Phase 04 開けられたパンドラの箱
荒川家の前には複数のパトカーが停まっていて、野次馬のものと思われる車も散見された。――田舎町であるが故に、悪い噂はすぐに広まってしまうのだ。
私は玄関にいた刑事に「宿南刑事の知り合いだ」と事情を説明して、荒川家の中に入った。
*
荒川貴子は自分の部屋でその命を奪われていた。早い話が密室状況での殺人であり、彼女だったモノの横には犬の死骸も横たわっていた。――あまりにもやり方がむごい。私がジョン・ウィックなら、犯人に対して報復行為をすることも辞さない。
私が事件現場に入って数分後、宿南刑事も合流した。彼は話す。
「状況は部下の刑事から聞いていたが、ここまでむごいモノだとは思わなかったよ。遺体を見る限り、貴子ちゃんの死因はナイフで胸部を刺されたことだろうな。――しかし、密室状況でどうやって彼女にナイフを刺したんだ?」
確かに、凶器と思われるナイフは彼女の胸部に刺さったままで、殺害されて間もないことは確かだった。
一方、チョコちゃんはその腹部を切り裂かれた状態で殺害されていて、映像化ならモザイクによる自主規制が必要な状態だった。ジョン・ウィックが激怒するレベルのグロ画像と言えば分かるだろうか。
それはともかく、宿南刑事は彼女が刺殺された状況が気になっていたようだ。彼は周りを見渡したが、特に怪しいモノは見つからず、部屋自体は「ごく普通の女子学生の部屋」といった感じだった。
「遺体」という異物をそこから排除すれば、周りで目を引くのは「モンスターをボールから出して戦わせる国民的ゲーム」に出てくるモンスターのぬいぐるみたちであり、特に多いのは「ピカピカという鳴き声で鳴く電気ねずみ」のぬいぐるみだった。恐らく、彼女はそのモンスターを気に入っていたのだろう。――ちなみに、私はそのゲームに出てくるモンスターの中だと「外部環境によって進化するモンスターが変わるもふもふのウサギ」が好きである。進化後なら炎のウサギだろうか。そんなことはどうでもいいのだけれど。
テーブルの上には学校で使うタブレット端末と教科書が置かれていて、時期的に夏休みの宿題に取りかかろうとしていたのか。流石に許可なくタブレット端末の中身を見るのはマズいと思ったので、私は彼女の母親に頼んで端末のロックを解除してもらった。
母親――荒川真紀子は話す。
「貴子ちゃんは勉強熱心で、1学期の通知表もかなり良い成績だったことを覚えています。――タブレット端末を見る限り、殺害される直前まで勉強をしていたようですね」
タブレット端末には、漢字ドリルが表示されている。今日は8月13日で、ドリルの最終勉強日時は8月12日だった。あまり考えたくないが、彼女を殺害したのは実の母親なのだろうか? あのカツラが荒川真紀子のモノだと判明してから、私は彼女が信じられなくなってしまった。
そんな私の思考とは裏腹に、荒川真紀子は話を続けた。
「私? 私が自分の娘に対して手をかけるなんてとんでもない。私は無実です。信じてください」
やはり、事件に対して過剰に考えすぎなのだろうか? そう思った私は、持っていた考えを頭の片隅に一旦しまうことにした。
彼女の話を聞いたのか、宿南刑事が話す。
「確かに、周りに彼女の命を奪う装置が見当たらない限り……彼女の死因は自死だと判断せざるを得ない。とはいえ、愛犬であるチョコちゃんまで殺害されているとなると、話は別だな」
犯人が何の目的を持って彼女を殺害したのかは分からないが、彼女による自死という可能性も考えられるのか。――もしかして、「儀式の生け贄」として選ばれるのが嫌になって、生け贄になる前に自分で命を絶ったとか。
探偵――大渡達哉は、自死と他殺の両方から彼女の死を考えていくことにしたようだ。
「まあ、今のフェーズだと……『生け贄』に選ばれる前に自ら命を絶ったと考えざるを得ないな。とはいえ、彼女の死因は首を括ったことによるうっ血死じゃなくて、胸部をナイフで刺されたことによる失血死だ。自死にしては不自然だと思わないか? そうなると、やはり他殺の線を疑うのが無難だな。とはいえ、密室状況だということに変わりはないが」
