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第三章 少年と傭兵と魔女と(Ⅱ)

 イダンリネア王国。大国であるこの国は、日が暮れたところで静まり返ることはない。日没と共に新たな顔を見せるだけであり、仕事を終えた人々が夜の町に繰り出す。

 マリアーヌ段丘の北東に建国された巨大国家。東から北にかけては海に面しており、西および南側は壁で覆われている。鉄壁の守りゆえ、国民の安全は絶対だ。

 この国は非常に広い。南の正門から足を踏み入れたところで、我が家へはさらに何十分も歩かなければならない。

 領土の広さは豊かさに直結する。東の港では漁が盛んに行われ、西の軍区画では軍人達が巨人との戦闘に備え日々汗を流す。

 なにより、多数の国民を抱えることが出来るのだから、徒歩での移動は大変かもしれないが、広大さは重要だ。

 およそ千年前、この地には何もなかった。海に面した草原地帯でしかなかったが、巨人族との抗争によって人々は一致団結し、防衛拠点も兼ねてこの国が作られた。

 立役者の名はオージス・イダンリネア。多数の巨人を薙ぎ払い、人間に勝利をもたらした初代王。

 そう、この国は君主制を採用している。

 王が君臨し、その下に特別階級が存在する。貴族はさらにその下だ。

 王族のための城は、領土内の最も北に位置する。イダンリネア王国の北側は山にかかっており、王は最も高い位置から国民を見守っている。


「もうすぐだよー」

「ヘトヘトです……」


 王は王、庶民は庶民、そして、傭兵は傭兵だ。皆、それぞれの人生を歩んでいる。

 街灯に照らされた石畳の大通り。正門から北へ、長く、太く伸びる街道は、夜であろうと大勢の通行人で賑わう。

 その中を歩く二人組も会話を楽しんでおり、喧騒に一役買っている。

 長身の傭兵と小太りの子供、エルディアとウイルだ。


「つい張り切っちゃったゼ!」

「ありがたい限りではあるんですけど……、足が棒のようです」


 エルディアはしたり顔で親指を立てる。茶色の髪は顎下で切り揃えられており、終端は内側へ少しカーブしている。ミディアムボブと呼ばれる髪型だ。

 傭兵らしく、鋼の軽鎧を身に着けている。背中の大剣も原材料はスチール鉱石ゆえ、武器としては一級品だ。


「久しぶりの圧縮錬磨だったから……、張り切っちゃったゼ!」

「わ、わかりましたから……。というか、その言い回し流行ってるんですか?」


 楽しそうな彼女とは対照的に、ウイルは疲れ切っている。表情に力はなく、足取りも非常に重い。

 衣服は土や血液で汚れているものの、傷を負っているわけではない。

 灰色の髪は本来ならば横一直線に整っているのだが、今は寝起きのようにぼさぼさだ。

 日中に取り組んだ圧縮錬磨だが、当然のように一回では終わらなかった。場所を変えつつ獲物を探し続け、最終的にウイルは三十近くの草原ウサギを倒す運びとなった。

 もちろん、この結果はありがたい限りだが、何時間もの移動は少年の体力をどこまでもすり減らし、今では病人のようにやつれさせてしまう。

 体力の限界だ。許されるのなら道端で眠ってしまいたいくらいだが、目的地までもう少しでたどり着ける以上、気力を振り絞って歩みを進める。


「ギルド会館に着いたら夕ご飯おごってあげる。君は先ず手続き済ましちゃう?」


 二人はギルド会館を目指している。傭兵組合が運営している施設であり、傭兵が仕事を斡旋してもらう場所だ。

 そこを訪れる者は二種類に分類される。

 傭兵と、傭兵に仕事を依頼したい国民だ。

 例外があるとするならば、ウイルのような傭兵志願者と、食事目当ての客くらいだろうか。

 この少年は見事、傭兵試験を完了させた。完全にエルディアのおかげだが、過程はどうでもよく、討伐したという実績だけが重要だ。

 夕陽を合図に二人は圧縮錬磨を切り上げ、イダンリネア王国を目指す。遠出をしてしまった関係で、祖国の正門に着いた頃にはすっかり日が沈んでしまった。

 ウイルは当然だが、実はエルディアのお腹もぐうぐうと鳴っている。ゆえに、ギルド会館に到着次第、夕食にありつく算段だ。


