3 総司令官
「警視庁刑事部捜査二課だ。この一覧に載っている全員、署までご同行願います」
会議資料と同じ紙を掲げながら、一人の警察官が今瀬を睨む。それは、秘書官の横領事件には主犯がいるとして、疑い深く今瀬に聞き取りをしていた警察官だった。
「罷免されるべきは、私でしょうか?」
牧下の言葉にカッとなった今瀬は、手元の資料を牧下に向けて投げつけた。牧下の顔の前で、バラバラと何枚もの紙が宙を舞う。そのうちの1枚が、牧下の頬をピッと切り裂いた。白い肌に赤い血が滲む。しかし、牧下はしっかりと今瀬を見据えると、フッと口の端で笑った。
「クソッ……女のくせに私の邪魔をっ、!」
「邪魔立てしたのはそちらです」
「何だと……、!」
「あなたは地球外生命体を根本から排除しなければ地球に安寧はないと、他の相談役や幹部たちを焚きつけていたではありませんか」
「それは事実だ! やらなければやられる! 攻撃せず防衛に徹するなんて考えは甘いんだ!」
「だから、邪魔をするなと言っているんです」
「は、」
「過去の過ちを繰り返して何になるのです。地球外生命体との共存を、私はずっと構想してきました。そこに、今、手が届きそうなのですよ」
「ふざけたことをっ!」
感情的に叫びながら、今瀬が牧下に迫る。牧下は冷たい瞳で、今瀬を見つめる。その表情に逆撫でされるように、今瀬はグッと拳を握り締めた。そのとき、
「……今瀬さん、その辺で」
いつの間にそこにいたのか。握り締めていた今瀬の拳は、背後に立つ佐伯に押さえ付けられていた。今瀬は、ハッと佐伯を振り返る。佐伯は目を合わせないように俯いたまま、今瀬の拳をギリギリと握る。
「佐伯……お前か、一覧を作ったのは……」
「その手をお収めください」
「何が地球外生命体との共存だ! 反吐が出る! 過去に奴らが人間にした仕打ちを忘れたのか!」
「お気持ちは分かります」
「分かるものか! 仲間を殺された悲しみが! 平和ボケしたお前らに!」
今瀬は佐伯の手を振り払うと、スタスタと歩き始めた。そして、
「馬鹿げた夢を見ていると、そのうち後悔するぞ、小娘が……!」
と、低い声で牧下に吐き捨てると、警察官に連れられて、会議室を後にした。
「……ハァ、これも計画通りですか?」
ため息混じりに言いながら、佐伯は白い頬に浮き上がる真っ赤な血を睨んだ。懐からハンカチを出して、牧下に差し出す。しかし、牧下はハンカチに目もくれず、続々と警察官に連行されていく幹部たちを見つめていた。
「資料を投げつけられるとは思いませんでした」
「俺がいなかったら殴られてましたよ?」
「えぇ。でも、分かっていましたから。警察を案内し終えたあなたが、居ても立っても居られず出張ってくると」
「俺に守られる前提で挑発したと?」
「もし殴られたとしても、警察の前ですからね。任意同行が現行犯逮捕になるだけです」
「まったく、あなたって人は……」
佐伯はまたため息を吐きながら、受け取ってもらえずにいるハンカチを、そっと牧下の頬に当てた。そのとき、今日初めて、牧下が佐伯の方を向いた。目が合ってしまわないように、佐伯はハンカチを見つめる。
「久我くんの気持ちが、少し分かりますよ」
「あら、興味深いわ。聞かせて?」
「守る対象には大人しくしていてもらいたいものです」
ハンカチを離すと、水色の布に赤いシミが付いていた。それを見て、牧下は初めて傷に気付いたのか、ふと頬に触れた。
「やだ、ごめんなさい、ハンカチ汚れて……」
「そんなことより、会議はまだ終わっていません。幹部はかなり減りましたが、まぁ居ても居なくても特に変わりある顔ぶれでもありませんし、むしろポロム連合との協力体制について話が進めやすくなりました。会議を再開してください」
「そんなことを露骨に言うなんて、はしたない人ですね」
「では、はしたない俺はパトカーの見送りでもしてきますよ」
そう言って、ハンカチを牧下の手に握らせると、佐伯はスタスタと歩き出した。そして、最後の一人を連行していく警察官とともに、会議室を出て行った。バタン、とドアが閉まり、ポツポツと空席の目立つ幹部会議の会場は、シンと静まり返った。
「牧下総司令官」
そのとき、毛利の声が静かに響いた。牧下が顔を上げると、毛利は穏やかに微笑んだ。その場に残っている幹部たちも、真っ直ぐに自分たちの総司令官を見つめている。尊敬と忠誠に満ちたその眼差しは、今瀬が怒鳴り散らしていた言葉全てを否定するようだった。
「報告を続けてもよろしいですか?」
大勢の幹部が消えたというのに、会議は何事もなかったかのように再開する。
「ええ、お願いするわ」
牧下は水色のハンカチをそっと頬に当てながら、柔らかく微笑んだ。