表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

思い出放送

作者: 村崎羯諦

『ママ、見て見て!! ちぃね、お絵かきを先生から褒められたの!』


 テレビ画面いっぱいに映し出される、幼稚園時代の私の笑顔。汚れも何も知らず、作り笑いなんて言葉すら知らない純粋な笑顔。若かりし頃の母親が画面に現れて、私の頭を優しく撫でててくれる。十年後、不倫相手と逃げるように家を飛び出し、それ以降音信不通になっている母親のその表情に、私の中で色んな感情が渦巻いて、胸が苦しくなる。


 思い出放送。最初にその噂を聞いた時、単なる都市伝説の一つでしょと馬鹿にしていた。深夜のある時間帯、どこの放送局にも割り当てられていないチャンネルへ変えると、テレビ画面に自分の思い出、それも素敵な思い出だけが映し出されるという噂。


 それでも私は好奇心から一度だけ試してみようと思った。そして、特定の時間帯にチャンネルを回し、そして画面に映し出された自分の過去の映像。カメラで録画していたわけでもない私の思い出がテレビ画面に映し出されているのは、よくよく考えればとてつもなく不気味なことではあった。それでも、画面いっぱいに映し出された懐かしい思い出に、私は目を離すことができなかった。


『えー、恥ずかしいってば。やっぱ、一緒に来てよ』

『何恥ずかしがってんのさ。ほら、早く行かないと。後藤君待ってるよ』


 思い出放送は毎日、同じ時間帯に放送された。思い出放送を見つけてからというもの、私は毎日その思い出の放送を視聴するのが日課になった。画面に映し出される高校の制服を着た十年前の私。サッカー部の後藤君に告白しようとする私の背中を真希が押す場面。


 真希は私の高校時代の親友で、何をするのもどこへいくのも一緒だった。だけど、高校を卒業して以降、あれだけ仲の良かった真希とも、少しずつ少しずつ疎遠になっていった。二人顔を合わせるのも、半年に一回から、年に一回のペースへと変わり、それから真希の結婚を機に、ずっと連絡を取っていない。場面が移り、私があっけなく告白に撃沈するところでエンドロールが流れ始める。佐々木千智、新城真希、後藤雄大、その他エキストラ。出演していた人間の名前が流れた後、画面にテロップが映し出される。


『思い出放送は皆様の素敵な思い出の提供によりお送りしました』


 その後でテレビの画面が真っ黒になり、放送を受信できませんというメッセージが表示される。私はリモコンを力なく握りしめたまま、電源を消すこともできず、立ち上がることもできず、ただただ昔の思い出を思い出しながら真っ暗な画面を見続けた。


『フレー、フレー! あ・か・ぐ・み! フレッフレッ赤組! ゴーゴーゴー!』


 それからというもの、私は思い出放送の時間になると必ずテレビをつけ、画面に映し出される自分の過去を視聴するようになった。場面は中学生時代の運動会。声援の中、赤組チームがリレーで白組を追い抜く。カットが変わり、中学生の私が映る。赤い鉢巻きを頭につけ、テープで作った赤いボンボンを両手にはめ、無邪気に声を張り上げている。赤組チームがトップでバトンを渡し、私は隣の女の子とハイタッチを交わす。この子の名前はもう思い出せないけれど、画面に映し出されているこの日のことははっきりと覚えている。中学生時代の私の楽しい思い出として。


『私、後藤君のことが好きなっちゃったかもしれない』

『本当!? もっとよく聞かせてよ!』


 高校の帰り道にあったファーストフード店。向かい合わせに座る私が少しだけ恥ずかしそうにはにかむと、真希が興味津々な表情で詰め寄ってくる。思い出放送では私の素敵な思い出しか放送されない。嫌な思い出や恥ずかしい思い出、そして特に記憶に残らない思い出は決して放送されない。だから、毎日見ていると以前にも見た同じ内容が再放送されるということもある。それでも、思い出放送自体が人生の再放送みたいなものだったから、別にそんなことは気にならなかった。一人ぼっちのワンルーム。安いチューハイを片手に私はじっと昔の思い出を見続ける。単調な毎日に忙殺されている今よりも、希望に満ちていたあの日の思い出を。


 そして、毎日思い出放送を見続けて、私は気がつく。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


―――社会人の退職および鬱病の発症が先月から急増しています。景気の後退が主たる要因と考えられていますが、詳細な原因は不明なままとなっております。この報告を受け、厚生労働省は調査チームを発足し……


 思い出放送を見るのが日課になってから、昼間の時間帯にぼーっとしていることが多くなった。仕事にも身が入らず、上司から怒られることも増えていった。私は今この瞬間を生きているというのに、意識だけはどこかをふわふわと彷徨っている、そんな感じ。休日に外出することも少なくなったし、食事の量も少しずつ減っていった。それに代わってお酒の量だけが増えていって、のめり込むように思い出放送に見入るようになった。


『うちらって一生親友だよね?』

『当たり前じゃん!』


 画面の中の真希が私に微笑んだ。肘がテーブルの缶を倒し、底の方に残っていたお酒が溢れる。だけど、それを掃除する気力すら今の私には湧いてこなかった。テーブルの端から滴り落ちる液体と、画面の中の眩しすぎる自分の思い出を見比べながら、私は声を押し殺して泣いた。思い出放送のエンドロールが流れ、真っ暗な画面に戻る。明日の仕事に備えて早く寝なければならないのに、不安と孤独で心が押しつぶされそうだった。