「はい。こんな時間ですし、受付がやってる間に申請したいと思います。ご飯は……、お金あるので大丈夫です。むしろ僕の方こそお礼しないと……」


 腹ごしらえも大事だが、今はそれ以上に傭兵試験の完了を済ませたい。薬の入手という目的には、三か月という期限が存在する。

 一日でも早く出発したい。これがウイルの本音だ。


「あはは、気にしない気にしない。ご飯代くらいは余裕だから。年中金欠気味なのは内緒だけど……。うーん、一流の傭兵ってどんな金策してるのかなー」

「エルディアさんにもわからないことあるんですね」

「私なんて二流よー。等級だって三だしねー」


 二人は人混みに紛れながら町中を歩く。談笑と共に歩みを進め、目的の建物を目指す。


(こんな時間に街を出歩いてる……。不思議だな、現実感がない……)


 ウイルの体力は底をついたが、テンションだけは落ち込まない。それどこから、気分は高まる一方だ。

 それもそうだろう。星空の下、つまりはこんな夜更けに外を出歩くことなど過去に一度もなかった。

 十二歳という年齢と、なにより貴族という地位がそれを許さなかったのだが、庶民へ落ちた今となっては、本人の望むがまま、自由を満喫すればよい。

 夜であろうと大通りは煌びやかだ。脇に並ぶ建物から明るい光が漏れ広がっている。街頭も人々を照らしており、目的地には迷わずたどり着けるはずだ。


「さぁ、到着ー。いや~、疲れた疲れた」

(本当かなぁ。汗一つかいてないけど……)


 二人の眼前に、巨大な建物がドシリと現れる。黒茶色の建材で建てられたそれは、間違いなくこの辺りでは一番の大きさだ。

 エルディアはペースを落とさず、両開きの扉に飲み込まれる。ウイルもそれに続けば、あっという間に別世界の登場だ。

 ギルド会館。傭兵にとっての活動拠点。ゆえに、そこは多数の荒くれ者達で賑わっている。


「私はご飯の方で待ってるねー」

「あ、はい。手早く手続き済ませてきます」


 エルディアは左へ、ウイルは右の方へ歩き出す。

 この施設は出入り口から見て、左右それぞれに別機能を持たせている。

 右半分が言うなれば本業だ。依頼の張り出された掲示板が壁沿いにずらっと並び、手続き等を行ってくれる窓口もこちら側に存在する。

 左側が傭兵達の腹を満たす食堂だ。多数のテーブルと椅子が規則正しく並べられ、仮装大会の出場者のような連中が、目の前の料理を美味そうに食べている。

 ウイルは右方向に折れた後、単身で歩き出す。

 左右の掲示板にはびっしりと羊皮紙が張られており、数人の傭兵達が難しそうな顔で物色している。

 もちろん、今は素通りという選択肢しかありえない。傭兵見習いに依頼を受注する権利などなく、目指すは最奥に設けられた窓口だ。


「あ、あのう……」

「はい、どうされました?」


 到着と同時に、勇気を出して声を振り絞る。食堂区画の方は騒がしいが、ここまで離れれば、か細い声でも相手には届く。


「えっと、昨日……、傭兵試験を申し込んだウイルです。草原ウサギを三体倒したので来ました」

「それでは、試験用に提供致しましたギルドカードを、一旦預からせて頂きます」


 窓口の女性はテキパキと、かつ事務的に対応する。緑色の髪は非常に長く、ウイルからは死角になっているためわからないが、椅子の座面よりも下側まで垂れ下がっている。

 制服は支給品なのだろう。食堂側のウェイトレス達と同じ、茶色をベースとした白模様のしゃれた衣服だ。


「あ、ギルドカード……ですね。お、お願いします……」


 少しだけ戸惑ってしまったが、少年はズボンのポッケからカード状のそれを取り出し、そっと眼前のカウンターに置く。

 ギルドカード。形状は長方形の薄いカードだ。しかし、見た目からは想像出来ないほどに高性能な魔道具でもある。これを持参しているだけで、どんな魔物を何体倒したかが、カード自身に記憶される。それだけでも素晴らしいが、受注した依頼を覚えさせ、それが達成されたか否かもカードの表面に浮かび上がる文字から識別可能だ。

