54 彼等の絆2
残酷なシーンがあります。予めご了承ください。
今回出現したのはヒヒ型の妖魔で紫尾程強くは無いが毒を持つ。中規模の群れだが、アスターは用心の為に第2と第3大隊の出撃を命じ、自らファルクレインに跨り指揮を執った。場所は皇都の南西。最近、特に妖魔が出没する地域で、もしかしたら近隣に巣があるのではないかと言われている地域だった。
突出したがる小隊長を大隊長と連携して抑え、数の優位を利用して思ったよりも早く討伐は完了する。しかし、いつも以上に神経を尖らせたためか、眼帯で隠してある左目の奥に鈍い痛みを感じる。被害の実態の調査を命じ、そしてなかなか言う事を聞かない小隊長達に注意を与えていると、その痛みは徐々にひどくなってくる。
「アスター卿」
「……何だ?」
痛みを堪えながら被害状況の報告を受けていると、2人の大隊長が少しだけ遠慮がちに提案してくる。
「残りの事後処理は我々第2大隊が引き受けます」
「我ら第3大隊はもう少しこの辺りを偵察しようと思いますが、ご許可を頂けますか?」
「……許可する。但し、怪我人は私と共に帰還するように」
「分かりました」
時折起こるアスターの不調を彼等は知っていた。その為、彼等はこうして気をきかせてくれるのだ。
アスターの命令通り、怪我人のいる小隊が集まる。帰還する人数を確認し、アスターは相棒の背に跨った。
本宮に帰還するまでそれ程時間はかからないのだが、今のアスターには随分と長く感じた。やっと本宮にたどり着いたが、周囲に心配かけない為にもいつも通り相棒を労って係員に預け、いつも通り部下に指示を与え、いつも通りに帰還の旨を上司であるブロワディに報告しに行く。
歩く毎にズクンズクンと痛みが襲う。いつになく激しい頭痛は気を抜けばその場に倒れ込みそうだった。それでもわずかに顔を顰める程度で堪え、いつも通りに帰還の報告をする。
「第2大隊も事後処理が終わり次第、第3大隊は付近を偵察してから帰還します」
「お疲れ様です」
「また、あの付近か。やはり巣がありそうだな」
ブロワディの執務室には何故かエドワルドがいた。机には地図が広げられ、2人でそれを覗き込んでいたのだ。どうやら執務の合間にグランシアードの様子を見に来て、西棟に来たついでにブロワディの執務室に寄って仕事の話をしていたらしい。
「可能性はあります」
アスターは痛む頭をさりげなく押さえつつ、エドワルドに同意する。
「今日、第3大隊が何も見つけられなかったら、改めて近隣を探索させた方が良さそうだ」
「そうですね」
あの辺りはワールウェイド領との境界にかけて、妖魔が巣を作るには絶好の大きな森林が点在している。街道からは大きく外れ、滅多に人が近寄らない場所でもあるので、巣があっても気付きにくいのだ。
「失礼します! ただ今、巣を発見したと知らせがありました!」
若い竜騎士が息せき切ってブロワディの執務室に飛び込んでくる。彼の大声が頭痛に響き、アスターは思わず頭を押さえていた。
「第4、第5大隊も向かわせろ。近隣にも援軍を要請するように」
「はっ」
ブロワディの命令に若い竜騎士は敬礼して応える。続けて外からは巣を発見した事を知らせる太鼓が断続的にならされていた。
「くっ……」
「アスター?」
アスターは頭を抱えてその場に膝をついていた。エドワルドもブロワディも慌てて声をかける。
「……すみません、大丈夫です。巣の掃討に行って参ります」
「待て!」
太鼓が鳴りやむと、アスターはようやく立ち上がる。2人に頭を下げて再度出撃しようとするのだが、それをエドワルドが止める。
「指揮は私がとる。軍装をすぐに用意しろ」
突然の事に知らせに来た若い竜騎士はおろおろと戸口に立ったままだった。その彼にエドワルドは鋭く命じると、他に侍官を呼び出す。
「私が行きますから」
