偽者のニセモノ その壱
蒼穹には肌身離さず持ち歩いているものがある。
母親からお守り代わりに貰った薬入れで、印籠と呼ばれる平たい筒状の丈夫な入れ物だ。掌に丁度良い大きさで本体に緒締めを通して根付けで溜め、紐を帯に挟んで持ち歩いている。筒の真ん中には大きく家紋が彫られているが何処の家の紋なのかは不明だ。筒の中には蒼穹が生まれるより十数年前の日にちが記されている。母親が何処で手に入れたのか分からないが年代物には違いない。丸円の中の三つ葉は漆で丁寧に塗り込まれ年月が経った今も色褪せることはない。
今この薬入れに入っているのがパラムに渡された王宮への通行証だ。
呼び出されて例の秘密の裏門に向かうと中の門番に合図の言葉を掛け、通行証を見せて出入りの許可を貰うことになっている。
それが今では門番とすっかり顔馴染みになってしまい、薬入れから通行証を取り出す間もなく中に通されてしまう。
「確認はよいのですか」
「そんなことをしなくとも分かっている。それよりも早く行ってくれ。他の者に見られる方が不味い」
これを職務怠慢と言わずに何と取るべきか。
王宮内の秩序が正しく守られているのか怪しい限りだ。鼠一匹通れない鉄壁の警備をするのが門番の勤めのはずが馴れ合いの気安さでこの有様だ。人が良いのと職務を全うするのは別の話だ。
「私が悪意を持って王宮に入り込んでいたらどうするのです。面倒でもちゃんと確認してください」
「お前の心持など知らん。私は上官の言う通りにお前を通しているだけだ。お前は周囲の者に知られては不味いからここを利用しているのだろう。だったら既に怪しい者ではないか」
「なるほど。ある意味そうとも言えますね」
「愚図愚図していないで早く行け」
「はい。---ありがとうございます」
納得のいかない理屈をこねられ蒼穹はその場を追いやられてしまう。要らないのなら通行証を持つ必要はないからパラムに返してしまおうかと思うが止めておくことにする。王宮に出入りしたい商売人は大勢いるから売れば高く買い取ってくれるに違いない。これは大事に取っておく方がいい。通行証はいざという時お金に化けてくれるかも知れない宝物だ。
蒼穹はいつもの道をすたすたと歩いて行く。
それがいけなかったのだ。
用心には用心を。
たまには違う道を行くのも危険を回避する策になるものなのだ。
「ちょっと、そこで何してるの」
不意に声を掛けられても蒼穹に問うているのだと気がつかない訳がない。分かってはいるが、振り向けない事情が蒼穹にはある。知らぬ振りをして立ち去ろうと試みるが、声は立ち塞がるように続いた。
「待ちなさいって言ってるでしょう! 聞こえないの」
「もしや私の事でしょうか」
「そうよ。あんたしかいないでしょう」
恐る恐る振り返れば見たことのある白い小袖に緋袴姿の巫女様が目に飛び込んで来た。
釣り目がちな鋭い視線。
薄ら笑いを浮かべる口元。
久しぶりに見るユクの姿だった。
「身なりからして王宮の者ではないわね。何の用でここにいるの」
「えっと、それはですね……」
蒼穹は何と答えるべきか考えあぐねる。
嘘とは咄嗟にはなかなか口から出て来ないものらしい。焦れば焦るほど思考はこんがらがって言葉にならない。蒼穹は辻褄合わせに上手いことを言える詐欺師にはなれそうになかった。困る蒼穹をほっといてユクは勝手に結論付けた。
「分かった! 王妃の命を狙う逆賊でしょう。側妃の内の誰かの命令なのね。全くやることが汚いんだから。黙ってないで本当の事を言いなさいよ。そしたら命だけは助けてあげる」
「はあ?---」
そんな馬鹿な話があるか。
こんな明るい日中に人目に付く格好をして王宮をうろつく逆賊が何処にいるというのだ。
そもそも蒼穹は王妃の顔を知らない。
誰が王妃で誰が側妃なのか見分けも付かないのに命を狙う訳がない。しかも王妃を狙う目的は何なのか。
王妃はなかば人質のような形でこの国に嫁いできた。
王様と夫婦でいる限りお互いの国同士平和を確約できているのと同じだ。王妃の身に何かあればかの国は黙ってはいまい。
世継ぎも誕生して王妃の座は安泰だ。側妃たちも王妃の人柄に惹かれて慕い、後宮はかつてないほどに穏やかだと聞いている。派閥間同士のいざこざは今も途絶えることはないが王妃を害して特になることは何もない。
「王妃様は聡明で慈悲深く正に国母に相応しいお方だ」
パラムの言葉を思い出す。
少なからず王妃と接見しているであろうユクには王妃の人と成りが分かっているはずなのに、相変わらず滅茶苦茶な娘だと呆れてしまう。
「ちょっと、付いてきなさい」
「私が、ですか」
「大声を出して武官を呼んでもいいのよ。そしたら牢屋に閉じ込められて酷い拷問を受けるでしょうね。それでもいいの? 嫌なら私に付いてきなさい」
勝ち誇る声に否定の言葉は無意味らしい。
蒼穹は内心でやれやれと思いながらユクの後ろを付いて歩き始めた。