 イダンリネア王国の研究機関がもたらした、一つの英知とも言えよう。

 職員はそれを受け取り、カウンター下を覗き込みながらゴソゴソと業務を進める。ものの一分もかからずにその作業が終了したのか、ウイルのカードがカウンターに戻される。


「はい、確認出来ました。無事、合格です。おめでとうございます。ウイルさんはたった今から、等級一の傭兵です」


 女性のどこか言いなれたアナウンスが、少年の心をぱぁっと明るくする。疲れた吹っ飛ぶほどではないが、ストレスのような重圧が一つ消え去ったことは紛れもない。


「ありがとうございます」

「それでは、お時間よろしければ、傭兵制度について説明させて頂きます」


 ペコリと頭を下げるウイルに笑顔を返しながら、職員はつらつらと説明を並べ始める。

 傭兵は、その等級によって活動エリアや受注可能な依頼に制限を受ける。

 ギルドカードは紛失してしまっても再発行可能だが、高額な手数料が発生する。

 依頼は一人一つまでしか受注出来ない。

 ギルド会館は休みなく、二十四時間営業するが、食堂側はそうではない。

 その他、細々としたことから依頼を受注するためのフロー等、傭兵として生きていくために必要な作法を駆け足だが教わる。

 最後に、職員の女性は締めの言葉として、ウイルに今後の身の振りについて尋ねる。


「ウイルさんは非常にお若いですが、何か目標や挑戦したいことがございますか?」


 その問いの答えは明白だ。家を飛び出し、傭兵という職業を選んだ理由そのものだからだ。

 だからと言って、そのまま素直に伝えることは出来ない。

 迷いの森へ出向き、そこに隠れ住む魔女と会う。事情を説明し、薬をもらう。もしくは調合してもらう。

 などと彼女に伝えることは出来ず、ゆえに嘘をつかずに済むよう、大事な部分は端折った上で今後の予定を伝える他ない。


「は、はい。ミファレト荒野に行ってみたいです」


 ウイルの表情は明るく、ウキウキと弾んでいる。

 ミファレト荒野。イダンリネア王国から遥か南西に位置する寂れた土地だ。何があるわけでもなく、大地は枯れ、植物さえほとんど見当たらない。名物と言えば、あちらこちらで地面を裂いている地割れくらいだ。幅はそれほど広くないが、人間程度なら飲み込めてしまう。探索する際は、足元にも注意が必要だ。

 そこを目指す場合、非常に大がかりな旅路となる。

 イダンリネア王国を出発し、先ず、マリアーヌ段丘を南西方面へ進み、その後、ルループ森林、シイダン耕地、ケイロー渓谷を越えて、ウイルにとって最大の壁だった封印されし洞窟、蛇の大穴を通過する必要がある。

