49 企てと誤算
話は少しだけ遡って悪役サイドのお話
ラグラスは上機嫌で杯の中身を飲み干した。ベルクとの交渉が終わり、望む結果を得た彼は、アジトにしている小神殿で祝杯をあげていた。
賢者に最も近い神官の後ろ盾を得、例え今、忌々しい竜騎士達に見つかったとしても捕えられる心配が無くなった。更にはあの憎らしいエドワルドからこの豊かなフォルビアを奪う事で一矢報いることが出来るのだ。これを喜ばずにはいられなかった。
「アンタも飲んだらどうだ?」
宴会が開かれている小神殿の広間の隅では、くたびれた服装をしたロイスが1人縮こまっていた。ラグラスはその姿を目ざとく見つけると、エールの入った杯を押し付ける。
「……いらぬ」
「あの男に取り入っておけばアンタだって出世も思いのままだぜ」
「……私は……私は……」
ロイスは両手で頭をかきむしる。かつての神官長としての威厳のある佇まいは消え失せ、髪はぼさぼさでやつれて無精ひげに覆われた顔は一気に10も20も老け込んだ印象を受ける。食事も思う様に喉を通らないらしく、よれよれとなった神官服は幾分かゆるくなっていた。
「まあ、ここまで来たんなら諦めるんだな。もう後戻りはできないぜ?」
ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべると、突き返された杯をラグラスは飲み干した。ロイスは再び頭を抱える。
「おい、コイツは部屋に戻しておけ。賢者殿に引き渡す約束だからな」
ラグラスはロイスの体をロイスの体を突き飛ばし、部下に連れて行くように命じ。そして愉快そうに笑うと、山と盛られた料理が並ぶテーブルに悠々と戻ったのだった。
そして3日後、ロイスはベルクに引き渡された。ラグラスはアジトにしていた小神殿を引き払い、幽閉していたロイスをその小神殿ごとベルクに明け渡したのだ。
それまでの間にラグラスは、新体制への不安を言葉巧みに煽り、かつて自分が所領としていたフォルビア南西部の有力者達を味方につけていた。
ベルクとの連絡役として彼の部下と護衛を貸し与えられ、咎められることなく堂々と街道を移動する。しかも失脚する前に拷問によってヘデラ夫妻やヘザーから不正に貯めた財産の隠し場所を聞き出していたので、それもちゃっかりと回収し、冬を乗り切る資金も手に入れた。
「悔しがる姿が目に浮かぶぜ」
新たに拠点としたのはとある有力者の別邸だった。但し、第2警戒区域内なので、冬までの期間限定である。初雪が降る頃には近くにある古い砦の跡に移動する予定だった。
すぐに移さないのは、どうやら竜騎士達もその砦を怪しんでいるらしく、幾度か偵察に来ているのを目撃したのと、越冬の準備がまだ充分に整っていないからである。ギリギリになってもいないのが分かれば諦めるだろう。まあ、いるのが分かったところで手出しも出来ないはずだ。そう踏んだラグラスは目立たないように少しずつ砦に手を入れさせ、必要な物資を運びこむ準備を命じていた。
「ラグラス様、砦で怪しい者達を捕えたと報告がありました」
冬を間近に控え、拠点の引っ越しの采配を振るっていたダドリーが部屋で寛いでいたラグラスの元へ報告に上がる。
「竜騎士共の手先か?」
怪訝そうに寝台の縁に座ったラグラスがダドリーを見上げる。隠し財産やベルクの援助により、追われる身とは思えない程贅沢な暮らしをしている彼は、今も若い女性を閨に侍らせ、享楽に耽っていたのだ。望んでここへ来たわけではないらしいその相手は、上掛けに包まって可哀想なくらいに震えている。
「いえ、どうやら以前にエヴィルからの使者が言っていた盗賊達のようです」
「……」
当時、話半分に聞いていたラグラスにはその記憶が残って無かった。そこで改めてダドリーがその経緯を説明してようやくおぼろげながらにそんな事もあったなと思い出す。
捕えた盗賊達は当初聞いていた人数よりも数を増やしており、その中にかつてラグラスの私兵だった者が何名か混ざっていた。あの竜騎士達の襲撃により、行き場を無くして彼等に加わったらしい。
「如何致しますか?」
ダドリーの問いかけにラグラスは思案を巡らす。
「……その盗賊共、使えそうか?」
「頭領は元々数百人規模の手下を従えていたようで、腕も立ちそうです」
