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序章 その世界の名は

 巨大な炎が静かに脈打つ。ドクン、ドクンと踊り狂うさまは心臓のようだ。それは長い年月の間、真っ暗な閉鎖空間を照らし続けている。

 ここはかつての戦場だ。薄紫色の硬質な建材によって作られた天井や床はあちこちが砕かれ、切断され、焼け焦げている。

 煮えたぎる地上とは対照的に、ここはひんやりと肌寒い。地中深くに位置するからか、殺意がそう感じさせるのか。

 中心に浮かぶ炎。

 燃料も無しに轟々と燃える赤い炎。

 その内部で。

 巨大な炎の中心で。

 それは不可視の十字架に拘束され、無残にも磔にされている。

 右腕も、左腕も、両足すらも動かせない。例外は長い黒髪と真っ白なワンピースだけ。赤色の揺らぎにつられてゆらゆらと踊っている。

 陽の届かない地下では、時間の流れもひどく曖昧だ。窓すらなく、風すら吹き込まないのだから、今が何時なのか、あれから何日が過ぎ去ったのか、判断は困難だ。

 それでも、それは自分を見失わない。

 どれほどの月日が経とうと関係ない。

 体の自由は利かずとも、思考の海に飛び込めばいくらでも時間は潰せてしまう。

 毎日がそれの繰り返しだ。長い眠りについたこともあったが、今は意識を保ち続ける。代わり映えのしない状況だが、小さな違和感がそれの思考を刺激してくれた。

 変化という意味では三度目だ。

 過去の二回はどれほど昔だったか。

 だが、今回のそれは明らかに別種だ。本能的にそう感じ取ることが出来た。

 もう間もなくだ。何の根拠もなしにそう思えてしまう。

 それゆえに、自然と口元が緩んでしまう。独りだけの地下世界で、誰にも見られることなく笑う。

 目的の成就はもう間もなくだ。

 邪魔が入った結果が現状だが、どうやらもう少しだけ待てば良いらしい。

 赤い炎に包まれながら、見えない楔に拘束されたまま、女は静かに思いを馳せる。

 人間達よ、この世界から滅びなさい。

 願望でもなければ妄想でもない。なにより、実現し得る手段は己自身だ。

 人間を憎み、天を恨み、そして……。

 思い出せない。

 あまりに長い時間が最も大事なことを忘れさせてしまった。

 それでもやるべきことは明白だ。

 自由を取り戻し、地上に巣食う人間達を駆逐する。

 手足は動かない。見えない十字架に縛られている。

 ここから動けない。そのためだけの絶対支配に拘束されている。

 今はまだ待つしかない。

 後、少しだけ。

 時が満ちれば、燃やしきってみせる。殺し尽くしてみせる。

 暗闇の中で。

 沈黙の中で。

 彼女はひっそりと待ち続ける。

 この世の終わりを。

 人間の滅びを。

 大事なことは忘れてしまったが、破壊衝動と殺意だけは今なお色濃く残留している。

 人間達よ、この世界から消え去りなさい。

 愛に抱かれながら、消滅なさい。



 ◆



 走る。

 三人は競うように走り続ける。

 足を止めてはならない。背後からの轟音は未だ離れておらず、追いつかれたら最後、自分達の命はそこで潰えてしまう。


「噂通り……か! どんくさそうに見えて足早い!」

「クッソー! 全然振り切れないじゃん!」

「心配ごむよー。走るのよー」


 鬱蒼と茂った森林に、彼女らの足音が響く。額の汗は大粒だ。拭う余裕などなく、がむしゃらに両腕両脚を動かし続ける。


(なんでジレット大森林に巨人族が? いや、今はそんなことを考えてる場合じゃない! 逃げることに集中しないと……!)


 生きるか死ぬかの瀬戸際だ。後ろの二人を牽引するように、全力疾走でこの地を駆ける。


「あらよっと! まぁ……? 小回りがきく分、私達の方が少し有利かぁ?」

「黒虎の牙も皮も収集済み。このまま撤収するのみ」


 彼女らの表情は決して暗くはない。危機的状況だとわかってはいるが、一方で諦めるにはまだ早いとそれぞれが理解出来てる証拠だ。


「このペースなら! ジレット監視哨まで逃げ切れるはず!」


 三人は走る。その脚力は凄まじく、リスやウサギ、それどころかオオカミすらも置き去りだ。


「なぁ、もし追い付かれたらさ~。いっそ戦うってのは……あり?」

「なし。なし寄りのなし」

「そうね、私も反対だわ。等級三になりたての私達じゃ危なすぎる。仮に勝てたとしても、多分一人くらいは殺されかねない」


 ここは森林地帯ゆえ、前進を阻むように樹木が立ちはだかる。ゆえに最大速度の維持は難しいのだが、それは背後の追跡者も同じだ。

 先頭の女はそう判断し、活路を見出すつもりでいる。つまりは、地形を利用することでこの危機的状況を打開したい。


(うん、あの太さなら申し分ない!)


 茶色い瞳が前方にひと際大きな大樹を発見する。自分達なら減速せずにやり過ごせるが、追跡者には荷が重いはずだ。リーダーとして二人をけん引しながら、読みが的中することを心の中で強く祈る。

 プリム。駆け出しではないが歴戦の猛者にも程遠い、中級の傭兵。ミドルヘアーは山吹色をしており、凛々しい顔立ちはわずかに歪んでいる。身に着けている軽鎧が人体の急所を最小限の面積にて守ってはいるが、背後の脅威を相手にするには心もとない。


「これがあいつの勢いを殺してくれればいいのだけど!」


 すれ違いざまにパチンと巨木を叩きつつ、プリムは思惑を仲間に告げる。

 その太さは人間と比べればはるかに太い。大人が抱き着いたとしても、両手が反対側に至ることはなく、正面からぶつかれば彼女らをもってしても突破は不可能だ。


「避けるんじゃねーのー? まぁ、それならそれでスピードダウンだな」


 二番手の傭兵も非常に落ち着いている。その走り方はかなりの低姿勢ゆえ、まるで四足動物のようだ。

 チコ。腰にぶら下げた二本の短剣はチームにおける攻撃担当を意味する。黄色い髪は少年のように短く、左頬の傷跡が隠れることは決してない。胸元が大きく露出する革鎧を身に着けており、動き易さという面ではリーダーより上だ。


