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第三十三話 幾星霜の正夢

 星空の天蓋が輝く夜にオーロラがカーテンのように靡いている。時折吹く風は優しい音楽を奏でて、暖かい闇が私たちを見守っていた。



 グエンの寝息を聞きながら、私は眠れない目で美しい夜空を眺めた。

 疲れ切った体と裏腹に儀式への緊張とグエンと離れてしまう悲しみで頭が冴えてしまったのだ。



 

「ん……」



 

 寝れないのに寝転んでいると首が痛くなってしまって、私はグエンを起こさないように静かに自分の寝袋から出た。


 夜目が利いてきて、隣の寝袋で眠るグエンの輪郭がぼんやりと見える。


 この旅の間何度も見たその顔。閉じられた瞼の下にある、強い光を放つ瞳。

 最初は顔を合わせることさえ恥ずかしかったけど、今ではどれだけ見ても見足りないほどグエンに惹きつけられていた。



 カッコいい、やっぱり素敵だな。


 整った横顔に見惚れると共に心がギュッと苦しくなる。


 


「……っと」


 


 起こさないように息を潜めて荷物に手を伸ばす。と言っても私の荷物じゃない、グエンのだ。


 最低限のものしか持ち歩いていないから、お目当てのものはすぐに見つかった。

 黒い鋼に金の装飾、辺境伯の家紋が刻まれた禍々しい短剣。グエンはあのときこれを渡されていたんだ。


 以前触れようとしたナイフとは全く違うずっしりとした重みと鋭い刃は私の命を奪うために鍛えられたもの。




 星空に短剣を掲げて、静かに元あった場所に戻す。ここでこの剣を捨ててしまうことも考えなかったわけじゃないけれど……そんなことをしても何にもならないとわかっていた。


 私はグエンが何者でもグエンのことが好き。グエンもきっと同じように思ってくれている。この短剣も含めてグエンの人生だと言うなら私はそれを否定したくない。



 目を閉じて小さく息を吐く。覚悟はもう出来ていた。



 

「グエン……グエン」



 

 小さくグエンの肩を揺すって、その黄金の瞳が開くのをじっと見つめる。



 

「ん……どうしたの、寝れない?」

「はい。一緒に寝ても?」

「勿論。おいで」



 

 私の分の場所を開けてくれたグエンの横に寝転がると、ポンポンと優しく抱き締めてくれた。


 胸板に頬を寄せてトクトクと脈打つ鼓動に耳を澄ませる。

 グエンの命が音になって私の胸に響く。私たちは確かに今ここに生きている。


 

 グエン、好き。大好き。

 その衝動のままに逞しい体を抱き締め返す。

 寂しさや不安の隙間を埋めるように何度も何度も頬を寄せて、グエンは嬉しそうな顔で目を閉じた。

 



「グエンの匂いがする」

「え、俺匂う?」

「ふふ、そっちじゃないです」


 


 愛しい体温を感じて小さく涙が滲む。

 胸に込み上げる安堵と愛しさ。この気持ちを失いたくない、グエンと離れたくない。無理なことだとわかっていても私は、あなたを好きな私が名残惜しかった。


 


「グエン」


 


 なぁに、と優しい声が聞こえる。

 あなたは優しくて、酷い人だ。あなたが私を遠くに連れ去ってしまうような悪人なら私もこんなに苦しまずにすんだのに。あなたは優しいから、私が悲しむようなことは絶対にしない真面目な人だから、私はあなたを悲しませようとしている自分が許せなくてこんなにも苦しい。


 


「大好き」


 


 溢れて止まらないこの気持ちが消えて、あなたは国賊として罪に問われて、そうしてこの国に平穏は訪れる。

 この世では絶対に一緒になれない私たちが結ばれる方法は一つしかない。


 


「私と一緒に、死んで」


 


 その言葉に少しだけ私を抱く手が力んで、グエンは小さく笑った。



 

「喜んでお供するよ」

 