彼の話だと、盗賊の下にいた元の私兵が気付き、双方の間に入って本格的な戦闘にならずに済んだらしい。もし、本気で戦っていれば、甚大な被害が出ていただろう。
「使えそうだな。そいつらに会おうじゃないか」
「宜しいので?」
「俺様が向こうに行くまでそこで大人しくしてもらえ。会うのはそれからだ」
「かしこまりました」
ダドリーは頭を下げると速やかに退出する。ラグラスは寝台脇のテーブルに用意されていたワインを飲み干すと、寝台の端で震えていた娘を引き寄せ、中断していた享楽を再開した。
神殿に預けていた馬を受け取り、アレスがマルクスを伴って先ず向かったのはロイスが静養しているという小神殿だった。そこを張り込んでいるスパークと合流し、3人でラグラスの居場所を探ろうと考えたのだ。
「どうやら神官長は、静養しているだけじゃなくてベルクの部下に監禁されているみたいだな」
「本当か?」
「ああ。体調不良を理由に総督府の人間はもちろん、正神殿の部下すら会わせてもらえないと言う話だ」
小神殿をマルクスに見張ってもらっている間、近くの酒場でアレスとスパークは情報交換をしていた。アレスは義父が定めた方針とそれに伴う今後の大まかな予定を、そして小神殿を張り込んでいたスパークは新たに得た情報をアレスに伝える。
「この神殿をどうやらラグラスはアジトにしていたらしい。体調の思わしくないロイス神官長をここに残して別のアジトに移動し、その後ベルクに引き渡されたみたいだ」
「ここにいたのか……」
フォルビア城のすぐ北、目と鼻の先に彼等はいたのだ。
「何処に行ったかは分からないか?」
「西に向かったぐらいしか分かってない。フォルビア側がこれだけ探して見つけられないところから察すると、他にも協力者がいる可能性は高い」
「まずいな……」
フォルビア総督となったヒースの下、以前の落ち着きを取り戻しつつあったのに、このままラグラスに勢力を広げられてしまうと、またもや混迷した状態に逆戻りしてしまう。
これから春までは妖魔討伐に専念しなければならず、彼等も思う様に手を割くことが出来ないだろう。やはり、小竜を総動員してでも探っておく必要がある。
「もし、ベルクと奴が繋がっているとすると、ここにも何か手がかりがあるかもしれない。囚われた神官長殿の状態も気になるし、手始めに探ってみるか」
「俺には無理だったが、若なら問題ないな。気まぐれすぎて制御しきれん」
スパークも手元にいる小竜で幾度か試みたのだが、すぐに小竜の方が飽きて神殿の敷地に入った所で終わってしまうのだ。それだけでも警備の様子等を探れたのだが、肝心の神官長の様子までは確認することが出来なかったのだ。
「今いるのが5匹か……。ちょっと行かせてみよう」
アレスは生理現象を装って表に出ると、周囲に人気のないことを確認して小竜達を呼び寄せる。現れた小竜達の体を順に撫でて要望を伝えると、彼等は小神殿の方に向かって飛んで行った。一時ほどすれば、新しい情報を持って戻って来るだろう。
アレスは冷えた体を温める為に飲み直そうと、再びスパークが待つ酒場へ戻った。
ロイスは夢うつつの状態で寝台に伏せっていた。
知らぬ間に悪事に加担させられ、それを脅されてラグラスの逃亡を手助けしてしまった。ラグラスから解放されたものの、取り返しのつかない罪を犯した事に苛まれ続けた彼は、食事も喉を通らなくなり生きる気力すら失っていた。半ばベルクの部下に監禁されている状態なのだが、それにすら気付かない程衰弱した彼は、最早何日経ったかすら分からなくなっていた。
ダナシアの教義では自ら命を絶つことは罪になるのだが、それに匹敵する大罪を犯したのだ。最早、ダナシアの御許へ召される事は無い。太古の昔にダナシアによって封じ込められた古の神々が集うその場所へ堕とされるのは目に見えている。
諦めがついた今はただ、その時が来るのを静かに待っていた。
クウクウ……。
小動物が甘えた様に出す声を聞いて、ロイスは目を開けた。霞む目で見えたのは1匹の小竜。色は違うのだが、その生き物は行方の分からないかの人を思い起こさせる。
「……ワシは……」
彼女は神官である己よりも清廉な空気を纏った女性だった。まるで母神ダナシアを具現化した様で、初めて会った時には思わずその前に跪きそうになったほどだ。今、その姿を思い出し、いかに自分が罪深く愚かな行いをしてきたか懺悔したくなった。
