第1回 完璧すぎて気味が悪い(『源氏物語』)
古典大好き筆者による古典解説です。
この中で出てくる皐月訳はできるだけ正確になるよう努力していますが、親しみ重視の意訳や超訳も混ざっているので、テストや授業にそのまま使うとバツになる可能性がございますのでご了承ください。
第1回は、教科書、入試等で頻出! みなさんもよくご存知の『源氏物語』のおすすめポイントを紹介します。
紫式部の大河も決まって読み直そうと思っている方も多いかもしれませんね。
『源氏物語』は宮中の雅さや男女の(ドロドロな)恋愛模様が見どころではあるのですが、私はそれ以上に「平安時代から変わらない人間関係」にリアルさがあって良いと思っています。
【紅葉賀】
『源氏物語』第七帖のお話。
妊娠中の藤壺の宮をなぐさめるために、帝が企画したイベント。光源氏とライバルの頭中将が、「青海波」という舞を舞います。
「青海波」は雅楽の曲で、二人ペアになって踊る二人舞です。専用の衣装もあり、この衣装に使われた模様が現在でも「青海波模様」として残っています。虹みたいな扇みたいな模様のアレです。
さて、このときの二人について、見ていた人々は、
光源氏→花(=桜)
頭中将→花の傍らの深山木(=木)
と例えています。頭中将がまたライバル心をめらめらと燃やしそうな比較ですね。
特に光源氏については、さらに記述があって、「この世のものとは思えない」とか「声は伝説の鳥、迦陵頻伽のようだ」なんてほめちぎられています。帝も、えらい貴族も、光源氏の親戚のみなさん(皇族)も、みんな感動して泣いちゃうレベルでした。
もうとにかく誰もが認める完ぺきさで、非の打ち所がなかったらしいのです。
が。
唯一光源氏に文句をつけた人間がいました。それは、弘徽殿の女御……あの、光源氏のお母さんである桐壷の更衣をいじめ倒した女性です。ちなみに、彼女の実家は光源氏や頭中将の家の政治的な敵でもあります。
この弘徽殿の女御、光源氏の舞に対して、なんて言ったと思いますか?
何か、具体的なダメ出しをしたのでしょうか。それとも、何か致命的なミスを見つけたのでしょうか。
その答えは……
「神など空にめでつべき容貌かな。うたてゆゆし(神様が空に連れて行ってしまいそうな美しさね、まあ気味が悪いこと)」。
要するに、「完璧すぎて、気味が悪い」ってことです。
「えーっ!?」って感じじゃないですか?
何か具体的に悪い点があったならまだしも、光源氏の舞は完璧で、美しいものだったと認めたうえで、「気味が悪い」と言っています。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いっていうのに近いかもしれません。
光源氏の立場になってみたら、こんなこと言われたらどうしようもないですよね。
でも、私はこの部分を読んで、ちょっと心が軽くなりました。
「人に認めてもらうためにどんなに頑張って、どんなに完璧に仕上げても、嫌ってくる人や認めてくれない人というのは必ずいる」ということを、『源氏物語』に教えてもらいました。
人には認めてもらいたいし、嫌われたくない。きっとそれは、みんな同じですよね。
だから、自分に非があったら直さなければ、と頑張ってみて、それでも認められないと、まだ努力が足りないのかな、とか、自分が悪いのかな、と思ってしまうこともあるんじゃないかなと思います。
でも、自分がどんなに頑張っても、理不尽に嫌ってくる人というのは必ずいるのです。だから、頑張ってもだめなら、考え方を変えましょう。「その人に認められるために頑張らなくては」ではなく、「この人は認識を変えることはないかもしれないけど、頑張ったことは確かに自分のプラスになった」。そういう風に、自分のことを褒めてあげればいいと思います。
「完璧すぎて気味が悪いよね」というレベルで嫌ってくる人とは、きっと、残念ながら根本的に相性が合わないのです。
紫式部は『源氏物語』を通して、そういうふうに考えるきっかけをくれました。
もしかすると、紫式部もそういう経験をしたか、または周りにそのような人がいたのではないでしょうか。そう考えると、千年前のことなのに、なんだかとても身近な話題に思えてきませんか?
私は、こういう現代に近づけた読み方をすると、「昔の人も同じようなことで悩んでたんだなあ」と、自分の理解者が増えたような、友達が増えたような感覚がして面白いと思うのです。
今後の回でも、こういう現代とつながるようなテーマや、学校の授業では習わない視点を掘り下げることができていけたらなあと思います。
誰もが知っている有名古典に限らず、ちょっとマイナーな古典も紹介していく予定です。
今回はちょっと短めですが、文字量は回によってバラバラです。