やかな心遣いが伝わってくる。

「グラン・マ」

 厩舎に着き、年老いた騎獣にコリンシアが話しかけると、もしゃもしゃと口を動かしながら彼女は近づいてきた。

 十分にえさを与えられ、毎日丁寧にブラッシングされているので、グラン・マは繁殖用として村で飼われていた頃よりも肉付きが良くなり、毛並みは艶々している。

 その柔らかな毛並みをフレアとコリンシアが撫でてやると、嬉しそうに目を細め、ゆったりと尾を振っている。そんなグラン・マにルルーはちょっかいを出すが、彼女はフンと鼻を鳴らして全く相手にしていなかった。

「あまり長居しては冷えます。そろそろ戻りましょう」

 適当な頃合いを見計らい、ティムが声をかける。2人共名残惜しそうにグラン・マの頭を撫でてから厩舎を出る。馬は相変わらず口をもしゃもしゃ動かしなが動かしながら彼女達を見送った。

「フレア様」

 オリガが彼女達を見つけて駆け寄ってくる。

「どうしたの?」

「賢者様とアリシア様がお呼びでございます」

 タランテラからまた新たな情報がもたらされたのだろう。彼等に全てを一任してあるものの、そう言った情報は全て当事者であるフレア達にも伝えてくれる。

「分かりました」

 フレアは母屋に戻ると脱いだ防寒着をティムに預け、手を洗ってからオリガに付き添われてペドロの部屋に向かう。コリンシアにはいつも後からフレアが分かりやすく説明しているので、ティムと一緒に後片付けを手伝い、おやつで呼びに来てくれたマルトと一緒に部屋に戻った。

「フレアです」

 扉を叩いて名乗るとすぐにアリシアが出迎え、そしていつもの様に暖炉の側にある奥の安楽椅子に案内される。

「オリガ、貴女もいてちょうだい」

「はい」

 頭を下げて退出しようとしたオリガはアリシアに呼び止められ、フレアの後に慎ましく控えて話が始まるのを待った。

「ベルクが部下にそなたをタルカナへ連れて来る様に命じておるのは知っておるな?」

「はい」

 ルイスがラトリを襲おうとした賊を捕えたのは一月以上も前の話だった。既に全員ブレシッドの牢に移され、専門の係官によるネチネチとした尋問を終えている。

 だが、ラグラスとベルクにはこの襲撃が成功したと信じ込ませていた。巧みな情報操作により、ベルクにはフレアが体調を崩しているので占拠した村に滞在していると、ラグラスにはタルカナのベルクの元にいると信じ込ませていた。

 それでも困った事に日数がたつにつれてベルクは一刻も早くフレアを自分の元へ寄越す様に催促していた。関わりがばれてはまずいから春まで待った方が良いと、どうにか理由をつけて引き伸ばしている。春になれば彼も忙しいので、そんな事にうつつを抜かしている暇は無くなるはずだった。

「ベルクは偽名での署名は無効で、殿下とそなたの婚姻は無かった事として里へ報告している。同様にしてグロリア女大公の遺言も無効。正統な後継者はラグラスだと伝えたそうだ」

「そんな……」

 フレアもオリガも表情を曇らせる。行われる審理はベルクを糾弾する物で、実際にはそれらを訴えても認められないと分かっているのだが聞いていて気分のいいものでは無い。それにもし、里の賢者達がそれらも問題視するようであれば、タランテラに更なる悪影響を及ぼしかねない。

「里では何と?」

「半々といった所か。首座殿が陰で動いておられるおかげで、タランテラの内乱の真相が各国の有力者のみならず里の賢者達にも伝えられておる。それらを知る者は皆、冷静に判断しておるの」