「愚かな事をした……」
ロイスは震える手で小竜に手を伸ばす。するとその小竜は自ら体を擦り付けてきた。その滑らかな体を撫でながらロイスは発端となった薬草を預かった経緯と脅され、ラグラスの逃亡に手を貸してしまった光景をつらつらと思い出した。
「済まぬ……」
思い浮かべるのは自分を慕ってくれていた神官達。特に補佐役のトビアスを守りたかったのだが、それが全て裏目に出てしまい、かえって辛い思いをさせたかもしれない。一言詫びたかったが、それも最早叶わない。
クウ……。
小竜は慰める様にまた手に体を擦り付けてくる。全てを思い返し、懺悔した彼は少しだけ満足して目を閉じた。その頬に涙が一筋零れ落ちていた。
フォルビアに初雪が降りだした頃、ラグラスは古い砦にアジトを移した。そこでようやく盗賊の頭領と顔を合わせ、何故か彼等は意気投合した。ラグラスはその場で酒肴の用意をさせ、彼らとベルクが監視役に残していった部下を加えて宴会が始まった。
酒の力で常よりも饒舌となり、話題はいつしか己の野望から好みの女へと変わっていく。ラグラスは自分が濡れ衣を着せた女性が死んでしまった事を惜しみ、盗賊達はタランテラに来る前に見かけた女性達を上げる。ベルクの部下は上司が一目ぼれした相手を暴露した。
3人寄れば文殊の知恵と言うが、ラグラス側、盗賊側、ベルク側の情報を統合すると、アレス達が隠そうとしている事実がいとも簡単にばれてしまっていた。
「名前はどうでもいい。あの女が生きているならこれを利用しない手は無いな」
盗賊達は逃避行中の4人の姿を目撃し、しかもたぐいまれなコリンシアのプラチナブロンドも目にしている。ラグラスはそれを逃げたフロリエ達だと明言し、ベルクの部下はフロリエの身体的特徴は行方不明中の聖女と一致すると告げる。しかも聖域の竜騎士が彼女達を保護したのなら、その行先は間違いなくラトリ村だと断言した。
「ちんけな村なんだろ? 襲撃すればすぐじゃねぇか」
楽観的なラグラスの意見にベルクの部下だけでなく盗賊達も難色を示す。
「聖域の竜騎士は強い。俺様の自慢の部下があっという間にやられた。しかも小竜を意のままに扱う奴がいる」
「アレス・ルーンだな。聖女様の実の弟だ。竜騎士では無いくせに、どういう訳か聖域の竜騎士に慕われている」
苦虫を潰したようにベルクの部下が補足する。しかし、何も知らないラグラスは及び腰になる彼等を鼻で笑う。
「たかが小竜じゃねぇか。そんなもん恐れてどうするよ?」
自分もルルーに顔へひっかき傷を負わされた筈なのだが、都合の悪いことはきれいさっぱり忘れている。今の彼の頭の中にあるのはエドワルドへの復讐とフォルビアへの妄執だけだった。
「1匹、2匹なら俺達も簡単に蹴散らすが、奴は群れで操る。そいつらで事前に下見し、襲撃の折には俺達の足止めにそいつらを使う。そのおかげで俺様はアジトを失ったんだ」
頭領の言葉に彼の元々の部下達がうなずいている。余程恐ろしい目に合ったらしく、どうやらそれは彼らのトラウマになっている様だ。
「おかしいですね。取り逃がしたのは聖域の竜騎士だったのになぜ、あなた方の捜索の依頼をエヴィルがしてきたのでしょうか?」
「事情があって奴はタランテラを憎んでいる。来るのも嫌で押し付けとも考えられるが、表立って動いて聖女様の居場所を知られるのを恐れたとも言える」
ダドリーの疑問にベルクの部下が答える。何か思い当たる節があるのか、ダドリーが神妙な顔をして考え込んでいる。
「秘密裏に潜入していたとも考えられるか」
「何か心当たりがあるのか?」
「あの頃、フォルビア城の敷地内で野生の小竜を見かけたという報告が何件かあったのを思い出しました。別段、珍しいことでは無いと思っておりましたが、その男が操っていたとなると……」
盗賊の探索件でエヴィルから使者が来た時、フォルビアを支配していたのはラグラスだった。女大公だったフロリエに濡れ衣を着せて失脚させたのである。それを身内が知れば、どうにかしようと思うのも納得できるし、その手段が有るのなら活用するのも当たり前である。
慣れない地に1人で来るとは考えにくいし、主導的立場の人間が離れればなおの事、村の防備は薄くなっている筈だ。
「だったらよう、今は尚更その村は手薄なんじゃねぇのか?」
