『神無月』襲撃ランデブー 後編
「カ、ガー……」
つい、大きく口を開けて欠伸をしてしまった。
一人でいると、色々と気にしなくなってしまう。
神様が戻られる前に直さないと。
(それにしても、あっという間だったな。バードさんのおかげで、賑やかだったし)
バードさんはあれから宣言どおり、夕餉の時にお弁当を持って帰って来てくれた。
昼間は屋敷の掃除に精を出し、夜間はバードさんと会話しながら食事を楽しむ……昨年までと違う過ごし方だったけれど、これはこれでとっても楽しかった。
(明日は他の神様も帰って来られる日。掃除残しや道具の片付け忘れが無いか、しっかり確認しておかないと)
手燭を右手に、月明かりを真横にして廊下を歩く。
昼間も散々確認したのだけれど、こう言うのは何度もやっておくに越したことはない。
第三広間の確認を済ませ、隣の物置部屋に入る。
(今日使った掃除道具は……良し、ちゃんとある)
じゃあ次は、と廊下に出ようとしたところで、後ろで何か軽い物が倒れた音がした。
振り返ってみると、さっき確認した座敷箒が一本倒れている。
「ええ、ちょっとぉ」
近寄って座敷箒を拾おうとすれば、ふと妙なことに気付いた。
背後の戸から入ってくるはずの月光が、部屋のどこにも見当たらないない。
ということは、戸の前に何か、私より大きい何かがいるわけで
◇
勢いよく宴会場の一点を、いや、一つの方向を鋭く睨む鳥ノ神に、犬ノ神は手酌する手を止め「どうした」と声をかけた。
「——失礼、急用ができたので屋敷に戻ります。ついて来なさい」
それだけ言って、さっさと廊下に出た鳥ノ神の後を、慌て追いかける。
「待て待て!今日抜け出せばもう流石に国ノ神を誤魔化しきれんぞ!そんなに急がんでも、あの娘になら明日になれば屋敷で会えるではないか」
「その屋敷に異常が起きています」
「い、異常!?まぁっさかそんな」
いつもの大袈裟な口調と違い、早口で淡々と鳥ノ神は語った。
廊下から庭に出て、外席で他の獣神達と呑んでいた猿ノ神を見つけて声をかける。
「猿公」
「なんだ、どうした」
「緊急事態です。お嬢さんに渡した簪が壊れました。屋敷内に何者かが侵入した可能性があります」
「以前言っていた簪をか?まぁそう怒ってやるな、うっかり落としでもしたんだろう」
「アレには並の衝撃じゃ壊れないように、アタクシの力を少し込めてあります。もし壊すなら、幽鬼ほどの力がなければ不可能です」
「なんだと……!」
事態を察した猿ノ神が立ち上がる。
その様子に、やっと犬ノ神は「あっこれ、本当に不味い状況なんだな」と納得したのだった。
「わかった。屋敷の者と旦那様には、わしが声をかけよう」
「助かります。ではアタクシは屋敷に、犬公!行きますよ!」
「俺もか!?」
「おぬしなら馬や牛と違って、悪路も関係ないだろう。それよりも早く、あの娘のところへ」
すぐさま両翼を広げ、一度羽ばたくだけで鳥ノ神は天高く舞い上がった。
瞬きの間に、夜空の星ほど小さく見えるくらい、遠くまで行ってしまう。
「ああもう!こんなことなら呑まずに飯だけ食うておけば良かった!」
そう文句を言いながら、犬ノ神は四つん這いになった。常日頃、人間の身体と近いように寄せていた手足が、本来の『犬』そのものの形に戻る。
月に向かって一つ吠える。
社の屋根を飛び越え、鳥ノ神を追って屋敷へと走り出した。
◇
むせ返りそうなほど濃い、白檀の香りが立ち込める中。
