昔々の石の話1
短編ですが、続くかもしれません。
一話目はダイヤモンドの物語。
今度こそ、と期待した。
綺麗な空色の瞳に見つめられて、ドキドキと緊張が高まる。どう思ってくれるだろうか。なんと言ってくれるだろうか。触れてくれるだろうか。とても綺麗な少女だ。
「お父様、これ、なに?」
「とても珍しいものだよ。お前が誰でも持ってなさそうなものがいいと言ったからね」
どうだい?と男が少女に微笑んだ。少女の瞳はいまだ是非の判断を下さない。男と一緒になって、不安と期待で入り混じった心境で彼女の第一声を待った。やがて、少女は形のいい唇を開く。
「綺麗じゃないから嫌。いらない」
いっそ残酷なほどはっきりとした声だった。
*
その街は全ての建物がガラスでできていた。もちろん、全てが透明というわけではなく、濃い色ガラスを使うことによって強い日の光を遮ったり、他の目から隠せたりできる。街の石畳は全て水晶の粉を固めて作った白いレンガでできていた。そんな街の大通りを歩く少女が二人。
「ダイヤ、今夜の月光浴の準備できてる?」
「うん。ロードがいない間にちゃんと進めておいたよ」
「いつもダイヤにばかり準備任せてごめんね」
「いいのいいの。みんな昼間はいない事の方が多いから、私がやるのが一番いいし!」
ダイヤと呼ばれた少女は正式名はダイヤモンドという。半透明な白の短髪に透き通った瞳は活気と生命力に満ちている。
「ロードだってこっちに戻ってくる回数多いけど主は大丈夫なの?」
「いいのよ。そろそろ私の役目も終わるころだと思うから、主も気には留めないわ」
ロードと呼ばれた少女は正式名はロードクロサイトという。ピンク色に紅を混ぜたような色の、美しい艶やかな髪が腰まである。髪と同じ色の瞳は蠱惑的に輝く。ダイヤモンドがすらりと高い身長なのに対しロードクロサイトは彼女と比べるとせいぜいその肩くらいしかなかった。
「あと何が足りないの?」
「えーと。身を清めるためのクリスタルショール(水晶から紡いだ糸で織った布)が。クリスタル姉さまが今織ってくれてる」
「姉さまが? お忙しい身なのに」
「うん。私はこんなに暇してるから、代わって差し上げれたらいいのになあ」
「……あなたが糸を紡いで織ったとしたら、身に着けた瞬間みんな傷だらけになってしまうわよ」
ロードは苦笑しながら言った。なにを隠そう、このダイヤモンドこそが全ての石達の中で一番硬い存在なのだ。
この街には、何十種類もの石達が住んでいる。石達は街外れにある鏡の池に身を沈め、人間の住む異界へと渡る。そして人間の手に渡り生活を共にするのだ。この街はいわば、石達の実家なのだった。人間の手を離れている時、手放された時、石達は休息を求めて故郷のこの世界に帰ってくるのだ。特に、人間世界で言う夜に石達は帰ってくる。その際しきたりに乗っ取ってその身を清めてから街に入るのである。
「クリスタル姉さま、夕方になったら取りにおいでって」
「そうなの? じゃあ私にやれることほとんど残ってないのね」
「じゃあ鏡の池で一休みしようよ。タイミングが合えば帰ってきた子たちと会えるかも」
「ダイヤモンドがそうしたいなら」
いつもこの美しい故郷に残ってばかりで、でもどの石よりも前向きで弱音一つ言わない強い親友を、ロードは切なそうに見つめたのだった。
*
鏡の池は、街から少し離れたところにある。ここから石達は人間の元に向かう。そして、帰ってくる時もここから帰ってくる。そして、鏡の池にはもうひとつ重要な役目がある。それは、石と人間を繋げるということである。この鏡の池を通じて、世界が違うはずの石と人間は呼び合うのだ。
「ねえ、ロードの主ってどんな人間?」
「んーそうねえ。向上心の強い人よ。でも寂しがりやですぐ不安になってしまうの。……最近は、信頼できる人を見つけて毎日楽しそうにしているわ。身に着けたまま寝てしまうから、夜休ませてもらえない時もあって大変だったけど、今はもう自然と身に付けなくなってきているから、そろそろ暇乞いかしらってね」
