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いつも通り、無我の境地でいい。

 朝倉先輩の家は三階建ての鉄筋コンクリートの豪邸だった。車庫には高そうな外車が並んでいる。


 父親が有名な野球選手だったというだけあって、たっぷりとお金と見栄をかけたデザイナーズ物件というやつなのかもしれない。


 田舎の古臭いこじんまりとした和風なお家屋が並ぶこのあたりでは、巨大で近代的なフォルムは時代を間違えたオーパーツのように目立っている。それはもう場違いなほどに。


 それなりに古いお屋敷で広さには多少の自信があった我が家と比べても、三倍ぐらいの面積がある。このぐらい広い家なら、先輩がしばらく引きこもりをしたところで、問題はなさそうだ。


 建物の前で足を止めた私を、賢人が怪訝そうな顔で見ている。


「何をしている。早く来い」

「こんな豪邸に住んでいるのに、金持ち感をあまり出していなかった先輩、すごいなぁって思って」


 先輩の人柄に対して、好感度が上昇中である。


「そんなことで株を上げたところで、いまさら意味はないだろう」

「でも、下がるより良いじゃない」


「株というのは、いくら値が上がろうとも、所持している間は、ただの仮想価値でしかない。手放したときに初めて、本当の価値がわかるものだ。株と恋愛は似ているのかもしれない」


「あの、女子高生相手に、株と恋愛がどうとか言われましても」


「そもそもお前の手元に、彼の株はまだあるのか。最初から、手にしていたのかどうかすら、怪しい気がするが」


「そんなこと言われても……わかんないよ」


 賢人が見下すように私を見て、大きなため息をついた。


「とりあえず、家に入った後は、余計なことは言うな。わかったな」


 今回しぶしぶながらも、賢人がついてきてくれたのは、ある予測を確認したかったからだという。よくはわからないが、賢人には何か、確信のようなものがあるのだろう。


「偉そうに。命令されなくても、私はちゃんとやれますから」


 ここに来るまでの道すがら、ずっと賢人に何をするつもりなのかを尋ねていたが、まったく教えてくれなかった。


 理由は簡単である。前もって教えたら、私が挙動不審になって、すべてを台無しにするからだそうだ。


 確かに私は大根役者である。女優みたいな演技をしたことがあるのは、幼稚園でやった『赤ずきん』の舞台と、去年の結婚式サプライズのとき以来かもしれない。


 ちなみに私が幼稚園の舞台でやったのは、主役の赤ずきんちゃんじゃなくて、名もなき石だ。狼のお腹の中にいっぱい詰められる、大きな石の一つだった。


 もちろんセリフなんて一つしかない。「よいしょ、よいしょ、お腹に入るよー。どーん」とかいう、シュールな石の擬人化セリフを、棒読みで読んだシーンを撮影した映像が残っている。完全なる黒歴史だ。


 結婚式サプライズのときは、私が隠し事ができなさすぎて、早々に姉にバレたとも言える。だから演技には、まったく自信がない。


「お前の演技に、期待はしていないから心配するな。いつも通り、無我の境地でいい。私は人畜無害な、おバカですというオーラさえ出していてくれればいい」


「うるさいです」


 賢人に向かってあっかんべーをする。賢人は心底呆れた、というような表情で言った。


「それ可愛いと思ってやってるんなら、やめといたほうがいいぞ。顔面が崩壊するほどの仕草をしても許されるのは、年端もいかない幼女だけだ。出会った頃のお前ならまだしも、高校生にもなって、そういうことをするのは、あざとすぎてイタすぎる」


「悪かったですね。あざとくてイタい女子高生で。そんな女でも付き合おうって、言ってくれた人が、この家にいるんですけどね」


「まさに奇特な人物だな。天然記念物として、認定してもらったほうがいい」


 本当にムカつく。賢人の目潰しをするつもりで、力強くインターホンを押した。


「朝倉でございます」


 前に訪問した時と同じように、お手伝いさんらしき女性の声がする。


「すみません、八神と申しますが、直都さんいらっしゃいますか」


「申し訳ございませんが、直都お坊ちゃんは、体調不良でお休みになられています。しばらく誰ともお会いにならないと、お聞きしておりますが」


「あ、ちょ、ちょっと待ってください」


 賢人が使えない奴だな、という目で睨んでいる。賢人が私の代わりに、インターホンに呼びかける。


「直都さんのお兄さんのことで、大事なお話があります。家に入れてくれないと、僕はある事実をネットで拡散してしまうかもしれません。それでもよろしいのでしょうかと、お伝えいただけますか」


