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 蒼穹の王宮での任務がもう一つ増えたのは必然だったのかも知れない。

 久しぶりに出掛けた町で過ごした時間が気に入ったのか、ユクは蒼穹と約束を交わした。月に一度だけ息抜きに王宮を抜け出したいので蒼穹に代わりを務めてほしいと言う。


「あんたには何も期待していないから心配しなくても大丈夫よ。袴を履いて神殿に籠っていればそれでいいの。祈るふりして適当なことを考えていればそれらしく見えるから問題ないわ。祈りの間は誰も訪ねて来なかったでしょう」

 あの神聖な場所で良からぬ考えを巡らすなんて蒼穹には恐ろしくとても出来そうにない。

 神の前でも自分を偽らずに欲望に忠実な姿を晒せるのはユクだけだ。

 誰だって自分を良く見せようと他人の前では繕うものだがユクにはそれがない。神を恐れぬ強かさこそがユクに与えられた力なのかも知れない。


 人は目に見えない力を恐れる傾向にある。どうしてだか理由を知りたがり、説明ができないと不安に思うものだ。心無い医者から無用の薬を大量に処方されても頓着しなかったり、でたらめな祈祷師に騙されたりする事例は後を絶たない。姑息に儲けようとする人間は不安を煽り、人の弱い性を点いてくる。

 神は人間の本来の姿をユクの中に見てる気がしてならい蒼穹だった。


「逆賊の私にそんな大役を任せて心配ではないのですか」


「私に借りがあるんだから私のために尽くすのは当然でしょう。恩を仇で返すつもりなの」

 確かにその通りだ。

 一年三百六十五日神殿に籠る運命をユクが肩代わりしている。本人はそうとは知らずに蒼穹の代わりを務めているのだ。月のうちのたったの一日くらいお安い御用だ。

 仮に蒼穹が断ったとして、ユクが悪い女と手を結んだらそれこそ大変なことになる。

 誰かに任せられる仕事でもないので蒼穹は引き受けることにした。パラムに報告はまだだが、どうせ反対するに決まっている。見つかるまでは黙っていようと固く心に決めている。


「私は想像するのが得意なの。祈りの間いろんなことを考えているわ。王宮内の酷恥を真似たお芝居を民が喜んで見るでしょう。あんなのより何倍も刺激的な物語が想像できるのよ」

 何を想像しているのやら、蒼穹は怖くて聞き出せない。

 第二皇太子との身分違いの恋の逃避行か、この国を破滅に導く悪女の恋の遍歴か。とにかく言葉に出来ないような破廉恥でいかがわしい妄想だろう。


「名前を聞いていなかったわね。何というの」


「蒼穹と申します」


「ソラ……聞かない名だわ。それにあんたの顔は異国のにおいがする。聞けば聞くほど怪しいわね」


「そうですか? 髪も瞳の色も肌の色も巫女様と同じなのに」


「うまく説明出来ないけれど何か違うの。大体、この国の女は意志が弱くて男の言うなりよ。あんたみたいに無茶をする度胸なんて持ってないんだから。絶対におかしいわよ」

 

「そうでしょうか」


「もしかしたら傾国の王女さまなのかもね」


「それはまた、とんでもない夢物語ですね」

 蒼穹は夢など見ない。そんな非現実的な世界に浸る余裕はない。夏の間に栄養を蓄えて、長い冬を生きねばならない獣たちと変わらない毎日だ。生きるために必要なのは食料とお金を稼ぐ仕事を見つけることだ。 昨今流行りの芝居や読み物などお金を出して手にする機会はない。


 どこの国にも毒婦と呼ばれる悪女はいるものだ。

 語り部たちはこぞって女たちの悪行を面白可笑しく吹聴する。

 悪女には悪女の事情があるのだとか。

 生まれつきの悪女でもない限り、好き好んで悪女になった女はいないはずだ。

 悲劇は些細な釦の掛け違いから始まる。

 自暴自棄になって突き進むのではなく時には後退する勇気も必要だ。

 

 なるほど、悲しい毒婦の人生を振り返ると時間を忘れていろんな出来事を妄想出来そうだ。

 王妃の座を政敵の娘に奪われ、後ろ盾の重臣に裏切られ、やっと生まれた我が子を流行り病で亡くせば、民の同情を買う悲劇のお姫様の出来上がりだ。


 これはいけるかも知れない。


 新しい商売が閃いて蒼穹は目を輝かせる。

 ユクは素晴らしい才能を持っている。その才能を放っておくのは惜しいことだ。もしも、ユクの妄想が一冊の本に出来たなら、民の間で話題になり、大流行するに違いない。

 巫女として国のために尽くして結界を守り抜いても大勢の記憶に残るのは巫女の名だけだろう。ところが物語は語り継がれる。作り出した想像の世界は作者が死後も終わることを知らずに沢山の人の記憶に残り続ける。偽物の巫女として役目を終えるより何倍もユクが生きた証が残せるのだ。

 いつかそんな日が来ればいい。

 合わせ鏡のように二人の運命は繋がっている。ユクが救われなければ蒼穹も幸福など手に出来ない。

 希望の糸口を掴んだ瞬間だった。



※※※



「何が嬉しいのだ」


「えっ」


「しっかりと手綱を掴んでおらぬと振り落とされるぞ」

 

「分かっております、殿下」

 蒼穹は馬上から駆ける馬の跳ねる揺れを感じながら背中のパラムに答える。

 

 ふたりは今結界の点検に馬を使って回っているところだ。

 二人の後ろには勿論クルムが付いてきている。

 

 馬に乗れない蒼穹を抱え上げるとパラムはぴたりと身を寄せて馬に跨った。想像以上に高い馬の背は不安定な乗り心地だ。蒼穹は体が縮まり正しい体勢が保てない。


「背筋を伸ばして馬に身を委ねるのだ」


「簡単に言わないでください」

 そんな会話の最中も馬は気にせず走り続ける。

 手綱を緩めないパラムを恨めしく思いながら頬を掠めていく風を感じる。

 このまま走り続ければ何処までも行けそうだ。

 いつか行ってみたかった異国の町や、誰もが平等で自由に生きられる世界。

 結界なんてなくても安心できる平和な国。そんな理想の世界へ風に乗って飛んでいこう。


力を持つ者は弱い者の為に力を使い、力を持たない者は心を尽くして恩を返す。皆が支え合って生きる世界へ。 

 見えない未来なら瞼を閉じて、理想の世界を創造すればいい。

 見えないからこそ見えてくる世界がある。

 それは神に与えられるものではなく、人が築いていくものだ。

 蒼穹は背中に感じる温もりを支えに、続いていく道を見つめた。




ここまででひと区切りになります。お付き合いをいただきましてありがとうございました。

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