「……寂しくないの? せっかく出会えた主と別れるの」
「そりゃ……少しはね。あんなに寂しがりやだったのに最近は一緒にいることも少ないから。でもあの人が私がいなくても幸せに頑張っているならそれでいいと思える」
ダイヤモンドはロードクロサイトよりよほど寂しそうにしている。
「ダイヤは、主は見つかった?」
彼女にしては弱弱しい笑みで、ゆっくり首を振った。視線は自然と池の水面に注がれた。人間がその石を呼ぶとき、呼ばれた石にだけ声が聞こえる。その声に導かれて石達は人間の元へ行く。
「呼び声がないわけじゃないの。でも、実際赴いても人間が私を気に入ってくれないみたい」
だから、戻ってきてしまうのだ。
「波動の適性は、あるみたいなんだけどね」
ダイヤモンドは、今まで一度も主となる人間に出会ったことはない。
石と人間との出会いは人間の言う恋と似ている。人間の波動に石が惹かれる。そして人間はその石の波動を感じ取り、呼ぶ。とても運命的で、無意識なもの。そこに打算はない。だから、ただ待つしかない。自分に見合った主が現れるのを。
「でも、いつか現れるわ。だって私たちは必要とされるために生まれてきた」
他の石たちが主を見つけ、輝き、疲れきって故郷に帰ってきてはまた主のために出かけていくのは、必要とされているからだ。だから、ダイヤモンドは諦めないでいられる。毎日毎日、仕事をしている時以外はずっとこの場所でその瞬間を待つのだ。そんなダイヤモンドをロードは眩しそうに見つめた。
「うん。やっぱりダイヤはすごいね」
彼女は自分には硬いことしか取り柄がないだなんていうけれど。その波動はいつだって活発的で未来を切り開こうとする意志に満ちている。
(ダイヤに、運命の主が現れますように)
全ての石を束ねる存在のクリスタルはいつも石たちに言い聞かせている。主と巡り合うのはタイミングなのだと。早いか遅いかではない。その時、その場所、その人間に必要とされた時。最もその石の力が必要とされた時に、呼ばれるのだと。
きっとまだ、ダイヤにはその時が来ていないだけ。
ふわっと柔らかな風が吹き抜けた。その気配で二人は帰郷者の存在を知った。鏡の池はとても深いが、翡翠色がかった水は透明度の高さ故に、むしろ実際よりも浅く見える。その真ん中の水面に、ぽうっと灯りのような光が現れる。色は真紅。やがてその真紅から一人の少女が出てきた。色白の肌に映える鮮やかな赤い髪には、太陽の光に反射して銀の粒子が反射している。勝気な瞳は透明度の高い真紅。力強い波動と他を魅了してやまないその美しさは女王と呼ぶに相応しい。思わずダイヤモンドは声をかけていた。
「おかえり。ルビー」
*
その後ロードは主に呼ばれたと言って、ルビーと入れ替わるようにして鏡の池に入っていった。
「相変わらずルビーは大人気ね。とても久しぶりじゃない?」
「そうね。ダイヤも変わりはない?」
「なさすぎるくらいにね」
「そんな毎日来る必要はないでしょう。来るときは来るし来ないときは来ないわ」
淡々とした言葉には彼女の石としての誇り高さが窺えた。
「えー。ルビーは引く手数多だからそんなこと言えるんだよ。こっちは毎日ドキドキしてじっとしていられないんだからね?」
「……もう、何度も言っているけど、あなたの魅力を理解できない人間が多いのだから気にすることないわ」
「魅力って……」
ダイヤモンドはルビーの姿をじっと見た。真紅は気品と華やかさを併せ持って類なき美しさを保っている。同じ赤系統の石達とは一線を画した存在。彼女こそ真に魅力あふれる石と言えた。なのに、彼女は自分のことを立派な魅力のある石だと常日頃から言ってくれるのだった。
「はー私も硬度9が良かったなー。そしたらルビーみたいに綺麗な石だったかもしれないのにー。たった1硬度が違うだけでこんなに見た目が違うんだから」
「なに言ってるのよ。硬度10はこの世界に貴方しかいないのよ。誇らなくてどうするの。だいたい貴方と私だと一族が違うじゃない。同じ姿にはなれないわよ」
「うぐっ。なんでルビーはそう率直なのかなあ」