「おお、重い重い」
なんとか、なんとか——幽鬼の下から、這いずり出た。
倒れた幽鬼から目を離さずに、袖の下から取り出した手ぬぐいで短刀についた血を拭き取る。
それにしても危なかった。
背後から髪を掴まれ引っ張られたところを、無理矢理振り返って、手燭で幽鬼の横っ面をブン殴ったまでは良かった。
が、幽鬼は少し怯んだだけでそのまま手燭の火は握り消されたし、押し潰そうと覆い被さってきた。
上手く避けきれず、仕方がないので下敷きにされたところを片手で突っ張りながら、常日頃から懐に入れていた短刀でひたすら突き刺すことしかできなかった。
父が見れば、あまりの情け無さにきっと切腹していたことだろう。
それほどまでに、さっきの立ち回りは酷かった。
「そうだ、簪」
団子にしていた髪は既に解け、簪は見当たらない。月明かりを頼りに辺りを見渡すと、壁側の方に無残にもバラバラに壊れた簪が散らばっていた。
「……」
胸の奥の鋭い痛みと共に、己の声とは思えないような低い呻き声が口から漏れ出た。
しゃがんで、血で汚れていないもう一つの手ぬぐいの方へ、簪を拾い集める。
初めて貰った、簪だった。
深い意味なんて無いかもしれないけれど、大切な贈り物だった。
無意識に、ぎりりと音が鳴るほど歯を食いしばり拳を握る。
右目の下瞼が、少し痙攣した。
きっと幽鬼はまだ、屋敷に沢山いる。
とにかく今は、どんな手を使ってでも冷静にならねば。
戸棚にある工具箱から金槌を取り出し、倒れた幽鬼の頭を振り被って殴った。
身体の一部として使い物にならなくなるまで潰し、次は両手両足首と満遍なく繰り返す。
以外と、幽鬼の肉は柔らかかった。
幽鬼については姿形と、並外れて力が強いということしか知らない。
身体が再生して何度でも襲いかかってくるとは聞いたことがないが、とりあえずこれくらい潰しておけば、時間稼ぎにはなるだろう。
廊下に他の幽鬼がいないことを確認し、物置部屋の戸を閉めてから自室に向かう。
幸いにも、ここからならそう遠くない。
手燭は置いて来たが、大分夜目が利いてきた。
金槌片手にそのままなんとか、幽鬼と鉢合わせること無く自室にたどり着く。
押入れには短刀と同じく、父から渡された打刀がある。
巻藁以外の物を斬るのは初めてだが、武器ならこの際なんだって良い。
日頃から暇な時間を見つけては手入れをしていたし、上手に斬れずとも傷一つ付けられないなんてことは無いだろう。
ふと、刀を父から渡された時の言葉を思い出した。
『よお聞け、■■』
『もしおまいが旦那様のお役の邪魔いになりそな時は』
『こん刀で腹切れ』
諦めて死ぬか、働いて死ぬか。
どの道、旦那様の結界で私は屋敷から逃げることもできないし、雲州に連絡する手段も無い。
隠れていようにも、例年通りなら神々が戻られるのは、明日の夜になるだろう。
いくら屋敷が広くても、恐らく増え続けているであろう幽鬼から、それまで隠れ続けるのは無理だ。
どうせ刀を取るのなら、少しでも多くの幽鬼を黙らせてやりたい。
乱れた髪を一つにまとめ上げ、襷掛けをする。
……大丈夫だ。
簪を包んだ手拭いをそっと押入れに隠す。
フゥと息を吐きつつ、両手両足首を交互にブラブラさせながら、廊下へと続く障子戸の前に立った。
「命、捨てます」
◇
その曲がり廊下の先は、行き止まりになっている。
足音を立てないように、行き止まりまで歩く幽鬼の背後から忍び寄り、飛び付いて喉に短刀を突き刺す。
