弐
季節の変わり目は何かと面倒事が多い。
体調を崩しやすい事もそうだし、商売の売れ筋も変わってくる。いかに在庫を残さず売り切るかで儲けが大きく変化する。新たな仕入れを開拓するのは大きな掛けだ。刺繍の柄は季節に合わせてとりどりの植物を扱うので女性客の目を楽しませる自信はある。問題は秋の空の様にころころ変わる女心をしっかりと掴むことだ。
流行は予兆もなくあっと言う間に広がり、波の様に引いていく。
波に乗り遅れればそれはもう無料同然の品になってしまうのだから風呂敷を広げ過ぎても良くない。
どこで線を引くかが腕の見せどころで、これが商売の駆け引きの面白いところだ。
通り過ぎる人々を観察しながら蒼穹はくるくると頭を回転させて何か儲ける策はないかと思案する。
するとそんな蒼穹の頭上遥か上空を一羽の鳩が飛んでくる。
真っ白い姿の鳩は蒼穹が出している露天の品が並ぶ板の上に降り立った。足元には文の認められた紙が結ばれている。
それを見た蒼穹は一瞬嫌な顔をしてその結び目を解き鳩から文を受け取った。
「ご苦労様。気を付けてお帰り」
鳩を両手で抱え上げ空に向かって勢いよく放してやると鳩は元気に飛び立っていく。健気に主の待つ小屋にまたすぐに戻って行く。帰巣本能を利用した伝書鳩の活躍のお陰で蒼穹の要らぬ雑用が増えている。
送り付けてきた憎たらしい主の顔を思い浮かべて、それでも急いで分の内容を確認する蒼穹だった。
蒼穹は賤民でありながら読み書きの覚えがある。
母娘二人暮らしの生活は危ない綱渡りと紙一重だ。
弱い者を更に追い詰めて少しでも利益を得ようとする姑息な悪人が大勢いる世の中だ。
誰が本当の事を言って誰が嘘を吐いているのか見極める事が身を守ることになる。
卑しい身分の民が学問を身に着けて何になるのかと周りの仲間に諭されても蒼穹の母親はがんとして持論を曲げなかった。
「大切なものを守るために文字の読み書きは必要なのよ。知識は身につけて邪魔になることはない。世の中の理を知って蒼穹は聡くなりなさい。決して悪い人の餌食になっては駄目よ」
遊び道具も持たない蒼穹は母親がお手本に見せてくれる文字の形に興味を惹かれた。
その文字には読み方があり、一つ一つに意味がある。
合わせ絵のように繋がっているそれらを組み合わせることで、別の違う言葉が生まれる。無限に広がる言葉遊びが面白くて幼い蒼穹はあっという間に文字を覚えた。
やらされていると思うと勉強は窮屈に感じるものだ。面白いと思えば自然と覚える意欲も湧いてくる。
急いで柊の元へ参れ
毎度のことながら突然の呼び出しに頭が痛くなる。
貧乏暇なしとはよく言ったもので蒼穹は働かねば生きて行けない。時間はいくらあっても足りないと言うのに雑用に時間を取られては商売はあがったりだ。
大急ぎで駆けつけてみれば、横たわるパラムの前に一人オロオロと様子を伺うクルムの姿があった。
「どうなさいました」
「殿下が熱を出して苦しんでおられる。今すぐに癒しの力で治してくれ」
「……何事かと思えばそんなことですか」
「そんな事とはなんだ。昨夜から熱が下がらず意識も朦朧としているのだ」
確かに赤い顔をして息が苦しそうだ。
額に汗を掻いて目を閉じる姿はいつになく弱弱しく見える。それ以上に心配そうなクルムの方は今にも倒れそうに憔悴している。
「私の出る幕じゃありませんね。王宮には立派な医官がいるじゃないですか。診療してもらって下さい」
「まだそのような事を言うか。殿下に何かあったら!」
「侍従様、どうして体に熱を持つのかご存知ですか。体に入り込んだ悪い気を追い出そうと殿下のお体は対処しているのです。これは殿下のお体が健康で正常な役割を果たしている証拠です。強制的に熱を取り除けばそれこそ体の機能に害を与えかねません。これ位の熱で大騒ぎしないでください。熱くらいで死にゃしませんよ。どうせ夜更かしして夜風にでも当たったんでしょう。全く困った殿下ですね」
「本当に、大丈夫なのか」
「大丈夫ですよ。生薬を飲めば直に元気になられます」
風邪など病気のうちに入らないと蒼穹は思っている。
医者に掛かるお金もない蒼穹たち賤民には昔から自然に生えている薬草を煎じて利用する手立てしかない。医者に掛かれば法外なお金を要求され、助かった命も借金で首を吊ることになる。薬を多く出す医者にろくな者はいないとはよく聞く噂話だ。だから後は自分の治癒力を頼りに運を天に任せるしかない。中には昨日まで元気だった子があっという間に亡くなってしまうこともある。救える命と救えない命があることを蒼穹は知っている。パラムの病状を和らげるのは医者の務めだ。
「侍従様、私の力を過信するのはおやめください。わたしの能力は気まぐれに神が与えたものです。またいつ失うかも分からないのですよ。そうなったらこの国は誰が守るのです。武官様たちがしっかり敵と立ち向ってくれるのでしょうね」
「時が来なければ何とも言い難い」
「何ですかその適当な答えは」
「お前は知らぬのだな。官僚たちの上手い言葉はこうだ。『善処します。最善を尽くします』そして失敗した時の言い訳はこうだ。『想定外の事が起きた。慣例のない出来事だった』---とな」
「それ全然駄目でしょう」
「全くだ。なかなか冴えているぞ野良」
「何ですかその呼び名は」
「躾されていない野生の生き物だからお前は野良だろう。殿下がそうおっしゃっている」
「ははあー。面白い呼称ですね。ですが私には蒼穹という立派な名があります。侍従様はもうお忘れですか」
「それはそうだが---私が蒼穹と呼んでも構わぬのか」
「はい。ご自由にお呼びください。私の名は蒼穹です。それ以外に名はありません」
「ならば私の事はクルムと呼ぶがいい。堅苦しいのはよそう」
「そうですね。そうしましょうクルム様」
雨降って地固まる。
病気のパラムを置いてけぼりで、より一層仲良くなる蒼穹とクルムだった。




