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 時間にして数秒後、朱莉は恐る恐る目を開けた。

 階段の下、歩道のところに、親子が転がっていた。サミュエルを胸に抱いているところを見ると、落ちてきたサミュエルを受けとめ、そのままひっくり返ってしまったと思われる。


「だ、大丈夫ですか!?」


 男性はほとんど階段を登っていなかったので、何段も転がり落ちることはなかったようだが、それでも打ちどころが悪ければ命に関わる。

 朱莉は青ざめながら二人に駆け寄った。

 二人はほんの少し意識を飛ばしていたが、すぐに目を覚ました。男性が上半身を起こし、その拍子にサミュエルも男性の腕から地面に座りこむ。パッと見た感じでは、どうやら二人とも、大きなケガはなさそうだ。


「良かっーー、うぇ!?」


 ホッと安堵したのも束の間、男性の透き通るような蒼い瞳から、ポロリと零れ落ちるものがあった。涙はポロポロと止まることなく溢れ続けーー、まるでプロモーションビデオのようだなんて思っている場合ではない。


「ど、どうしました!?」


「……痛いし、びっくりした」


「で、ですよね!そりゃ子供とはいえ階段から人間が落ちてきたら痛いですし、ましてや我が子だとしたらびっくりすると思います!」


「……パパは?」


「は?」


 パパとは、つまりこの場合、サミュエルの父親のことだろうか。それは他でもなく、尋ねてきた本人だと思うのだが。


「……どういうことだ」


 声を発したのは、男性の近くに座りこむサミュエルだった。

 サミュエルは呆然と自身の手を眺めたあと、男性を見て、そして朱莉を見た。


「……きみには、俺がどんな姿に見える?」


「え?どんなって……。サミュエルくん、だよね?」


 どことなく雰囲気や口調がさっきまでと違う気がするが、姿形はさっきまで話していたサミュエルそのものだ。


「どうしてぼくがそこにいるの?」


 男性が不思議そうに言った。こてん、と首を傾げる仕草は大人の色気溢れる男性には似つかわしくなく、どちらかと言えばサミュエルの姿を彷彿とさせる。


「え?」


 朱莉は二人の姿を交互に見た。


 一体どういうこと?








 二十三年間平凡に生きてきた朱莉の眼前で、世界中のメディアや研究者が押し寄せてきそうな出来事が発生した。


「中身が入れ替わってる」


 サミュエルが言った。

 朱莉は「すみません。もう一度お願いします」と頼んだ。


「中身が入れ替わってる」


 サミュエルはご丁寧に、一字一句違わず繰り返してくれた。


 場所はとある高級マンションの一室。朱莉の前には、テーブルを挟んでサミュエルと男性が座っている。

 公園から移動してきて、三人は神妙に顔をつきあわせていた。


 なんだかよくわからないが、呆然とする二人の親子をそのままにしておけず、とりあえず場所を変えませんかと提案してタクシーに乗った。「わー、すごーい。パパの身体になってるー」「静かに」と、会話だけ聞いたらはしゃぐ子供をたしなめる親子だが、はしゃいでいるのは立派な成人男性で、たしなめているのは幼い子供だ。

 摩訶不思議な光景に激しい違和感を覚えているあいだに、着いたのがここだった。そして椅子に座るなり、さっきの言葉である。どうやらここに来る間で、冷静さを取り戻しつつあるらしく、サミュエルにしてはしっかりしすぎている口調でもう一度言われた。


「俺とサミュエルの中身が入れ替わってるんだ」


「……やっぱり頭打った?病院にいく?」


 天使に睨まれ、口を閉じる。


「頭は打った。俺と、サミュエルの」


「うん、痛かった」


 サミュエルの隣に座る男性がおでこをさする。確かに、少しコブになっていて痛そうだ。


「あのー、私のこと、からかってます?」


「きみをからかってなんになる」


「……ですよね」


 子供だとは思えない口ぶりや雰囲気に、思わず敬語になる。

 しかし、にわかには信じられない。頭をぶつけた二人の中身が入れ替わるだなんて、そんなことが実際に起こるのだろうか。いくら周りから「あんたは人に騙されやすいから詐欺には気をつけなさい」と言われるほど危なっかしい朱莉でも、さすがに今回は疑ってかかってしまう。