 そこまでしてたどり着ける土地がミファレト荒野であり、迷いの森はその南西に広がる。

 長い道のりだ。最短距離を進めたとしても、およそ二十日程度は見込む必要がある。

 その上、行く先々で魔物と遭遇するのだから、体力的な意味でも庶民には不可能だ。

 仮に運よく進めたとしても、どの道、途中で足止めされる。

 ケイロー渓谷とミファレト荒野を繋ぐ洞窟。その出入口が結界で封印されているからだ。通行は傭兵だけに許されている。

 ギルドカードが手形を兼ねており、ウイルはついに入手する。

 やっと旅立てる。

 ゆえに、心の中では年相応に、はしゃいでしまう。


「なるほど、ミファレト荒野ですか……。あの周辺は魔物が手強いのですが、等級が上がる頃には腕も磨かれるでしょうし、チャレンジしてみるのも良さそうですね」

「あ、いえ、明日にでも出発したいと思っています……」


 ミファレト荒野、正しくは迷いの森へは、観光や興味本位で目指すわけではない。母の薬を入手するためであり、タイムリミット内での往復が必須だ。

 今の実力では魔物には勝てない。そんなことは言われるまでもなく自覚出来ている。それでも戦闘を避け、多少遠回りになろうと逃げ続ければ目指せるとウイルは予想している。


「え……? 残念ながら、今の等級では蛇の大穴は通過出来ません。あそこは等級二以上が条件となっております」


 職員の口からもたらされた事実が、少年の頭を激しく殴打する。

 脳が止まる。

 思考が停止する。

 何も、考えられなくなる。


「あ、えっと……、傭兵になれば……、その、越えられるって……」

「そのご認識も誤りではないのですが、正確には等級二以上の傭兵に限ります。それほどまでに、向こう側は厳しい環境なのです」


 口答えではないが、弱々しい反論で食い下がるも、ぴしゃりと正されてしまう。

 蛇の大穴。ケイロー渓谷とミファレト荒野を繋ぐ、長い長いその洞窟には自由な行き来を遮るように封印が施されている。

 ウイルはそれを学校の授業で習っていたため、自信を持って傭兵を目指したのだが、等級については知らなかった。

 単純な話、授業はそこまで掘り下げることなく、次のテーマに移った。

 ただ、それだけのことだ。


「等級……二……?」


 よろり、と体勢を崩しながら、ウイルは一歩後ずさる。

 等級。傭兵制度における、順位付けのような仕組みだ。試験に合格し、晴れて傭兵になれた者は等級一となり、その後の活動によって数字が二、三と上がっていく。

 言うなれば、精度は低いが実力の目安となる指数だ。

 等級二。このランクは非常にありふれた、それどころか傭兵にとっての単なる通過点でしかない。

 昇級条件はそれぞれ異なるのだが、一から二へ上げる方法は難易度が低く設定されている。

 その条件は、八十個の依頼を完遂。つまりは、時間はかかるが誰でも達成可能だ。

 そう、時間がかかってしまう。依頼内容にもよるが、どんなにがんばろうと、週に三、四個こなせるかどうかだ。

 ウイルは魔物に勝てないのだから、受注可能な依頼も限られてしまう。選別し、可否を検討、工数と時間を踏まえた上で選び、それを完遂せねばならない。

 それを八十回。しかも三か月、つまりは九十日。正しくは、残り八十八日。

 不可能だ。

 十二歳の子供でも、容易く断定出来てしまう。


「もしお急ぎでしたら、早速、等級二への特別試験をお受けになりますか? こちらでしたら、八十の依頼達成とは別で、すぐにでも昇級出来ますよ」

「……え? そんなことが、可能……なんですか?」

「はい、等級二と三に用意された制度です。等級二の場合、指定された物品を三点、討伐および入手後、納品頂くといった内容となっております。」


 絶望の中で見いだせた光明だ。ウイルは泣きそうな自分を誤魔化しながら、もたらされた提案に耳を傾ける。


「先ず一つ目が、十万イール」


 現金、十万イール。安くはないが、高すぎるわけでもない。成人の平均的な月収が二十万から三十万イールと言われており、子供には不可能だが、大人なら十分支払える金額だ。

 ウイルは親から五十万イールを支度金として譲ってもらった。ブロンズダガーや小物の購入でいくらか減ってしまったが、まだまだ残金には余裕がある。


「二つ目が、ルルーブクラブの鋏」


 この瞬間、ウイルは絶句する。諦めるにはまだ早いが、現状では不可能に近い。

 ルルーブクラブ。ルルーブ森林に生息するカニの魔物だ。分類としては陸ガニなのだが、生息地域は南の海岸沿いゆえ、王国からは少々遠い。

 これの鋏を入手せねばならない。当然だが、手順としては殺した後に、切り落とす。

 ルルーブクラブは周辺の魔物と比較した場合、頭一つ以上抜けて手強い。海岸に近寄らなければ無害だが、今回は自ら出向き、戦いを挑む必要がある。

 今のウイルには到底不可能だ。


「三つ目が、こちらは少々困難だと思いますが……、スケルトンの仙骨となります」

「そ、そ、そんな……」


 絶対に無理だ。ウイルはこの方法を完全に諦める。

 スケルトン。魔物の一種であり、他とは少々毛色が異なる。夜の間だけ、どこからともなく姿を現す骨の魔物だ。姿形は完全に人骨であり、分類としてはアンデッド系に属する。死体のようでありながら、死んでいない。否、死んでもなお、動き続ける化け物。それがアンデッド系の魔物だ。

