表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
国盗物語  作者: 深谷みどり
第八章
136/201

無資格は行動しない理由になりません (12)

 ぐ、と、アレクセイがこぶしを握りこむさまを見た。かと思えば、身体をひるがえして、扉に向かう。いつもより速足でキーラの隣を通り過ぎていくものだから、あわてて振り返って扉の前に立ったアレクセイを見た。背中を向けたまま、アレクセイの声が聞こえる。


「……叔父上の、せっかくのお申し出でありますが、お断りします」


 それだけを云い残して、部屋を出て行ってしまう。

 とっさにためらったが、キーラは動き出して、アレクセイを追いかけた。放っておいたほうがいいかとも考えたのだが、チーグルをはじめとする仲間たちから呼び止められない。どうやら追いかけてもかまわないようだ、と、ほっとしながら、廊下を進むアレクセイの背中になんとかついていく。


 初めて訪れる城だろうに、アレクセイの歩みには迷いがない。どこに向かっているのだろう、と考えたが、小走りに追いかけているとゆっくり考えていられる余裕はない。やがてアレクセイは謁見を行う広間に入った。当然ながらだれもいない。明かりも灯されていない暗闇に入っていくアレクセイに戸惑いを覚えたが、キーラも思い切って広間に入った。


 純粋な暗闇だと考えていたが、窓から、月光が入っていた。


 ぼんやりとした輪郭を探して、キーラはそろりそろりと進んだ。こういうとき、魔道を使えないとは不便だ。だが考えてもしかたないから、さらに視線をさまよわせる。ふわり、と空気が動いた。窓から月光が入ってきている。そのひとつが開いていて、そこから風が入ってきたのだと気づいた。バルコニーに出たのだろうか。迷いながら口を開く。


「王子さま?」

「……あなたは、どこまでわたしを追いかけてくるつもりですか」


 呆れたような声音が、考えていたより近くで響いた。近くにいるのか、と手を伸ばせば、たしかになにかに触れた。布に包まれた固い感触は、アレクセイの腕だろうか。ふにふにと触れようとして、しっかりと手をつかまれて引き離された。溜息が大きく響いた。


「悪戯しないように。そもそもあなた、なにをやっているんです」

「なに、って」


 なにげなく応えようとして、はっと気づいた。

 そういえば、王弟救出はアレクセイに許可を求めないまま、実行しようとしたのだった。勝手をしている、と怒られるのだろうか。身構えていると、再び、溜息が響く。


「せっかく紫衣の魔道士ではなくなったのに、どうしてあなたはマーネに戻ることをいやがるんです? あげく、スキターリェツなんかの言葉にのせられて、王弟の救出をしようなんて、無謀にもほどがあるでしょう」


 冷静な声音に叱られて、ぐ、と、返す言葉につまる。


 たしかにスキターリェツに依頼されたが、そうしたほうがいいと感じ、『灰虎』の傭兵たちの力を借り、計画し実行しようとした、キーラ自身が認識不足だと云われているようだ。


 ぐるぐると、言葉が頭の中で回る。だって、約束したから。王子さまの味方でいると決めたから。

 けれどキーラを動かしていた理由は、いざ、こうしてアレクセイ本人と向き合っていると、口に出せないほど、稚拙だと感じる。一方的だ、と改めて感じた。恥ずかしい、情けない。まぶたが熱くなって、涙の気配が近づく。


(――――でも、だから!)


 チーグルに云われた内容を思い出す。だから、直接、アレクセイに確認したらいいのだ。


 ぐい、と、うつむきかけた顔をあげて、アレクセイの顔がある辺りを見つめた。つかまれたままでいる手に力を込めて、逆に、アレクセイの手をつかみ直した。キーラから離れようとした手のひらをしっかりつかんで、「じゃあ」とキーラは口を開く。


「王子さま。あたしに、なにをしてほしい?」

「……どうして、そうなるんです」


 どっと疲れたようにアレクセイが応える。無視されるかとも考えていたので、見えないとわかっていても、にっこりとキーラは微笑んだ。


「だって、云ったでしょ。あたしは王子さまの味方になる。絶対にくつがえさない。力を尽くすって、あたしは決めたの。だから王弟を救出しようと考えたんだけど、結局、足手まといにしかならなかったから、直接、王子さまに訊ねるわ。なにをしてほしい?」