 インターホンの向こう側で、誰かと相談しているような声が、かすかに聞こえる。


「直都お坊ちゃんが、お会いになるそうです」


 ゲートが自動で開いた。





 ゴージャスな玄関を通り、絵画やオブジェがずらりと並んだ長い廊下を進んだ後、エレベーターで三階まで上がった。


 案内された朝倉先輩の部屋は、広くて天井も高い。備え付けの家具は、どれも高そうだ。壁にある本棚には、先輩が好きな少女小説や少女漫画が、いくつも並んでいる。


 家族以外の、男性の部屋に入ったのは初めてだ。本当なら生まれて初めて、彼氏の部屋に入るという、ドキドキしまくりの最高なシチュエーションのはずなのに、シスコンの義兄同伴のせいで、すべてぶち壊しだ。甘いロマンスどころか、嫌な予感しかしない。


「すみません、こんな格好で」


 出迎えてくれた先輩はパジャマ姿だった。ツルツルとした素材は、シルクかもしれない。


 いかにもお高そうな雰囲気を醸し出している。いつもの朴訥とした感じとは違って、家ではお金持ち仕様ということなのだろうか。


 いくらお高い素材でも、さすがにパジャマ姿で後輩に会いたくなかったのか、今日の先輩は、なんだかよそよそしい感じがした。


 申し訳なくなった私は、何度も首を振りながら答える。


「こちらこそ、急に押しかけてすみません」


 先輩は家ではメガネをしている、と言っていたはずだが、メガネは棚の上に置かれたままだ。具合が悪くて寝起きのままなのだろうか。


 それとも服を着替える時間がなかったのに、わざわざコンタクトはつけたのか。どちらだとしても少し不自然だ。


 お手伝いさんが紅茶とケーキを置いて、部屋を出て行くのを見届けると、ようやく先輩は口を開いた。


「大事なお話って何のことですか」


 賢人は質問には答えもせずに、部屋の中をうろうろと動き回っている。


「子供じゃないんだから。じっとしててよ、もう」


 女子高生に注意をされる大学生って、何かがいろいろ間違っている気がする。世間的には立派な大人なのに、やっぱり中身は子供なのかもしれない。


 賢人が机の前まで行って、足を止めた。プリントアウトされた原稿の束を、じっと眺めている。


 そばにはイラストが、何枚も散らばっていた。小説の表紙のように『青い春と白い雨』というタイトルと『荒草大人』のペンネームが、いくつかのパターンでレイアウトされている。


 賢人が散らばった原稿と、イラストのうち何枚かを手にとって、目を通しながら言った。


「朝倉くんは作家デビューで忙しくて、ずっとうちの妹を、ないがしろにしていたということかな」


「……すみません。いろいろと時間が足りなくて」


 賢人は、また部屋をうろうろと歩き回る。壁や棚の上を、じろじろと見て回ってから言った。


「君がこの前使っていた、黒いエナメルバッグが見当たらないな」

「あれは……捨てました」


「それは自主的に。それとも、そうせざるを得なかったということなのかな」

「何のこと……でしょうか」


 先輩は怪訝そうな表情で、賢人を見ている。


「トイレを借りたいのだが。構わないだろうか」

「どうぞ。部屋を出て、左の突き当たりです」


 賢人は部屋を出て行った。先輩と二人きりになった。いろいろ聞きたいことがあったのに、いざとなると言葉が出てこない。何も聞けないまま時間だけが経つ。


 私をじっと見ていた先輩が言う。


「そっちに座ってもいい」

「あ、はい」


 先輩が私の隣に腰掛ける。自分でも驚くほど、心臓が激しくドキドキし始めた。


「やっと二人きりになれたね」

「そ、そうですね」


「緊張してる?」


 私は小さく頷いた。


「俺も」


 先輩が私をじっと見ている。先輩の手が私の手の上に重ねられた。暖かい手の感触。

 ぎゅっと手を握られて、頭が沸騰しそうになった。先輩の体がぐっとこちらに傾いてきた。先輩が目を閉じる。


 私は耐えきれなくなって、突然立ち上がった。




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