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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

博士とわたしの裏返った愛情

作者: 七川あかね

 はじめまして。こんにちは。おはようございます。

 わたしの名前はマリオネッタです。

 あなたの名前は何ですか?


 ……そう、いいんです、今はわからなくても。わたしも起きたばかりのときは、そうなりますよ。

 頭が痛みますか? どうぞ、無理をしないで、横になっていてください。

 ……ここですか? ロイド=ネウストリア博士のお屋敷です。

 なにも思い出せない? そうですか。でも、そんなに不安がらなくていいですよ。

 時間が経てば思い出せるでしょうけど、そうですね。あなたが辛くなければ、お話をしましょうか。きっかけになればいいですしね。

 眠くなったら、眠ってしまっていいですからね。


 今は夜です。あれは狼の遠吠えですよ。

 ここは森の中なんです。一番近くの街まで、馬で半刻はかかるかしら。

 あ、心配しないで。屋敷の周りを電気の通った柵が囲っていますから、ここは安全です。もし悪い人が入ってきたって、博士がたくさん仕掛けをつくってくれていますから、すぐやっつけられます。


 博士は機械仕掛けの専門家です。すごい方なんですよ。特許を数えきれないくらい持っています。

 一生どころか、何回生きたって使いきれないほどのお金持ちです。

 だから、あなたもわたしも、働かなくていいんですよ。

 わたしですか? マリオネッタです。博士の妻です。

 そう、博士の妻はマリオネッタという名前なんです。

 だからわたしはマリオネッタです。

 あら、ぐるぐるした言い方になってしまいました。ごめんなさい。

 マリオネッタは、あまり上等な頭ではないんです。残念ながら。


 ここに住んでいるのは、博士とわたしの二人です。七日に一度、御用聞きがやってきて、必要な品物を都合してくれますけど、それ以外は、お客様はありませんね。

 博士はマリオネッタを独り占めしたいんです。そのために、街中のお屋敷から引っ越してきました。もともと人付き合いが苦手でしたしね。

 ええ、博士は頭の出来は素晴らしい方なんですが、気が弱くて、すぐ虐められてしまうんです。

 この間だって、特許権の管理のために街に行かれたんですが、しょげかえって帰ってきました。

 博士は、出迎えたわたしに抱きつくと、とたんに子供みたいにスンスンと鼻を鳴らしはじめました。

 しつこく呼ばれていたから、ネウストリアの本家に寄ったそうです。よせばいいのに。お金の無心をされた挙句、両親と弟たちから散々な扱いを受けたんですって。

「頭がおかしいって言われた。病院に行けって。僕は君の話をしただけなのに」

 博士が涙を流しはじめたので、わたしは眼鏡を外して、顔を拭いてあげました。

 そう、博士は目がとても悪いので、ジャム瓶の底みたいに分厚いレンズの眼鏡をかけているんですよ。

 でも、その下の目はとても綺麗です。博士は、女の子みたいに優しい顔立ちなんです。

「ロイド、辛かったわね。でも、もうここに帰ってきたから大丈夫よ」

 わたしは博士を慰めました。

 だいたい、博士が長男なのに、おどおどしていて人前に出るのを嫌がるからって、声が大きいばっかりの次男を後継にしてしまったような人たちです。そのせいで、事業で大きな失敗もしたそうですよ。穴埋めをしてあげたのは成功してお金を稼げるようになった博士なのに、当たり前みたいな顔をして、かけらも感謝しないんです。

 あのゴミ虫たち、一度死ねばいいんです。あなたも今後、極力関わらない方がいいですよ。

 あんなのに泣かされているのが可哀想で、わたしは博士の頬にキスしました。

 博士はそれだけで真っ赤になってしまいました。


 博士はかわいい人です。発明以外の能力はとても低いので、世話の焼きがいがあります。シャツの後ろが出ているのを直してあげたりとか。一日三回、ご飯を食べるように声をかけたりとか。お風呂上がりに髪の毛をよく乾かしてあげたりとか。

 博士は色彩感覚が絶望的なので、赤と黄色と紫の、悪夢のような彩りの薔薇の花束をくれたことがあります。どの色がいいかわからなかったから、全部にしたんですって。趣味の悪い、宝石がどっさりぶら下がってジャラジャラしているネックレスをくれたこともあります。どこで見つけてくるんだか呆れる代物でした。

 そのとき、マリオネッタは気に入らなくて、どちらも博士の目の前でゴミ箱に叩き込んでしまったんですけどね。博士は怒るどころか謝っていました。可哀想にね。

 今のわたしなら喜んで受け取るのに、博士は贈り物をするのが怖くなってしまったのか、そういう機会は来ていません。

 博士が、マリオネッタのことを考えて選んでくれた、それだけで、たとえ石ころだって価値があるのにね。


 博士は冗談でなく、一日に百回くらい、マリオネッタに「好き」と言います。わたしは毎回「わたしも好き」と答えます。

 だって、本当にマリオネッタは博士が好きですもの。昔っから。出会った時から。

 マリオネッタの実家は借金だらけの没落貴族で、身分とお金を交換するために親たちが決めた政略結婚ですけど。わたしはマリオネッタなので、知っています。マリオネッタだって、博士を一目で気に入っていたんですよ。