 スケルトンはその中でも比較的遭遇しやすい。だからといって侮ってはならず、至るところに出現するからといって、決して弱いわけではない。

 むしろ、かなり手強い相手だ。傭兵にも軍人にも、そのように認識されている。

 そう。この魔物は強敵だ。巨人族ほどではないが、出会ってしまったのなら、逃げるべきだと語り継がれている。

 ウイルもその程度のことは知っている。だが、草原ウサギにも勝てないような子供では、逃げることすら叶わない。

 そんなスケルトンから勝利をもぎとり、仙骨という骨盤付近の骨を持ち帰る必要がある。

 ルルーブクラブの時点で不可能だったが、スケルトンまで指定されてしまっては、完全に詰みだ。

 もはや、母の病は治せない。

 なぜなら、すぐには等級二になれない。

 洞窟を突破出来ない。

 迷いの森にたどり着けない。

 ハクアという魔女に会えない。

 変色病の特効薬を、入手出来ない。

 ゆえに、母を救えない。至極単純な方程式だ。

 まさかこんなにも早くとん挫するとは思ってもおらず、なにより、己の無力さがただただ情けない。

 終わりだ。

 スタートする前から、ウイルの旅は幕を閉じる。

 現実を突きつけられ、心は完全に折れてしまった。最初から非現実的な夢物語だった。

 涙を堪えることすら出来ず、少年は職員に一礼し、その場を後にする。

 もはや出来ることは何もない。

 明日から傭兵らしく、こつこつと依頼をこなすとしても、等級二までの道のりは非常に長い。今の実力では、母のタイムリミットに間に合うはずもない。

 少年は己の不甲斐なさに打ちひしがれながら、とぼとぼと歩く。

 足取りは重く、大粒の涙が次々とこぼれていく。

 魔法が使えるようになったから。それを根拠に魔物にも勝てると思い込んでしまった。


(僕は……、バカだ……。本当に、何も知らなかった……)