「そうですか……」

「問題はベルク寄りに考える者達じゃの。じゃが、ガスパルのおかげで彼の人脈はある程度把握できておる。後は首座殿がうまくやってくれるじゃろう」

「大丈夫よ。ベルクの好きにはさせませんからね」

 ペドロの言葉にアリシアも頷くので、フレアもオリガも先ずはホッと胸を撫で下ろす。

「賢者殿!」

 そこへいきなり、聖域の長老達が足音も荒々しく部屋に入って来た。彼等は暖炉の側に居るフレアも目に入らないようで、真っ直ぐにペドロの元へ詰め寄る。

「あのクズ神官がフレアちゃんを婚約者だと触れ回っているのは本当か?」

「ちょ……ちょっと待て……」

「しかもフレアちゃんが行方不明だったのは婿殿が誘拐したからだと言っておるのじゃろう?」

「何故、手を打たん?」

「お主が何もせんなら、ワシらがあのクズをとっちめてやる!」

 激昂している年寄り達はペドロの制止も聞かず、耳にした内容に腹を立てて彼に詰め寄る。その剣幕にさすがのペドロもアリシアもたじたじとなる。

「……その話、本当なの?」

 突然割り込んできた声に激昂していた長老達は我に返って固まる。蒼白な顔をしたフレアが椅子から立ち上がり、彼等の元に歩み寄る。その傍らには同様に蒼白な顔をしたオリガが立っている。

「いや、その……」

「本当の事教えて。ベルクはあの方を……エドを偽りの罪を着せて貶めようとしているの?」

「フレア、落ち着いて」

「落ち着いてなど……あっ……」

 アリシアがフレアを落ち着かせようとするが、彼女は下腹に痛みを感じ、その場に蹲る。

「フレア?」

「フレア!」

「フレア様!」

「フレアちゃん!」

 その場にいた人々は慌ててフレアに駆け寄った。




 断続的に続く痛みにフレアの意識は朦朧もうろうとしていた。腰から下をどこかに持っていかれそうな痛みが襲う度にオリガやアリシアが腰をさすってくれてはいたが、なかなかその間隔は縮まらない。陣痛が始まってもうどの位経ったのか、それも分からなくなっていた。

「しっかりなさいませ」

 声をかけてくれたのはマルトだったか、オリガだったか……。曖昧あいまいに頷いて差し出された飲み物を口に含んだ。

「エド、エド……」

 朦朧とする意識の中、必死に愛する人の名を呼び続け、誰かに手を握ってもらって励まされ、最後の力を振り絞った。


 オギャア……オギャア……


 意識が遠のく寸前、確かに赤子が泣き声が聞こえた。




 エドワルドは夜中にふと目を覚ました。夜明けにはまだほど遠い時間なのだが、言いようのない焦燥感により目が冴えてしまっている。夢の中だが、彼女に助けを求められた気がしたのだ。

「……フロリエ」

 お守りを握りしめ、エドワルドは愛しい女性の名を呟く。深く息を吐くと、寝る努力を諦めて彼は燭台に火をともすと机に向かった。

「殿下? お休みになられて無いのですか?」

 そっと戸が開き、ウォルフが驚いた様に声をかけてきた。

「目が冴えてしまったのだ」

「お疲れなのではありませんか? 昨日は討伐にも出られたのに……」

「そうでもないさ。君こそ寝ていないのだろう? 私の事は気にせずに少し休んできなさい」

「ですが……」

 ウォルフには無理をしているように見えたのか、なおも言いつのろうとするのだが、それをエドワルドは手で制す。

「朝まで一人にしてほしい。だから、君は休んできなさい」

「……分かりました」

 エドワルドの断固とした言葉にウォルフは力なくうなずき、そのまま自分の部屋へ下がっていった。

「……」

 1人になり、再び机に向かうが、思った様に仕事は捗らない。脳裏を横切るのは愛しい人の面影と声。彼は深くため息をつくと椅子から立ち上がる。

「月……か」

 帳の隙間から光が差し込んでいるのが目に入る。帳を開けて見ると、今宵は珍しく晴れていて月が出ている。

「大母ダナシアよ、どうか我が妻子を守りたまえ」

 エドワルドはその場に跪き、祈りを捧げる。自分の事であれば、ただ祈るよりも己の才幹で切り抜けていく自信はある。だが、居場所の分からない妻子の事は祈らずにはいられなかった。彼はその場で妻子の無事を祈り続けた。

予定より半月ほど早まったフレアの出産。

難産で苦しむ彼女にアリシアとマルトとオリガが交代で付き添い、励ましました。

ちなみにその原因となった長老達は、許してもらえず当分の間母屋に出入り禁止になったとか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