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 身分制度の厳しい世の中でも最下層の民とて逞しく生きる知恵を持っている。

 お金持ちの放蕩は時に庶民に恩恵をもたらしてくれるものだ。

 ケチな金持ちは始末に負えないが、贅沢を好み、己の欲を満たすことに至福の喜びを感じる輩が大勢いるのだ。彼らは大枚を叩いて物を買い漁るので、物を作る職人が潤い、物資を扱う商人が潤い、お金が動いて民の元までたどり着く。

 そんな彼らからお零れを頂いて何とか暮らしているのが今の自分だと蒼穹はよくわかっている。


 今日も名家のご子息と思われる客がお供を連れてふらりと蒼穹の店にやってきた。

 出立を見れば裕福な家の出だとすぐに見分けがつく。名家の子は名家の子らしく振舞い、豪華な衣装を纏うことが当たり前の世の中だ。身分を隠してお忍びで出歩くなんて変わり者は一人もいない。 

 男を見れば日に焼けたこともない白い肌が組んだ手から覗いている。身分を表す広いつばの帽子の紐飾りはサンゴや琥珀が使われている。こんな大きな石はここらでは手に入らない上等品だ。ならばこの客は買い物目的に立ち寄ったのではなく、暇つぶしの興味本位な見物人と思ったほうが良さそうだと蒼穹は商売気を緩めた。


「ここの匂い袋はそなたの手作りか」


「私の母の作品です。もし好みに合わなければ刺繍は差し替えますよ」


「なかなか商売上手だな。では、サギ草でお願いしようか」

 サギ草と聞いた途端に蒼穹の顔は険しくなる。


「若様、いくら私に学がないとは言え、王様のお印を知らないわけがないでしょう。その花を身に着けられるのは王様だけです。御冗談はおやめ下さい」

 ほうと、目を細める男の態度にも動じず、蒼穹は笑顔を顔に張り付けた。

 ここで不貞腐れては男の思う壺だからだ。蒼穹は頭の中で相手は銭、人ではないと唱える。口煩い銭が何をほざいても黙って聞いていればいい。相手が銭だと思えばどんなに馬鹿にされても案外平気でいられるものだ。


「では、ひいらぎはどうだ。出来るか」


「それでしたらお任せください。母は刺繍も得意なんです」

 王家の人々にはその者を象徴するお印の紋様が与えられる。その紋様を衣装などに刺繍して印代わりにする風習があるのだ。

 現王はサギ草で王妃は山百合の印が使われている。

 

 花の名など知らぬ男が多いのに、柊を指名するとは珍しいことだと蒼穹は男を見やった。

 柊はモクセイ科の常緑高木で、棘を持つ葉に似つかわしくない可憐な花を咲かす。

 そんな柊の花言葉は、用心深さ。先見の明。

 注意深く着実に進んでいく意味を持つ。

 厳冬を生き抜いて春を迎える強かな植物の知恵がそのまま言葉に表れている。


 一週間後の仕上がりを約束して男はお供と共に帰って行った。

 名を聞くのを忘れてしまった蒼穹だが、それもどうでも良いことに違いない。

 一週間経って現れなければ、店先に並べて新しい買主が現れるのを待つだけの事。

 蒼穹はすっかり男のことなど頭の中から追い出して、次の客が訪れるのを待った。



 * 

 


 蒼穹が見送った筈のふたりは人通りを避けて北に向けて歩き出していた。町から遠ざかり人とすれ違う事もなく眼前の森に近づいていく。

 ようやく足を止めたのは立ち入り禁止の札が建てられた森の入り口だった。


 見上げる上空には目には見えない膜が張り、この国を結界で覆い尽している。

 その膜が一瞬歪んで、空を切り裂くような一筋の線を映すが、やがて押しつぶされるように元の姿に戻って行く。

 森の奥からは人と違う影が蠢いてその様子を興味有り気に覗いている気配がする。

 誰が名付けたのか、この森を迷いの森と昔から言う。

 一度足を踏み入れたら二度と戻れないその森に人成らざる魑魅魍魎が住み着いていることは知られていない秘密の一つだ。

 巫女の清らかなる魂の結晶で出来た結界は様々な邪気に当てられて、少しずつ溶け出しその力を弱めている。

 一度破れた結界を元の姿に戻す力を王の血縁者にも持つ者はいない。


 新たな巫女探しは急務を要し、口寄の巫女が進言した通り、七月十日新月の夜に生まれた若者四人が王宮に集められた。その四人の中から優れた神力を持ち、生涯を国の為に捧げられる正しい心の持ち主を選んだはずだった。

 それがどうだろう。

 ふたを開けてみれば邪心を抱いた欲の塊のような偽物だった。

 選考に外れた後の三人の中に本物がいたのか、取り急ぎ調べている最中だ。


「何故選定の時には偽巫女の邪気を見抜けなかったのか、それが不思議でならない」


「あの者が邪気を封じ込めていたのではありませんか」


「そんな真似が出来るのなら今も気付かぬままだろう。あの時は確かに邪気は消えていたのだ」


「では、厄払いをしていたとか」


「そもそも王宮に召し上げられた理由も知らぬ者にそんなことが出来るだろうか。ユク、ハヌル、ウォルにパダ、全員を調べるしかない。---それにしても相変わらず何の力も感じなかったな。否、商売の口だけは達者か。無駄足だったな。クルム、お前の方が私には何倍も尊い存在だ」


「けれどなかなか賢い娘です。王様のお印など目にしても気付かぬ民も多いでしょう。匂い袋は本当に買われるのですか」


「もちろんだ。柊は私の印だからな」

 長い髪を後ろで結びまとめ上げた美丈夫が蒼穹に若様と呼ばれた男だ。筋の通った高い鼻、凛々しい眉は太く、一重瞼の瞳は濁りのない茶褐色に染まっている。

 お印を持つこの男は現王の弟である父を持つパラム殿下という。世継ぎの皇太子とは従弟の間柄だ。

 世継ぎでない気楽さなのか、度々私廷を抜け出してお供と共に町を徘徊している。王家の風格を備えながら口が悪いのが玉に瑕だ。最も信頼を寄せている護衛のクルムの前では取り繕うこともせず言いたいことを辛辣に語る。


「おばあ様の能力は確かだ。あの偽巫女の邪気を見抜いたのだ。選ばれた四人の中に必ず真の巫女がいるはずだ。急がねば、結界の綻びは大きくなるばかりだ。何としても見つけ出すぞ」


「はい殿下」

 冠代わりの帽子を目深に被り、今にも破れそうな結界の膜を見つめるパラムの瞳は将来を案じて憂いていた。

 

 

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