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頭は良いくせに、思考回路は案外ガキである。

 年末の大掃除は、横道にそれる行為こそが王道である。そう言っても過言ではないほど、誘惑が多いものなのかもしれない。賢人もまた、その魔力に引き寄せられた一人だったようだ。


 いらないものを片付けて、と頼んだはずなのに、賢人がいつまで経っても戻ってこない。しょうがないので、屋根裏部屋に様子を見に来たらこれだ。


 床に座り込んだ賢人は、真剣な表情で、古い冊子を読みふけっていた。油断も隙もない。


「何サボってんの」


「サボっているのではない。新しい研究テーマとして、女子高生をAIにして、小説を書かせたらどうなるか、という謎に挑戦しようとしているのだが、まずはその準備段階として、八神真名やがみ まなという人間サンプルのデータを収集中なだけだ」


「ちょ、勝手に見ないで」


 私は賢人から冊子を取り上げた。小学校の文集のようだ。




     ※


   いつかお兄ちゃんみたいになりたい    三年二組  八神 真名


 うちの新しいお兄ちゃんの名前は、征士郎と書いて「せいしろう」と読みます。うちのお姉ちゃんと結婚したので、ギリの兄というやつだそうです。本当は弟がほしかったけど、お兄ちゃんもほしかったから、とっても嬉しいです。


 征士郎お兄ちゃんは、いつか「りょうさんがた博士」になりたいんだそうです。自分でそう言ってます。お兄ちゃんいわく「とりあえず、博士号を取るだけ」でいいんだって。


 これからずっと生きていても、ノーベル賞を取る可能性はゼロだし、お兄ちゃんの研究で世界が進化することもないだろうし、ようするに、いてもいなくてもいっしょの「名前だけの博士」の一人にすぎない「りょうさんがた博士」でいいんだって。


 なんかヘンなの。ロボットの名前みたいだよね。


 世の中には、本当に頭の良い人がもっとたくさんいて、その人たちが世界を変えてくれるから、少しでもそのお手伝いをできれば、それでいいって言ってました。自分は世界の平和を守るので忙しいからって。どういう意味かよくわかりません。


 小学三年生の私からすると、お兄ちゃんは、とっても頭が良いです。小学校、中学校、高校とずっと、学年で一番だったんだって。


 すごいよねぇ。


 いったい、いつ勉強してるんだろうって不思議に思います。


 だって時々家に遊びに来ていた時は、いっつもボーっとしてるか、本を読んでるか、そういう姿しか見たことないんだもん。


 ほんと、不思議。


 時々、テストの時は、お兄ちゃんの頭を貸してほしいって思います。


 背もおっきくて、百八十センチもあります。顔も美人さんだったというお母さんに似ているらしく、けっこうハンサムだと思います。


 残念ながら、私はなんかフツーです。顔もフツーだし、背もちっこくて、しょんぼりです。


 テストだって、いっつも七十点ぐらい。球技も苦手で、バレーボールとかすると、よくぼかーんと頭にボールが当たってイタイです。


 お兄ちゃんに家庭教師をしてもらったり、スポーツもいろいろ教えてもらったけど、全然かしこくも、上手にもなりません。私も大きくなったら、いつかお兄ちゃんみたいになれる日がくるのかな。


     ※




 どこかの段ボールに紛れていたのだろう。よりによって、若気の至りで征士郎さんのことを書いた、黒歴史な作文が載っている文集をチョイスするなんて。できることなら、賢人には見られたくなかったやつだ。恥ずかしすぎる。