間髪入れずに間合いを取り、喉の短刀を引き抜こうと両腕を首へと曲げたところを、打刀で袈裟斬りにした。
ここで安心してはいけない。
大量の出血と共に崩れ落ちた幽鬼の身体を、すぐさま近くの部屋に運んで隠す。
こうやって闇討ちすること、もうかれこれ五体目だ。
突如、大きく廊下が軋む音がした。
ハッとなって部屋の押入れに隠れる。
戸に少し隙間を開けて、廊下の血痕に気付いた幽鬼が部屋に入って来るかどうかを伺う。
今夜知ったことだが、幽鬼の奇声はとにかく喧しい。
二体目で喉を突き損じ、奇声を上げられた時はヒヤリとしたが、今のところそれを聞きつけた他の幽鬼が追って来る気配はない。
(そう考えると物置部屋の幽鬼が、腹を刺しても声を上げなかったのは運が良かったな……おっ来た来た)
部屋にまた一体、幽鬼が入ってきた。斬られた仲間の身体を、不思議そうにしゃがんで叩いている。
まだ生きていると思っているのか、それとも本当に生きているのか。
短刀を回収する前に来てしまったから、先に喉を突いて封じることは難しそうだ。
するとここは、金槌の出番だろう。
勢いよく押入れから飛び出し、金槌でしゃがんだ体勢の幽鬼の頭を上から殴る。
「!?ア——」
「失礼」
肩を蹴飛ばし、よろけて倒れたところを打刀で喉を突く。刀身を掴まれるよりも速く引き抜いて、そのまま上から幽鬼の身体を滅多刺しにした。
暫くすると、隣で倒れている仲間と同じようにこの幽鬼も静かになり、私にもやっと呼吸を整える間が生まれた。
打刀と回収した短刀の血を拭き取ろうとしたが、六枚ほど袖の下に入れていた手ぬぐいはどれも度重なる闇討ちで酷使されすぎ、ぼったりと濡れてしまっている。
仕方がないので、着物の袖で拭う。この仕事着は、もう洗濯しても使うことは許されないかもしれない。
(それにしても変だな。幽鬼は神様にしか倒せないって、聞いていたのに)
まぁ私と違って、神様ならどれだけ幽鬼が押し寄せて来ても、疲れることなくあっという間に倒してしまうのだろう。
空き部屋を後にし、幽鬼が来た方向を進む。
屋敷の何処からか侵入しているのなら、見つけ次第入り口を塞ぐなり壊すなりすれば、これ以上幽鬼が増えることは防げる筈。
だから今はひたすら、見つけた幽鬼を倒しつつ、その侵入口を探しているのだが——
「あれ、沢山いる」
廊下のガラス戸から外の様子を伺えば、何故か蔵の前に幽鬼が三体、固まっていた。
それぞれが片手に鉈・金棒・槍と、武器まで持っている。屋敷内にいた幽鬼は、今のところ全員手ぶらだったというのに。
あそこだけどうして。いや、ひょっとすると幽鬼はあの蔵から現れているのかもしれない。
その時ふと、バードさんとの会話が脳裏に蘇った。
あれはそう、確か雲州に神々が行く前の——
『ただ、旦那様と行動していた連中は、何やら拾い物をしたようですね』
『拾い物?』
『エエ。とはいえアタクシ達が合流する前に、旦那様連中が先に帰った所為で、それを見たわけじゃありませンが』
『へぇ……』
間違いない、絶対にそうだ。
神々が屋敷からいなくなる神無月を狙って、その幽鬼を送り込める道具か何かを、こちらが拾うようにわざと落として行ったのだ。
きっと旦那様は自分が研修旅行の準備で忙しいからと、その拾い物がなんなのかよく調べず、蔵に仕舞うよう言ったに違いない。
(ん、まてよ。神々や旦那様はともかく、幽鬼は留守神役の厨様が雲州に行くのも、知っていた?)