「誘導も兼ねてこのまま直進。ぼくらの勝利」


 青黒いローブが最後尾を駆ける。

 ヨグルン。三人の中で唯一、接近戦を専門としない。ゆえに身体能力ではプリムとチコに一歩劣るものの、二人に放されることなく、その進路をなぞり続ける。

 彼女は誰よりも冷静だ。長い黒髪とワンピースをたなびかせながら、後方をちらっと確認する。


(ちょっとずつ引き離せてる。順調、奮闘)


 その距離は少しずつ開いており、このまま逃げ続ければ追っ手を振り払うことは可能なはずだ。

 ヨグルンだけでなく、二人もそう考えている。

 だが、リーダーだけは一抹の不安をぬぐい切れない。

 傭兵としての直感なのか。

 不気味な巨体に不安感を植え付けられたのか。

 どちらにせよ、奇妙なプレッシャーが彼女の思考を侵食する。


(このままなら逃げ切れる……はず。だけどこの気持ち悪さは何⁉)


 プリムは恐怖心を振り払うように汗をぬぐう。根拠のない不安に踊らされる彼女ではないのだが、凍り付く背筋に抗えない。

 そんな予感は的中する。

 ボウという耳をつんざくような雄たけびと、それがもたらす歪な炸裂音。二つは混じり合いながら森を激しく揺らし、彼女達の恐怖心をめいっぱい煽る


「こ、これが……」

「巨人の……」

「衝撃砲。ほほう」


 三人は表情を引きつらせながら振り返る。

 足止めをしてくれるはずの大木がいともたやすく粉砕され、そこには薄緑色の巨躯が入れ替わるように立っていた。

 巨人族。魔物の一種でありながら、その性質は他とは一線を画す。魔物の姿形はそれこそ多種多様だが、巨人に関してはその名称通り、人間に近い。

 二足歩行による移動。

 顔には二つの瞳と小さな鼻、そして大きな口が揃っている。

 だが、違う。決して人間とこれを見間違うことはない。

 最たる差異はサイズ感だ。平均的な女性の背丈に対し、この魔物は倍以上の身長を誇る。

 上半身も非常に太く、そこから伸びる両腕も丸太のようだ。

 一方、下半身はシュッと細い。両足に至っても多少の厚みはあるが短足と言わざるをえない。

 巨人族の恐ろしさはそのシルエットも去ることながら、頭部付近の威圧さが際立っている。

 首から肩にかけての筋肉が異常発達しているためか、首はほとんどないに等しく、顔が胴体に乗っかっているようにも見える。

 その表情はどこまでも険しく、両眼には瞳孔と虹彩があるもののその色は非常に薄いため、ぱっと見た限りでは白目としか認識できない。

 頭部からつま先に至るまで、全身が薄い緑色。

 毛の類は見当たらず、とは言え裸というわけでもなく、お手製の腰蓑が衣服代わりだ。

 大きな、そして凶暴なこの魔物は、人間にとって最たる脅威だ。

 人間と巨人は実に千年近くも争い続けている。どちらかが滅びるまで終わらないのなら、それがいつになるのか、それは誰にもわからない。

 確定していることは一つ。

 プリム達だけでは巨人族と戦ってはならないということだ。


「あんなのくらったら……、ひとたまりもないぞ!」


 二番手のチコがうろたえる。後方を眺めながらも足を止めることはせず、わずかながらにペースは落ちたが許容範囲だ。

 先ほどの咆哮は単なる雄たけびではない。巨人族が使用する必殺の攻撃手段であり、その破壊力は傭兵ですら即死級だ。その証拠に、衝撃波は巨木を粉々にしただけでなく、付近の地面をもえぐっている。


「巨人族と戦う時は三人でってセオリーがあるけど! 私達には当てはまらない! やっぱり逃げるのみ!」

「お~」


 プリムの口からも弱音がこぼれる。リーダーとして二人を鼓舞したいが、恐怖心を振り払えない以上、無理なものは無理だ。

 ヨグルンも表情こそは他二人よりも穏やかだが、背中にはびっしょりと汗をかいている。今は走ることに集中したいため、普段以上に口数は少ない。


(きっと大丈夫! 作戦自体は成功したんだから!)


 太い木に誘導してのペースダウン。その目論見自体は成就した。巨人は衝撃砲という手段で障害を打ち破ったが、その際に足を止めた以上、彼女達はさらなる猶予を手にしたと言えよう。

 危機的状況に変わりはないが、危険度という意味では下がったはずだ。

 そのような幻想は仲間の負傷によってあっさりと打ち砕かれる。


「がっ⁉」


 最後尾からの小さな悲鳴。

 同時にそれを飲み込むほどの激突音が、プリムとチコを再度振り向かせる。


(何が)

(起きた?)


