第八話
ダン、ダンッ!
エレベーター内に響く、エレベーターのドアを叩く音。
女子中学生の悲鳴、泣き声。
「お、押見さんっ! 落ち着いて! 」
私は必死に押見さんを止める。
しかし、押見さんはエレベーターを叩くのをやめない。
途端に静かになった。
ホッと息を吐いたのもつかの間。
押見さんは膝を地面につき、泣き崩れた。
私は知らない。押見さんの過去を。
**
「じゃあ蛾雷、お姉ちゃんはボランティア活動に行くからね〜。一人でちゃんとお留守番してるんだよ」
蛾雷の姉、蟆雷はそういうと、雪が絶え間なくしんしんと振り続ける中、家を出て行った。
蟆雷は雪の除雪をするのだ。
家にいても暇なだけだから、ということで。
押見家には母も父もいない。
二人とも死んでいるから。
「うん。気をつけてね」
お姉ちゃんの背中にそう言った。
私はその時気付いていたんだ。
なにか、嫌な予感がすることを。
怖いぐらい静まり返った家の中で、静かに本を開く。
私のお気に入りの本だ。
昔、それもかなり昔、お母さんが買ってくれた絵本。
もう七歳だというのに、絵本を読むなんてどうなのだろうか。
まぁいいや。面白いし。
しかし、無音というのはとてもそわそわする。
ふとテレビをつけてみると、ニュースで変なのをやってた。
「えー、次のニュースです。
昨日、三時半ごろ、観覧車が止まるという事故がありました。
その観覧車の中には、七歳の子供もいたということで、〇〇遊園地は、より設備に気を……」
え、七歳……。私と同い年。
怖かっただろうなぁ。
そんなことを考えながら、絵本に目をやろうとした。
「速報速報! 変えて変えて」
ん? 何事?
思わずテレビから聞こえてきたその声に反応してしまう。
「え、マジッ!? また!?
あ、すみませんでした。
速報です。
今日、茨城県、節谷市で、
除雪作業をしていた
『押見蟆雷』さんがエレベーターに閉じ込められ……。
死亡しました。
凍死と見られます」
私の頭の中を、たくさんの言葉が横切る。
ーここ、節谷市だよね……ー
ー押見蟆雷って私の姉ー
ーエレベーターに閉じ込められて、
死……亡? 死んだの? ー
っえ?
途端にインターホンのなる音がする。
確認しに行くと、そこには警察が三人ほど立っていた。
「押見蟆雷さんのお宅ですか?
えっと、ちょっと話したいことがあるので、お母様かお父様か、来てもらってもよろしいでしょうか」
きっと違う、きっと違う!
頭の中でさっきのニュースを否定しながら、家の外に出る。
警察がいた。
「あれ? お母さんは? 」
警察は何も知らない。
何もわかってない。
うちには親はいません。
そんなことを言ったら、どんな顔をするだろうか。
「うちに、親はいません」
警察は、たいして驚いてなかった。
「んーと、何時に帰ってくるの? 」
あ、『今はいない』って、勘違いしてるのか。
ちゃんと……言わないと……。
「親はっ……。死……」
言おうとしたら、声が出なかった。
呼吸がしづらい。
視界が歪んでいく。グラグラしてる。
頬をほんのり熱い液体が流れていく。
外は寒すぎて火傷しそうなほど冷たい雪が降り続いている。
だから水でも熱く感じる。
これは何?
目をギュッと思い切りつぶるとたくさん水が溢れ出てくる。
視界がくっきりしたと思ったら、
またぼやける。
真っ白な雪に水が垂れ落ち、
その部分だけほんのり濃い色になってる。
あの時テレビなんて見なきゃ、
こんな涙は出てこなかったのかな……?
どっちにしろ知らされるんだから、意味はないか……。
無理。否定はできない。
「親は……死……んで……ます……。
おね……え……ちゃん……もっ!
