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国盗物語  作者: 深谷みどり
第七章
110/201

資格が無効になる日 (1)

 かすかに音楽が流れる庭で、キーラは一人、満天の空を見あげていた。

 傍らに果実酒の入った酒器と、彩り美しい料理を盛った皿を置いている。時折、酒を飲み、料理をつまみながら、星の数を数えていた。しっかりした目的で数えているわけじゃない。ただ、酒精がもたらす、ふわふわした感触が気持ちいいだけだ。


 いま、キーラは一人だから、気楽に、無防備にふるまえる。


 先ほどまで、紫衣の魔道士めあての有象無象に囲まれていたのだ。まことにうっとうしくてたまらない。だからこそ、酒と料理を持ち出して、さっさと逃げ出してきたのである。


(あ、流れ星)


 たしか願い事が叶うんだっけ、と考えながら、皿からひょい、とカナッペを取り上げた。

 いくつか種類を持ってきたが、いま、口に運んだものは塩漬けいわしをつぶし、バターと合わせたものだ。かすかな柑橘類の薫りがアクセントになっている。再び果実酒を飲みたくなった。酒器に手を伸ばせば、すでに空だ。残念な気持ちで、指をなめたところで、びくりと肩が揺れた。こちらに近寄る気配がある。反射的に身構えながら振り返って、


「ああ、こちらにいたのですか」

「あなた、なんでここに来たのーっ」


 すぐに気付いて、思わず大声で叫んだ。

 指を立てて、しーっと沈黙を促すアレクセイは、腰を下ろしてキーラの隣に座った。醸造酒の瓶と酒器を左手に持っており、キーラが持ち込んだ料理皿に気づけば「用意がいいですね」と微笑んだ。ためらい、キーラは二人の間に料理皿を置いた。おや、と目をみはるアレクセイから視線をそむけながら口を開く。


「食べてもいいわよ。酒だけ飲んでても面白くないでしょ」

「ありがとうございます。ではお礼として、こちらの醸造酒をどうぞ」


 とくとくとく、と空になっていた酒器に醸造酒を注がれ、こぼれそうな状態に慌てて口をつけた。初めて飲む醸造酒は、水のような感触で、喉を滑り落ちていく。少し驚いた。思ったより飲みやすい。好奇心が働いてさらにひと口呑み、ほっこり和んで、はっと我に返った。


「じゃなくて! どうして王子さま、ここにいるのよ。今夜の主賓、あなたでしょうが!」

「今宵は、星を楽しむ趣向ですよ? わたしがここにいても不思議ではありません」

「そんなの、しょせん名目だけじゃない。今夜の夜会は、」


 云いつのれば、そっと唇を押さえられる。「黙ってろ」、すぐ近くで優美な美貌が、いつもよりずっと乱暴な口調で続ける。


「せっかく抜け出してきたんだ、少しは休ませてくれ」

(また、だ)


 アレクセイの口調が、王子らしからぬ口調に変わった。あの夜、船で盗み聞きしたときとまったく同じ響きだ。どうした心境の変化なのか、アレクセイはキーラと二人きりになったときに限り、彼本来の口調に戻るようになった。奇妙に、胸が騒ぐ。


 同時に、広間でのアレクセイの様子を思い出した。さすが主賓、キーラ以上の人数に囲まれていた。にこやかに接していたからたいしたものだと感心していたのだが、やはり負担だったのか。素直に納得して、それでも確認しておかねば、と口を開く。


「だれかに後始末、頼んできたんでしょうね?」

「ヘルムートとロジオンにな。あの二人なら問題ないだろ」


 云いながら、アレクセイはグイ、と襟元を乱した。用意された衣服は主賓らしく、こまかな刺繍がほどこされた豪華な代物だ。似合っていたのに、とは正直なキーラの感想だが、当の本人にしてみたら、動きを制限する代物でしかないらしい。襟元を崩し、ようやくつろいだように息を吐いた。ぐい、と醸造酒を飲み干す。


