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咲き乱れる花たち その壱

 ユクの一日は湯あみから始まる。

 お付きの女官が絹でこしらえた寝巻の紐を解くと、その下には腰巻がひとつ細い胴体に巻き付いているだけだ。上半身の素肌は雪の様に白く胸の頂だけがほんのり薄紅色に色付いている。恥ずかしがりもせずユクは女官に体を預け、男を知らぬ生娘の清らかな体を聖水に沈めていく。

 歴代の巫女たちが使用していた湯殿は白磁の焼き物が使われて湯殿全体が白に統一されている。その神聖さに満ちた湯殿にユクの声が木霊する。


「今日は薔薇の花びらを散らして頂戴。殿下がお好きな香りをたっぷりと身に染みさせたいの」


「只今ご用意致します」

 宮廷に咲く花は遠く異国の地から嫁いだ王妃の心を慰めようと王が庭師に育てさせた特別な花が多く、この国では珍しい花も少なくない。水も土も異なるこの地でかの国の植物を育てる為に試行錯誤を繰り返してやっと咲かせた花が四季を通して鮮やかに咲き誇る。ユクがそんな庭園を見て一目で気に入ったのが薔薇の花だ。これまで見たこともない真紅の赤い花びらは見事に折り重ねられ優雅な曲線を描く。甘く香る匂いで誘いながらその茎に付く棘が花を守っている。美しさに気を取られてむやみに近付けば大怪我をするに違いない。気高く優美な薔薇は正しく女王花に相応しい。

 そんな王妃の大切な花がユクの言葉一つで摘み取られる。

 薔薇は無残に花びらをむしり取られ真っ白な湯殿に散らされる。


「良い香りね」

 巫女に選ばれてからユクは思いがけない贅沢を味わっている。

 これが神の加護なのか、適当に神殿でお祈りを捧げただけで本当に結界の歪みが直ってしまった。現場に連れられて見たことはあるが、上空には空が広がっているだけで、結界の存在など確かめようもなかった。けれどそこには確かに結界が存在するらしいのだ。その場は上手く言い逃れて神殿に籠って数日たったある日、パラムが現れて結界の修復が完了したと告げられた。

 これにはユク自身が一番驚いた。


「私って本当に巫女だったのね」

 それからのユクの扱いは天と地ほどの差が出来た。

 疑わしい目で見ていた古い女官たちもユクの言葉を信じて従うようになったし、王宮の重鎮たちも役人たちも、ユクを特別な目で見るようになった。それからはもう誰もがユクの言いなりだ。


「巫女様にはこの神殿では何不自由なく過ごしていただきます。これまでの慣例に囚われずお困り事があれば何でもおっしゃってください。善処しますので」

 ユクはこれ幸いと我儘を通し好き勝手に過ごしている。が、それはあくまでも神殿の中だけの事で、それ以上の我儘をパラムは決して許さなかった。


 王宮の神事祭祀を取り仕切るのはパラムの役目だ。

 巫女は何をするにもパラムの許可がいる。

 パラムは巫女に特別な権利を与えているがそれには条件をしっかりと取り付けた。


「ただし、この神殿を一歩でも出れば巫女様とてひとりの民です。王宮の決まりには従っていただきます。ですから巫女様は出来るだけ神殿で過ごされた方が良いかと存じます」

 言外に神殿から出るなと言われたも同然だ。

 この王宮で巫女のユクをぞんざいに扱うのはパラムくらいだ。

 言葉尻は丁寧だが決して思うように動いてはくれない。


「忌々しい男だわ。でも、まあ、そこも魅力的ではあるのよね」

 ユクが目を付けた第二皇太子は身分としては申し分ないが、男としての魅力には欠けるところがある。代々の王族家系の顔立ちは美形揃いとは言い難く、特徴的な瓜実顔をしている。昨今流行りの舞踏役者のような美丈夫だったらどんなに気分が浮き立つか知れないのに、見た目だけはどうしようもない。

 生まれつきの王子様で正妻の次男という気楽な立場から苦労知らずで甘いところがある。兄の皇太子に盾突く度胸も欲もなく、現状で満足している平和主義者だ。ユクの自尊心は満たしてくれるがユクに溺れて身を亡ぼすような激情は持たない。全てが平均的な凡量な男なのだ。

 

 正式に巫女に任命されてもパラムだけは挨拶を交わしても相変わらず素っ気ない。憎らしいのと同時に何か別の感情が湧いてくるのを抑えきれずユクは戸惑っている。

 あのパラムがユクに傅く姿を想像するだけでユクは心臓が高鳴り気持ちが高揚する。ユクの美しさに靡かず冷静なパラムの顔を嫉妬で黒く塗りつぶしてやりたくなるのだ。許されないと知りながら恋に溺れていく苦痛に歪んだパラムの顔を眺めてみたいと日を重ねるごとにその思いが強くなっていく。

 パラムに従い常に行動を共にしている護衛の男もパラムに劣らず魅力的だ。身分の低い男など興味もなかったはずなのにクルムの眼差しはユクの心をくすぐる。優し気な瞳に憂いを秘めて何処か謎めいた雰囲気を持っている。あの口数の少ないクルムの声が耳元でユクと囁いたなら口づけの一つくらいは許してやっても構わない。


「あのふたり、もしかして男色だったりして。それも面白そうだわね」

 神聖な祈りの場でユクは想像も逞しく卑猥な夢を見る。


 病を治してください。

 娘の縁談がまとまるようにしてほしい。

 早く跡継ぎの男子が誕生しますように。

 

 私利私欲な都合の良い願いばかりが毎日神殿に届けられる。

 こんなどうでもいい赤の他人の願いを聞いてやらねばならないのかユクは腹が立ってくる。

 中には巫女様がいつまでも健やかであられますように、などという投書もある。そんな時は一番に願いを聞き入れて神に報告しているが、後は大概良からぬ妄想をして時間をつぶしているのが実際だ。


 巫女になって運が向いている。ただ一つ不満があるとすればそれは退屈だということだ。

 この神殿を自由に行き来出来ればどんなにいいか知れない。何か良い方法はないだろうかとユクはただひたすらに祈りの時間中考えを巡らしていた。



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