ミステリ小説における「密室」は殺人の定番であり、あまたの小説家があまたのアイデアを考えてきた。しかし、そのトリックは頭打ち――ネタ切れの状態であり、大体の場合は部屋の中に何らかの凶器を仕込むことによって密室殺人を可能としてきた。
ふと、私は「ピカピカと鳴く電気ねずみのぬいぐるみ」を見つめる。流石にそこに凶器を仕込んだとは考えにくいが、万が一のことも考えられる。例えば、ぬいぐるみの中にナイフが仕込まれていて、彼女の胸部を狙ったとか……いや、タイマーでも仕込んでいない限り無理か。この考えは捨てよう。
テーブルの上には食べかけのチョコレートも置かれていて、鑑識がそれを回収した。チョコレートはいわゆる「個包装」のモノであり、特に異物が仕込まれていた形跡もない。――鑑識は話す。
「うーん、胸のナイフはフェイクで、本当の死因は毒殺という線も考えられるが……チョコの成分を分析しないと分からないな」
そういえば、犬にとってチョコレートはその成分の影響から「毒」であると言われていて、口にすると命を落とすということを知り合いの獣医から聞いていた。――まさか、犬の間接的な死因はチョコレートなんだろうか?
犬がチョコレートを食べたことによって命を落として、犯人が「犬だったモノ」の腹部を切り裂いた。そして、犬の腹部を切り裂いたナイフで荒川貴子の胸部を刺し、命を奪った。まあ、そんなところだろう。
私は、その考えを大渡達哉に伝えた。
「これは私の仮説だけど、チョコちゃんは犬にとって毒であるチョコレートを口にしたことによって中毒死で命を落として、犯人がチョコちゃんの腹部をナイフで切り裂いた。そして、そのナイフで貴子ちゃんの胸部を刺したんだと思う。――とはいえ、この過程でどうやって密室状況を作り出したのかは分からないんだけどさ」
私の考えを伝えたところで、彼は話す。
「なるほど。僕よりも彩花ちゃんの方が上手だったな。しかし、流石の君でも密室状況の作り方までは分からないか。確かに、これは密室の中で発生した事件だからな。――外部から鍵をかけたのなら、話は別だが」
外部から鍵をかける? 確かに、その発想はなかったが……どうやって部屋の外側から鍵をかけるんだ?
私が「鍵かけのトリック」を考えていると、西口沙織が何かを話したそうにしていた。
「とりあえず、部屋のドアノブを見てみたらどうかしら? アタシが探偵ならそうするけどさ」
なるほど。ドアノブに細工がしてあって、犯人はその細工を利用して密室状況を作り出した。ならば、実際にドアノブを見るべきか。そう思った私は、部屋のドアを開けて「何か細工がされていないか」を確かめることにした。
しかし、ドアノブに対して細工された形跡は見当たらなかった。どこからどう見ても「普通のドアノブ」でしかなく、引っかけるための穴が塞がれているかと思えばそうでもなかった。――やはり、そんな都合の良い展開はないのだろうか。
私は話す。
「うーん……ドアノブに変わった様子は見受けられないわね。セロテープが貼ってある形跡もないし」
私がなんとなくセロテープの話を持ち出すと、西口沙織はあることを思いだした。
「セロテープ? ああ、そういえば『偉大なラブコメ推理漫画』において『ドアノブにセロテープ』は密室を作り出す常套手段よね。でも、そのトリックはすっかり使い回されてるし、犯人も今更そんな誰にでも分かる手を使ったりしないわよ」
それはそうか。――大渡達哉も話に加わった。
「セロテープ以外で密室状況を作り出す手段……何かあるのだろうか?」
彼は顎をさすりながらそう話した。よほど思うことでもあるのか。そして、話を続けた。
「もっと、こう……物理学的なモノなんだろうか。例えば『何かをぶつけた拍子にドアが閉まる』とか」
何かをぶつけた拍子にドアが閉まる。確かに、それなら誰にも気づかれずに密室状況を作り出すことができるのだが……なんだ? このかすかな香りは。
私が気になった香り。それはいわゆる「ミント系の香り」だった。私は「チョコミントの香り」だと思ったが、よく考えるとチョコレートの箱に「ミントフレーバー配合」という文字は書かれていなかったことを思い出した。――じゃあ、このミント系の香りは一体何の香りなんだ?