「これでも誇りあるコランダム一族ですからね」
ルビーは肩をすくめた。うまいお世辞ややわらかな表現が苦手な自覚はある。それがコランダムの特徴でもある。しかし、それをルビーが遠慮なく言うのは同族かダイヤぐらいだということを知らないのはそのダイヤだけだ。硬度が石の全てではないが、性質に大きな影響を及ぼしているのは事実だ。硬度9のコランダムが強い意志をもつ性質なのは硬度の影響も大きい。そして、それはダイヤモンドにも言える。だからルビーはダイヤモンドのことを力のない石だとは思っていない。むしろ、数少ない自分と対等に接してくれる存在だと思っている。他の石達はどうしてもルビーに対して遠慮をするし、硬度の低い石達は優しいかわりに繊細な質なのでルビーも気を付ける。ただ、本人は容姿のせいで選ばれなかったことを気にしている節があるのでそのことをあまり視野に入れていないのは、仕方ないとは思う。
「むー」
ダイヤモンドは目を凝らして鏡の池を見つめ始めた。呼び声が聞こえないかと試しているようだった。
「あれ、ダイヤ? と、ルビー……」
後ろから少年のような高い声が聞こえた。
「セレス!」
晴れ渡る青空のような優しい色をしたセレスタイトだった。髪と同じ空色をした瞳はガラスをクラッシュさせたような反射をさせて輝いている。
セレスタイトが少し怯えるようにルビーを見たので弱ったなとルビーは思った。セレスタイトは硬度が極端に低い。天使のように愛らしい少年の姿をしていて、そのままの意味で、衝撃に弱い。前に話しかけた時は泣かれてしまった。
「セレス。どうしたの? これから主のところ?」
ダイヤモンドが明るく話しかけたので、セレスタイトの瞳が含んでいた水分が少し引いた。ルビーは潔く場を譲った。
「うん……。この前選んでもらった主様……でも、硬いみんなと一緒に連れ出されるから怖くて……」
「よしよし、大丈夫よー」
ダイヤモンドはセレスタイトを抱きしめた。話しかけただけで泣かれたルビーには到底できない芸当だった。割れたらどうする。
「う。がんばる。ありがと、ダイヤ……」
だが、何故かダイヤモンドの強さは他を排除しない。不思議と他の石を励まし、勇気付ける。
「僕、ダイヤのことだいすきだよ」
天使の石と呼ばれるのも頷ける、そんな純真な笑顔を浮かべて、セレスタイトは軽い足取りで鏡の池に飛び込んだ。ここに来た時は今にも泣きそうな顔をしていたのに。
「すごいわね。ダイヤは」
「え、そう?」
「仲間を元気にするのが上手い」
「そ、そうかな」
照れたように笑う。まんざらでもないらしい。容姿に劣等感を持っていても、その前向きさと意思の強さは紛れもない美点であり、彼女自身もそれは認めてはいるのだろう。
(惜しいな)
きっと、なにかきっかけがあればなにより輝ける資質を持っているのに。そのきっかけがいつ来るかなんてわかりはしないけれど。
頬を紅潮させて笑うダイヤモンドの中にある小さな自負を見て、ルビーも笑った。でも。
きっとそれは、遠い未来ではない。
*
「あ、あの、その、き、訊いてほしい話が、ありまして……!」
日が沈みかけた湖の畔で、男性が女性の手を握って懸命に想いを伝えている。弱気に押しつぶされそうなのを奮い立たせて、必死に。弱弱しい自分ではなく、彼女を守る強い自分になるから。そう念じれば、胸がぽうっと熱を持つようだった。そして不思議と後ろ向きな考えが消えて頭がクリアになっていった。真摯な想いが伝わったのか、女性が頷くと、嬉しさで男性は飛び上がった。その男性の服の裏から一緒に飛び上がって喜ぶように一つの石がチェーンに繋がれたまま顔を出す。八面体の形をした、半透明な白い色。幸せそうな男女を祝福するように、ダイヤモンドはきらりと輝いた。
後に、ダイヤモンドが人の手によって加工されて、その美しさを開花させ、ルビーと並ぶ世界四大宝石の一つとして数えられるようになるのは、また別のお話。
お読みいただきありがとうございました。私の中にある石達の美しさ、純粋さが伝われば嬉しいです。