「知らなかったよ。将来の夢が、兄貴みたいになることだったなんて」

「ち、違うから!」


「いろんな意味で難しいと思うぞ。身体面は努力のしようがないが、頭脳面に関しても、スペックがあまりに違いすぎるからな」

「余計なお世話です。どうせ私は、お兄ちゃんと違っておバカさんですよ」


 文集を丸めて叩いた、賢人の頭は良い音がした。てっきり中身が入っていないほうが、鳴りやすいのかと思っていたが、違うようだ。


「痛いだろ。壊れたらどうするんだ」

「機械じゃあるまいし、このぐらいで人間が壊れるわけないでしょ」


 私に怒られたことも気にせずに、賢人は別の段ボールから古いアルバムを取り出した。私の赤ちゃんの頃の写真が載っているやつだ。


「だからもう、勝手に見ないでって言ってるでしょ」


 赤ちゃんの頃とはいえ、全裸をみられるのは恥ずかしい。アルバムを取り上げられた賢人は、怪訝そうな表情で私を見た。


「こんな赤子の裸で僕が欲情するとでも思っているのか。さすがにそんな偏った性癖はない。実に心外だ」

「うるさいです」


 アルバムや文集を段ボールに片付けてから、賢人を睨みつける。


「まだ掃除終わってないんだから、ちゃんと働いてください。そうじゃないと、年越しそばの海老天ぷらは、私がもらうからね」


 亡くなった征士郎さんも賢人も、蕎麦が大好物だったが、今の賢人は蕎麦があまり好きではない。事故の後遺症で味覚が変わったらしい。


 海老天ぷらが食べられるというオプションのためだけに、年越しそばという儀式に付き合っているタイプの男である。海老天ぷらを封じられるのは不本意なはずだ。


「おねーちゃーん。賢人……じゃなかった、征士郎お兄ちゃんが、海老天ぷら全部いらないってー」


「おい、やめろ」

「だったらちゃんと働いて」


 しぶしぶという様子で立ち上がると、賢人は部屋に戻って、掃除の続きをやり始めた。


「たまに帰ってきた人間を、こき使うのはどうなのか」

「いつもやってくれないから、使うんじゃない」


「この超絶高価な僕の義手を使って、雑巾絞りをやれというのか、お前は」


 左手の義手を隠すために使っている黒い革手袋を、これ見よがしに見せ付けてくる。


 本当は手袋などしなくても、わからないぐらいに精密な義手だったが、左手に何かを宿している厨二病的な雰囲気を出したくて、わざとつけているらしい。


 頭は良いくせに、思考回路は案外ガキである。


「はいはい。だったら掃除機でもかけてください」


 賢人が実家にいるのは年明けまでだ。すぐに東京へ戻ってしまう。今は大学近くのボロいアパートに下宿しているようだが、普段はほとんど戻ってこない。


 だから、家族が揃うのも久しぶりだった。せっかくの家族団らんだとは思っていても、ついガミガミと怒ってしまう。


 私のせいではない。賢人が悪いのだ。


 賢人があまり実家に長居をしないのは、きっと征士郎さんが亡くなってからずっと、夫だと思い込んで接してくる、姉の扱いに困っているからだろう。


「文芸部の部活は、まだ続けているのか」

「まぁね」


「お前に文才があるとは思えないが」

「いちいちうるさいよっ。読むのは文才なくてもいいでしょうが」


 口を開けば、ディスらないと気がすまないのだろうか。


「……お前、彼氏とかできたのか」

「は?」


 ドキッとした。なんかバレるようなことでも言っただろうか。


「賢人には……関係ないでしょ」


 じーっと賢人が私のほうを見ている。


 時々だけど、賢人の瞳の色が、光の加減なのか、少し普段と違って見えることがある。夕焼けでもないのに、赤く反射しているような。きっと私と違って、色素薄い系だと、色が変化しやすいのだろうか。


「なんで僕のことは呼び捨てなんだ。兄貴のことは、お兄ちゃんって言うくせに」

「それは、あれだよ。二人ともお兄ちゃんって呼ぶと、なんかややこしいし」


「今は……一人しか、いないだろ」

「いなくても……いるよ」


「……お前まで、僕を存在しないことにしたいのか」


 賢人の声は少し震えている気がした。


「そ、そんなにお兄ちゃんって呼んで欲しいなら、これからは、お兄ちゃんって呼んであげようか」


 わざと明るく言ったつもりだった。だが変に意識しすぎて、声が裏返った。


「別に、呼び捨てのままでいい」


 ムスッとした表情で、賢人は掃除機のコードを引っ張り出している。


「ニャー」


 窓ガラスを拭いていると、足元にすり寄ってきた猫ロボが、急に甘えた声で鳴き始めた。


「どしたの」


 抱き上げると『蛍の光』のメロディが鳴り始めた。首輪に付けられた小さなモニターに、メッセージが表示されている。


『百円を課金してください』




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