Phase 02 残された日記
【令和×年12月7日】
昨日、僕は友人たちと一緒に心霊スポットへと行ってきた。――要は冷やかしである。
東北出身の友人曰く、「鏡の前であることをすると幽霊が現れる」とのことで、その友人はかつて化粧室だったモノの前でその儀式を行っていた。
僕は半信半疑でその儀式の様子を見ていたが、本当に幽霊が来るのなら……一度、試す価値はあるのだろう。
*
【令和×年12月8日】
僕は、浴室の鏡の前で件の儀式を実践した。
鏡の前で前屈みの姿勢になって、そのまま右の方を見ると幽霊が現れるとかそんな感じだっただろうか。
しかし、儀式を行っても幽霊なんて現れりゃしない。――僕は騙されたのだろうか?
そう思って後ろを振り向いたら……それはいた。
幽霊は経帷子をまとっていて、顔はお札のようなモノがびっしりと貼られていてよく見えない。そして、何よりもその異常な容姿は――首に、無数のニキビというか、発疹のようなモノができていたのだ。
僕は思わず部屋を飛び出し、芦屋駅前にある24時間営業の牛丼店へと逃げ込んだ。――この日記も、その牛丼店で書いている。
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【令和×年12月9日】
結局、昨晩は牛丼店で夜を明かした。
流石にあの幽霊も、朝になると消えているだろうと思い、僕はアパートへと戻った。
当たり前の話だが、アパートは特に変わったことがなく、僕は安堵の表情を浮かべようとした時だった。――臭い。
僕は悪臭が漂う方へと向かった。そこは昨晩幽霊が現れた場所であり、畳にはヘドロのような黒い液体が残されていた。これが、悪臭の正体なのか。
仕方がないので、僕は畳のヘドロを拭き取り、そして会社へと出勤した。
例の友人に「幽霊が出た」ことを伝えると、その友人は「おい! 本当にあの儀式をやったのかよ!?」と言われた。最初は困惑していたが、冷静に考えると、僕は「取り返しの付かないこと」をしてしまったことに気づいた。――これから、僕はどうすべきなんだろうか?
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【令和×年12月10日】
――かゆい。首の周りがかゆい。
あまりのかゆさに、僕は鏡で首回りを見た。
そこには無数の発疹が出来ていた。そういえば、例の幽霊も首にそういうモノが出来ていたな。――まさか、僕は呪われてしまったのだろうか?
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【令和×年12月11日】
あまりのかゆさに、僕は会社を休んだ上で皮膚科を受診した。診断結果はやはり「発疹」であり、塗り薬を処方してもらった。これで安心だろうか。
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【令和×年12月12日】
かゆい。かゆい。かゆい。かゆい。
かゆさのせいで、思考能力が低下している。これはただの発疹ではない! そう思って鏡を見た瞬間、僕はその姿に戦慄した。
鏡に映っていた自分の姿は、まるでゾンビのような醜い見た目だった。首には無数の膿が出来ていて、僕は――幽霊を呼び出してしまったが故に、呪われてしまったのだ。
このままだと、呪い殺されてしまう! そう思った僕は、知り合いの僧侶に頼んで除霊をしてもらうことにした。そうでもしないと、僕はまともに生きられない。
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【令和×年12月13日】
除霊の結果、僕は呪いから解き放たれた。その証拠に、首にあった発疹のようなモノはすっかり消えていた。――これで、良かったんだ。
それでも、どうしてもモヤモヤが残っていたのも事実である。
――どうして? どうして? どうして?
後ろでそういう声がしたので、僕は声がする方へと振り向いた。
しかし、後ろを振り向いたところで何かがいる訳ではない。――幻聴か、もしくは空耳だろうか?
そう思った僕は、再び前を振り向いた。――除霊してもらったはずの幽霊が、目の前にいた。
幽霊はひたひたと僕の方へ向かっていく。恐怖で身体が動かない。――ああ、僕は呪い殺されるんだな。あんな儀式をやってしまったが故に、僕は取り返しの付かないことになってしまった。
――どうして? どうして? どうして?