 無知は罪だ。この少年は十二歳という若さで、それを知っている。

 学校という場所は、頭の良し悪しと記憶力をテストというわかりやすい手法で数値化し、他者と優劣を競わせる。

 ウイルは一度の挫折で勉強に苦手意識を持ち、一転して成績を悪化させた。その後、なんとか得意科目だけは持ち直すも、他はひどい有様だった。

 弱肉強食の世界で弱みを晒してしまった結果、少年は同級生から追いつめられる。身体的特徴、つまりは背の低さと肥満を笑われ、頭の悪さも罵倒された。いじめの始まりだ。

 勉強がもっと出来ていれば避けられたかもしれない。

 背が高ければ、標的にはされなかったかもしれない。

 太っていなければ、狙われなかったかもしれない。

 ウイルは原因を自分にあると思い込んでしまった。

 いじめから逃げ出す方法として、退学を選び、傭兵として生きていくことにした。

 そのための大義名分こそが、母の病気だ。

 しかし、それも諦めなければならない。今は等級二にすらなれないのだから、心の中で両親に謝りながら、みじめな人生を歩むしかない。

 帰る家を手放し、家族と別れ、一人ぼっちで生きていく。そういう人生を選んでしまったのだから。

 ここはギルド会館。屈強な傭兵達が、祭りのよう騒いでいる。

 今日の成果を祝う者。

 仲間と戦術について語り合う者。

 武器の新調を自慢する者。

 掲示板の張り紙を眺め、どれを選ぶか検討する者。

 そして……。


「なーに泣いてるのー? さぁ、話してごらん」


 手を差し伸べる者。


「た、助けて……ください……」


 救いを求める者。

 そんな資格はないのかもしれない。逃げ出したい一心で破綻している計画を立ててしまったのだから、現実を受け入れるべきなのかもしれない。

 それでも、泣きながら眼前の女性を見上げる。

 異変に気付いて迎えに来てくれたのだろう。ここはまだ食堂ではなく、境界付近だ。

 父よりも高い身長。

 茶色の髪は、草原を走り回っていたとは思えないほどに整っている。

 誰よりもやさしい表情を浮かべながら、それだけではないと感じさせる蠱惑的な顔立ち。

 黒い衣服の上にまとった灰色の軽鎧。

 そして、茶色のロングスカート。

 等級三の傭兵、エルディア・リンゼーが、今、目の前にいてくれる。


「まっかせなさーい。んで、どしたのー?」


 二人の旅は終わらない。むしろ、ここから始まる。

 迷いの森を目指す。そのためには、等級を一つ上げなければならない。

 ならば、そうすればよい。そのための試験内容は開示されたのだから、挑戦し、突破するだけだ。

 ウイルには力がない。十二歳の単なる子供だ。

 エルディアには実力が備わっている。本物の傭兵は伊達ではない。

 家を飛び出して既に二日目が経とうとしている。

 暗闇に落とされ、ついには諦めてしまうも、暖かな手が引き上げてくれた。

 そのことに感謝しながら、ウイルは嗚咽をあげる。

 泣きぼくろを通り過ぎ、頬を濡らす大粒の涙。透明なそれが、少年の服と床を雨粒のように濡らしていく。

 諦めるにはまだ早かった。

 絶望だと思い込んでいた。

 その宿命は、小さな体では背負いきれるはずがない。長い年月と幾重もの思惑が絡み合い、一点を目指して突き進むどす黒い何か。

 壇上は無人だ。舞台が開演していないのだから、演者が現れるはずもない。

 ならば、資格や適性の有無など関係なしに、誰かを立たせるしかない。

 そう。誰でもよかった。

 しかし、幸か不幸かそうなってしまった。

 喜劇のような悲劇なのか。

 悲劇のような喜劇なのか。

 どちらでもよい。どうでもよい。この状況を、今は誰よりも楽しむ。真っ暗な上空で、騒がしい眼下を見下ろしながら腹を抱えて笑い叫ぶ。

 少年に、後戻りという選択肢は用意されていない。そもそも、そんなものは望んですらいない。

 傭兵に、後悔という文字は存在しない。普通から外れているのだから、一般的な価値観など持ち合わせてはいない。

 ウイル・ヴィエンとエルディア・リンゼー。二人はついに巡り会う。

 偶然であろうと運命であろうと関係ない。両者の進む先に何が待ち構えていようと、無慈悲なまでに進むだけだ。

 光流暦千十一年。

 白紙大典に選ばれし者の旅は、こうして始まった。



 ◆



「もぐもぐ。お肉もいいけど魚もありよねー」


 茶色のテーブルを挟んで、二人は少し遅めの夕食にありついている。

 皿がいくつも並んでいるが、ひと際大きなそれは今回のメインディッシュだ。米、少量の野菜、そして何種類もの海の幸を混ぜ込み、炊き込む。この国を代表する料理の一つと言えよう。


「このシーフードパエリア、美味しいですね。ワカメスープとも相性いいですし」

「そだねー。あ、すみませーん! ウサギのグリルくださーい」

(まだ……、食べるのか……。話進まないなぁ……)


 急かすつもりはないのだが、少年はパエリアを口に運びながら静かに呆れる。

 ここ、ギルド会館は今日も大勢の傭兵達で賑わっている。夕食時ならなおさらであり、頭の防具こそ脱ぎはするが、重厚な鎧や味気ないローブを着た今にも戦いに出向きそうな連中が、人一倍の食欲を眼前の料理で満たしている。

 そんな中、喧騒の一部を担っているのがウイルだ。目元が少々赤いが、先ほどと比べれば腫れはひいており、落ち込んだモチベーションも正面の女性によっていくらか戻っている。


「もぐもぐ。ほら、いっぱい食べないと大きくなれないぞ」


 料理を口いっぱいに頬張るエルディア。

 周囲の傭兵同様、なぜそこまで楽しそうに振る舞えるのか、少年は不思議そうに眺める。

 傭兵試験の達成に伴い、窓口で手続きを済ました後、等級二への昇格が必須ということが判明、そして今に至る。

 やるべきことは明白だ。ゆえに計画を立てたいのだが、今はそれよりも腹ごしらえを優先する。少なくともエルディアはそう思っており、欲望の赴くまま、手と口を動かし続けている。


