六
パラムに言われて上空をよく見ると、ぼんやりと膜が張ったような空の青さに所々濃淡が見え、僅かに空が歪んで見える。
膨らました袋の中に溜まった水が少しずつ滲んで零れ落ちるように、脆くなった空の膜が壊れかけているようだ。
空が悲しそうだと例えるのは大袈裟だろうかと蒼穹は思いを巡らした。
新しい巫女はこのような事態に備えて選ばれたはずだ。
「新しい巫女様にははっきりと結界が見えるのでしょうか」
「いいや、あれは偽物の巫女だった」
「ええっ」
「あの偽巫女は使命を果たしもせず、贅沢を好んで王宮で好き放題して過ごしているのだ。神殿で何を祈っているのか怪しい限りだ」
「はあ……」
ユクの邪気が災いを生む根源だとしたら巫女の資格はないだろう。
しかしたとえお飾りでも巫女の存在が必要とあらば、あれはあれで役に立つと言うものだ。なにせ好き好んで王宮に住まおうというもの好きなのだから大した女だと蒼穹は尊敬している。
上に立ち、目立つことが大好きなのも生まれ持った天賦の才能だと言える。
「結界の歪みを早急に修復したい。結界が綻べば機会を逃さす魑魅魍魎が襲い掛かってくるだろう。民を犠牲にするわけにはいかないのだ。どうだ、そなたには出来るか」
「さあどうでしょう。何しろやったことがありませんから」
蒼穹が癒しの力を使うとき願うのは、そのものの痛みを取り除きたいという思い一点のみだ。
どうか悲しまないで。
元ある姿に戻りますように。
そう願うだけで特別な呪文は必要ない。とても単純で純粋な思いがあるだけだ。
ユクの欲深い思いも純粋な分だけ厄介なのかもしれない。あの時、蒼穹はユクの邪気を浄化して清めた。それが一月持たずに溢れてきたとするとユクの邪気は相当深い部分に根付いていることになる。王宮内の下世話な噂話が大好きな大衆も、欲に憑りつかれた巫女様なんてさすがに思いつかない不測の事態だ。
蒼穹が心に祈りの思いを込め、左手を空に挙げると薄く歪んだ膜の内側が見る間に厚くなっていく。
「結界が、元に、戻っていく」
「……信じられません」
「そなた、どうやって」
「元に戻るように願っただけです」
「それだけか。なるほどな……私と一緒に王宮へ参れ。そなたを新たな巫女として迎え入れよう」
「それは出来ません」
「何故だ。私の頼みが聞けぬと申すか」
「王宮にはすでに決められた巫女様がおいでです。私のようなものが出しゃばって入り込むことは出来ません」
「だからあれは偽物だと」
「偽物でも構わないじゃないですか」
「何?」
「私は何も協力しないとは言ってません。国の役に立つというなら力を貸すことはやぶさかじゃありません。ただ、王宮に出向いて巫女として生きていくことは出来ないと言っているのです」
「そなたはこの国にとって特別な存在だ。国で保護してその身を守らねばならないのだ。王宮にいれば安全だし今より豊かで贅沢な暮らしが保証されるのだぞ」
「それ全然信用できませんね。大勢の民の前に晒されて、私がこの国の守り人だと宣言するのですか。冗談じゃないですよ。寧ろそっちの方が危険じゃないですか。まっぴらごめんです」
蒼穹は生まれてからずっと市井で生きてきたが、身の危険を感じたことは一度もなかった。それが神の加護だと言うなら、そうかもしれないし運が良いだけの話かもしれない。けれど、市井の暮らしが惨めで屈辱に満ちている最悪の場所だなんて思わない。
パラムは巫女という地位が甘い蜜のように例えるが果たしてそうだろうか。
蒼穹が生きる世界は活気に満ち、少しの不自由はあるものの決して生きにくい場所などではない。
気の置けない商売仲間と噂話を楽しみ、時に甘い儲けを分け合い、お天道様の気紛れに振り回される。取引で騙されれば腹が立つし、知り合いが病に倒れれば悲しい思いに打ちひしがれる。
そんな当たり前のことが出来ない尊い人になるくらいなら賤民でいた方がマシだ。
巫女の選定の時から周りの目はあのユクという少女に向けられていた。
彼女の姿は最も巫女に相応しくそうであるべきだと誰もが期待を込めていた。
だったら巫女は彼女がなるべきだ。糸で操られる人形でも美しい姿に魅入られる民の心は掴めるものだ。
そうして人を散々利用して来ながら、何を今更本物だ、偽物だ、と体裁を気にするのか蒼穹には理解できない。
世の中を動かすには大義名分が必要だと教えられたパラムとは育ちが違いすぎるのだ。
「あの子の邪心は私が時々出向いて清めますからそのまま巫女として置いてあげてください」
「選定の際に偽巫女の邪気を消したのはお前の仕業か」
「ちょっと性格の悪さを修正しただけですよ。でもなかなかしぶとい邪気ですね。消えないでくすぶり続けていたなんて感心しちゃいます」
「感心している場合か。お前が余計な真似をしたおかげで話がややこしくなっているのだぞ」
「傷を治してあげたのに随分と薄情な言い草ですね。もう二度と助けませんよ。侍従様はもっと情に厚いお方だと思ってました」
「……殿下、こやつを今すぐ拉致しましょう」
「侍従様!!」
「まあ待て。お前の言い分も分かったから、ここは半々に手を打とうじゃないか」
「半々ですか?」
蒼穹の頭の中にある売掛のそろばんが玉を弾いた。




