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氷とは違った硬さの何かにぶつかった。ぐっと強く包まれてエルフリートはそれが人間だと理解する。背中まで伸ばされた腕、胸元にぶつかってきた頭、午前中散々一緒に滑ったから分かる。ブライスだ。
どうやって近づけたの分からないが、エルフリートの動きを相殺するようにぶつかってきたらしい。
「無茶すんなよなぁー」
相殺しきれなかったブライスは尻餅をつく。その勢いのまま滑ってしまうが、ブライスは器用にもブレードを氷上に突き立てて停止した。
止まるなり彼はエルフリートを抱きしめる腕の力を抜いた。彼の膝の上に跨がるようにして座らさられたエルフリートは、自分の膝が氷と接触しないように気を使われていたのに気づく。
「……ごめんなさい。でも、どうやって?」
紳士的な気遣いをこんな場面でもする事ができる彼をひっそりと「これでもやっぱり貴族なんだなぁ」などと暢気に思いつつ、一番気になっていた事を口にした。
あれだけの距離を詰めるのは、普通じゃ無理だもん。
「奥の手だよ。実践でも滅多に使わねぇってのに訓練で使わせやがって」
ブライスの視線の先を辿れば、その胸元にペンダントが見えた。相当慌てたのか、制服の留め具が弾け飛んでいる。そこから覗き見えるペンダントトップには結構な大きさの魔石が付けられていた。
ヒビは入っていないから、まだまだ現役のはずだ。使わせてしまって申し訳ないと思ったが、魔石が無事な事にほっとする。
「ありがとう」
「おう。滑っている時は無理矢理逆方向に回転して動きを止めようとすると、ああなるんだ。今度は気をつけろよ」
常識を突きつけられてエルフリートは苦笑するしかない。それこそ、雪の降る地域に住んでいた人間ならば知っていて当然という話である。
冷静さを完全に失ってしまっていた己を恥じていると、ブライスの表情が急に意地の悪いものに変わる。
「ところで、だ。いつまで俺の膝の上に座っているつもりだ?」
「あっ」
「女の子に乗っかられるのは嫌いじゃねぇけど、今は演習中だぜ」
「ごめん!」
エルフリートは慌てて立ち上がろうとし、靴がスケート用なのを忘れてバランスを崩す。
「ほらほら、しっかりしろよ妖精さん」
「ううー!」
悔しい! エルフリートがブライスを睨むと彼は笑った。ヘーゼル色の瞳がきらりと光った。
「そこ、いちゃついていないで演習に戻りませんか?」
ぐっと背後から抱き上げられる。レオンハルトだ。何年もダンスの練習につき合ってくれていたから、抱きしめられた瞬間に分かった。
「レオン」
「フリーデ。無防備にもほどがあるよ」
「ごめんなさぁい」
よく分からないままに謝る。どういう事か、そう言うレオンハルトの視線はエルフリートには向かっておらず、ブライスの方へと続いていた。
「うちのフリーデがすみません。女性騎士団に入ってからおてんばになってしまって」
「いんや、気にしてねぇよ。それよかスケートくらい教えてやっても良かったんじゃねぇの?」
「はは、ぜんぜん都合が合わなかったんですよ」
雲行きが何となく怪しい。エルフリートはぴりぴりとした雰囲気のレオンハルトを不思議に思いながら二人のやりとりを見守った。
「演習を再開しても良いか?」
無言で見つめ合う男二人に挟まれたエルフリートがそろそろ割り込もうかという時、ロスヴィータが声をかけてきた。
「フリーデ、派手な立ち回りをしていたが大丈夫か?」
何事もなかったかのように、そしてこの状態についての言及もないロスヴィータにエルフリートは瞬いた。
「ほら、迷惑をかけるなら私だけにしておきなさい」
「……う、うん」
レオンハルトに抱きしめられているエルフリートをするりと奪った彼女は、そのまま演習を再開させるポーズをとる。彼女の登場にぽかんとしていたブライスとレオンハルトだったが、すぐに我に返って自分の場所に戻る。
「さあ、気を取り直して行くぞ」
「うん」
エルフリートの気まずさを理解してか、彼女は柔らかい笑みを送ってくる。その優しい視線をありがたく感じながらエルフリートは高く打ち上げられたボールに集中し直すのだった。
演習が終わり、着替えて暖を取っているとロスヴィータが控えめのノックをして入ってきた。
――結果? もちろん健闘したけど最下位だよ。
相手は場数を踏んでいて手馴れているし、こっちは人数少ない上に初心者が二人。健闘しただけ良いと思うしかない。
ロスヴィータも寒かっただろうと自分用に用意しておいた牛乳を温めて、それで紅茶を作る。仕上げにブランデーを垂らせば完成である。
「はい、どうぞ」
「……ああ、すまない」
ロスヴィータはさっそく一口含み、小さな笑みを作る。
「相変わらずおいしいよ」
「ありがとう」
ただお茶を飲みに来ただけではない事を証明するように、ティーカップを置いた彼女は姿勢を正した。
「……これは、嫉妬ではないとだけ先に言っておくからな」
「うん……?」
「ブライスとの距離が異様に近いが大丈夫なのか?」
わざわざ前置きを置いた気持ちが分かる。これは戦略的な話題だ。
「女装だとバレてしまわないかって話だよね?」
思わず小声で聞き返すとにらまれた。せっかく人が遠巻きに聞いてやったのにって顔してる。
「大丈夫だと思うよ。見た目と言葉遣いによらずに紳士だし」
「私の思い過ごしなら良いんだがな」
「何か気になるの?」
ロスヴィータは少し気まずそうに視線を逸らす。
「ロス?」
「……いや、このまま進むとブライスがあなたに懸想するような予感が」
「まさかぁー」
エルフリートは笑い飛ばしたが、ロスヴィータの表情は変わらなかった。同じ懸念を抱いた人物が他にいると知るまでエルフリートは彼女の言葉を軽く考えていた自分を、後に少しだけ後悔する事になる。
2024.7.19 一部加筆修正