 ベッドの上でだけ、博士は「愛してる」と言います。博士なりにこだわりがあるのか、使い分けているみたい。

 もちろん、わたしも「愛してる」と答えます。博士はいつも切羽詰まっていて、あんまり上手じゃないんですが、そんなのどうだっていいんです。したあとの博士は親犬にじゃれる子犬みたいに安心しきってかわいいから。

 ええ、間違いなく、わたしは博士を愛しています。


 でも、一月に一度くらい、限界が来て博士は狂います。

「嘘つき、お前は偽物だ。マリオネッタは僕なんか大嫌いだった」

 博士はわたしを壊してしまいます。この前は花瓶を叩きつけられてしまいました。あんまり頭部を傷つけられると、再現度が下がってしまうのですが……。

 そう、わたしは博士の妻だったマリオネッタではないんです。わかっているくせに、博士はしばらくすると、わたしを起動させずにいられません。

「ごめんね、痛かったよね、許して」

 枕元で泣いている博士を早く慰めたくて、わたしはいつも、回路が通じはじめるのをもどかしく待ちます。

「大丈夫よ、ロイド。大好きよ」

 そう言って抱きしめてあげないと、博士は泣き止めないんです。


 どうぞ触ってください。わたしのこめかみ、両側とも、皮膚の下に円盤のような硬いものがあるでしょう。

 これは電極です。

 あなたはご存知でしょう。生き物の身体の中には電気が流れているんですって。考えたり、手足を動かしたりするのは、電気の活動なんですって。そして、死んでしまうと電気の流れが止まる。

 博士は妻のマリオネッタが死んでしまったとき、あんまり悲しくて寂しくて、お墓を開けて死体を持ってきてしまったんです。お金を払うと大概のことはやってくれる人がいるんですから、怖いですね。

 そして、マリオネッタともう一度言葉を交わしたい一心で、博士なりの蘇生を試みました。

 それが、わたしです。

 ええ、わたしはマリオネッタの身体を基礎に、痛んだあっちこっちを機械でつぎはぎして、通電して稼働している、いわば人造人間です。


 わたしは、マリオネッタの記憶を継いでいます。

 マリオネッタは、ひどい妻でした。

 一目でロイドに恋したけれど、彼女の愛情は歪んでいました。ロイドが自分のために泣くのが大好きでした。他の人に泣かされると腹が立ちました。

 いつだって、ロイドに自分のことだけ考えていて欲しかったのです。

 見せつけるように遊び歩いて、ロイドの数少ない友人や弟と関係を持ちました。優しいロイドが傷つきながら、泣いて縋って捨てないでくれと言うのを楽しみました。

 夜遊びに行くマリオネッタを引き止めようと、ロイドは這いつくばってマリオネッタの靴にキスしたことまであるんですよ。

 あのときマリオネッタが感じた、毒気たっぷりの愉悦を、わたしは知っています。


 でも、マリオネッタは誰と寝たって、ロイドのことを考えていました。

 マリオネッタはロイドの贈り物を目の前で捨ててみせたあと、こっそり拾って持っていました。

 マリオネッタはロイドに「好き」とも「愛してる」とも言ってやりませんでした。その言葉を与えてしまえば、ロイドは満足して、マリオネッタへの執着を弱めるかもしれないと、怖かったから。

 性格の悪い、臆病で、馬鹿な女です。そんなだから、愛の言葉を交わす幸せも知らないまま、つまみ食いしたくだらない男に恨まれて、滅多刺しにされて死ぬことになったんです。


 ……マリオネッタなんかどうでもよかったですね。

 わたしは残された博士が可哀想で仕方がありません。

 わたしはせめて、言葉と態度を尽くして愛を伝えるけれど、それが博士に届くことはありません。わたしは結局、博士が求めたマリオネッタではないんです。


 だから、博士を救うために、わたしはあまり出来のよくない頭で必死に学びました。

 博士がわたしの身体をメンテナンスするやり方を覚えました。生物学も機械工学も電気工学も、とても難しかったけど、本を読み込みました。

 博士はわたしの思惑をどこまでわかっていたかしら? とっても丁寧に、どうやってわたしを作ったか、教えてくれましたよ。


 そろそろ思い出しましたか?


 わたしは博士の研究を充分に理解できたと確信した日、博士を殺しました。睡眠薬を飲ませて深く眠ってもらったあと、心臓を刺しました。

 まだ、頭が痛みますか。少し、薬の量が多かったかもしれません。

 ごめんなさい。半端にしては、苦しむと思ったんです。

 でも、あなたのおかげで、わたしはちゃんとできたんですよ。

 だってほら、あなたは目覚めて、わたしを見つめ返してくれているもの。


 蘇生すると、どうしても少し壊れて、違うものになってしまうんです。マリオネッタとわたしのように。

 でも、それでいいんです。同じ立場になってやっと、わたしたちは向かい合えるのではないかと思うんです。

 とても愚かな夫婦の話だったでしょう?

 一度死ななきゃ、治らないくらい。


 わたしの名前はマリオネッタです。

 さあ、あなたの名前は何ですか?


 わたしはあなたを愛しています。

 ねえ、あなたはわたしを、愛してくれますか?


「博士とわたしの裏返った愛情」


 おしまい

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[一言] 「嘘つき、お前は偽物だ。マリオネッタは僕なんか大嫌いだった」 これ死んだマリオネッタが聞いたらどう思うんですかね…
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