「ではマーネに戻って、夢を叶えてくださいええぜひに」


 云うと思った。投げやりな響きで云ったアレクセイの手を強く握りしめた。思いきり力を込めたから痛いだろうと考えたのに、残念なことにうめき声すら聞こえなかった。


「いやよ」

「あなた、わがままだって云われませんか?」

「云われたことはないわね。云ったところでこたえないと思われているから」

「そうでしょうね、よくわかりますよ」


 三度目に溜息をついて、アレクセイは沈黙を落とした。表情が見えない。だけど、キーラはアレクセイのしっかりした手のひらをつかんだまま、じっと見上げていた。


 どのくらい、そうしていただろうか。


「……どいつもこいつも、……勝手なことばかり、……」


 王子らしい口調が崩れて、乱暴な響きでアレクセイはそう云った。

 鼓動が大きく響く。キーラは唇を開いて、なにも云わないまま、やがて閉じた。


「簡単に、云う。どいつもこいつも、自分を利用しろ、の一点張りだ。――――ああ、利用させてもらうさ、たしかにな。だがこれ以上、おれは他のやつの人生まで背負うつもりはない。……アリョーシャの人生だけで手一杯だ。これ以上の重荷なんて御免だね」


 暗闇に慣れてきたのか、目の前の輪郭がぼんやりと見えてくる。


 キーラがいま、捕まえているのは間違いなく、いけすかないアレクセイだ。月光を透かした金の髪がぼんやりと見えているけれど、強い印象を与える緑の瞳まで見えない。だから自分は好き勝手に云えたのかもしれない、とちらりと感じた。だからアレクセイも、ようやく率直な言葉を返してくれたのかもしれない、と考えた。苦笑しながら、口を開く。


「お人好しね、王子さま」


 どうしようもない、と、温かな気持ちで心のなかでつぶやく。


(あなたもあたしに対して、そう感じたのかしら? ――――アリョーシャ)


 さっき気づいた。目の前の青年が自分を捨ててアレクセイ王子を装っている理由は、王子に依頼された一面もあるが、それ以上に自責の念が強いのだ。


 アレクセイ王子は、責任ある立場でありながら、ミハイルを護って亡くなった。

 さらりと聞き流していた事実だったが、もっと状況をくわしく想像しておけばよかった。そうしたら、かつてのキーラのように自分を追い詰めて、――――それでも負けまいと必死になって自分を奮い立たせているアレクセイの姿が見えただろうに。


「だれが人生背負え、と云ったの。だれが、王子さまに、重荷を背負えと云ったの」


 おかしなものだ、と、つくづく感じる。

 本人であれば、あれほど見えてこない事実が、他人になったとたん、見えてくる。


「そうよ、身勝手よみんな。だからしたいようにやるの。アリョーシャ王子はあなたを護りたかったからそうしたんだし、『灰虎』のみんなはあなたを放っておけなかったからここまでついてきた。王弟は疲れたからあなたに全責任おっかぶせているんだし、あたしは、」


 にわかに羞恥が襲いかかってきたが、偽らずに、最後まで云い切ることにした。


「あなたにしあわせになってほしいから、見届けたいからマーネに帰りたくないの」


 ぴくり、と手のなかの大きな手のひらが反応した。


「しあわせ?」


 かすれた声がつぶやく。大きくうなずいて、暗闇だから見えない事実を思い出した。


「そうよ。王子さまの味方になるって云ったでしょう。だから王子さまのしあわせのために、あたしは力を尽くすの。それがあたしの、いま、いちばんしたいことよ」


 云い終えて、キーラは肩を揺らした。不意に、頬に触れてきた感触がある。


 大きく包んできたものは、アレクセイの手のひらか。キーラにつかまれている手とは反対の手でアレクセイはキーラの頬に触れている。落ちた沈黙が、鼓動を際立たせる。息すら止めてしまいたくなる沈黙のなかで、またもや唐突に、アレクセイの手が動いた。


 ふに、と、キーラの頬をつまんだのだ。


「……まったく。云いたい放題に云ってくれますね」


 微笑を含んだ声音が聞こえる。手のひらが離れて、頬に冷たい風が触れた。

 するりと手のひらが抜き取られ、身近にあった気配が遠ざかる。あわてて追いかけようとすると、先にある扉が開かれ、廊下から光が差し込んだ。アレクセイがようやく見える。


「だったら存分に働いてもらいましょうか。遠慮なくお願いしますから、そのつもりで」


 あたたかくやさしく、優美な美貌を微笑ませているアレクセイが、見えた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=646016281&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