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壊れかけの空 その壱

 暦が夏至に近付くにつれ暑さは厳しさを増し、太陽の日差しがギラギラと体に突き刺さるように痛い。

 雨も降らず乾いた黄土の通り道は人が行き交う度に粉塵をまき散らし、露店先の物売りたちは夕刻になるころには頭の天辺から足のつま先まで砂だらけだ。

 汗を掻いて働く者に自然は容赦なく襲いかかってくる。

 持参した水筒の水も底をつき、恨めし気に空を見上げると、蒼穹そらはザラ付いた口内から唾を吐き捨てて道端に一点の染みを残した。ここが自分の私有地であるかのように所有の証を残したかったのかも知れない。

 また明日も同じこの場所で商売が出来る保証は何処にもない。袖先にひょいと小銭を放り込まれれば、今日の友も明日は赤の他人になってしまう。口約束など何の役にも立たないと身をもって経験しているので最初から当てにはしていない。みんなその日を生きるのに精一杯で、他人のことを構っている暇はないのだ。


 店終いの片づけを済ますと蒼穹は重い足を引きずるように歩き出した。


 ここは王都に近い居住区で、少し南に下れば海を見渡し、北に向えば広大な山脈が広がる緑豊かな土地柄だ。肥えた大地は作物を生み、人々の腹を満たしてくれる。

 人を寄せ付けない自然の砦に囲まれて比較的平和が維持されている。単一民族の同族らしく行きかう人も皆同じ肌の色、同じ髪の色をしている。見掛けない衣服や僅かに感じる骨格の違和感で地元の住人かどうか見分けるくらいが精々だ。蒼穹が聞いた話によると世の中には、金色に輝く髪の色を持つ者や空と同じ色の瞳をした者がいるという。家の藁葺に届くほどの背の高い巨人や肌が透き通るように白い民族もあるのだそうだ。旅人の土産話を聞くと好奇心が沸いて知らない国を訪ねてみたくなる。但し今よりマシな生活が保証されるならの話だ。ここは部族間の争いもなく国の中でも住みやすい場所には違いない。 

 港に集まる行商人が時折物珍しさから露店を見物に来ることがある。

 そんな時はちゃっかり通常の倍の値段を吹っ掛けて蒼穹も儲けさせてもらっている。

 物の価値なんて実にいい加減だ。

 ある人には一円の値打ちもないものが、ある人にとっては一万円でも安い買い物になる。

 欲しい人が買える値段で買うのだから、どれだけ色を付けて儲けても罪悪感なんて全く感じない。

 美味しい蜜は味わうに限る。

 時には泥水を浴びる辛い目にも合うのだから、これくらいの幸運は遠慮なく受け取る蒼穹だった。


 蒼穹がとぼとぼと歩いていると西の空に太陽が沈んでいく。

 その太陽が沈む王都の奥向こうに夕日に染まる宮殿が映る。

 近いような、遠いような、その建物の中に同じ人でありながらまるで違う生き方をしている人々がいる。

 王の直系親族、その臣下たち、政を司る役人たち。その誰もが民のためにこの国を動かし、民のために己を犠牲に勤めを果たしているらしい。

 弱い立場の賤民には涙が出るくらいに有難いことだ。

 己を犠牲にして大勢のために生きる、その心意気は何よりも尊い。

 だがしかし、蒼穹は生まれてかれこれ十数年になるが、その恩恵を受けた覚えがただの一度もないのも事実だ。

 たったひとつだけあるとすれば、それはこの国全体に張り巡らされた結界の存在だろう。この国に害をなす侵入者を阻む結界は、その昔神名によって選ばれた一人の巫女が作り出したものだと言う。

 その結界を補強する力を持つ者が王家の一族で、巫女と王家の繋がりは今も揺るぎがない。

 巫女は代々皇太子の正室に就き彼らと共にこの国を守っている。

 最近新たな巫女が選出されて、宮殿に住んでいると言うもっぱらの噂だ。近い将来、正室のいない第二皇太子と結ばれる段取は整っている。最下層の賎民せんみんである蒼穹に、王宮内の詳しい事情など知るわけもなく、何が正しい情報なのかも本当のところは分からない。どちらにせよ、全くもって、誰が巫女になろうが皇太子の嫁になろうがどうでも良いことなのだ。

 国の平和が保たれ、商売が繁盛すれば蒼穹には何の不満もなかった。

 

 やがて暗闇に消えていく王宮を背に、再び蒼穹は歩き始めた。


 大人の背半分くらいの垣根の向こうに土蔵作りの小さなあばら家が見える。

 蒼穹は薄く明りが灯るその家の敷地に足を踏み入れ、井戸の水を汲み取るとカサカサに乾いた両手を桶に突っ込みばさりと顔に打ち付けた。

 細かな砂が洗い落とされて桶の底に沈んでいく。蒼穹は要約生き返ったような気持になって、椿の植えられた垣根に桶の濁った水を掛けると、靴を脱ぎ、足袋を引っこ抜いて部屋に入って行った。


「ただ今。今日も暑かったよ」


「おかえり。ご苦労様。本当にねぇ日照りが続くね」


「この暑さで買い物客も随分と少ない気がする」


「今日が駄目でも明日があるよ。さあ、ご飯を食べて元気を出してちょうだい」

 この前向きな母親のお陰でこれまでどれだけ救われてきたか知れない。三畳ほどの粗末な部屋には飾り棚も、座布団さえも置いていない。それでもここが温かく居心地の良い場所であることに間違いない。


「頂きます」

 丸い円卓にはおかずが数品と僅かな飯が欠けた茶碗に半分ほど。それでも食べられるだけ有難いと蒼穹は飯粒を噛み締める。

 この国の貧困は上流階級の搾取による政治の悪習が原因だ。王は重鎮や名家の圧力に逆らえず求められるままに権力を与え続けた。守るべきは国土だと結界を張り、外部からの侵入を防いでも、肝心の実が腐敗していては何ともお粗末な政策だ。

 蒼穹にはどうすることが最善なのか分からないが、目先の安定しか考えが及ばないとは、まるでお零れに群がる働き蟻のようではないか。

 どんなに蒼穹の帰りが遅くなってもご飯も食べずに待っていてくれる母親が、労わるように蒼穹の様子を伺っている。自分と家族の生活を守ることで精一杯な蒼穹の荒んだ世界にたった一つの太陽がここにある。


「ご馳走様でした」

 唯一無条件で自分を愛してくれる母親だけは守り抜きたいと蒼穹は満たされない腹に水を流し込んだ。



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