接眼レンズ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ふう、まいったなあ。今回の検査で、また視力が落ちちゃったみたい。昔はもう少し目がよかったんだけど、そろそろ免許とかにも引っかかってきそう。やだなあ、眼鏡かけたくないなあ。
――コンタクトレンズにすればいい?
いや、眼鏡かけたくないなあ発言って、別に眼鏡そのものがどうこうって悩みじゃないんだけど……まあ、視力を落としたくないって点は間違ってないわ。
眼には、ブルーベリーがいいとか言われていたけれど、研究が進んでみると、結局は偏らずにいろいろなものを摂取した方がいいっていう話に落ち着いたみたい。
そもそもブルーベリーが視力向上に効果あり説って、第二次世界大戦時のレーダー技術の向上を、隠蔽せんがためにねつ造されたエピソードらしい、なんて声もあるくらいよ。
一時代の常識が、次の時代では非常識なものとして扱われている。今だからこそ、非常識と分かったものでも、当時の人たちは真剣にそれと向き合っていた。
見方によっては、貴重な人生を、偽りの真理相手に浪費させられてしまった悲劇なのに、どこか不謹慎なこっけいさを覚えてしまうことがあるのは、どうしてかしら。
きっと笑う方向へ舵を切らないと、神経が参っちゃうような出来事があったことを、遺伝子が覚えているからじゃないかと私は思っているの。
そんな視力をめぐった、ひとつのエピソード。聞いておかない?
あなたは視力矯正の道具と聞いて、思い浮かべるのは眼鏡とコンタクトレンズどちらかしら? 運動をするようになったから、眼鏡からコンタクトに替えたっていう子も周りにはたくさんいたわね。
けれど私は、たとえ眼が悪くなっても眼鏡を使うつもりでいるわ。視界が狭いとか言われようとね。というのも、コンタクトレンズを使っているいとこが出くわしたというケースがあるのよ。
いとこは高校に入った時、眼鏡からコンタクトレンズに替えたと話していたわ。イメチェンでもあり、汗でずれてしまう眼鏡が気に食わなかったせいでもあり、原因はいくつかあったみたいね。
コンタクトにしたところ、「世界が変わった」っていうのが、いとこの率直な感想だったわ。視界、物との距離、あらゆるものが見えすぎるってね。同時に、道具に頼らなくても、これらの景色を堪能できる裸眼勢が、ますますうらやましく思えるようになった、とも。
でも多くの人がご存知かと思うけど、コンタクトレンズは外す時でも、つけっぱなしでも、地獄へは簡単に招かれる。
特にいとこが最初に感じたのは前者。一日の終わりにコンタクトレンズを外す。耐えがたいほどに、ぼやけた視界が帰ってくる。すぐに布団へ横になって目を閉じたとしても、あの輪郭定まらない世界には、自分の視覚機能に対しても、黄昏を感じざるを得なかったようね。
それがどこか怖れとなって、心に根っこを張ってしまったためかしら。やがていとこは、コンタクトレンズを外さないまま眠ってしまい、後悔することが増えたみたいね。ゴミが入った時と同じ違和感を覚えたり、まぶたの裏にレンズが潜り込んでしまったりすることも増えた。
それでもいとこは、コンタクトレンズをやめる気にはならなかったみたい。
コンタクトレンズ生活も数カ月が過ぎたころ。
いとこはふとした拍子に目をこすってしまい、レンズが飛び出して、床を転がってしまったそうよ。
これ、人によるかも知れないけど、本当に見つからないんだって。這いまわって這いまわって、結局見つからず、新しくレンズを買いに行く羽目に。
いとこはソフトコンタクトレンズを使っている。ゴミが入った時の異物感を、少しでも軽くしたかったからって話していたわ。その分、洗浄とかのお手入れには気を遣うみたいなんだけど。
急な出費に肩を落としつつも、戻って来た清涼な視界にほっと一安心するいとこ。けれども一週間くらい経った頃、じょじょに違和感を覚え始めたの。
まず、右手の感覚。いとこは授業中とか、シャーペンを握る機会があると、ほぼ無意識にペン回しをしてしまう癖があった。何回転も何回転も、連続で続けることができる。
それが、ここのところシャーペンを回す最中に落としてしまう。手をずれ落ちる感覚もなく、「カシャン」と音がして、初めて気づくんだって。おかげで何度も視線がこちらに集中して、恥ずかしい思いをする。いとこはそのうち、意識的にペン回しをやめたわ。
だけど何日か経つうちに、ペン回しに限らず手そのもののいうことが、きかなくなっていることにいとこは気づいたの。ろくに力を入れることができず、どこかにぶつけたとしても反応が鈍い。それは左腕と比べれば、歴然たる差だったの。
加えて、もう一点。コンタクトを外す時に見える視界が、いっそう濃い霧がかかっているようになっていたの。
もう数センチ先の文字でさえ、裸眼で読むことができないくらい。コンタクトレンズをかけ始めた当初より、断然悪くなってきている。
だからこそレンズを入れる時は、それこそよどみの中に一滴の清水を垂らされたかのよう。たぎった油分を蹴散らしていく水のごとき、鮮やかさ。もう目がカピカピになっても、外したくないと思うことすらあって、我に返るたびに、「これってかなりやばい状態じゃないのだろうか」と思ったらしいわね。
彼女は眼科の入っている、近所の総合病院に向かったわ。
受付を済ませて、ベンチに座っていたんだけど、相変わらず右腕は、しびれてしまったかのようにささいな触り心地を感じなくなっている。いや、それどころか、つねってみたところで、痛みさえ……。
いとこはお医者さんの個室に呼ばれると、このおかしな感覚について、細かく打ち明けたわ。
するとお医者さんは、「ここよりも、神経内科を受診した方がいい」とおっしゃられ、いとこは看護師さんに連れられて、あまり人がいない神経内科へ。
そこでも症状の話をした結果、日を改めて神経の検査をされることになったらしいわ。
いとこにとってはショックだった。神経内科というと、精神科の一部と考えているいとこは、自分の頭がおかしくなってしまったと、宣告されたかのようだったって話していたわ。
予約を入れた日。いとこは神経伝導検査を始めとした、色々な検査を受けたの。
想像以上に痛い検査が多くて、声を押し殺したのも一度や二度じゃない。そして、最終的にもたらされた診察結果は、にわかには信じがたいものだった。
いとこの神経はコンタクトレンズを付けた瞬間に、もっとも強い反応を示す。けれども、そこから時間が経つたびに、どんどん、どんどん、神経の働きが鈍くなっていくというの。
電池で動く人形があるでしょう? あれ、たとえ電池が切れたとしても、その切れた電池を入れ直したら、まれにもう一度、わずかな時間だけ動き出すようになった経験、なかった? いとこの身体はね、ちょうどその人形のような感じなんだって。
コンタクトを入れる刺激。これを与えないと、どんどん身体中の神経が反応しなくなってしまう。更には筋肉への影響も示唆されて、ヘタすると寝て起きる段になって、起き上がれず、助けも呼べず、という状態になりかねないのだとか。
いとこは今でも、病院通いでリハビリをしている。けれどもレンズの刺激がなくても、きちんと身体が動くようにするための訓練は、いとこにとって先の見通せない、濃霧の中を歩くような治療なのだそうよ。