そうなると厨様が今年、雲州に行くことになったのは、仕組まれていた可能性がある。
幽鬼は突如現れた、災害のような化け物だと思っていたけれど、ひょっとすると何者かの指示で動いているのかもしれない……
そこまで考えて「やめよう」と首を振った。
もし本当だとすると恐ろしい話だが、あくまで全て私の妄想に過ぎない。
今はまず、例の拾い物を壊すことに集中しなければ。
拾い物がどんな見た目をしているのかは聞けなかったが、きっと禍々しい光を放っていたり、気色の悪いモヤを漂わせているのだろう。
見ればわかる、多分。
裏口から外に出て、蔵へと向かう。
他の幽鬼に見つからないよう慎重に歩いたが、蔵の左横にある植込みに到着するまで鉢合わせることは無かった。
やはり外にいるのは、あの三体だけのようだ。
金槌を片手で持ち、深呼吸する。
向こうは三体、しかも武器持ち。
戦闘になれば必ずどれかが奇声を上げるだろうが、一体ずつ誘い出そうにも連中は蔵の前から梃子でも動かない、という様子だ。
(爆速で幽鬼を倒して拾い物を壊す爆速で幽鬼を倒して拾い物を壊す爆速で幽鬼を倒して拾い物を壊す爆速で幽鬼を倒して拾い物を壊す爆速で幽鬼を倒してぴろいもの、あっ噛んじゃったワッハッハッ)
植込みから金槌を投げ、私から見て奥、右奥に立つ『金棒』を持った幽鬼の頭に直撃させた。
グチャッと嫌な音を立てて倒れる金棒を見た『槍』と『鉈』が、攻撃を仕掛けた私に気付いてすぐさま武器を構えた。
「キャアアアア!」
「エアアアアア!」
二体同時の奇声は中々うるさい、鼓膜が破られそうだ。
(良いね!なるほど、私も負けていられない)
走りつつ、肺が弾けそうなくらい息を吸い込み、蜻蛉の構えから跳んだ。
「ギィエ゛エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」
二体がびくりと足を止め、放心した隙を逃さず、脳天に一撃を叩き込む。
まずは、槍。
竹のように割られた仲間を見た鉈の幽鬼が、自身の獲物を振り回しながらこちらに突っ込んできた。
それに対し、地面を蹴って砂をかけてやる。
「エッアッアアッ」
「イ゛ヤア゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
砂を除けようと、手を顔に近づけた隙を狙って、胴体を真っ二つにする。
闇討ちの時と大体同じだ。
次に鉈。
残すは、金棒。
頭を振り、立ち上がった金棒の幽鬼目掛けてもう一度、構えて跳ぶ。
「チェ゛ストオ゛オオオオオオオオオ!!」
幽鬼は咄嗟に金棒で刀を受け止めようとした。
が、そんなことでは止められない。
金棒ごと、幽鬼の身体を切り捨てた。
「————」
何の声も上げられず、ついに三体目も倒れる。
呼吸が全力疾走した、犬みたいに荒い。
落ち着こうにも高揚した頭の中は、ぐるぐると喧しい。
(あれぇ!?本当に?やったの?勝てたの?最高、サイコー!!)
違う違うまずは拾い物と、倒れた幽鬼を避けつつ、蔵へと走る。
蔵の扉は重いが、一人でも開けられそうだ。
中は暗いだろうけど月明かりも出てきたし、なんとか探せそ、う
「おっ……ぁ……」
扉を開いた瞬間、銀色の線が飛んで来た。
咄嗟に、後ろに下がったが、避けきれず袈裟斬りにされてしまう。
足元がみるみるうちに、血でぬかるんでいく。
手足に上手く力が入らず、震えが止まらない。
耳の奥で何かが煮えたぎるような音がする。
蔵の中からゆっくりと姿を現したのは、さっきまで見たどの幽鬼とも違う、立派な甲冑を着て大太刀を持った幽鬼だ。
「————」
奇声の一つも発さず、幽鬼は大太刀を構える。
整わない呼吸のまま、ふらつく身体に喝を入れ、私も打刀を構える。
「あ、あ、バードさん、すみません、私……わたしっ!」
今にももつれて倒れそうになりながら、走る。
もう自分が、何を言っているのかよくわからない。
「あの!好きで!ありがとう!簪っ、ごめんなさ」
突如、眼前の幽鬼がバラバラに崩れ落ちた。
その刹那の間に、見慣れたあの、美しい赤が見えた気がして空を仰ぐ。
空から滑空してきたのは、バードさんだった。
見上げたまま倒れた私を、バードさんは翼が血で汚れるのも構わず抱きとめる。
バードさんは無表情から一転して、優しげな笑顔と声音で、語りかけた。
「お嬢さん、お嬢さん」
「……」
「お待たせしてしまい、大変申し訳ありませン。もうゆっくりなさって大丈夫ですよ、アタクシが来ましたからね。厨ノ神も湯ノ神も、時期に来る筈ですから、安心してください」
「……」
返事をしないといけないのに、口は息をするばかりで声が何故か出てこない。
遠いところから、帰ってきてくださったのだ。
真っ先に言わないといけない、言葉なのに、視界が、どんどん——