うるさい。幽霊は同じことしか言わないのか。
幽霊が、僕の首に触れる。――熱くて痛い感触を覚えた。
首が絞まっていく。呼吸が出来ない。身体に力が入らない。
僕は、このまま――。
*
日記はそこで終わっていた。どうやら、新垣源司は12月13日の時点で幽霊に殺害されていたようだ。――いや、本当に幽霊による殺人なんだろうか? 私は少し前に似たケースの事件を解決したが、その事件の犯人は「カシマレイコ」という幽霊ではなく、「神島礼子」という女性の犯行だった。
私はあの事件で「幽霊による殺人は不可である」と判断したが、彼の日記を読む限りどう考えても幽霊による殺人であるとしか思えない。――ここは、大渡達哉の出番だろうか。
そんなことを考えていると、都合良くスマホが鳴った。
スマホのロックを解除して、メッセージを読んでいく。――やはり、大渡達哉からだった。
――彩花ちゃん、新垣源司の日記は読んだか?
――僕も日記を読んだが、彼はどう考えても幽霊に殺害されたとしか考えられない。
――とはいえ、幽霊による犯行は不可能であると「カシマレイコ」の事件で学んだはずだ。
――もしかしたら、これも怪異ではなく人の手による犯行なんだろうか? 僕は「首を絞められた」という一文が気になる。
――まあ、僕も引き続き事件について考えていくつもりだ。
彼はそういうメッセージを送っていた。「怪異の解体」を専門とする探偵でも、今回の「怪異」には手こずっているのだろうか? ならば、私も助太刀すべきか。
そんなことを思いながら、私も事件について考えていくことにした。
*
数時間後。――チャイムが鳴った。大渡達哉はあり得ないとして、一体誰なんだ?
私がドアスコープを覗くと、目の前にはセンター分けの男性が立っていた。
男性は話す。
「――僕は103号室の高比良郷太という者です。都築さんが今回の事件について首を突っ込んでいると聞いて部屋へと向かったんです」
どうやら、彼は高比良郷太だったようだ。――最初に「アパートから異臭がする」と言ったのは彼だったか。
そのことを踏まえた上で、私は彼を部屋の中に入れた。
「そういうことでしたか。――詳しい話は、中でしようと思います」
お湯を湧かして、コップにはインスタントコーヒーを入れていく。恐らく、彼ならお茶よりもコーヒーの方が気に入るだろう。
そして、沸いたお湯でコーヒーを淹れて、私は話す。
「刑事さんから聞いた話ですが、確か……あなたは『アパートで異臭がする』と証言していたそうですね。新垣さんが残した日記と照合すると、異臭は12月9日の時点で漂っていたと。――もっとも、私は隣人が殺害されたにもかかわらず異臭に気づけなかったんですけど」
私の話に対して、彼は「悪臭」について話していく。――どうやら、臭いに対して鈍感だったのは私のようだ。
「なるほど。僕がその異臭に気づいたのは、その日記における『12月9日』よりも前――12月8日でした。要するに、源司さんが幽霊を呼び出した日ですね。多分、今から思うとヘドロの臭いだったんでしょうね」
私は、彼の話を踏まえた上で――結論を述べた。
「悪臭の正体はヘドロの臭い……つまり、私たちレモンハイツの住民は無意識のうちに幽霊から発せられる悪臭を嗅いでいたと」
私の答えは、合っていたようだ。――彼は話す。
「そういうことになりますね。――まあ、僕から言えるモノはこんなところかと」
私がもっと早く「悪臭」に気づいていたら、この事件は防げたのかもしれない。そうやって思うと、後悔の念だけが残ってしまう。そんなことを考えている中で、彼は私の部屋を後にした。
「また、何かあったらいつでも君に話そうと思う。――僕はこれで失礼するよ」
そう言って、彼は私の部屋から踵を返した。――また、私だけが1人残された。
仕方がないので、私は飲みかけのコーヒーを飲みきった。そういえば、コーヒーの香りって消臭効果があるんだっけ。だから、私はアパートで漂っていた悪臭に気づけなかったのか。
そのことに気づいた私は、大渡達哉のスマホにメッセージを送った。
――達哉くん、なんとなく私が悪臭に気づけなかった原因が分かったかもしれない。
――私、結構な割合でコーヒーを好んで飲んでいるから、コーヒーとヘドロの臭いが相殺されていたんだ。それが原因だと思う。
――そうそう。さっき、私……アパートの住民の1人と話をしてたのよね。そのアパートの住民は、「異臭は12月8日の時点で漂っていた」と言っていたわ。もしかしたら、その時点で、新垣源司はすでにこの世にいなかったんだと思う。
――ということは、あの日記は……彼が書いたモノじゃないのかしら?