ミントの香りのことを考えつつ、私は話す。
「生前の貴子さんって、どういうお菓子が好きだったんでしょうか? 例えば、チョコミント系のお菓子が好きだったとか……」
私の質問に対して、荒川真紀子が答えていく。
「チョコミントはあまり好きじゃなかったですね。むしろ、フルーツ系のチョコが好きでした。――ほら、小さなチョコの中にフルーツチョコが入っているチョコレートがあるじゃないですか。アレですよ、アレ」
彼女が話す「アレ」に対する見当はついていた。私も昔はあのチョコレートが好きだったから当然だろう。
それにしても、この清涼感溢れる匂い――どこかで嗅いだことがあるんだよな。一体、どこだったんだろうか?
そんなことを考えていると、私は床に落ちていたモノにけつまずいてしまった。――いてっ。
床には黒い筒状のモノが落ちていて、それを拾い上げると――金色の文字で「祝卒業」と描かれていた。どうやら、荒川貴子が小学校を卒業した時の卒業証書が入っていた筒らしい。
しかし、筒の中身は空っぽであり、卒業証書が入っていた形跡は見当たらない。筒には今年の年号である「令和×年3月」と書かれているので、今年のモノであることに間違いはないのだが……。それに、筒のフタはどこにいったんだ? フタがなくて筒本体だけがそこにあるって、あまりにも怪しい。
念のために、大渡達哉にも筒を見てもらうことにした。
「達哉くん、この筒……怪しくない? これは私の考えなんだけど、犯人はこの筒の中に凶器を入れて、何かの拍子で筒から出てきた凶器が貴子ちゃんの命を奪ったんだと思う」
私はそう言ったのだけれど、彼は私の考えを否定した。
「なるほど。彩花ちゃんは、筒の中に凶器を仕込んで、フタを開けた瞬間にナイフが出てきて、彼女の胸部に刺さったと言いたいのか。しかし、そんな都合良く凶器が胸に刺さるのか? 僕は懐疑的だな」
確かに、そこは彼の言う通りかもしれない。冷静に考えると、筒から飛び出した凶器が都合良く胸部に刺さって彼女の命を一瞬で奪うことなんて、犯人が凄腕の暗殺者でもない限り無理だろう。
なんとなく、私は部屋の窓がある方へと向かった。窓には網戸がなく、その代わりに手すりのようなモノが設置されていた。いくら手すりが設置されているとしても、窓自体が危険な状況であることに変わりはない。――窓か。ああ、そういうことか。
あることをひらめいた私は、荒川真紀子に対して「浴室から入浴剤を持ってきてほしい」と伝えた。彼女は突拍子もない私の言葉に対して困惑していたが、なんとなく犯人がやりたかったことは分かったかもしれない。
*
「入浴剤を持ってきました。――一体、何がしたいんでしょうか?」
相変わらず、荒川真紀子は困惑している。
困惑する彼女をよそに、私は話す。
「――私が今からやることは、ちょっとした理科の実験です。まず、筒の中に砕いた入浴剤を入れて、そのままフタに封をします。すると、シュワシュワという音がするので、地面に筒を置きます」
私が筒を地面に置いて数秒。「ポン」という音とともに筒が発射された。発射された筒は天井に当たって、そのまま床へと落ちた。
私の実験を見て何かを思い出したのか、大渡達哉が話す。
「ああ、僕が子供の頃にそういう実験をしたことがあるな。確か、入浴剤に含まれる炭酸ナトリウムがガスを発生させて、そのガスが密封状態の容器を押し出す。それはロケットの原理にもなっていると言っていたか」