 何度も慈しんだ美しい瞳から温度が消えて、形のいい唇が最後の息を吐く。何度も縋ったその身体から命が消えたのを見届けて、私はあなたの妻として共に火に炙られよう。


 そうすることで初めて、私たちはこの国に夫婦として認められるのだから。


 一緒に死んで、グエン。あなたを苦しめた私の愛する国の下で。


 


「ティーニャ、俺たちはずっと一緒だ」

 


 

 愛するグエン、恐ろしいグエナエル、私の心はあなたのせいで滅茶苦茶ね。




 



 ***



 




 夢を見た。


 影が満月を覆い隠して、遠くに燃える星明かりだけがこの世界を照らす頃。

 光艶めく真珠のドレス、新雪の瑞々しい真白い靴を身につけた私のもとに、愛する暗殺者が来る夢だ。



 あぁ、またこの夢か。そう思ったところで私は初めてこの夢を何度も見ていることに気がついた。




「会いたかったよ」


 


 耳元でグエンが愛の言葉のように囁く。

 思わず後退ろうとする私の足元に、生温かいものが広がった。


 床一面に広がる鮮血。私だけのものじゃない。


 


「ぁ、ぐっ……」


 

 

 苦しげなグエンの声と共に生々しい肉の音が聞こえて、見覚えのある得物が床に投げ捨てられた。



 

「あ、ぁ……」



 

 体温が、命が、血液に乗って体から抜け落ちていく。

 二人分の血溜まりは一目見て助からないと察するには充分な量で、私は全身から感覚が失われていくのを感じた。


 立っていられないほどの眩暈に崩れ落ちそうになる身体をグエンが抱きとめてくれる。自分も辛いはずなのに、微かに見えたグエンは本当に幸せそうな顔で私の頬を撫でた。


 


「落ち着いて、大丈夫だからゆっくり息をして……吐いて……そう、上手だ」


 


 下がっていく互いの体温を温め合うように強く抱き締められる。いつもの温もりが嘘のように冷たくなった肌に蝋人形のような手を伸ばして、恐ろしい寒さを二人で耐えた。



 

「捕えろ!生死は問わない!」



 

 姉様の悲痛な声に、グエンは腕の力を一層強める。気遣いも何もない、ただ引き離されることを恐れたが故の抱擁に肺が押し潰されて呼吸が浅くなった。

 膜が張ったように全ての音がぼやけている。ただ、私の掠れた息とグエンの声だけがはっきりと聞こえた。


 


「エグランティーノ」


 


 なぁに、グエン。声にならない声をヒューヒューと響かせる。

 弱くなる心音が重なり合って、眠気に似た気怠さが四肢を包み込んだ。

 

 頬を撫でる大きな手に頬を寄せる。


 


「俺はここにいる。どこにも行かない。俺たちはずっと一緒だ」



 

 震える口元に冷たい唇が触れた。

 もう目が見えない。何度も見惚れた美しい瞳も優しい笑顔も二度と見ることは叶わないのに、私には彼があの眼差しで、あの笑顔で、私を見ているのだとわかった。


 感じる僅かな体温と優しい声だけが私の世界の全てだった。



 

「ぁ、ぐッ……」



 

 鈍い音の後、こぽりと鉄の味が舌を濡らした。

 ヒューヒューと掠れた息が肌を撫でる。グエンにも私にも、その時が近づいているのだ。

 

 指と指を絡めて、近づいてくる無の感覚に体を委ねた。


 恐ろしくはない、ただ悲しかった。

 


 

「愛してるよ。おやすみ、俺の乙女」



 

 懐かしい風が私たちを包み込む。


 巡る命は花と咲く。清き心は永遠に輝る。天を仰いで地は肥ゆる。血潮漲り海は鳴く。


 

 限りある命は花のように散り、その心の輝きは永遠に残る。そして私たちは天地に還り、再び海から生まれるのだ。


 

 

 またあなたに会えるまで、ずっと。



 

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