 わからない。なぜなら、しんがりを務めるはずのヨグルンがそこにいないからだ。


「え?」


 思考が追い付かずとも、事態は容赦なく進行する。

 黒色と茶色の何かが二人の視界を強烈な速度で横切った瞬間、先頭のリーダーは呆けるように声を漏らすことしか出来なかった。


「ヨグルン!」


 状況把握は、二番手のチコが先に完了させる。

 何が起きたのか。

 自分達に何が起きてしまったのか。

 答えはとてもシンプルだった。

 それはただただ単純に、丸太のような大木を投げつけた。

 その結果、凶器は彼女らに追いつき、狙われたヨグルンがその下敷きとなる。

 それだけではすまない。太い幹に押し潰され、大地と板挟みになりながら、彼女は勢いそのままにゴリゴリと地面を削り続ける。


「こ、こんなことになるなんて!」


 一瞬遅れたが、チコも慌てて仲間を追う。

 頭は既に真っ白だ。リーダーとして毅然と振る舞いたいが、そんな余裕はこの瞬間に霧散した。

 この魔物に敵わないことはわかっていたが、この状況は想定の範囲外だ。

 丸太に追いつき、静止したそれを持ち上げようとするも、二人の両腕は震えてしまう。


「も、持ち上げるぞ!」

「そっとね!」


 きっと大丈夫なはずだ。

 プリムとチコはそう自分に言い聞かせながら、木の幹をグゥっと持ち上げる。


「ヨグルン!」

「おい、生きてるか⁉」


 痛ましい後ろ姿が、二人の声を荒げさせる。

 黒い服はボロボロに破れており、あちこちに空いた穴からは肌色ではなく赤色が露出している。

 長い髪も土色に汚れ、両手に至ってはありえない方向へ曲がったままだ。

 それでもまだ希望は捨てない。少なくとも潰れてはいなかったのだから、最悪の事態は避けられそうだとリーダーはそっと歩み寄る。

 頭皮からこぼれる汗を気にも留めず、ヨグルンをゆっくりと反転させた瞬間、その期待はわずかに現実味を帯びる。

 幼いその顔は半分以上の皮を失い、出血も凄まじい。

 ローブの損壊は、背中のそれと比較にならないほどだ。

 痛々しい仲間の姿に絶望しながらも、プリムは横たわる胸を凝視し、チコは耳を研ぎ澄ます。


「だ、大丈夫!」

「よっしゃ!」


 二人は跳ねるように喜ぶ。擦り傷だらけの胸はわずかに上下し、呼吸音も小さく響いている。瀕死ながらも生きている証拠だ。

 猛スピードの木を背後からぶつけられ、何十メートルも地面に押し付けられていたのだから、即死が自然なはずだ。

 それでも生存可能な理由こそ、彼女らの職業に起因する。

 傭兵。魔物を狩り、生計を立てる荒くれ者達。身体能力と体の丈夫さは庶民とは比較にならない。そうでなければ務まらない職業だ。

 歓喜に震えながらも二人は考える。脅威はまだ去っていないのだから、改めて逃げ出さなければならない。


(急がないと……!)


 ヨグルンは大事な仲間だ。自力では動けないとは言え、見捨てるという選択肢はありえない。

 背負うため、プリムが手を差し伸べたその瞬間、自分達の置かれた状況が一切好転していなかったと思い知らされる。

 突然の風切り音。二人は即座に理解したが、だからと言って対応出来るかどうかは別問題ゆえ、標的とされた方はとっさの防御が限界だった。


「ぐ!」


 チコは音のする方向へ瞬く間に振り向き、それを視認するや否や両腕を眼前で交差させる。

 接近する物体は灰色の岩だ。それは放物線すら描かず真っすぐ進み、その速度は彼女に回避という選択すら選ばせない。

 人間の頭部よりも二回りは大きな発射物を、チコは必死の形相で防ぐ。


(石っ⁉)


 茶色の髪を揺らしながら、プリムが心の底から驚く。巨人の存在を忘れていたわけではないのだが、二連続の遠投攻撃は完全に予想外だ。


「がはっ!」


 勢いを受け止めきれず、その結果、チコの両腕はあっさりと砕かれ、岩はめりこむように彼女の顔を陥没させる。

 当然、受け身などとれるはずもなく、背後へ勢いよく倒れ込むのだが、リーダーはその様子を見守ることしか出来なかった。

 瞬く間に仲間が二人もやられてしまった。その事実がプリムの思考を鈍らせる。


(ど、どうしよう……? 二人を助けなきゃ……。ど、どっちから?)


 混乱した頭では冷静な判断など不可能だ。彼女は震えながら立ちすくむ。

 一方、勝者が悠々と前進を続ける。狩りの対象はまだ一人残っており、逃がすつもりなどないのだから、全速力ではないものの足は早まる。

 巨人は、投てきの瞬間以外は常に移動を続けていた。木を投げた後も当然歩みを止めることなどせず、だからこそ好機を掴んでみせた。

 人間を一人仕留めた直後だった。前進を再開し、残りの二人を追いかけ始めたその矢先にそれを見つける。

 自身と獲物の進路上に転がっていた、手ごろな岩石。

 拾わない理由もなく、右腕は小石をさっと持ち上げる。

 狙いを定めるため一旦立ち止まり、先ほど同様に投げつければ、二個目の獲物もあっさり仕留めることが出来た。

 となれば、残りは一人だけ。巨人はそれを自分の手で殺めるため、ドシドシと前進する。


(やばい! 急がないと!)