「達哉くん、その通りよ。このロケットは小学生でもできる初歩的な実験で、化学反応を確かめるための手っ取り早い手段でもあるの」
私が言うとおり、密封状態の容器に砕いた入浴剤を詰め込んで、水を入れると――入浴剤に含まれている炭酸ナトリウムから発生したガスが容器を押し出す。そして、押し出された容器は宙を舞って、床へと落ちていく。ガスが容器を押し出すということで、容器が発射される際には「ポン」という音が聞こえる。これこそがロケットの原理であり、外で飛ばすと屋根まで飛んで行くこともある。ちなみに、スパークリングワインにおけるコルクも同様の原理で飛び出していく。
そして、私は話を続けた。
「これは私の考えでしかないんだけど、多分……犯人はこの卒業証書入れの中に凶器であるナイフを入れて、窓に向かって発射させた。夏の豊岡は暑いから、大抵の場合はエアコンを付けるか扇風機を付けるかで、貴子ちゃんは扇風機で暑さをしのいでいた。そのことを分かっていた犯人は、彼女が窓の近くに来たタイミングで――胸部を刺したんでしょう」
私の話に、西口沙織も乗っていく。
「それ、なかなか興味深いわね。アタシはそういう科学的なモノが苦手だから、さっきの実験は魔法にも見えるわ」
彼女がそう言ったところで、私は話を結んだ。
「まあ、世の中における魔法はすべて科学的なモノで証明できるんだけどさ。そういえば、私……さっき『ミントの香りがする』って思ったんだけどさ、それって入浴剤の香りだったのよ。――その証拠に、テーブルにざらざらとしたモノが付着していたし」
「ざらざらとしたモノ? それって、何なの?」
「入浴剤よ。入浴剤には炭酸ナトリウムが含まれてるから、砕くと粉になって、ざらざらという感触を覚えるのよ」
「なるほど。――っていうか、誰がこんな回りくどいことをしたのよ?」
「――こんな回りくどいこと仕組んだのは……姉妹の父親である荒川努よ」
私が意外な犯人を持ち出したことによって、荒川真紀子は困惑していた。
「ど、どうして努さんがそんなことを!?」
困惑する彼女に対して、私は話を続けた。
「恐らく、努さんは『荒川家で封印されていた儀式』を復活させるために一連の事件を企んだのでしょう。最初に彼は次女である荒川八千代を殺害して、その爪を剥ぎ取り歯を抜いた。爪と歯はそれぞれタンスの上段と中段に入れて、隠し名を書いた紙を下段のタンスに入れた。次に、長女である荒川由香利を殺害した。彼女は17歳で、『儀式』で供養するための体の部位はすでに抜かれた状態だった。もちろん、『儀式』が行われていることを隠すために、彼女にはネイルチップと入れ歯、そしてカツラを被せて『普通の女子高生』に見せていた。しかし、それらは偽りのモノなので――結局、彼女という存在は始末せざるを得なかった。私はそう考えています」
私の話に、彼女は反論する。
「そ、そんなことあり得ません! ましてや、努さんは3人の娘をかわいがっていたぐらいです。この部屋を見渡しても、ほとんどは努さんが娘のためを思って買ったモノですし」
机の上に置かれていたリンゴ柄のスマホに、ノートパソコン。恐らくだが、勉強机もそうなのだろう。でも、それは彼女たちを甘やかすための口実でしかない。――私は話す。