アスターはまだ本調子ではないエドワルドを行かせまいとするが、エドワルドは問答無用とばかりに彼の鳩尾に拳を叩き込んで気絶させる。
「部屋に連れて行け。あと、医者を呼べ」
頽れる体を片腕で受け止め、呼んだ侍官にアスターの身柄を預ける。きっと、彼の部屋にはマリーリアがいるだろうから、後の介抱は彼女に任せておけば問題ないだろう。
入れ違いにエドワルドの軍装が届けられ、彼は手早くそれらを身に付けていく。新たにあつらえたそれを身に付けていくだけで気分が引き締まる。
「本当に出られるのですか? 私が行きますが……」
「腰を痛めているのだろう?」
前日の討伐でブロワディは腰を痛めていた。それを指摘され、彼も黙り込むしかない。
「戦闘には加わらない。指揮を執るだけだ。私が出れば、近隣の領主も援軍を出すだろう」
「それはそうですが……」
ブロワディは反論が出来ずに口籠る。
「後を頼む」
支度が整ったエドワルドは長衣を翻して執務室を後にする。ブロワディはただ、その後ろ姿を見送るしかできなかった。
着場に現れたエドワルドの姿を見て、出撃準備を整えた竜騎士達に緊張が走る。エドワルドが指揮を執ると、最初に聞いた時には誰もが耳を疑った。だが、装具を整えたグランシアードが着場に出て来ると、半信半疑ながらもそれを信じはじめた。そして、群青の最も高貴な意匠を施された長衣をまとったエドワルドが姿を現すと、その壮麗な姿に彼等は思わず息を飲む。
「全軍、準備整ってございます」
「飛行速度に優れた小隊は先行させております」
第4、第5の大隊長がエドワルドに敬礼して報告すると、エドワルドは頷き、身軽にグランシアードの背に跨った。全員、既に騎乗しており、エドワルドの命令で順次飛び立っていく。
「頼むぞ、グランシアード」
久しぶりの討伐。しかも巣の掃討である。昨年の失敗が脳裏を過るが、エドワルドは気分を引き締めるとグランシアードを飛び立たせた。
マリーリアはバセットを訪ねていた。エドワルドの主治医を務め、その甲斐あって通常の生活を送れるまでに回復したが、冬が来てしまい彼はロベリアに戻り損ねてしまった。そこで今は本宮西棟で第1騎士団の軍医を手伝っていたのだ。マリーリアはそんな彼にアスターの体調を心配して相談しに来ていたのだ。
「少し効き目が弱い薬を頂いてからは、薬を飲む様になったのだけど……」
「ふむ、頭痛が起こる頻度が上がっておるのじゃな?」
「そうです」
出されたお茶の器を両手で包む様に持ち、マリーリアはため息をついた。バセットは調合途中の薬を作ってしまうと、後片付けを若い医師に任せて彼女の向かいに座った。
「疲れが十分にとれておらんのじゃろう。討伐に出る頻度を抑えておるとはいえ、あれの仕事はそれだけではあるまい? 強い薬ならば半ば強制的に体を休ませられるが、それを厭うて弱い薬でごまかしておるから完全に疲れが取れぬ。立場上仕方がないのかもしれぬが、体の事を思うとやはり従来の薬を使って無理にでも休ませた方が良いな」
「根本的に治す事は出来ないのですか?」
「難しい所じゃのう。先日薬を渡す折に改めて診察をしたが、表面上は何の異常も見られぬ。やはり内部が傷つくか悪い物が溜まっているのやもしれぬ。手術によって改善されるかもしれんが、頭の中では詳しい状況を見えぬゆえ、無暗に受けてはかえって彼の命を縮める結果となる恐れがある」
「そんな……」
タランテラでも有数の名医の診断結果にマリーリアはショックを受ける。
「こんな状況じゃが、今はともかく体への負担を極力減らすのが一番じゃ。当人は嫌がるだろうが、殿下にご相談してはどうかね?」
「でも、兄上は……」
「確かにまだ戦闘は無理じゃろうが、突出したがる小隊長を抑えるのは問題なかろう。あれからは絶対に言わんじゃろうから、そなたから言ってみると良い。説得は殿下自身がしてくれよう」
「……そうですね」
バセットの提案にマリーリアは力なく頷いた。
ドドドドドーン!