 重々しい足音がプリムを正気に戻す。

 立ち止まっている場合ではない。

 絶望もまだ早い。

 自分はまだ動けるのだから、仲間を担いで走らねばならない。

 行動の指針が決まったのだから、そこからは早かった。リーダーは負傷者二人を両脇に抱え、脱兎のごとく駆ける。

 傭兵は頑丈なだけではない。脚力も去ることながら、腕力も人並み外れている。プリムはさも当然のように二人の人間を持ち上げたが、この程度なら朝飯前だ。

 その上、突風のように走れているのだから、庶民とは体のつくりからして異なる。

 だが、人間を超える存在こそが魔物だ。それを肌身で感じたがために、逃亡者は絶望の表情を浮かべる。


「そ、そんな……」


 全速力で駆けながらも、ゆっくりと、騒音の方へ振り返る。

 覆いかぶさるように迫る薄緑色の巨体。壁のようなそれはもちろん巨人だ。

 胴体は大きいが足は幾分か短い。それでもその一歩が長いため、のっしのっしと速度の出なさそうなフォームで駆けているが、見た目よりもはるかに高速だ。

 逃げ切れるはずもなかった。

 三人が無事だった時ならまだしも、今は重荷を二つも運んでいる。どちらか一つに絞ったとしてもペースは落ちるのだから、この結果は必然だ。

 プリムの耳がいくつもの騒音を拾い続ける。

 彼女自身が地面を蹴る音。タタタと軽快なリズムは普段なら心地よいはずだった。

 三人分の衣服が擦れる音。カサカサと布地や革が騒ぎ、カチャカチャと武器防具が暴れている。

 心臓の鼓動。ドドドと今にも破裂してしまいそうだ。

 そして、後方からの巨大な足音。あらゆる音を飲み込みながら、間近に迫っている。 

 手遅れだ、逃げ切れない。もし、プリムがその音から解放されるとすれば、それは彼女の命が途切れた瞬間だ。

 もはやどうすることも出来ない。

 弱者は駆逐され、強者だけが生き残る。

 この世界はそのように作られており、そういう意味では正常だ。

 残酷だが当たり前の、覆したくても抗えない摂理であり、ルールそのもの。

 生き残りたければ強くなるしかない。もしくは危険を回避し続けなければならない。

 彼女らはこの三年間、勝てる相手をきちんと選び、金を稼ぎながらも成長し続けてきた。

 そういう意味では合格だ。その立ち回りはお手本と言っても過言ではない。

 だが、仕方ない。この大森林にて格上の魔物と出くわしてしまったのだから、諦めるか大人しく殺されるかのどちらかだ。

 この状況、本来ならばありえない。巨人はここ、ジレット大森林まで活動範囲を広げておらず、もっと西側まで足を運ばねば遭遇しない相手だ。

 単なる不運なのか、何かの結果によってこうなってしまったのか。それは誰にもわからない。

 されど次の瞬間、何が起きるかは確定している。

 強者が弱者を屠り、この世界からまた一つ、命が消え去るということだ。


(ごめん……)


 もはや涙をこらえることも出来ない。限界を超えた速度で走ろうとも、けたたましい足音は離れることなく、彼女の体にまとわりつく。

 逃げ切ることは不可能だ。そう悟ってしまった以上、死を受け入れるしかない。

 それは同時に、仲間の死を意味する。

 チームの長として、プリムは自分の不甲斐なさに涙する。死ぬことも恐ろしいが、最たる理由はそれだ。

 対照的に、巨人は不敵な笑みを浮かべる。獲物に追い付いたのだから、本来ならば仕留めてから喜ぶべきなのだが、今回に限っては気持ちが昂ってしまった。

 魔物は人間を殺したい。本能にそう刻まれている以上、一切の迷いなく実行する。

 振り下ろされる巨大な拳。鉄槌を下すように、人間をこの地上から消し去るために、容赦なく軌跡を描く。

 その先にいる傭兵などひとたまりもない。その腕力にはそれだけの威力がこめられており、負傷者二人も同時に仕留めることが可能だ。

 これで終わる。

 圧倒的な暴力が命を消し去る。

 弱者は弱者らしく、それが人間であろうと諦めるしかないのか。

 否。そうではないはずだ。

 奪う者がいるのなら、救う者もいるはずだ。

 それを証明するように、力強くも暖かな疾風がこの森に吹き抜ける。

 黒き鞘から抜かれた刀身は青く輝き、遠方から瞬く間に追い付くと、巨人の腕をその胴体ごと一瞬にして切断する。

 何が起きたのか、斬られた当人すらもわかっていない。

 振り下ろしたはずの右腕は何も潰せておらず、両足はなぜか追跡を止めてしまった。当然だろう、胸部から上を分断されてしまったのだから、命令系統から走れという指示が滞る以上、二本の脚は前へ進めない。

 恐ろしいほどに太い上半身のさらに上半分が、ズルリと落下を始める。

 その刹那、巨人の鋭い両眼は第三者の後ろ姿を捉えた。

 誰だ?

 その正体を知らぬまま、魔物はあっさりと死に絶える。巨躯を一刀両断した一撃には、それだけの威力がこめられていた。


(私達、助かったの……?)


プリムは仲間を両脇に抱えたまま、ゆっくりと立ち止まる。思考は定まらないままだが、魔物が排除されたという事実を半信半疑ながらも受け入れる。


「シルフェン! この人達の手当を!」


 勝者の声が森に響く。

 脅威は排除した。ならば次にすべきことは負傷者の救助だ。


「はーい」


 透き通った声が呼応したが、距離が離れているのかとても小さい。

 もっとも、一秒もしない内に彼女は追い付き、桃色の長髪を躍らせながらプリムの真横で静止する。

 黄金の刺繍が彩られた真っ赤なクローク。

 先端に白い宝石を備えた長杖。

 この出で立ちは、その役割に起因する。


「もう大丈夫だよ! 癒して! ヒーリングシャワー」


 シルフェンと呼ばれた女性が詠唱を完了させると、三人の体が一斉に輝きだす。


「上位魔法……、すごい。あ、ありがとうございます!」

「ううん、間に合ってよかったぁ」


 プリムは顔をくしゃくしゃにしながら感謝を述べる。

 暖かな光は彼女自身には特に意味はないが、仲間二人には絶大な効果をもたらす。それを裏付けるように、チコの血だらけな顔面は本来の造形へ復元され、ヨグルンの傷だらけな体も完治には程遠いが出血はかなり抑えられた。

 魔法。無から有を生み出す神秘の一つ。破壊に特化した攻撃魔法、傷を治す回復魔法等、様々な種類が存在する。使用の際はその魔法に応じた対価を払う必要があり、魔源と呼ばれる生体エネルギーがそれだ。


「念のため、周囲を警戒してこよう」

「お願いします!」


 新たに現れた年長の男が、立ち止まらずにそのまま駆け抜ける。巨人族が一体とは限らない。そう考え、率先して索敵を請け負う。

 この役割分担は普段通りなため、最初に駆け付けた青年はその場から動かず周りの警戒に努める。


「私はどうしよ?」

「ガーベラはシルフェンと一緒にその人達の介抱を。間に合ったと思うけど、ひどい傷だった」

「あいよー」


 そして四人目が到着し、チーム全員が集結した。安全圏を確保するため、三人目の男だけはこの場にいないが、彼の脚力ならいつでも帰還可能だ。


「私はガーベラ。ガーベラ・ツーキャッツ。あなたは?」


 回復魔法を詠唱している仲間とは負傷者を挟んで反対側に移動し、その女性は自己紹介を始める。

 ガーベラ。青い髪を後頭部で束ね、眼光は鋭さとやさしさを兼ね備えている。防具はチコと同種の軽鎧だが、品質およびその金額は桁違いだ。巨大サソリの殻と高価な金属を魔物の皮で繋ぎ合わせたこれはスコルピハーネスと呼ばれ、傭兵なら誰もが羨む高級品に該当する。