死……んだ……。知ってる……! 」
私はもう一人。
押見蛾雷は、一人で生きていかなきゃならない。
もうっ……。助けてくれる人はいないんだ。そうなんだよ。
おばあちゃんとおじいちゃんは、二人とも病気で死んでる。
お姉ちゃんだけが、私の唯一の支えだった。そんなお姉ちゃんが……死んだ。
茶髪の髪をクシャリとさせる。
黒色のカラコンが、取れそうになる。
も……や! もうやだ!
「だ、大丈夫!?
もう、お姉ちゃんのこと……知ってたの? ゴメンね。日本の技術が低いあまりに……」
うるさい……。
うるさい!
「関係ない人は黙って!
なんて言おうと生き返んないの!
お姉ちゃんはもう死んでるの!
部外者は黙ってよっ! 」
思い切り叫ぶ。
大人はいつだってそうだ。
不都合なことは、なんでも謝ればいいとでも思ってるの?
もうやだ……。
お姉ちゃんが家から出る時、
『気をつけてね』なんて言った私に言ってやりたい。
気をつけてね、じゃないよ!
行かないでって、止めてっ!
そう、思い切り怒鳴ってやりたい。
けど、どんなに泣き叫んでも過去には戻らない。
大人たちは帰った。
騒々しい大人たちは。
もう私は笑えない。
笑わせてくれる人も、誰もいない。
みんな敵。味方はいない。
お父さんもお母さんも死んだ。
お姉ちゃんも……。
おばあちゃんもおじいちゃんも。
ダメだ。
私だけはヘラヘラできない。
お父さんは私の頼みごとをヘラヘラ聞いて死んだ。
お母さんも私なんかと一緒に料理をして、だから死んだ。
お姉ちゃんも、地域の活動にヘラヘラヘラヘラして参加して、で、死んだ。
世の中は、無表情で、ヘラヘラしないで、都合の悪いことはやんない。
そうやってた方が生きやすい。
私は決めた。
私はもう、冷たい人間になろう。
**
「イヤっ! 出して! ここから出して! 早く! 」
押見さん、どうしちゃったの!?
いつもの押見さんらしくない!
「落ち着いてよ!
大丈夫! 世の中こんなことで死にはしないよ! 」
「じゃあなんでお姉ちゃんは死んだの! 」
お姉ちゃん……?
押見さんに、お姉ちゃんなんていたの?
「なんでよ……。
なんであの日お姉ちゃんは死んだの!? なんで閉じ込められたの!?
なんで……。なんでよ……」
押見さんから話は全て聞いた。
そんな悲しい過去があったなんて。
私はその時、自分では気づいていなかった。もう、感情をコントロールできていなかったということを。
押見さんがこうなったのはなぜ?
エレベーターが止まったから。
そのエレベーターを止めたのは誰?
おそらく聖神。
今私がするべきことは?
その聖神をぶっ飛ばす!
「押見さん、聖神を殺そう」
押見さんは目を丸くしてる。
自分でも何を言ってるのかわからない。なんでこんなことを言ってるのだろう。
聖神を殺しても何にもなんないのに。
なんで殺そうなんて?
「え? 」
「聖神を殺して、その周りのやつも殺そう。今までむかつくことをしてきたやつ、全員を殺そう。
殺して、殺して、殺しても足りなくなるぐらい。
まずはここから出ないと」
押見さんは眉間に皺を寄せる。
そして、ハッとした表情をした。
「そう……だね……。
困ったら、殺せばいいんだ」
ふと気づいた。
私に聖神を殺す力なんてないじゃん。
てか、殺すなんて物騒すぎるよ。
我に帰った私は、押見さんに言う。
「いや、でも、やっぱ殺すなんて物騒なこと、やめよう……」
「なんで? あなたが言ったんじゃない」
押見さんは、本気だった。
その押見さんの目は、カラコンをとった素振りを見せてないのに、赤色になっていた。
髪の毛の色も茶色だ。
押見さんは、この状態になると、
何かが変わる。
何かが……。
「ひとまずここから出る。
どうすればいいか?