激しく打ちならされる太鼓の音にマリーリアは顔を上げる。ファルクレインが討伐から戻ってきたのはカーマイン経由で知っていたが、巣が見つかったとなると、再び彼が指揮官として赴くことになる。だが、困った事にまたあの頭痛が起きているらしい。
「私、行かなきゃ。あの人、また無理してしまうわ」
「ワシも行こう」
マリーリアが焦った様子で席を立つと、それとなく察したバセットが同行を申し出てくれる。彼が一緒ならば、少しは話を聞いてくれるかもしれない。逸る気持ちでバセットの部屋を出ると、ちょうど若い竜騎士がやってきた。
「アスター卿がご不調で、医師を呼べとのエドワルド殿下からのご命令です」
「アスターが?」
「巣の討伐は殿下が指揮されると……」
マリーリアは最後まで話を聞かずに駆け出していた。走ってアスターの部屋に向かっていると、ちょうどブロワディの執務室からエドワルドが出てきた。最高司令官に相応しい軍装を纏った姿は神々しさすら感じる。
「兄上……アスター、倒れたって……」
「アイツを介抱してやれ。それから、後で話を聞かせてもらうぞ」
「は、はい……」
バセットの提案通り、アスターの了承を得られなくても全てを話すしかない。マリーリアは力なく頷いた。
「アイツの側に居てやれ。行ってくる」
エドワルドに促され、マリーリアは頭を下げるとアスターの執務室に入る。慣れた足取りで奥の仮眠室に入ると、寝台にアスターが横たえられ、ここへ彼を運び込んだらしい侍官が彼の衣服を緩めている。
「後は私がします」
マリーリアはそう言って侍官を下がらせる。既に上着は脱がされていたので、ぴっちりとボタンをはめているシャツの襟元を緩め、ズボンのベルトを外す。苦しげな表情は相変わらずだが、幾分これで呼吸は楽になった筈だ。
アスターに上掛けをかけると、今度は手早く丸薬と水を用意する。寝ている状態で薬を飲ませるのは難しいのだが、負傷した彼の看病をしているうちにコツは掴んでいた。だが、薬を飲まそうと寝台に近寄ったところでアスターの意識が戻る。
「……殿下は?」
「先程、竜騎士を率いて出られました」
「行かないと……」
体を起こそうとするが、とたんに頭痛が彼を襲い、寝台に倒れ込む。
「今日はもうゆっくり休んで。バセット先生も今はそれしか方法が無いって言ってたわ」
「だが……」
「お願い、もう今日は休んで。兄上も貴方の体調が普通では無いのは気づいておられるわ」
「……」
アスターは観念したように深く息を吐くと、マリーリアから丸薬を受け取って飲み、寝台に体を横たえる。
「側にいるから……」
マリーリアの呟きを耳にし、それに何か応えようとしたが、くたびれきった体にたちまち薬は効いたらしく、彼はそのまま深い眠りについた。
騎士団を率い、エドワルドが発見された巣の場所に行くと、既に戦闘が始まっていた。地上では青銅狼が群れを成し、樹上では数多くのヒヒが奇声を上げている。それらの巣を守る数多の妖魔に竜騎士達は少々押され気味だった。エドワルドは早速引き連れてきた竜騎士に明らかに突出している小隊を下がらせ、体制を立て直す様に命じた。
「全軍、私の指揮下に入れ」
上空でわざと目立つようにグランシアードを旋回させると、遅ればせながら戦闘に加わっていた竜騎士がようやくエドワルドの存在に気付き、大歓声が沸き起こる。
しかし、妖魔の方も新たな敵に黙っていない。跳躍力に優れたヒヒの妖魔達が大木の枝から旋回するエドワルドめがけて襲ってくる。それを側に居た竜騎士達が次々と矢を射かけて落とし、その間に突出しすぎた小隊を一旦引き揚げさせた。
「女王はいるのか?」
「まだ姿は見せていません。ワールウェイド領と第6騎士団を始め、近隣に応援要請を出しております」
「分かった」
エドワルドの問いに巣を見つけた第3大隊の隊長が応える。せわしく弓を引きながら、向かってくるヒヒを射落としていくのだが、妖魔の拠点となる巣だけあってその数が半端ではない。小柄な妖魔も多く、もしかしたら孵化したての妖魔も混ざっているのかもしれない。
「出て来る前に小物を片付ける。消耗が激しければ、一旦第2、第3大隊は下がれ」
「かしこまりました」
エドワルドの命令はすぐに伝えられた。少し疲れた様子の竜騎士達は下がり、エドワルドが連れて来た第4第5大隊が前線に出る。
「まだ飛竜の背からは降りるな」
立て直しは済んだが、敵の数が圧倒的に多いので囲まれればひとたまりも無い。しかもヒヒの妖魔はその牙に毒を持っている。不測の事態に備え、エドワルドはいつでも離脱可能な状態で戦う様に命じたのだ。弓の腕に覚えがあるものは上空から、槍や鉾に自信が有るものは飛竜の背からそれらを操り妖魔達を浄化していく。
一旦下がって補給していた第2、第3大隊も再び戦闘に加わり、妖魔はその数をみるみる減らしていく。
ギシャァァァ!