 月光が白い首筋を照らした。なんとなく視線をそらして、キーラは酒器をもてあそんだ。


 なにを話せばいいのか、わからない。アレクセイの味方でいる、そう決めている。だから今後の方針について話したい気持ちがあるけれど、せっかくくつろいでいる様子なのだ、このまま休ませてやりたいとも考えている。だがそれ以上に、やはり気づまりなのだ。


 思い返せば、キーラはそれほど、この青年を知らない。


 すぐに思い浮かぶ姿は、『アレクセイ王子』に擬態している姿ばかりだ。どことなく胡散臭くて、油断できないと感じさせる、やわらかな口調のルークス王国王子。これまでそれなりに会話してきたけれど、それは『アレクセイ王子』としての答えだと察している。


 だから困るのだ、『アレクセイ王子』とはまるで違う態度に出られたら。


「……そういう格好も、なかなか似合うな」


 話題を必死になって探していたから、だから、アレクセイに話しかけられた事実に遅れて反応した。視線を向けたら、立てた片膝にひじをのせ、顎を支えるようにキーラを見ている。つくづく王子らしからぬ態度だ、と考えながら、云われた内容を改めて復唱する。


(ええと、この恰好が、なかなか似合うだって?)

「……。それはどうも」


 キーラは思わず平坦な口調で返していた。いま、キーラが着ているのは魔道士としての礼装ではない。なぜかマリアンヌ王女の好意で、ドレスを貸してもらったのだ。深い青色のドレスはすらりとしたデザインで、ひと目見て、キーラも気に入った。ただ、サイズ直しが必要ではなかった事実に複雑な想いを抱いてもいたのだ。特に上半身。つか、胸。


(マリアンヌ王女さまって、年下よね? アリアと同じくらい。アリアと云い、マリアンヌ王女さまと云い、ついでにロズリーヌ王女と云い、なんでこんなに発育がいいのよっ)


 だから似合う、と云われても、素直に喜べないのだ。


「褒めているのに、嬉しくなさそうだ」

「うるさいわね、乙女の事情なのよ。追求しないで」


 そう応えれば、くつくつと笑う。意外に笑い上戸だ、とは、最近、気づいた一面だ。


(そういえば、あの子もそうだったっけ)


 なにげなく心の中で呟いて、キーラはくしゃりと笑った。


 あの子。本当のアレクセイ王子だった、男の子。いま、目の前にいる彼とは親友だったと云うから、似通った部分もあったのかもしれない。感傷に沈みそうになって、見つめている眼差しに気づいた。観察するような眼差しに、かなり慌てた。ぐい、と、酒器をあおって、空にする。誤魔化すようにグイ、と酒器を差し出せば、呆れた表情を浮かべる。


「水と同じ感覚で飲むなよ。確かに飲みやすいけど、意外に、強いんだぞ」

「うるさいってのよ。飲みたいの、つぎなさい!」

「もう酔ってるのかよ。……ったく、面倒な女だ」


 云いながら、それでもアレクセイは醸造酒を注いだ。キーラはアレクセイの忠告に従って、素直に、一口だけ飲んだ。ふと空を見あげ、唐突に沸き起こった衝動に負けて、酒器を傍に置いた後、ごろんと地面に横になる。「おいっ」、アレクセイの慌てた声が聞こえたが、かまいやしない。まっすぐに満天の夜空を見上げた。そうしていると、まるで星空を漂っているようだ。ふ、と感傷を忘れて、アレクセイに視線を向ける。


「ねえ、王子さま。気持ちいいから横になってみなさいよ」


 表情は見えなかったが、どうやらアレクセイは本格的に呆れたらしい。

 白くすらりとした手がすっと視界に入ったかと思えば、ぴんとキーラの額をはじく。


「酔っぱらいのたわごとに付き合えるか、ばぁか」

「ふん。情緒を理解しない男はこれだから」


 きっぱりした拒絶に、キーラは唇を尖らせた。アレクセイは本当に、あの子とは違う。心の中で呟いて、まぶたを閉じた。とろとろと沈みそうな感触が心地よかった。



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