時計
『時計』
娘が、言うことをきかない。
中学生のころからそうだったが、高校に入ってからさらにひどくなった。
学校に呼びだされたのも、一度や二度ではない。
最近、警察にも呼ばれた。
高校を退学するのも、もう時間の問題だろう。
妻…、あいつにとっての母親が死んでから、あいつは変わった。
もう、おれにはどうすることもできない!
ある日おれは会社の帰りに、ちょっと近道をするつもりで裏通りに入った。
「ハン! えらそーにするんじゃないよ。このハンパモノども!」
聞きなれた声がした。
自己防衛本能は「そっちに行くな」と叫んでいる。だけどおれは走った!
予想通り、娘が男たちに囲まれている。
「何しにきたんだよ、オヤジ」
男たちは、北斗の拳のザコ、ほどではないが、どう見てもフツーの学生や社会人とはほど遠い恰好をしている。
「なんだ、おまえのオヤジか?」
「弱そーだなー」
「自分の娘が目の前でひどい目に会うところを、見物しにきたわけだ!」
男たちがゲラゲラ笑った。
ナイフやカミソリなどの、得物を取り出している。
おれは落ちていた棒を拾った。
おれが生まれてきたのは、おれが生きてきたのは、今日娘のために死ぬためだったのだろう。
しかし、その前に…。
はめていた腕時計を外して、娘に渡した。
おれの細い腕ならば、女物の時計をすることができていた。
「おまえの母さんの形見だ。おまえが持っていろ」
おれは棒を構えて走り出そうとした。
その時、おれの頭ごしに、何かが飛んでいった。
さっき渡した時計を、娘が放り投げたんだ!
なぜだ…。
受け取ってくれないのか!
母さんの形見なのに!
おれがしていたからか!
おれが持っていたというだけの理由で、母さんの形見さえ持っているのがいやなのか!
張りつめていた気持ちがぷっつり切れて、おれはただ立ちすくんだ。
「そいつはロレックスだ。カネになるぜ!」
後ろから娘の声が聞こえる。
おまえにとっては、もう、母さんの形見でさえ、金になるかならないかの物でしかないのか…。
男たちが時計を奪い合っている。
取り返そうとも思わなかった。
もう、どうでもいい…。
いきなり腕をつかまれた。
「バカ! なに突っ立ってるんだ! 今のうちに逃げるんだよ!」
娘に手を引かれ、表通りまで走った。
「弱いくせに、なんて危ないまねをするんだ。あいつらがどんな奴らかも知らないくせに…」
家に帰って、娘に五時間説教された。
おしまい。