「……あ、プリムです」

「そういえば自己紹介まだだった! シルフェン・ポッシブです! よろしくね」


 疲れ切ったプリムとは対照的に、その笑顔はどこまでも明るい。

 シルフェン。四人の中で唯一の魔法特化型だ。回復魔法を専門とし、仲間の傷を瞬く間に治してみせる。

 真っ赤なクロークは非常に美しく、それを着る彼女もまたお姫様のように眩しい。


「こんなところで巨人族と出くわすなんて、とんだ災難だったね。いたのは一体だけ?」


 ガーベラは腰を落とし、両手をそっと伸ばす。プリムが抱える負傷者の一人を受け止めるためだ。


「うん」

「そうですか……。うーん、どうなんだろね~。徒党を組んでうろうろしてる印象なんだけど」


 うなずくプリムから、シルフェンももう一人を預かる。

 巨人族は単独行動よりも群れで活動することが多い。その理由は明白だ。人間と対峙した際、より安全に殺せるからだ。

 ゆえに、駆けつけた四人は油断しない。今回はこの三人を庇いながらの戦闘を強いられる。周囲の警戒だけは怠れない。


(不思議だ。本当に一体だけ? そもそもなぜ……?)


 少し離れた位置に立ちながら、その青年はこの状況を思案し続ける。


「ハルトー! あんたはどう思うのさ?」


 青い髪を揺らしながら、ガーベラは判断をリーダーに委ねる。

 そう。四人組の長はハルトと呼ばれたこの青年だ。


「ロストンさんが戻ってから考えよう。一つ言えることは……、待てよ、もしかして……」


 カチャ、と金属音が小さく響く。両腕を組んだ際、鎧と篭手がぶつかったことで生じた音だ。

 ハルト。落ち着きを払ったこの青年は、実はまだ傭兵歴二年の新参者だ。だからといって彼を見下すものはいない。実力と活動の長さは比例関係にあるが、スタートラインや成長速度は一人ひとり異なる。

 三年の経歴があるプリム達が敵わない相手が巨人であり、それを単身で仕留められる実力がこの傭兵にはあるということだ。


(ハルト……。聞いたことがある……!)


 プリムは解放された両手をだらんとさせながら、青年の方をじっと見る。

 金色の髪をそよ風で揺らしながら考え込んでいる姿は、彼女からしても魅力的だ。白金のフルプレートアーマーは一級品であり、これを購入出来る傭兵はほとんどいない。背負っている剣も同様であり、左腰からぶら下げている黒色の鞘には未知の刃物が収まっている。


「あ、もしかして!」

「ぐえぇ!」


 そしてプリムは思い出す。立ち上がる際、片腕がチコの腹部をぐっと押し込んでしまった結果、情けない悲鳴を生み出してしまったが、今は気にすることなく青年の顔を見つめる。


「百年ぶりの等級六! ユニティ、ネイグリングの四人組!」


 彼女が驚くのも無理はない。等級制度においてをその数字を六まで上げることはそれ程までに難しく、実質的には不可能だからだ。


「痛いだろ! 何すんだ! ってあれ? どういう状況?」


 怒ったり不思議がったりと表情をコロコロと変えながら、チコがついに目を覚ます。先ほどまで顔が陥没していたのだが、回復魔法のおかげで綺麗な顔に元通りだ。


「ええい、やかましいぞ。おかげでぼくまで目が覚めてしまったじゃないか。まだ起き上がれないけど。土の匂いがすごいけど」


 まだ完治には至っていないが、ヨグルンもついに目を開く。顔を地面にこすっていたため、擦り傷はほぼ癒えたものの汚れたままだ。


「よかった~。もうちょっとで治ると思うから、そのまま待っててね」

「かたじけない。私達は命拾いしたのだな。神に感謝だな」

「へ、神様なんか信じてない癖に。とは言え、あんたらには礼を言わないと」


 一先ずの団らんだ。

 巨人の討伐。

 負傷者の救出およびその治療。

 それら全てを達成出来たのだから、今はゆっくりとくつろげばよい。シルフェンは桃色の髪を揺らしながら回復魔法の使用を継続し、ヨグルンは大人しくそれを受け入れ、チコは上半身を起こし一礼する。

 わっと湧き上がる談笑は、危機を乗り越えた者達へのご褒美だ。傭兵が五人集ったのだから盛り上がらないはずもなく、一方でハルトだけは少し離れた場所にて思考の海を漂っている。


(女王直々のこの依頼……。簡単過ぎると思っていたが、こういった事態を想定していた?)


 まさかな、そう呟きながら再び周囲を見渡す。

 自分達を包囲するように、針葉樹がこの森を形成している。頭上を見上げなければ青色の空は現れず、それほどまでにこの森は自然であふれている。

 ジレット大森林は人間にとって決して安全圏とは言えない。だからこそ、傭兵は危険を冒してでもこの地まで遠征する。

 しかし、巨人族の侵入は本来ならありえない。過去にそういった事例はいくつもあったが、この時代においては稀だ。


「ハルト殿、他の巨人は見当たらない。この一体だけのようだ」

「あ、おかえりなさい。お手数おかけします」


 足音が聞こえるや否や、いくらか老け込んだ男が帰還を果たす。漆黒の長槍を背負っており、ハルトの鎧ほど重厚ではながい、銀色のプレートが肩から拳までを、そして胸部周りをしっかりと守ってくれている。

 ロストン・ソーイング。この男もまた、等級六に至った傭兵だ。他の三人はまだ二十代だが、ロストンだけは倍近くの年輪を刻んでおり、豊富な経験は仲間からも一目置かれている。


