弐
年を取ることは残酷だ。
若いうちは思い通りに動いてくれていた体が言うことを聞かずに衰えていく。
経験が肥やしになり、使い古した鍋の様に油馴染みは良くなっても、見た目は古臭くみすぼらしくなる。
美しさを誇る女性にとっては老いは悲しい現実だ。
王様の寵愛を受けて子を授かり国母となった王妃も若い女官の活き活きとした姿を見れば羨ましいと感じるのは仕方のない事だ。
最近新たに巫女となった娘はまだ二十歳に満たない年齢だと聞かされた王妃は母親の気持ちになって複雑になる。
その少女が不躾で礼儀に欠けるとしても多少は目をつぶるしかないだろう。
これまで裕福な家庭に育ち甘やかされて育った少女がいきなり国の重責を担い巫女として民を導かねばならないのだ。生まれた瞬間から王族としての品格と教養を身に沁み込ませてきた王子たちとは立場が違う。ここは大目に見て機会を与えてやる情けが必要だ。教育が人を育てると信じる王妃はこの王宮での作法を巫女に進言するように神殿の神官たちに銘じている。が、それにも関わらず、新巫女の目に余る前代未聞の行動に呆れかえっているところだ。
とにかく口数が多くて驚かされた。
これまでのどの巫女も言葉数は少なく、まともに会話をした記憶はない。
王宮でたまに見掛ける後姿は儚げで人目を避けて静かに暮らしていたものだ。
何かを要求することもなく神殿に籠っていることがほとんどだった。
巫女とはそういう性質の者がなるものだと疑わなかった王妃はユクの出現に驚きを隠せなかった。
だから、先々代の巫女である大王妃に問うてみた。
「あの者は本当に巫女なのですか」
「確かに口寄せの巫女が進言した通り探し出した巫女だ。偽物ならパラムが黙っていまい。あの子には人を見抜く優れた力がある。王妃とて滅多なことを申すでない。王妃は少し心配が過ぎるぞ」
「しかしながらあのような巫女は今まで見たことがありません。派手に化粧を施し度々王子の執務室にも押しかけて茶を楽しんでいるとか。王子の名を一目も憚らずに呼び、まるでお妃気取りです」
「慣れない王宮暮らしでお優しい王子を頼りにしているのであろう。案ずることはない。現に結界は修復しているではないか」
「それはそうですが---」
王宮に召し上げられて沢山の女たちを見てきた王妃は知っている。
美しさを武器に男に取り入る誘惑上手な女の秘めた思いはとにかく欲深い。どれだけの願いを叶えても決して満足することはない。
そんな欲深い者の言葉はことごとく信用できない。
上手い言葉の奥にどんな深い企みが潜んでいるのか知れたものではない。裏切られ続けてきた王妃にもパラムほどではないが多少は人を見る目が出来た。あの巫女には女の小狡さを感じてしまうのだ。
王妃の住まいに近い庭園を渡り郎から眺めれば無残に摘み取られた花壇の一部分が見える。
咲き切る前に摘み取られ花を眺める間もなくその土壌だけがむき出しのままだ。花の扱いなど知らぬ無作法な女官が慌てて摘み取ったに違いない。
花の命は短い。
その短い命を惜しんで花が咲き誇る瞬間を愛でるのが王妃に出来る花への唯一の慰めだ。
王様に与えられた情けを踏みにじり、育てた庭師の苦労を知らずに、その花の匂いを体に纏う巫女の愚行は無知では済まされないものだ。しかし、それを咎める者は最早この王宮に一人としていない。
この箱庭の主が王妃から巫女に代わっても、花はいじらしく咲き続ける。
所詮は与えられたものだ。
奪われたくないのなら自分で守るしかない。
己の手を汚し、土を掘り起こし、肥やしを与えて水を撒く。手を掛けずに、その美しさだけ眺めようなど、そんな都合の良い話は夢物語だ。
「私はこれから先この庭園に訪れることはないだろう」
「王妃様……」
「欲しければあの巫女にくれてやる。私は私の庭園を自らの手で作れば良い。そうであろう」
「はい。王妃様」
かの国からたったひとりでこの国に渡って来た時味方になる者は一人もいなかった。それからこの国に根を生やし少しずつ信頼できる関係を築き上げてきたのだ。
今度作る庭園は自分の慰めの為の庭園ではない。
王妃を慕って身を粉にして働く者たちが楽しむ為の庭園だ。
人は人によって生かされている。
自分のために出来る努力はたかが知れている。最後まで投げ出さずに続けられるのは事を成し遂げたときに喜んでくれる誰かがいてくれるお陰だ。
与える人になる喜びは何ものにも代えがたい。
妬みや憎しみは己を苦しめる毒にしかならないと権力に溺れる人々は思い知るべきだ。
さもなくばこの王宮で己の欲に食われて無残に枯れていくだろう。
気まぐれな王様の寵愛も永遠ではない。情に身を削られて嫉妬に狂う愚かな女にはなれない。王妃にも背負うべき大切な侍従が大勢いる。
儚い輝きに心を揺さぶられぬよう深く大地に根を張る強さを願わずにはいられない。
この日から王妃の姿を庭園で見る者はいなくなった。