「確かに、努さんは良い父親なのかもしれません。でも、その裏では――『儀式』の復活を企んでいた。真紀子さん、努さんは婿入りで荒川家へとやってきましたね?」
私の質問に、荒川真紀子は答えた。
「そ、その通りです。私の家族には益雄さん以外の男手がいなかったので、『安木努』という男性を荒川家へと迎え入れました。彼は安木不動産の御曹司で、豊岡でも屈指の不動産王である安木孝造の息子でしたからね。――あっ」
彼女がうっかり漏らした一言に反応したのは、大渡達哉だった。
「ああ、そういうことだったのか。どうして僕はもっと早く気づけなかったんだ。安木努は自分の目的のためにとある噂を聞きつけて荒川家に潜入、そして婿入りした。もちろん、目的は荒川家の女性の間で伝わっていた『儀式』の復活だったのだが……その儀式に必要なモノは未婚の女性で、彼は運良く3人の少女という子宝に恵まれることになった。そして、長女である荒川由香利が10歳の時に、彼女の指からすべての爪を剥ぎ取り、タンスの中へとしまった。その後も、13歳の時に歯を抜きタンスの中へとしまい、16歳の時に毛髪を刈り取り、鏡台の前に飾った。――当然だが、その儀式は彼女の妹たちにも受け継がれてしまった」
少女から少女へと受け継がれていく忌まわしき儀式。それはまるで「メビウスの輪」だ。いや、箱だから「メビウスの匣」だろうか。私はそう思った。
彼は話を続ける。
「そもそも、この儀式は真紀子さんの代で終わったはずだった。僕は中学2年生の頃に、髪を舐める幽霊をこの目で見たのだけれど――その幽霊こそ、儀式を行う真紀子さんの姿だった。あなたの姿を見て、僕はそれを確信したよ」
そうか。あの時、私が見た「髪を舐める幽霊」の正体は――荒川真紀子だったのか。そうやって考えると、怪異でも何でもないじゃないか。私は彼の話を聞いて思った。
大渡達哉という探偵の手による「怪異解体ショー」は続いていく。
「あの時、僕がこの目で見たあなたの姿は今にも死にそうで、目は虚ろだった。その理由は『パンドラ』による呪いでも何でもなくて、ただ単に――大麻に似た成分を嗅がされていただけなんだ。その成分は当時なら『脱法ドラッグ』としてお咎めなしだったが、今の法律なら一発でアウトだ」
脱法ドラッグに関する法律が施行されたのは平成26年の4月だった。つまり、私と西口沙織と大渡達哉が中学2年生だった平成18年はまだそういう「薬物」に対する危険性があまり認知されておらず、刑も軽いものだった。しかし、あまりにも違法ドラッグの乱用者が減らないので、厚生労働省では「脱法ドラッグ」の名称を「危険ドラッグ」へと変更することになった。それによってようやく薬物の危険性が世間で認知されるようになり、そういうモノを売買する業者を検挙されるケースも増えてきた。
とはいえ、結局は厚生労働省と業者のいたちごっこであり、厚生労働省の方で危険ドラッグに指定した化学物質の化学式を少し変えただけの薬物を売買することによって法の穴を抜けようとしているのも現状である。――ここは、平成18年の話にのっとるべきか。
当然だけど、荒川真紀子は彼の「怪異解体」に対して反論する。
「私が、そういう薬物に手を出していた!? そんなこと、あり得ないじゃないですか! ましてや、当時の私は――大学生で……あれ? 記憶が……ない?」
彼女は反論しようとしたが、どういうわけか記憶が抜けているようだ。もしかして、「わざと」とぼけているのか?