「ほう、何やら盛り上がっているようで」

「ええ、近づきがたい雰囲気ですけど……」


 とどまることなく続く雑談と質疑応答。そこに入り込む隙はなく、男達はたじろぐことしか出来ない。

 ロストンは細い目をさらに細めながら、水色の髪ごしに頭部をぽりぽりとかく。

 一方のハルトも、乾いた笑いを浮かべるのがやっとだ。


「警戒は……、必要だと思うがどうだろう?」


 背中の槍をカキンと鳴らしながら、男は背筋を正し視線を動かす。

 この年齢まで傭兵を続けられる理由は慎重だからだ。その実力なら巨人程度軽くあしらえてしまうのだが、それでも慢心や油断などしない。

 森の中ゆえ当然だが、ここからでは針葉樹しか見当たらず、魔物はおろか動物すら姿をくらませている。


「そうですね。とは言え、巨人族だけが相手なら問題ないですし、このまま北を目指しましょう」

「ああ。等級六の初仕事、放り出すわけにはいかないな。もしそんなことをすれば、その刀とやらも没収されてしまうやもしれん」


 ハルトの表情がコロコロと変わる。難しい顔で考え込んでいたと思えば、笑ったり悩んだり、そして今も仲間の発言に笑顔を浮かべる。

 リラックス出来ている証拠だ。そもそもこの地域の魔物など敵ではなく、実は巨人すらも素手で殺せてしまう。先ほどは緊急性を考慮し切り殺したが、本来は武器など必要なく、俗に言う、練習相手にもならない相手だ。


「その時はロストンさんの槍ください」

「ふ、丁重にお断りだ。ついに……、ついに買えたこのダークランス、死ぬまで手放さんぞ。そもそもお主にはミスリルソードがあるだろう」


 ハルトは黒一色の槍を羨ましそうに眺めるが、無償提供の許可などおりるはずもない。その金額は家がいくつも建つ程度には高く、つまりは富裕層でさえうろたえる超高級品だ。

 もっとも、ハルトが帯刀しているそれもまた、非常識極まりない。刀身が青いその刀は、この大陸に一本しか存在しない業物ゆえ、その価値はダークランスすらも遥かに上回る。


「死に物狂いで依頼をこなしてきたからか、とんとん拍子に武器防具が揃っちゃいましたよね」

「素晴らしいことだ。節約した甲斐もあったな」

(節約……。あれ? そういえば……)


 ハルトが傭兵の道を歩み始めてからまだ二年。その間、毎日欠かさず仕事に打ち込んできた。

 その結果が今の実力と装備品に繋がっているのだが、ロストンの今の返答には不気味な違和感を抱いてしまう。


(稼ぎはいつも四等分。俺達は自分の分だけで済むけど、ロストンさんってお子さんがいるよな。う~ん……)


 一瞬嫌な予感がしたが、ハルトは己の想像を霧散させる。単なる憶測に意味などないと言い聞かせ、話題を変えるつもりで女性陣に視線を向ける。

 その結果、ついに気づくことが出来た。五人から見つめられていることを。


「あ、あれ? どうしたんですか?」


 静かにこちらを見てくる仲間と見知らぬ傭兵達。この状況が青年の凛々しい顔をわずかに赤らめる。


「ネイグリングのリーダーってもっとごつい人だと思ってた」

「百年に一人の逸材って聞いてたけど、見た目だけは普通じゃん」

「でも、男前。武器も鎧も一人前」

「ハルトに手出したらダメだぞー。シルフェンとくっつく予定なんだから」

「ちょっ⁉ 何言ってるのー! シルフェンちゃんパンチ!」

「ぐえぇ!」


 そして、五人は再び盛り上がる。姦しい限りだが、彼女らを静止するだけの根性が男二人にはなかった。

 ネイグリング。ハルトをリーダーに据えたユニティの名だ。

 ユニティとは恒常的に結成された集団であり、同じ目的ないし意気投合した傭兵達の集まりとも言える。勝手に結成してもよいのだが、手続きを踏むことで正式なユニティとして認められる。

 ここには二つの団体が存在している。

 プリム率いるフレンズ。

 そして、ハルトを中心としたネイグリング。

 前者はありふれたユニティだが、後者はメンバー全員突出しており、その上で偉業を成し遂げたことから、傭兵ならば名を知らぬほどの知名度を得た。


「やれやれ。まぁ、楽しそうですし……。俺達も負けじと休みますか!」

「ああ。急ぐ必要もあるまい。はあ、どっこいしょっ」


 諦めるように二人も座る。仲間達の方へ歩み寄ってもよかったが、邪魔になるだけだろうと思いとどまり、空気を呼んで少し離れた位置を保ち続ける。

 ここはジレット大森林の奥深く。そよ風が草木を揺らし、土の匂いを運ぶ。

 太陽の陽射しは暖かく、ハルトは伸びるように仰ぎ見る。


(あれから二年……。もう二年……。色々あったはずなのに、あっという間だったなぁ)


 家族にも相談せず、傭兵として生きていくことを決めたあの日。

 反対していたはずのシルフェンが翌日には傭兵試験に合格しており、ハルトは血のつながらない両親の前で誓う。

 何があろうとシルフェンを護り続ける、と。

 二人で始まった傭兵生活は、ガーベラの加入で瞬く間に三人へ増える。幼馴染がついてこないはずもなく、幸先の良いスタートが切れたとも言える。

 数はすなわち戦力であり、なにより三人が三人とも才覚に恵まれていた。

 その中でもハルトは特に突出しており、巨人族と初めて遭遇した際は、セオリー通りなら逃げなければならないにも関わらず、自身の活躍もあり見事勝利を収める。

 傭兵として歩み始めてから一か月後の出来事だ。

 この三人に、とりわけこの青年に常識など当てはまらない。普通なら数年かけて腕を磨き、やっと戦えるような強敵を多少苦戦はしたものの初遭遇で倒してしまったのだから、既存の物差しで測ることなど不可能だ。

 もちろん、巨人討伐を言いふらすようなことはせず、それゆえに彼らの知名度が高まることはなかったのだが、傭兵の活動には常に結果がつきまとう以上、じわり、じわりとその名は知れ渡っていく。

 ネイグリング。

 そのリーダー、ハルト。二十歳でデビューし、一年半後には等級四まで進んだ天才の中の天才。

 昇級の速さと実力が、新たな邂逅をもたらす。

 老兵という単語は不適切だが、歴戦の戦士ロストン・ソーイングとの出会いもこの時期だ。高難度な依頼のバッティングを理由に協力する運びとなり、そのまま意気投合したという経緯がある。

 その後、偶然にも機会に恵まれ、四人の階級は五へ進み、さらなる幸運が重なったことで百年ぶりの等級六に至った。


(傭兵になり立ての頃はてんやわんやだったなぁ。シルフェンは包丁で戦うし、俺やガーベラに至っては素手だったな)