突如、辺りに劈くような咆哮が響き渡る。森の奥から現れたのは通常のヒヒよりも数倍、グランシアードよりも一回り以上大きなヒヒの妖魔だった。
「女王のお出ましか……」
更に間の悪いことに日没が迫り、天候が悪化していく。いくら竜騎士の目が良いと言っても限界があり、これではその力を充分に発揮できない。極寒の最中に居ながら、緊張でエドワルドの掌は汗をびっしょりかいていた。
「第2、第3大隊は小物の浄化を! 第4第5大隊は女王の注意を逸らせ! 少しずつ攻撃を加え、弱らせてから仕留める!」
「はっ!」
エドワルドの命令に大隊長達はすぐさま応える。それぞれの部下に命令を伝え、速やかに行動へ移る。
「応援はまだか……」
見渡してみるが、視界が悪くて確認すらできない。エドワルドは諦めて自らも弓を手に取る。正直、基本的な鍛錬を始めたばかりで腕には未だ自身が無い。しかし、それでも今はしなければならなかった。
矢をつがえて放ち、女王の気をこちらに向ける。向こうも彼が指揮官だと認識した様で、執拗に狙ってくる。エドワルドは続けて矢を放ち、十分に引きつけたところでグランシアードの高度を上げる。飛び上がって掴みかかって来るが、強靭な飛竜の尾が鞭の様にしなり、その顔面に強烈な一撃を加える。
怒りを倍増させた女王は更にエドワルドを執拗に狙う。彼はグランシアードを巧みに操り、攻撃をうまく躱しながら小物の群れから引き離す。そこへ他の竜騎士達が攻撃を加え、少しずつ弱らせていく。
作戦が功を奏し、遂には女王の体が地面に倒れる。その頃には小物の浄化も済み、第2、第3大隊も加わって皆で女王に止めを刺した。
「何とか……なったな」
女王が塵となり、竜騎士達から歓声が上がる。エドワルドもほっと息を付き、交代で休憩をとる様に命じる。女王を倒したが、まだ巣を除去する仕事が残っていた。これだけ広いと人手が必要なので、物資と共に援軍が着くのを待つ事にする。
「!」
最初に気付いたのは飛竜達だった。霧と闇の向こうからとてつもなくまがまがしい気配が漂って来る。一様に警戒態勢に入り、竜騎士達にも緊張が走る。
「全員騎乗!」
エドワルドがすかさず命じる。とたんに森からあの劈くような咆哮が響く。
「もう1頭いたのか……」
その気配は間違いなく先ほどの女王を上回る。世代交代が間近だったのか、複数の巣が大きくなる過程でくっついたのか、非常に稀な事だがこの巣には複数の女王がいる事になる。
エドワルドは内心焦っていた。先程の女王との戦いで竜騎士達は既に疲れ切っている。特に第2、第3大隊の消耗は激しく、これ以上の戦闘は命にかかわるだろう。
「どうするか……」
迷ってもここで引く訳にはいかない。第2、第3大隊は後方支援に回し、残る2つの大隊で戦うしかない。エドワルドが覚悟を決めた時、再び女王の咆哮が轟く。彼は手にした長槍を握り直した。
「来るぞ! 距離を保つのを忘れるな!」
ギャッギャッギャッ!
ようやく女王の姿が視界に入った。現れたヒヒの女王に竜騎士達が次々に矢を射かけるが、それらは殆どが振り払われた。その間にエドワルドと他数名の竜騎士が背後に回り込んで女王の背中に気の力を込めた長槍を突き刺す。
ギャァァァァ!
傷を負って怒り狂った女王はその場で無茶苦茶に暴れはじめる。ちょうどエドワルド等を真似て槍を突き刺そうとしていた小隊が乗っていた飛竜ごと吹っ飛ばされた。うまく受け身を取ったようだが、それでも相当なダメージを受けた筈だ。彼等に下がる様に命じ、もう一度攻撃を仕掛けようとするが、女王は巣の方に戻ろうとしている。
「逃がすな!」
疲れた体に鞭打って、動ける竜騎士達は皆追いかける。だが、女王の前に、孵ったばかりらしい小柄な妖魔の群れが立ちはだかる。
「く……」
このままだと逃げられてしまう。矢をつがえながら内心焦っていると、反対方向から女王と妖魔の群れに雨が矢の様に降ってくる。
「遅参して申し訳ありません!」
エドワルドの元に駆けつけたのはワールウェイド領の竜騎士を束ねるエルフレートと第6騎士団の団長だった。
「良く来てくれた。こちらは消耗が激しい、任せていいか?」
「勿論です」
2人は快諾し、すぐにそれぞれの部下と合流する。エドワルドは第4、第5大隊を下がらせ、後方に控える様に命じた。まだ、討伐は終わっていない。彼等も飛竜からは降りずに万が一に備えて待機する。
よく見ると、エルフレートの傘下にいるのはワールウェイド領の竜騎士だけでは無かった。近隣の領主の元にいる竜騎士も混ざっており、彼は彼らを纏めて連れて来たのだろう。その為に少し時間がかかったのかもしれない。
その後は続々と騎馬兵団も到着した。女王と妖魔をエルフレート等に任せ、エドワルドは騎馬兵団の統率に専念する。比較的消耗の少ない第1騎士団の竜騎士達と合わせて一部は小物の浄化の手助けに向かわせ、別の隊には巣の掃討の下準備を始めさせる。負傷した竜騎士は手当てを受けさせ、疲弊した竜騎士達には交代で休息をとる様に通達した。
やがて大きな地響きとともに女王が地面に倒れた。そして最後に竜騎士達が力を合わせて止めを刺し、女王は霧散した。