そんな彼女に対して、大渡達哉がとどめを刺していく。
「記憶がなくて当然だろう。真紀子さんは薬物の影響で健忘症を患っていたからな。――宿南刑事、ナイスタイミングで来てくれた。ここからは、あなたにすべてを託すよ」
そう言って、彼は宿南刑事に話の主導権を譲った。
「先ほど、部下の刑事が『パンドラ』と呼ばれる建物をくまなく調査していたら、こんなモノを押収したよ」
宿南刑事は、手に小瓶のようなモノを持っている。
小瓶の液体は無色透明で、一見ただの水に見えなくもない。しかし、中に入っている液体は――恐らく、現在だと「危険ドラッグ」と呼ばれるモノなのだろう。そういえば、この手の液体は「リキッド」という隠語で呼ばれることもあったか。
宿南刑事は話を続けた。
「念のために近くの市民病院で液体の成分を調べてもらったら、中から『極めて大麻に近い成分』が検出されたよ。――さらに言えば、荒川八千代の遺体からも同様の成分が検出された。つまり、八千代ちゃんの死因は危険ドラッグの摂取による急性中毒死だ。その証拠に、彼女の肺と心臓は、13歳のソレとは思えないぐらいボロボロになっていたよ」
「パンドラ」の儀式にまつわる奇行。それは伝染する呪いなんかじゃなくて、危険ドラッグを摂取したことによるモノだったのか。――なんだか、くだらない話だ。
呆れる私を横目にしつつ、大渡達哉は話す。
「八千代ちゃんの直接的な死因は、衰弱死でも急性被爆症でもなく、危険ドラッグによる中毒死だったのか。そして、『自分の髪を舐める』という奇行は、ドラッグによる副作用だったんだな。――結局、オカルトなんてないじゃないか」
彼がそう言ったところで、宿南刑事は話した。
「そうだな。京極夏彦の受け売りじゃないけど、この世に不思議なことなんてない。仮に不思議なことがあったとしても、それらは結局リアルなカタチで解体されてしまうし、亜弥華さんみたいに科学な目線で見ると科学的に解明出来てしまうんだ」
確かに、宿南刑事が言うとおり――そこに「不思議」があったとして、私なら科学的な目線から「不思議の解体」に挑んでいく。今回は「中にナイフが仕込まれていた入浴剤ロケット」が荒川貴子の命を奪ったモノの正体だったが、もしかしたら……他にも、科学的な目線から証明できる「不思議なモノ」があるのかもしれない。
――そういえば、荒川努はどこにいったんだ? 私はそれが気になっていた。
「宿南刑事、被疑者である荒川努は逮捕できたんでしょうか?」
しかし、私が予想していた答えとは裏腹に、宿南刑事は残念な答えを返した。
「ああ、彼は……見つかっていない。さっき、部下の刑事に安木不動産へのガサ入れを行わせたけど、これといったモノは見つからなかったよ」
「それじゃあ、彼は一体どこへ……」
私が頭を抱えた時だった。――部下の刑事が、宿南刑事へと駆け寄った。
「宿南刑事! 大変です!」
「どうしたんだ?」
「荒川努の件なんですが……彼、老婆を人質に取って『パンドラ』へと立て籠もっているんです」
人質に取られた老婆――荒川静枝か!
私は話す。
「それは、一刻も早く『パンドラ』へ向かわないとマズいやつだと思うわ。多分、努さんは静枝さんの命を奪うつもりよ」
私が話したことは、分かっていたようだ。宿南刑事が話す。
「そうだな。亜弥華さんの言う通り――これ以上、犠牲者を増やしたらマズいことになるな。ここは、君に交渉を頼みたい」
「わ、私? むしろ、そういうモノは達哉くんに任せるべきだと思うけど……」
「いや、事件の真相にたどり着いたのは亜弥華さんの方が先だからな。ここは、君に犯人への交渉を頼みたいと思う」
彼の言葉に、大渡達哉も同調する。
「そうだな。本来なら僕がそういうモノをやるべきなんだろうけど、すべてを知っているのは彩花ちゃんだからな。――僕も、協力はするけど」
仕方ないな。私は話す。
「そこまで言うなら、私……やってみるよ。これ以上、犠牲者を増やしても困るし」
「ああ、そうだな。その心構えが大事だよ」
宿南刑事がそう話すところで、私は外へと向かい、ライムグリーンのバイクにまたがった。
「――それじゃあ、私……行ってくるよ」
私の一言に対して、大渡達哉はうなずいた。
「当然だ。もちろん、僕も後でそっちに向かうから」
それって……いわゆる死亡フラグだよね? 私はそう思ったけど、こんなところで彼が死ぬ訳がない。――彼が死んでいたら、こうやって「語り手」として事件を記録した小説を書くこともやっていないし。