 素手で戦う傭兵も少なからず存在する。彼らはそういう戦い方を好み、体を鍛えたからこそ、そういった戦闘スタイルを確立出来ているのであって、ハルト達は消去法でそうせざるをなかった。

 それでも魔物を殲滅出来ていたのだから相当の手練れであり、剣や杖を買えるようになればそこからはさらに加速する。

 なつかしい。そう思わずにはいられないのだが、今は他にやるべきことがあるため、必要以上に過去を振り返りはしない。

 そうしたいのなら、依頼を無事達成し、落ち着いてからでもよいはずだ。


「疲労もとれたし、そろそろ出発しようか」


 ハルトの提案が交流の場を解散させる。

 男性陣はこの後の方針を検討し、女性陣は歓談を十分満喫したはずだ。ならば動き始めなければならず、二つのユニティは互いに別れを告げ、それぞれの進路を目指す。

 プリム達三人は東へ。

 ハルト達四人は北へ。

 東は帰路であり、その先には軍の拠点でもあるジレット監視哨が存在する。

 北には本来ならば何もない。正確には地下洞窟の入り口があるのだが、封印が施されており何者も足を踏み入れられない。

 ネイグリングの四人に課せられた依頼の目的地はまさにそこだ。その中に突入し、幾重にも張られた結果の状況を確認せねばならない。

 プリム、チコ、ヨグルンの出発を見届けたことで、ハルト達は気兼ねなく出発出来る。巨人族というイレギュラーな存在のせいでこの地の危険性は高まってしまったが、ここから東方面で出くわすとはおよそ思えず、なによりハルト達はその方角からやってきたばかりなのだから、三人の無事は約束されたに等しい。


「さぁ、俺達も行こう」

「いっきに進む?」


 鼻息荒いリーダーとは対照的に、ガーベラは冷静だ。自身の青い髪を指先で遊ばせながら、些細な疑問を投げかける。


「ああ。日が暮れるまでには洞窟入り口に着いておきたい。今夜はそこで野宿かな」

「とばせば余裕だろう」


 ハルト達の全速力を考慮すると、この目標は簡単だ。ゆえに、ロストンは目尻のしわを伸ばすように仰け反る。


「まぁ、そうなんですけど、今日はペースを少し落として普段以上に警戒しながら進みたいんです。もし巨人がいたら、倒しておきたくて」


 親切心と傭兵としての誇りが、ハルトにそう判断させた。

 ジレット大森林は危険ではあるものの、傭兵にとっては必要な狩場だ。この地に生息する魔物は討伐対象として人気があり、その理由は肉や皮、さらには牙に需要があるためだ。等級二や三、はては四の強者でさえ、足しげくここに通い詰める。

 ゆえに巨人族の討伐は最優先だ。本来ならばいないはずの強敵ゆえ、状況を知らぬ傭兵が次々と殺される事態だけは避けたい。

 彼らの安全のためにも可能な限り、それらを排除するつもりだ。


「はーい!」

「オッケー」

「あい、わかった」


 仲間の了承も得られたことでリーダーは頷き、威勢よく走り出す。

 帰路についた三人とは別の方角へ。幾重にも立ちはだかる木々を風のように避けながら、それでも減速することなく北を目指す。

 ここからはひたすらに移動だ。

 傭兵にとって、目的地を目指すという行為は日常的なものであり、一日の大半をそれに費やすことさえある。

 そもそも誰もがどこかしらを目指して移動するはずだ。その時間は人によりけりだが、傭兵はとにもかくにも大移動を強いられるため、庶民よりも長い間、走り続ける。

 ゆえにこの時間をコミュニケーションに活用する者も少なくはなく、シルフェンは加速し、先頭のハルトにさっと追い付く。


「この依頼が終わったらさ~、また実家に帰って今度はもっとゆっくりしようよ」

「ん~、それもいいかもな~。父さんと母さんも話聞きたがってたし」

「だよねだよね!」

「一泊くらいでいい?」

「ダメに決まってるでしょ!」

「えぇ……」


 何がダメなのかわからない。青年は表情でそう訴えるも、その顔が妹をさらにイラつかせる。

 そう、ハルトとシルフェンは兄妹だ。もっとも、両者に血のつながりはなく、この場合、ハルトの方が赤の他人ということになる。


「軍に感謝されたり、女王様に呼ばれたりで、ここんとこ本当にバタバタしてたもんね。私も久しぶりにのんびりしたいわ。まぁ、することないから一人で狩りに出かけちゃいそうだけど。そういえば、最近あの子見かけないな。いたら声かけるのに。名前なんだっけ?」

「む、むう?」


 駆けるガーベラから顔を向けられ、ロストンは速力を落とすことなく唸る。話題が急に変わったことと、何より誰のことを指しているのか手掛かりが少なすぎる。返答のしようがない。