「……お肉ばっかり食べてないで、少しは野菜とかも食べた方がいいですよ」

「え……、そんなこと言われたの初めて。もしかして、君が私の……お母さん?」

「違います」


 食事バランスを指摘したところで無駄だと悟り、ウイルはワカメスープをずずっと口に含む。それは無色ではないが色合いは薄く、一方で見た目よりも味の主張は強い。ゆらゆら揺れる細切れの海藻は、採れたてゆえに鮮度も抜群だ。


(エルディアさんがいっぱい食べるから、食費は二千イールくらいになるのかな?)


 ウイルは太ってはいるものの、食が太いわけではない。肥満の理由は食後のデザートが欠かさず提供されたことに起因しており、貴族ゆえの贅沢と言える。

 二人分の夕食が二千イールならば、多少高額かもしれないが許容範囲だ。ギルド会館の食事代がお手頃ゆえの結果ではあるが、今回の支払いはエルディアであり、食事量を咎める必要はない。


「もぐもぐ。そういえば、どこまで話したっけ? 私の腹筋が割れてることだっけ?」

「全然違いま……、え、すごいですね。僕なんて……」


 傭兵の運動量は常人の非ではない。魔物討伐など本来ならば不可能な偉業であり、筋肉の発達は必然だ。

 それに対し、この少年は脂肪を大事に蓄えている。過剰ゆえ、他人からは肥満と指摘され、本人も否定は出来ない。


「もぐもぐ。あー、三か月以内に迷いの森へ行きたいんだっけ?」

「はい。あ、いえ、帰りのことも考えると一か月くらいが理想です」

「そっかー。んで、その前に等級を上げる必要がある、と。まぁ、大丈夫っしょー。もぐもぐ」


 エルディアは平然と言ってのけるが、ウイルの不安を払拭させるには至らない。

 等級二への早道となる、新たな試験。その内容は非合理的であり、言わば矛盾している。

 なぜなら、受注者は等級一の新参者なのだが、指定品の収集難度が完全に破城しているからだ。

 十万イールは可能だろうが、残りの二つがありえない。

 ルルーブクラブの鋏とスケルトンの仙骨。

 どちらも、戦闘経験の浅い傭兵には絶対に不可能だ。もし挑戦しようものなら、生きて帰ることは叶わない。

 この魔物達は、草原ウサギとは比較にならないほど強敵だ。うさぎ狩りで傭兵試験に合格したばかりの新人にはあまりに荷が重い。正攻法では命がいくつあっても足りない。

 実は、傭兵組合もその程度のことは重々承知だ。

 そもそも等級一から二へ急ぐ理由もなく、ほとんどの傭兵は依頼を八十個こなし、自動的に昇級していく。

 だが、ウイルには事情があり、急ぐ必要がある。

 ゆえに、裏道のようなこの特別試験に挑むのだが、一人では決して達成出来ない。草原ウサギにすら未だ勝てないのだから、試験の合格など夢のまた夢だ。

 正攻法では無理だとわかっているのなら、そうでない方法で挑み、突破すればよい。

 つまりは、等級の高い傭兵に手伝ってもらい、安全に指定品を集める。

 ずるいと後ろ指をさされるかもしれないが、そんなことは気にする必要などない。実は、このやり方こそ傭兵組合が想定している順当な合格方法だからだ。

 上を急ぐ理由は人それぞれだろうが、最も多いケースが仲間に追い付くためだ。

 共に活動する場合、等級は並んでいる方が何かと都合がよく、とは言え、一から二、二から三へ上がっていくためには、それ相応の年月を必要とする。

 新入りを引き上げるために依頼を集中してこなし続けていれば、数年で等級は三まで上がるだろう。

 そう、それでも一年以上もの年月が必要だ。通常ならその間に腕がみがかれ、一人前の傭兵に育つのだろうが、もし、初めから強者であったのなら、等級一と二はスキップしても良いのかもしれない。