「……ふむ。傭兵を雇う余裕は無かった筈ですな」
自給自足を身上とする為、外部から人を雇う程金銭的に余裕はないはずである。気がかりはあの姉弟の後見をしているあの2人だが、さすがに彼等の一存で兵を動かすのは不可能だ。
「討伐が始まれば一層手薄になる。その時を見計らって襲撃すりゃあ簡単じゃねぇか」
「考えてみてもいいかもしれませんね」
ラグラスの提案に一番慎重だったベルクの部下も頷く。
「とにかくよう、あの女と子供がいれば、皇都でふんぞり返っているアイツも俺様達の言いなりになるしかねぇ。そうなれば、フォルビアだけじゃねぇ、この国全てが俺様のものよ」
明るい見通しにラグラスは上機嫌だった。知らずに煽る杯も重なる。そんな彼の言葉にその場にいた全員も感化されてくる。
「ふむ、検討する価値はあるかもしれませんな」
「その2人以外は好きにしていいんだな? 血が騒ぐぜ」
存分に暴れられると思うと血が騒ぐのか、盗賊達もアジトを失った恐怖を忘れてその気になっている。
「決まりだな。早速手配しろ」
気を良くしたラグラスは早速控えていたダドリーに命じる。彼は直ちに頭を下げるとその場を後にする。こういう時にすぐに行動を起こさないと、後で何を理由に首を刎ねられるか分からない。彼は死に物狂いでその準備にかかった。
「今に見てろよ……」
明るい未来にラグラスは上機嫌で杯をあおり、そして自分にこんな目を合わせたエドワルドを筆頭とした竜騎士達に復讐を誓った。
だが、彼等はいささか酔っていた。その為に自分達の都合のいい方にばかり解釈していた事に彼等は気づけなかった。
「あの女が生きているだと?」
ラグラスに同行させた同僚からの報告を受け、オットーは締め付けられるような胃の痛みに襲われた。そんなはずはない。そう言い切れるだけの根拠があるのだが、報告書を読めば読む程、聖女とエドワルドの妻となった女性は同一人物と思えるほどその特徴が似通っていた。
「どうにか……しなければ……」
エドワルドの妻は記憶を失っていると言う。盗賊達の話から判断して彼女が聖域で保護されて既に2ヶ月以上経っているが、聖域から何の反応もない事からするとまだ記憶を取り戻していないとみていいだろう。勿論、まだ同一人物と決まった訳ではないが、早急にその確認が必要だった。
集落の壊滅作戦の場に偶然居合わせた彼女を拉致してタランテラへ連れて行こうとしたのは完全にオットーの独断だった。そして小休止の折、迫りくる妖魔に気付き、自分の命惜しさにオットーは彼女を見捨てて逃げたのだ。正直に言ってあの状況で生きている方が信じられない。
そして上司は、彼等が壊滅させた集落に後から彼女が来たところを盗賊に襲われたのだと信じている。それはもちろん、彼がそう信じ込ませたからだ。
「行かねば……」
会って確認するのも怖いのだが、この事実を上司に知られるのはもっと恐ろしかった。苦労して手に入れたこの地位を失うだけでなく、命すら危うい。
とにかく、ラグラス発案のラトリ襲撃の計画を実現させる必要がある。そして聖女と同一人物だった場合は、上司に悟られないよう計略を練る必要があった。
「大丈夫だ、大丈夫」
オットーは自分を勇気づける様に何度も呟く。衰弱したロイスはもう寝台から起きることもできなくなっているので、フォルビアの後始末はもう部下に任せてしまえばいい。
己の輝かしい未来の為にも、無謀とも思える計画の実現に向けて方策を練り始めた。
天候の悪化で船を出せず、結局春までタルカナに滞在しなければならなくなったベルクは、国の重鎮を筆頭とする貴族達と精力的に交流する毎日を送っている。この日もタルカナの宰相主催の夜会に出かけ、屋敷に戻ってきたのは深夜となった。
そこへフォルビアから戻ってきていたオットーがタランテラでの首尾の報告に上がる。薬草園へのタランテラ側からの急な視察も首尾よくごまかせ、ロイスも手筈通り衰弱の一途をたどっている。特に問題なく後始末が済んだことに安堵したが、オットーが最後にもたらしたラグラスに付けた部下からの報告に驚愕する。
「彼女が生きておるだと?」
一目見ただけで虜となり、ついその場で求婚した女性は、その年の冬の終わりに訪れた集落で妖魔の襲撃を受けて他界したと聞いていた。口説こうと画策し始めた矢先に届いた訃報に落胆したのはもう2年近く前の事だ。