「ガーベラが他人に興味を抱くなんて珍しいな」

「だね~。誰、誰?」

「名前……、誰かから聞いたことあるんだけどな~。ほら、新人潰しって影で噂されてる女といつも一緒にいる奴だよ」


 ハルトとシルフェンが振り向くことなく喰いつくと、ヒントがわずかに提示される。


「あぁ」


 唯一、ロストンだけが答えに行きつく。もっとも、名前までは知らないが、彼の経歴や実力については少しだけ把握している。

 だが、この話題はここで打ち切りだ。彼らは強制的に次のステップへ推移させられる。


「ニンゲン見~つけた」


 この声は何だ? 少なくとも四人のものではなく、女性的ではあったがトーンは低く、何より突如として現れた気配がどこまでも重苦しい。

 足を止め、構えた時にはもう遅かった。最後尾のロストンが黒い強風に襲われ、前触れもなく左腕を奪われてしまう。


「シルフェン!」

「わかってる!」


 振り向き、仲間の損傷を即座に把握。リーダーは治療を指示し、シルフェンもそれに答える。

 だが、間に合わない。その反応速度をもってしても、追い付くことは不可能だ。


「オーバーキュ……」


 オーバーキュア。ロストンの止血のため、回復魔法を詠唱し始めた矢先のことだった。

 なぜかその行為は完了せず、ハルトは不思議そうに隣を見る。


「なっ⁉」


 言葉が出ない。妹の顔が本来あるべき場所になく、ではどこにあるのかと言えば、彼女の後方に立つ異形がその右手に掴んでいた。


「いやーーー!」


 ガーベラの声が森に響く。

 この光景はまさに悪夢だ。

 杖を構え、未だ立っている首無しの死体。そこから赤い鮮血が噴水のように吹き出し、朱色のクロークはさらにその色を濃くしていく。


「あ~、タノシイ」


 右手のゴミを捨て、次なる獲物へ。

 至高の瞬間だ。人間を狩るために生まれ、今こうして遂行出来ているのだから、幸せなことこの上ない。

 闇色のそれが再び駆ける。その初速は最高速度のように早く、結果、誰も反応すら出来ず、ガーベラが無防備に蹴り飛ばされる。

 受け身すらとれず、何十もの樹木を砕きながら、新たな犠牲者が地平線へ消えていく。

 即死だ。リーダーは恐怖に飲まれながらそう理解する。


「主様の言ってた通り……。フフ、ニンゲンって簡単に壊せるのね」


 その姿は、一見すると人間と見間違う。だが、凝視するまでもなく別物だ。

 全身、すなわち頭頂部からつま先に至るまで、あらゆる場所が黒一色だ。衣服の類を身に着けているわけではなく、表面を覆うそれが分厚い皮なのか、それとも鱗なのか、初見では見分けがつかない。

 一方でわかることもある。

 性別という概念があるのかどうかは不明だが、顔のつくり、胸の膨らみ、引き締まった腰、大きな臀部、そこらはまさしく女性のそれだ。もし、これが魔物でないのなら、美人ともてはやされても不思議ではない。

 手はすらっと長く、一方で足は太く力強い。その脚力は先ほどの蹴りで実演済みだ。

 巨人族同様、毛髪の類は見当たらず、見方を変えれば無駄のない造形を言えよう。


「ワタシだけでも殺しきれちゃいそう」


 この中の誰よりも長身なそれが、スッと動き出す。

 その瞬間、ロストンの表情が絶望から苦痛に変わり、ドスンと膝から崩れ落ちる。魔物の右腕が振り下ろされ、白金の軽鎧ごと上半身を深々と斬られたのだから、力尽きても仕方ない。

 残された最後の一人、ハルトは茫然と眺め続ける。

 そもそもこの状況が呑み込めていないのだから、行動に移れるはずもなく、なにより頭は混乱したままだ。

 この魔物は何だ?

 なぜ、人間の言葉を話している?

 そして、最たる疑問。


(つ、強すぎる……)


 そう、この魔物は強い。二年間の傭兵稼業においてハルト達は様々な敵と相対してきたが、ここまで突出した個体など一度たりとも見かけなかった。

 視点を変えれば当然といえる。もし、過去にそんな強敵と遭遇していたら、四人はその時点で殺されていたのだから。


「それがニンゲンの武器。おもしろい形ね。でも、それだけ……」


 ハルトは呆けながらも、戦闘態勢は維持したままだ。ゆえにわずかながらに興味をひくことには成功したが、そのことに意味や成果はなく、青色の刀身が振り下ろされるよりも早く、漆黒の右腕が青年の体を横に分断する。


「はい、終わり」


 使命に従い、獲物を四つ駆逐することが出来た。その喜びと達成感に包まれながら、黒い魔物は静かに微笑む。

 大地は血の色に染まり、そこに立つ漆黒のそれがより一層際立つ。


「こっちに来て正解だったわ~。ニンゲン狩りがこんなにも楽しいなんて」


 勝者と敗者。

 狩る側と狩られる側。

 この世界にはその二種類しか存在しない。シンプルだが当然の、抗いたいが覆せない、どうしようもない摂理だ。

 魔物を満たす充実感。元いた世界では決して味わえなかった報酬だ。


「主様の出番はなさそうね。フフ、獲物……、独占し~ちゃお」


 黒い異形が幸せそうに笑う。幸先の良いスタートが切れたのだから、楽しくて仕方ない。

 動かなくなった四つの死体。

 勝ち誇る魔物。

 この世界は戦場だ。二つの種族は互いの生存をかけて争い続ける。

 今日、この場所で、いくつもの魔物が狩られ、人間も殺された。ただそれだけのことだ。

 太陽がこの地を照らすも、木々の葉がそれを遮るからか、十分な日差しは降り注がない。ゆえにこの出来事もまた、誰の目にも触れられない。

 この世界は残酷だ。生きるも死ぬも、他者に委ねられている。そもそもの前提として、魔物という存在に人間程度が敵うはずもない。


「さ~て、どこに行けばいるのかしら、ニ・ン・ゲ・ン」


 魔物は人間を殺す。殺し尽くす。それこそが宿願なのだから。

 人間は抗う。生きるために、死にたくないために、そして、守るために。

 どこまでも続くこの世界で、それらは飽きることなく戦い続ける。何十年も、何百年も、どちらかが滅びるまでこの演劇は終わらない。

 生きるか、死ぬか。

 殺すか、殺されるか。

 人間か、魔物か。

 最後の勝者はどちらなのか。それは誰にもわからない。そのような区分けに意味などないのかもしれない。

 儚くも美しいこの大地で、命が育まれ、奪われる。慈悲はなく、どこまでも残酷だ。ゆえにその一瞬は愛おしく、天の光は地上を照らし続ける。


 この世界の名はウルフィエナ。神々が創造した理想郷。


 人間にとっては楽園なのか、はたまた地獄なのか。どちらにせよ、最後まで抗うだけだ。

 在りし日の思い出と共に。

 二人だけのこの世界で。

 生まれ、戦い、散っていく。

 だからこそ。

 諦めない強さがそうさせるのか。

 希望はいつも静かに現れる。

 絶望の中で生まれた勇気。偽善であろうと、己を騙していようと、その一歩は嘘偽りない前進だ。

 背負った運命に潰されかけながらも、ゆっくりと歩き出す。

 生きるために、全力で走り出す。

 そうするしかなかったのだから。

 そうせざるをえなかったのだから。

 広大なこの世界で、少年は今、その一歩を踏み出してみせる。

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