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国盗物語  作者: 深谷みどり
間章
36/201

(2)

 目覚めたとき、なによりも先にアレクセイは、いまが現実であることを確かめた。ほーっと息を吐き、ぐったりと重い動きで身体を起こす。疲れをとるための睡眠であるはずなのに、眠りに就く前より疲れているのはなぜだ。頭を振って、寝台から降りる。


 最悪の悪夢を見ていた。あれは『アレクセイ』を失ったばかりのころの夢だ。あれからどのような展開になったかなどと、アレクセイはもう思い出したくもない。かつてないほど死に近づいたと思った瞬間なのだ。


 もう眠りは完全に去ってしまった。再び眠る気にもなれない以上、このままでいるよりも鍛錬したほうがマシである。枕元に置いていた剣を取り上げて、アレクセイは部屋を出た。すでに夜明けを迎えているためか、ほんのりと明るい。ひたひたと歩いて甲板に出ると、この船では珍しい少女の姿があった。わずかに目を見開き、アレクセイはひそかに苦笑を浮かべた。


 そんなことをしなくてもいいと云ったのに、紫衣の魔道士は甲板磨きに精を出している。


(たぶん、なにかをしないと落ち着かないんだろうな)


 貧乏性、と心の中でつぶやく。魔道士ギルドの長に紹介された最高位の魔道士どのは年齢もさることながら、その望みでアレクセイを驚かせた。まさか将来はカフェを開きたいとは。紫衣の魔道士と云えば、努力だけでなれるものではない。何らかの事情があることは察していたが、それでも宝の持ち腐れだ、と感じる。世の中には紫衣の魔道士になりたくてもなれない人間は山のようにいるだろうに。そんなことを考えていると、意外にさとい少女がぱっと振り向いてきた。驚いたように目を見開いて、笑いかけてくる。


「おはよう、アレクセイ王子。ずいぶん早いのね」

「おはようございます、キーラ。アリョーシャで構わないと申し上げたはずですが?」

(ああ、口がもつれる)


 アレクセイの口調を思い出しながら挨拶を返せば、キーラはうへえ、と眉をしかめた。


「あいにく、王子さまを愛称で呼びかける趣味はございません。それよりどうしたの、今朝はずいぶん憔悴しているのね?」


 さらりとなされた問いかけに、アレクセイは正直、舌を巻く。

 にこやかな表情で隠したつもりだったが、気づいていたのか。とっさに誤魔化すことも考えたが、じっと見つめてくる濃藍色の瞳に気づかされた。誤魔化しようがない。


「ええ。ちょっと夢見が悪かったもので」


 ただし大げさに顔を曇らせて打ち明けることにした。するとよく気が回るキーラは、余計なことを聞いたのか、と後悔したように眉をひそめた。かと思えば、すぐにいつも通りの表情を浮かべる。わかりやすい。思わず本気で苦笑してしまいそうになりながら、片手に持ったままの剣を示す。


「ですから鍛錬に訪れたところです。キーラは甲板磨きですか?」

「ええ、そう。でも早くに目が覚めちゃって。キリルたちが来るのを待っているところ」


 なめらかに答えて、ちょっと困惑したようにキーラはうつむく。マーネで感じていたような、とげとげしい気配はもう彼女から感じ取ることはない。初めてこの船で過ごした夜、セルゲイとの話を立ち聞きしたときから、キーラはアレクセイに好意的になっていた。


(おれとしては、当然のことを云っただけにすぎないんだけどな)


 だがキーラには少なくとも態度を変えるだけの効果があったらしい。今度こみあげてきた苦笑には、なんだかくすぐったい気配が含まれていた。最高位の魔道士、キーラ・エーリンはその位にふさわしく鍛錬の日々を過ごしてきただろうに、示す反応はまるきり普通の女の子だ。マーネの守護者たちは同年代であっても、もう少し隙のない反応だったが。


「甲板磨きの仕事はいかがですか。大変でしょう?」


 話題を向けられたキーラは、安心したように表情をゆるめる。


「うん、たしかにね。でもキリルの教え方がうまいし、楽しくやっているところ。ねえ、王子さまも甲板磨き、したの?」

「……そうですね。コーリャ爺はそういうところで分け隔てをしませんから」


 十年前、「アレクセイ」とセルゲイの三人で競い合いながらみがいていたときを思い出す。

 ルークス国王から王子アレクセイを預けられたコーリャは、最悪の事態、国に戻れない事態を想定して王子を育てたのだ。すなわち特別扱いせずに、徹底的に鍛えた。おかげで王子アレクセイは一筋ではいかない人物に育った。一筋ではいかない、大馬鹿者に。


 漂い始めた思考を追求せずに、アレクセイはじっと見つめてくるキーラに思い出を話す。


「最初は大変でした。王宮のルールと傭兵団のルールはかなり違いますからね。アーヴィングの厳しいしごきに耐えかねて、泣き出したことも一度や二度ではありません」


 泣き出したアレクセイを慰める役がセルゲイで、呆れかえる役がミハイルだった。


「へえ、王子さまにもそういう時代があったのね。とても意外」

「意外って、どういうイメージをわたしに抱いてらっしゃるんです?」

「王子さまなら、意地でもつらいところを隠そうとするんじゃないかと思ったのよ」


 何気なく云われた言葉に、アレクセイはあやうく顔色を変えるところだった。

 それはまさしく、ミハイルの特徴だ。まだ『アレクセイ』に擬態しきれていなかったのか、知らず知らずのうちに自分自身が現れていたのか。アレクセイは口端を持ち上げた。誤魔化そう。目元も和ませれば、穏やかに見えることを、いまの彼は知っている。


「昔の話ですからね。おかげさまでコーリャ爺たちには鍛えられました」

「なるほどね。で、その結果、悪夢を見たら鍛錬に逃げ込むひとになったわけだ」


 ええ、と答えて、アレクセイはそっとキーラの様子をうかがう。

 なにかを感づいた様子はない。だから安心していいはずなのだが、このとき、どういう次第なのか、計算間違いをしている気持になった。


 キーラが自分たちの依頼を拒絶しまくっていたことは記憶に新しい。だから扱いを仲間ではなく、客人にするとアーヴィングたちと決めたのだが、それは間違いだっただろうか。


 なぜならキーラは想定以上に鋭い。アレクセイが、――――ミハイルが偽物であると気づく日が来るかもしれない。そのとき、秘密を隠されていた少女がどう反応するか。少なくとも友好的な反応を示すとは思えなくて、キーラから視線を外して息を吐いた。



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