扉を壊せばいいのよ」
押見さんは思い切り息を吸った。
そして、思い切り足でエレベーターの扉を蹴る。
エレベーターの扉は凹み、
ここから出られる状態になった。
押見……さん?
「運良くここは六階だわ。
早く出ましょう」
そう言うと、押見さんは足早にエレベーターを出て行った。
どうしちゃったのだろう。
押見さんは階段を駆け上がる。
相変わらず足が速い。
そんなことを考えながら私も負けじと押見さんについて行く。
あっという間に食堂に着いた。
聖神たちの方に目をやると、
聖神たちはギョッとした表情を私たちに見せた。
おそらく、『エレベーターに閉じ込めたはずが……。なんで!? 』
なぁんて思ってるのだろう。
押見さんはズンズンと聖神たちの方へ行く。
そして思い切り机を叩く。
その行動に、聖神たちはかなりビックリしている。
「ふざけないで!
なんであんなことしたわけ? 」
押見さんは怒鳴りつけながらそう言う。すると聖神は、初めは動揺していたが、しばらく経つと冷静さを取り戻した。
「あなたがイジメのターゲットだからに決まってるでしょう」
聖神は、そう吐き捨てるように言う。
途端、押見さんは思い切り誰も座っていない椅子を蹴飛ばす。
「なんでそんなことするわけ……。
ふざけんじゃあないわよ!
意味もなくそんなことして!
人殺しをしかねないわよ、こんなクズ女! 死ねばいいのにっ!
お姉ちゃんを殺すような人は、死ねばいいのにっ! 」
私は押見さんを急いで落ち着かせに行く。
いつもの押見さんらしくない。
押見さんは、いつも冷静で、クールで、カッコよくて、乱暴な言葉なんて使わない。
そんな押見さんが好きだったのに!
こんなの押見さんじゃない!
「落ち着いて!
違うよ、聖神さんは蟆雷さんを殺してなんかない! 違う! 落ち着いて! 」
必死になだめる。
押見さんは目に涙を浮かべながら
聖神を睨みつけている。
その瞬間、突然押見さんがクラっとした。倒れそうになる押見さんを、急いで支える。
私の手に、私の腕に、押見さんの体重がかかる。
こんなに身長が高いのに、体重はあまりなさそうだ。
押見さんはそのまま意識を失ってしまった……。
**
押見さんが目を開く。
押見さんの目は黒色になっている。
えっ?
なんで黒色に……?
私はずっと押見さんのそばにいたから、カラコンをつけた瞬間なんてなかった。そう断言できる。
押見さんの頬にそっと手を当てる。
押見さんは元の押見さんに戻っていた。
私の手の上に押見さんは自分の手を重ねる。
そこからしばらくは二人とも、一言も喋らなかった。
「目……」
私がそう一言言うと、押見さんは私の顔を、その整った美しい顔で見つめる。
「私、カッとなると目が赤くなるの。
漫画みたいでしょう。
けど、ニューヨークに来た時に目を赤色に変えたでしょう。
あの、オシャレがなんちゃらって時。
あの時は、赤色がカラコンだったの。
けど、私は実際の目は黒と赤。
なんなんだろうね。
お父さんもお母さんも、お姉……ちゃんも……そんなんじゃないの……に」
ーお姉ちゃんー
その単語を口にした瞬間、
押見さんは目に涙を浮かべ、
同時に押見さんの目は、黒から赤に変わっていった。
私は押見さんを抱きしめる。
すると押見さんの目の色は、みるみるうちに黒に戻っていった。
「すごい。あなたに抱きしめられると、目の色が戻る。なんか、ずっと一緒にいたいな。あなたとは」
その言葉はとても嬉しかった。
心に直接響いた。
なんだか泣きそうになった。
押見さんとは、ずっと一緒にいたい。
その願いは、最終日には叶わぬものとなった。