プロローグ
いつの記憶だろう、ある年の運動会。競技で選ばれた二人三脚。“私たち”は自信があった。息のあった最高のペアだって……。今でも信じられない。でも、転んで1位を逃した。優勝も出来ず、パパやママにいい所が見せられなかった。一生に一度あるかないかのチャンスだったのに。静寂の教室。その日は鮮やかな茜色の空で今でも覚えている。窓に映る私は……。
もう、誰とも組まない。そう、心に誓った。
「ペアだった“あいつ”は誰だっけ?」
私は1人、呟く。何百、何千、何万回目の独白。シーツを握り締めて、憎しみで言葉が禍々(まがまが)しく濁る。美しい鳥の囀りが耳に届く、眩い太陽の恵が窓から差し込んで、涙を乾かしていく。ベッドから出て窓を開けた。風が気持ちいい。汗でぐっしょりのパジャマは脱いで、学校の支度をしていく。
あの日、私は両親に見限られて捨てられたのだ。
トースターでパンを焼いて、コップに牛乳を注ぐ。たっぷりにバターを塗って1人頬張る。誰とも挨拶すら交わさない朝のルーチン。寂しくはあるが、もう慣れた。流しに皿を運び弁当も作っていく。いくら私好みの味を極めても、あの日、母が用意した弁当の味は再現出来ないでいる。粗熱を取る間に髪を結う。猫柄の布で包んで鞄に詰めていく。底にある黒光りの何かを持ち、遊底を引いた。去っていく両親から唯一与えられたもの。
「……死ねってことですか」
また、1人呟く。安全装置を解除して引金に指をかける。こめかみに当てて、目を瞑る。深く息を吸い、ゆっくり吐き出す。微かな音、人の気配。早い。朝開けた窓の戸締りの記憶がない。そこから暴漢の侵入を許した。一瞬で理解する。目を開けた時、同じ学校の制服の知らない女の子と目が合う。ひらりスカートが舞い、太ももにはレッグホルスター。武器はナイフ。私は間合いにいた。
「一花ちゃん、早まらないで!」
初手、相手は拳銃を奪おうと躍起になり、取っ組み合いになった。だが、隙だらけで、私は女の子をソファーに押し倒す。
「私に何の用!?」
強い言葉で制する。女の子は何も言わず、ただ私を見つめるだけだった。埒があかないので、寮母に引き渡してもよかったが、旧友まで遡って照合しても、一致する人物がいない。軽く尋問しようか悩んで、時計の針が現実に引き戻す。一旦、保留の判断をして、紐で両手両足を縛って、口も……。箪笥からハンカチを取り出して、閉じるも、空気圧の関係か下の段が開く。時間がないので触らない。何かの授業で、こういう時、屈服したいなら本人の靴下がいいって……。
「これじゃあ、まるで私が悪者じゃないですか」
ゆっくり口角が上がっていくのを感じる。私にちょっぴりSっ気があったのか、新しく目覚めたのか、罪深い子だった。私は剥がして詰める。女の子は涙目だった。もっといじめたい。そう本能的に思う。ソファーに仰向けで寝かしつける。参観日お知らせの用紙を踏みつけて、登校の準備に戻っていく。
「早く帰って調教しよう♪」
顔が綻び声色高く発する。扉に施錠して、寄宿舎の螺旋階段を駆け降りていく。
「柴田ちゃん、おはよう。いいことでもあったの?」
「別にぃ! おはようございます」
「元気そうで何より」
「うん」
呼び止めによる急停止で土煙が舞う。後ろ手に組んで草刈り中の若い寮母に挨拶する。一輪の花を貰い二言三言交わして歩いていく。ある日は天気、あくる日は近所の事件、今日は何だっけ。取り止めのない話も私の朝のルーチンだった。登校のピークから少し早い時間帯で、まだ誰もいない。真っ白い校舎。教室に一番乗りした私は鞄を机横のフックに掛けて、教壇脇にある机の前で合掌する。
「謹しんで哀悼の意を表します……」
ある宗に「ご冥福をお祈り致します」はNGらしく、そう言うらしい。明日は我が身でもあるが、訓練中に亡くなるのは気の毒でならなかった。流し場に花瓶を持っていく。元気のない花は新聞紙で包んで、新しいものにする。この仕事は本来、私がするものではないが、亡くなった人のペアだった子は転校していった。まあ、消息不明が正しいでしょう。
「柴田、ちょっといいか」
「はい何でしょう」
花瓶を持って教室に向かうも担任が呼び止める。紹介するのも無駄でしょうが、一応。まず歳は三十路女性ですね。はい。顔は整っているのですが、煙草を吸うので、敬遠する人も多いようです。でも尊敬はしている。勲章の山だもの。
「“転校生”がいつになっても来ないから探して来てくれないか」
「いいですが、どのような方でしょうか?」
小松莉奈。新品の生徒手帳に貼ってある写真に驚く。慌てて寄宿舎に戻り、顔の照合をする。もう消すしかない!
「転校生さん、騒がないって約束できる?」
「ぅん」
頷くので、口から解いていく。
「一花ちゃん! 会いたか、んんんーっ」
「黙って!!」
転校生は静かになり他の紐も解いた。消すにもいろいろ跡が残っているので事故で処理してもらうのは難しい。私は初対面だが好感度のようなので懐柔するのが賢明であろう。ソファーに座る転校生に待つよう言いつけ、台所で湯を沸かす。
「一花ちゃん、お気になさらず〜」
「莉奈もくつろいでね」
「今、莉奈って呼んでくれたの? もう一回言って!!」
向こうの呼びがファーストネームなので合わす。……この学舎ではペアでしか許していないはずではないか。温めたカップに新しく湯を注いでティーバックを揺らす。琥珀に染まっていく。卓に置いて、一挙一動に注視する。警戒心がなく、指紋や唾液は……。
「一花ちゃん、ご馳走して貰って悪いし洗うね」
制止する暇もなく台所に向かう。抜けてはいない。布巾でカップも拭っていた。
「担任の先生が探していたので、一息したらいきましょう」
「一花ちゃん!」
「なに!?」
いちいちファーストネーム呼びで困る。主語に乱用していた。
「あのね、一花ちゃんの靴下貸して!!」
私は無言で立ち上がり、開いたままの箪笥から一足取り出す。
「一花ちゃんとお揃いだね」
「当然でしょう」
担任から探すよう命令が下っているので一緒に登校する。朝の件もあり莉奈の口が滑ったら困るので隣で監視していた。予鈴で私は教室に戻っていく。担任も来ていないので席を立つ生徒が目立つ。困った時の吉凶はタロットが趣味の子に占って貰う。
「柴田ちゃんの運勢は……」
声色からいい結果ではないだろう。お告げの前に転校生伴う担任が来た。転校していった子のペア候補らしいが、もういない。この学級で“半人前のソロ”は私だけ。相性や適性もあり消去法で決まりはしない、のだが、暗雲が漂う。担任が自己紹介を促す。
「小松莉奈です。前は……にいて、……私は一花ちゃんのペアです!! 靴下もお揃いです」
頭が真っ白になる。
誤字修正
修正前:高感度が高い[以下略] 修正後:好感度のよう[以下略]
修正前:底には 修正後:底にある
読み方の追加
濁る、冥福、暴漢、埒、綻び、
作品の整合性のため加筆修正