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海岸通り

作者: 網笠せい

 勝手口の階段の上から、海が見える。

 坂の多い海辺の町に引っ越してきたのはつい最近のことだ。

 私は勝手口のドアを開けっぱなしにして、階段の上から曲がりくねった坂道と海をながめながら、ゆで卵を階段のへりで叩いた。

 景色が気に入って引っ越してきたものの、仕事終わりに坂道をのぼるのはそこそこ面倒だ。

 勤勉とはいえないまでも真面目に仕事をしてきたつもりだけれど、特段何かの才能があるわけでもない。自分が一番よく知っている。

 帰宅してから「あの箇所はこうすればよかったかもしれない」と参考になりそうな本を開く程度で、勉強というほどのものでもない。

 私は怠惰の部類に入る人間なので、仕事が終われば晩ご飯を作って、子供と食べて寝る。子供ももう大きいから、風呂は好きなときに入る。気付けば一日が終わっている。体力も気力もハングリーさもない。

 洗濯は三日に一度、掃除も週に一度で構わない。料理はよくするが、特段好きなわけでもない。子供や自分が食べたいものを作るだけだ。

 別れた夫とは、食の好みが合わなかった。

 育った環境が違うからそういうものだろうけれど、「味が薄い」だの、「普通この食材はこの料理に入れない」だの、「お前は手荒れがひどいから皮膚だの汁だのが料理に入る。そんなものを食べたくない」だのと散々なことを言われたので「それなら自分で作ったら」と返したらへそを曲げられた。誰の料理を作って、誰のシャツの襟袖汚れを落として手が荒れたと思っているのだろう。

 それよりずっと前に「おばあちゃんに触られているようで萎えるから触るな」とも言われたことがある。以来触るのはやめた。

 特段、元夫に恨みがあるわけでもない。他人同士だからそういうこともあるだろう。こだわりは人それぞれだ。相手が合わない人間だっただけのことだ。関わらないのでどうでもいい。

 似たことがあると、昔話として思い出しはする。私は余人の想像よりも重い経験をしてきたので、そうか、と思うだけのことだ。すっかり嚙み砕いて生きている。

 ゆで卵のヒビの入った箇所をめくるようにして、殻を取り除いていく。

 近頃日が短くなってきたので、階段から見える景色は薄ぼんやりとしたすみれ色である。

 むきたてのゆで卵を「味見」と言ってほおばろうとしたら、手が滑った。つるりと滑り落ちて、階段をくだっていく。


「ごめん、ちょっと出てくる」

「なになに?」

「ゆで卵落とした」


 子供に言い残して、ゆで卵を追う。子供は面白がってついてくる。かかとが階段にひっかかって、階段下の収納扉が開く。

 中に入れていたものがこぼれ落ちて、私や子供と一緒にゆで卵を追いかける。

 白いゆで卵はてんてんと跳ねていく。テンポを変えて跳ねていくゆで卵を見ていると、歌舞伎の拍子木が鳴るのを思い出した。


「スーパーボールみたい!」


 ゴムでできたスーパーボールを思い出した子供が笑う。

 その間にも、ゆで卵は曲がりくねった坂道を弾んで、坂をのぼったり、くだったりと忙しい。

 薄暗い中でも、白いゆで卵がはっきりと見える。なかなか捕まらない。

 水平線と地平線が見える。沈む太陽が、波の上にうろこのような模様を作って揺れている。

 柵を越えて跳んでいったゆで卵を追いかけて、手を伸ばした。届かない。

 ゆで卵は一度大きく弾むと、見たことのない白い鳥になって飛んでいった。

 階段下の収納に収めていたがらくたが、ゆで卵に続いて姿を変えていく。

 くすんだ貝殻は真珠色の貝になって、海にぽちゃんと音をたてて飛びこんだ。透き通った琥珀は樹液になって、木の幹に絡んだ。琥珀の中にいた虫は、羽ばたいて飛んだ。

 翼を広げて飛んだ白い鳥が、私と子供の頭上を旋回する。

 波の上をまだら模様に照らす太陽にも、空にも海にも染まらずに、だんだんと小さくなっていく。


「すご」


 私は子供と一緒にぽかんと口を開けてその様子を見守りながら、色とりどりに変わっていく世界を眺めた。

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