 真希は今、どうしているだろうか? 私は涙を服の袖で拭いながらそんなことを考える。連絡してみようと思ったことは何度もあったけれど、それを実行に移す勇気が私にはなかった。私にとって真希は私の思い出にとって欠かすことのできない親友だったけれど、真希にとって私がそうであるとは限らなかったから。真希は私よりもたくさん友達がいて、私よりもずっと毎日を楽しむことのできる人間だった。結婚をして、幸せをつかんだ彼女のこれからの人生に、きっと私の居場所はない。私たちって親友だよねと笑いながら頷いてくれた真希の顔が思い浮かんで、吐き気にも似た孤独感が押し寄せてくる。


 私は冷蔵庫からお酒を取り出し、震える手で蓋を開ける。その時。テーブルの上に置かれた携帯電話がピコンとメッセージの通知を知らせる。こんな時間に誰からだろう。私はふらついた足取りでテーブルへと近づき、メッセージの送り主の名前を見る。携帯電話の通知バナーに表示されていたのは、先ほどまで画面で私に笑いかけていてくれた真希の名前だった。



*****



「思い出放送って知ってる?」


 市街地のとある喫茶店。どうして急に連絡してきてくれたのと尋ねると、数年ぶりに会った真希はそう尋ね返してくる。


「初めは単なる噂なんて思ってたけどさ、試しにテレビをつけてみたら本当に映ってるんだもん。びっくりしちゃった。でね、それからたまにその放送を見るようになってさ、その放送の中で……千智との思い出が放送されてたの。連絡をしたその日初めて千智が登場したってわけじゃなかったけど、テレビの画面に何回も千智が出てくるのを見てるうちに、いてもたってもいられなくなってさ、深夜なのにLINEしちゃった」


 迷惑だった? と真希が聞いてくる。私は首を振り、すごく嬉しかったと嘘偽りない本当の気持ちを伝えた。店内にはどこか懐かしいジャズが流れていた。高校の時に二人一緒に過ごしていた安いチェーン店ではない、おしゃれな喫茶店。懐かしいねと私が呟くと、真希もそうだねと上品に笑った。


「親友だって言ってたのに、高校を卒業してからいつの間にか疎遠になって……。でも、そんなもんだって自分に言い聞かせていたのかもしれない」


 私の言葉に真希が目を伏せる。真希からではなく私から連絡することもできたはずなのに、なぜそうしなかったのか。それはきっと、私の方が心のどこかで彼女との関係を信じ切ることができなかったから。


「そうだね。私も正直そうだった。高校生の時はお互いに親友だよねって言い合ってたけど、口先だけで、本当はそうじゃなかったのかも」


 私は真希の言葉に頷く。昔は良かったよね。私が口を開きかけた時、真希が顔をあげ、にこりと微笑んだ。

 

「だからさ、改めて親友になろうよ。高校の時みたいな形だけの親友じゃなくて、本当の親友に」


 真希は照れ臭そうに笑っていた。昔のような可愛らしい八重歯を覗かせて。


「昔みたいにとはもちろん言わないよ。でもさ、こうしてたまに会って、色んなことを話して、くだらないことで笑い合おうよ。一度疎遠になってるからさ、高校の時よりもずっと素敵な関係になれると思うんだ。あれ? ひょっとして泣いてる?」


 私が涙を拭って見つめ返すと、真希もまた瞳を涙でうっすらと濡らしていた。そして、それから。高校の時に親友だった私たちは、あの日よりもちょっとだけ笑いあった。高校生でもないし、制服を着ているわけでもない私たちの笑い声は、あの日よりもちょっとだけ慎ましげだった。今度遊びに行こうよと真希が提案する。うん、行こうよと私が答える。私たちの楽しげな会話に合わせるように、喫茶店のBGMが違う曲へと移り変わった。



*****



 真希と数年ぶりに再開した日。私は数ヶ月ぶりに思い出放送を見ないままベッドへ潜り込み、穏やかな気持で眠りについた。翌朝目が覚めたとき、いつもよりもずっと心が軽く、そして窓の外の空はいつもよりも澄んで見えた。


 私の生活が大きく変わったわけではない。相変わらず単調な毎日は続いているし、お酒だって中々止められない。それでも、一日中思い出放送のことばっかり考えているということはなくて、穏やかな気持で一日を過ごすことが多くなった。あれだけ依存していた思い出放送を見ることはなくなって、荒んだ気持ちのまま眠りにつくようになった。


 だけど、ある日の深夜。久しぶりに夜ふかしをして、偶然部屋の時計を見た時、ちょうど思い出放送が放送されている時間だということに気がついた。すごく見たいという衝動はなかったけど、まだ放送は続いているんだろうかという好奇心に駆られ、私はテレビをつけてチャンネルを回した。


『だからさ、改めて親友になろうよ。高校の時みたいな形だけの親友じゃなくて、本当の親友に』


 画面の中の真希が私に照れくさそうに微笑みかけた。それと同時にエンドロールが流れ始める。主演、佐々木千智、斎藤真希。リモコンを手に持ったまま、私はテレビ画面を見つめる。はるか昔の思い出ではない、新作の思い出。胸の中が温かい何かで満たされていくような気がした。


 エンドロールが終わる。そして、ポップな音楽とともに、テレビ画面にテロップが映し出される。


『思い出放送は皆様の素敵な思い出の提供によりお送りしました』

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