 半信半疑な目を向ける朱莉に、男性がサミュエルの援護射撃を始める。


「ぼくもびっくりだけど、パパの言ってることは本当だよ」


 男性の無邪気な口調が外見と似合わなすぎて切ないとか思ってる場合じゃない。


「証拠を見せてあげるね」


「証拠?」


 首を傾げる朱莉に、男性はにっこりと微笑む。眩しすぎて直視できない。


「アカリ。ぼくたち二人で色んな話をしたよね?」


「な、名前!」


 男性に名乗った覚えはない。二人が階段でぶつかってからずっと朱莉は一緒にいたが、示し合わせている様子もなかった。


 男性は心持ち胸を張って続ける。


「名前だけじゃないよ。歳は二十三。昔から不器用で、働き始めて半年近く経つけど、いまだに仕事に慣れない。忘れっぽいから、メモは顔にすることもある」


 途中でサミュエルから、「二十三!?」「顔にメモ!?」という突っ込みが入る。


 なんてことだ。サミュエルしか知らないはずのことを、男性が知っている。もしかしてテレパシーだろうか。しかしそれは中身が入れ替わるのと同じくらいファンタジーだ。


「ほ、本当にあなたがサミュエルくん?」


 怖々尋ねると、男性は深く頷いた。


「うん、そうだよ、アカリ」


「じゃあ……」


 ちらり、とサミュエル……(仮)に視線を向ける。


「俺はサミュエルの父親だ。名前はノア。ノア・エバンズ。歳は二十九」


 サミュエル改め、ノアはそう名乗った。


「な、なんでこんなことが」


 キャパオーバーした朱莉が(おのの)きながら呟くと、ノアが息を吐いて首を横に振る。


「わからない。だが、あのとき、俺たちは強く頭を打った。なかなかの衝撃だった。考えられるとしたらそれくらいしかない」


「うん。すっごく痛かった」


 思い出したのか、サミュエルがしょんぼりと眉を下げる。見た目は成人男性なので似合わないからやめてほしい。


「これから、どうしますか」


「さて、どうするか」


 ノアが息を吐いた。悩ましげな顔をする五歳児。これもまた似合わない。


「病院にいったところで精神科に連れていかれるのが目に見えている。かといって、このまま戻らなければ困るし……」


「そうですよね。お仕事もあるでしょうし……」


 ちなみに朱莉にも仕事はあるが、人道的にこの二人を放っておけず、腹痛で少し遅れると会社には連絡済みである。仕事覚えが悪いぶん、せめて真面目に働こうと思っていたのにズル休みなんて、と良心の呵責(かしゃく)(さいな)まれた。


「仕事はしばらく休みだから当分は大丈夫だ。まとまった休暇が入ったから、日本に観光に来たんだ」


「じゃあ、ここに住んでるわけではないんですね」


「長く滞在するときは、知人が所有するマンションを借りている。ここはその一室だ」


 なんだかセレブ臭がぷんぷんする。

 サミュエル同様ノアも日本語が堪能だが、一体この親子は何者なんだろうか。


「えっと、誰か頼れる人はいないんですか?それこそ、このマンションの知人さんとか、奥さんとか。……そうだ、奥さんですよ!連絡しなくていいんですか!?」


 失念していた。息子がいるということは、妻だっているはずである。この非常事態を一番に知らせるべき相手だ。

 興奮気味な朱莉を前に、しかしノアは首を横に振った。


「知人は今、出張で別の国にいる。それに、妻はいない」


「いない、というのは……」


 つまり、日本に一緒に来ていないとかそういうことではなく。


「存在そのものがいない。俺たちは二人家族だ」


「あ、そうなんですね」


 どうやら色々と事情がありそうだ。危うく個人的なことに介入してしまいそうになりひやりとしたが、ノアは特に気分を害した様子はない。別に片親だからといって珍しいことではないが、ここはあまり踏みこまないほうが賢明だろう。


「あの、じゃあ、乗りかかった船ですし、私で力になれることがあれば協力します。なんでも言ってください」


 おずおずと切りだす。

 朱莉の力なんて微々たるものだし、ノアは日本にも慣れている様子なので心配はいらないかもしれないが、しかし通常では考えられないことが起こっているのだ。これから生活を送るうえで困ることもあるだろうし、微力ながらなにか力になれることがあるかもしれない。


「ほんと?アカリ、なんでもしてくれるの?」


 無邪気にサミュエルが言う。なんでも、の前に、できることがあれば、という断りを入れたはずなのだが。


「……きみは、俺のことを知っているか」


「は?」


 ノアの言葉に、ポカンとする。

 こんな美形親子、一度会ったら絶対忘れないはずだ。今日が初対面のはずなのだが、もしかしたら違ったのだろうか。


「あの、すみません。どこかでお会いしましたか?私、記憶力に自信がなくて……」


 もし会っていたとしたら失礼極まりないので、ヒヤヒヤしながら尋ねる。ノアはじっと朱莉を見つめる。見た目は五歳児だが、その瞳には朱莉を見定めようとする隙のなさが滲んでいて、緊張からごくりと唾を呑んだ。


「パパ、アカリは嘘なんてつかないよ」


 緊張をゆるめてくれたのはサミュエルだった。


「だからいいでしょ?アカリもこう言ってくれてるし、色々お願いしようよ」


 サミュエルがノアの腕を掴んで揺する。子供のときの感覚で揺すっているが、身体は大人だ。どうやら力加減がまだわからないらしく、ノアの身体はぐらんぐらんと左右に激しくぶれている。


「そもそも、きみは一体誰なんだ?どうしてサミュエルと一緒にいた?」


 普通なら一番初めに聞かれそうな質問が今になって出てきたのは、冷静に振舞っているように見えたノアも混乱していた証拠だろう。色々突拍子もないことが起きたので当然だ。


「あ、決してサミュエルくんを誘拐しようとか思っていたわけじゃありません。私はごく普通の善良な一般人です。佐々木朱莉と申します。会社員です。公園で一人でいたサミュエルくんを見て、交番にお連れしようとしていたところでした」


 今更の自己紹介をして、ぺこりと頭を下げる。なんなら身分証明書でもお見せしましょうかと言うと、ノアは首を横に振った。どうやら一応信頼はしてくれたらしい。


 ノアは塾考のすえ、口を開いた。


「……確かに、このままじゃ日常生活にも支障をきたすし、協力してくれる人間がほしいのは事実だ」


 ちらり、と蒼い瞳が朱莉を捉えた。


「サミュエルも懐いているようだし……、元に戻るまで、協力を頼んでもいいだろうか」


「は、はい。私にできることは、精一杯協力させていただきます」


 面接を受けにきたバイトと面接官みたいな立ち位置になっている気もするが、「やったぁ!」とサミュエルが喜んでいる姿を見ると、精一杯お勤めさせていただきますという心境になってしまうあたり美形マジックはすごい。


「アカリ、これからよろしくね」


 サミュエルにパチン、とウィンクをされた。いや、だから、最近の五歳児(見た目は成人男性だが)って、こんなにもキザなんだろうか。これは将来とんでもない女泣かせになってしまうかもしれない。

 しみじみとサミュエルの将来が心配になってしまう朱莉だった。





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