2人の仲を反対していた家族による裏工作かとも疑ったが、その後の調べて本当に彼女の消息は不明となり、状況を見る限り生存は不可能と結論付けたのだ。
「エドワルド殿下が妻に迎えた女性の特徴があの方の特徴と一致しておりまして、更にはあちらに逃げ込んだ盗賊も聖域の山中であの方の姿を目撃しております」
「……名前が違うであろう?」
「ご記憶を無くされておられたとかで、タランテラにいる間は先のフォルビア女大公が仮に付けられた名前を名乗っておられたようです」
美しい黒髪に盲目といった身体的特徴に加えて小竜を連れていた事を聞けば、ラトリの聖女と称えられていた女性の姿と重なる。だが、行方が分からなくなった集落から随分と離れた場所で保護された理由までは不明だった。
「しかも、あの男の妻だと?」
妖魔に襲われていた所を助けられ、その後も親身に世話を焼いてくれれば恋も芽生えるのも道理である。いや、権力を笠に迫られれば誰しも否とは言えないだろう。それにしても自分の婚約者がいつの間にか他の男のものになっているのがベルクは許せなかった。
「はい、先のフォルビア女大公が今際の際に、神官を呼んで組み紐を交わしたそうです。正式な婚礼は秋に行う予定だったとか……」
「そんなもの無効だ。あの男には更なる罪を課してやる」
自分の仲立ちを蹴っただけでなく、無効な儀式で自分の婚約者を奪った男に沸々と怒りが込み上げて来る。叔父の老ベルクを通じ、今回の心理官長の任命に根回しは済んでいるので、罪の上乗せは自由自在となる。徹底的に貶めてやろうと決意する。
「彼女が生きているのは間違いないのだな?」
「はい。盗賊の頭領の話では、聖域の竜騎士に保護されていたので、まず間違いないかと」
「……あそこにいるのか」
ベルクは少し冷静になる。ただならぬ結束力を誇る聖域を力押しだけで従えさせるのは難しい。しかもあの姉弟の背後にはブレシッド公夫妻が控えて居る。エドワルドに彼等が肩入れするとなると少々厄介な事になる。
「もしや、あの男と聖域の連中が手を組んでいるのではなかろうな?」
「アレス・ルーンが潜入している可能性があると報告を受けていますが、定かではありません」
「まずいな」
聖域を統べる賢者の孫だけあって彼は薬物に詳しい。あの薬草を一見しただけでその正体が分かってしまうだろう。それはペドロだけでなく、ブレシッド公夫妻にも知られる事となる。そうなるといくらベルクでも揉み消す事が難しくなってくる。まやかしは一切通用しない相手だ。
ベルクにとって一番困るのは、あの薬草園に自分が関わり、禁止薬物を売りさばいて儲けている事を暴かれる事である。事情を知っていたロイスも投与している薬で衰弱し、既に回復する見込みはない。他に証拠を残すようなへまはしていないが、それでも万が一何か感づかれた場合は全てグスタフの独断として彼に罪をなすりつけるつもりだった。
「聖女に濡れ衣を着せられてあの2人が黙っているとは考えにくい。あるいは相手がタランテラと見て関わりを拒んだか……」
ベルクは考え込む。あれだけの事件が起きたにもかかわらず、他の国に比べてプルメリアの反応は薄かった。単にタランテラとは国交を断絶しているからだろうと思っていたが、聖女から詳細な説明があり、それを踏まえた上で冷静に対処したのだろうと今では想像できる。
それにもかかわらず、娘の為に何の行動も起こしていないのは解せなかった。もしかすると、元々良い心象のないタランテラとの関わりを嫌い、記憶を失っていた間の事を無かったものとしたのかもしれない。
それならそれでラグラスの計画を後押しすればいい。エドワルドには重罪を課し、晴れて賢者となった自分が傷ついた聖女を慰めるのだ。
「聖域だけでなく、ブレシッドの様子も探らせろ」
念には念を入れておいた方が良い。ベルクはそうオットーに命じるが、彼は難色を示す。
「すぐには難しいかと……」
「やれ」
「かしこまりました」
命じられれば従うしかない。オットーは頭を下げて部屋を出て行く。
しかし、ベルクはまだ知らない。既に薬草園との関わりは知られ、着々と証拠が集められている事を……。そして、フレアの為に彼女の家族が一肌も二肌も脱いでいる事を……彼はまだ知らない。