――これは私の仮説だけど、彼は降霊術で幽霊を降ろした時点でこの世にいなくて、日記はその幽霊が書いていたんだと思う。
――まあ、あくまでも私の仮説でしかないから、この話は読み流してもらってもいいけどさ。
そこまでメッセージを送ると、彼は即座に返事を送ってきた。
――ああ、その考えは僕も思いつかなかったよ。
――降霊術で幽霊を降ろした結果、新垣源司は命を落とした。そして、誰かが彼に成り代わってあの日記を書いていた。そうやって考えると、矛盾はないな。
――この考え、宿南刑事に話しても良いかな?
――彼も、この事件にはずいぶんと頭を悩ませているらしいし。
――それじゃあ、僕はこれで。
宿南刑事が頭を悩ませているということは、この事件は――相当なモノなのか。
まあ、彼がどう思うかは勝手だが……少なくとも、これだけ怪異による事件が続くと、警察も頭を抱えるのは必然的なのだろう。私はそう思った。
*
部屋の中でジメジメと考え事をするのも良くないので、外に出ようと思ったが、よく考えたら事件が解決した訳じゃない。下手に外出すると、私の方が事件の犯人として疑われてしまう。
結局、私は近くのコンビニで弁当とカップ麺、それと少しのお菓子を買って、そのままアパートへと戻った。――お菓子の方は、ポテトチップスとチョコレートだったと思う。我ながら不摂生だ。
チョコレートをかじりながら、「幽霊の殺人」について考えていく。――いや、「リアルの怪談」に則るなら「幽霊」ではなく「悪霊」だろうか? 確か、その怪談に登場する語り手は悪霊に殺されていた。
とはいえ、悪霊による殺人がまかり通っていたら、平安時代における貴族の死因の大半は「悪霊」によるものとなってしまう。まあ、「平将門の悪霊」というたちの悪い悪霊伝説は今でも語られているぐらいだし、韓国では「豊臣秀吉の悪霊」を題材にしたホラー映画があるぐらいである。――まあ、「豊臣秀吉の悪霊」は韓国における国威を示すための意向もあるので、お世辞にも政治をサブカルに持ち込んで良いとは言えないのだけれど。
そもそも、「悪霊」は怨念によって生まれたモノなので、「幽霊」とは異なる。よく「悪霊に呪われた」なんて言うけど、それらは結局疫病によるモノだと思っているし、結局のところ本人の思い込み次第なのだろう。私はそう考えている。
――思い込みか。もしかして、新垣源司は「思い込み」によって殺害されてしまったのか? いや、それこそ「思い込み」の域を出ない。この考えは捨てるべきか。
私が悩んでいると、スマホが短く鳴った。――大渡達哉かららしい。
私はスマホのロックを解除して、彼からのメッセージを読んでいった。
――彩花ちゃん、宿南刑事から伝言だ。
――新垣源司の遺体を解剖した結果、首元から発疹を引き起こす病原体は検出されなかった。
――しかし、その代わりと言って良いかどうかは分からないが……彼からは漆の反応が検出された。
――つまり、首元の発疹は漆によるモノだったんだ。
首元の発疹が、漆にかぶれたモノ。――そういえば、「偉大なラブコメ推理漫画」の劇場版でもそういうトリックがあったな。
ということは、例の日記に載っていた「ヘドロのようなモノ」って――。
私がそんなことを考えていると、彼から追加のメッセージが入ってきた。
――ああ、追記だ。
――今の彩花ちゃんにできることは、アパートのすべての住民から「悪霊の正体」について情報を聞き出すことだ。
――まあ、アパートの住民が「悪霊」とは限らないが。
――とにかく、この事件における「悪霊」を暴き出すことが、事件解決の鍵になると思う。
――彩花ちゃん、幸運を祈っている。
メッセージはそこで終わっていた。――それなら、やってやろうじゃないか。
私はそう思いながら、残りの住民から「悪霊」に関する情報を聞き出すことにした。