 そのための抜け道が、これから挑む昇給試験だ。

 仲間に恵まれ、何よりも実力が既に伴っているのなら、これに挑む価値は人によってはあるのだろう。

 もっとも、等級一であっても困ることはあまりなく、確かに活動範囲は多少なりとも狭まるが、それならそれで依頼を選べば済む話だ。


「ルルーブクラブの鋏は……、ルルーブ森林ですよね? もう一個の、スケルトンの仙骨はどうしたらいいでしょうか?」

「骨もルルーブ森林でいけるっしょー。だいじょぶだいじょぶ」


 ルルーブ森林はイダンリネア王国の南西に位置する。マリアーヌ段丘を越えた先にあり、徒歩で目指すなら三日程度を見込めばよい。


「スケルトンってそんなにすぐ出くわせるんですか?」

「いやー。あんまり見かけないなぁ。運が悪かったら何日かかかるかも? ダメそうだったら、ヘムト採掘場に移動かなー?」

「う……、わかりました……」


 この旅の難所は、標的にスケルトンが含まれていることだ。

 アンデッド系の魔物は神出鬼没ゆえ、出会えるか否かは運に左右される。草原ウサギやルルーブクラブのような生息域がはっきりしている種族なら探せば必ず会えるが、スケルトンはこの法則に当てはまらない。


(ヘムト採掘場にスケルトン……。今は閉鎖中って習ったけど、魔物の巣窟になってるってことなのかな?)


 ウイルの予想は正しい。

 ヘムト採掘場はルルーブ森林の北西に位置する鉱山なのだが、魔物の出現に伴い閉鎖されてしまった。

 アンデッド系を筆頭に様々な魔物がはびこっており、傭兵すら近寄らない危険地帯だ。

 エルディアの言う通り、ヘムト採掘場では高確率でスケルトンを見かける。移動に時間はかかってしまうが、待ち続けるよりは健全だろう。


「もぐもぐ。出発は明日でいいよね?」

「あ、はい。あの……、よろしくお願いします」

「おっけー」


 エルディアは肉を頬張りながら、ニッコリとほほ笑む。明日からの予定が決定したのだから、ここからは食事に専念すればよい。

 一方、ウイルは大皿のシーフードパエリアを自分の小皿に取り分けながら、妙な違和感を抱く。


(何だろう……。この人、何かおかしいような……。良い人なのは間違いない。だけど、変だ。何かがおかしい……)


 エルディアが善人であることは疑いようがない。危機的状況を救われ、草原ウサギの討伐だけでなく圧縮錬磨すらも手伝ってもらえたのだから、命の恩人という表現すらも生ぬるいほどだ。

 それでも、腑に落ちない理由。少年は幸せそうな彼女を眺めながら、思考をフル回転させる。


(……そうか! 何も……、何も聞いてこないんだ。普通なら、最初に理由を尋ねるはず……。なぜ、急ぐのか。なぜ、迷いの森に行くのか。うん、少なくとも僕ならそうしたい。じゃないと、方針なんて立てられない)


 正解だ。二人の会話において、相手のバックグラウンドを探るようなやり取りは一度も交わされなかった。プライベートに踏み込まなかったと表現出来るのかもしれないが、それにしてもありえない。

 そもそもウイル自体が謎の塊だ。

 十二歳の子供。

 小奇麗過ぎる出で立ち。

 実力不足。

 はるか遠くの、その上なにもないはずの迷いの森を目指している。

 そして、三か月という期限。

 不可解だ。二つ三つでも怪しいが、これだけ揃ってしまうと、もはや問い詰めずにはいられない。

 けれども彼女は何一つ興味を示さず、淡々と今後の方針を計画し、今は米を頬張っている。

 逆の立場なら、ウイルは真っ先になぜ三か月なのか、そこから問いただす。

 成功率を高めるためなら、じっくりと成長を促しながら、慎重に事を運ぶべきだ。今回の目標はそれほどまでに苛酷ゆえ、本来ならば急いではならない。

 だが、この傭兵は違う。依頼人の要望に沿い、無茶かもしれないが目標に向かって突き進むつもりだ。

 それほど、己の実力に自信があるのか。

 過去にも同じようなことがあったのか。

 それとも、単なる無鉄砲なのか。

 エルディアのことを何も知らないのだから、ウイルにはわかるはずもない。

 そう、今はわかるはずがない。

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