第8話 二心ありや
わたしが悲鳴をあげて飛び起きたとき、外は明るかった。シーツを握りしめ、肩を震わせる。なにもかもが混乱したなかで、わたしは周囲に視線を走らせた。
「目覚めたか」
椅子に座ったユーリと、目があった。
「気分は? 水でも飲むか?」
椅子を引いたユーリは、ベッドぎわに近づいた。そして、熱でも計るように、ひたいに手を伸ばしてきた。
わたしの脳内で、赤いなにかが……血だまりがフラッシュバックした。
「ひと殺しッ!」
わたしはユーリの手を払って、身を引いた。
ユーリは、はたかれた手の甲をさすりながら、同じく身を引いた。
「……医者を呼んでくる」
「ひと殺しッ! 近寄らないでッ!」
「おれは、おまえを守っただけだ」
ユーリのひとことが、わたしの記憶を揺さぶった。
自分がなにをされそうになったのか、そのことが鮮明に思い浮かぶ。
「あぁ……」
わたしは自分の両肩を抱いて、シーツのなかに顔をうずめた。
震えがとまらない。
「……すまない」
「……」
「目を離したのは、おれのミスだ」
わたしは、顔をあげた。
「ミス? ……ミスは、わたしをここへ召喚したことでしょう?」
わたしの反論に、ユーリは一瞬だけ、悲しげな表情を浮かべた。それとも、そう見えただけだろうか。いまのわたしにとっては、どちらでもよかった。
「あなたが王女を殺さなければ、こんなことにはならなかったよのッ!」
「……声を落とせ。廊下に聞こえる」
ユーリのくだらない注意が、わたしの神経を逆撫でする。
「なによ、その態度はッ!? もしあのとき……」
コンコン
ノックの音。それに続く、静寂。
「どうかなさいましたか?」
声の主は、あの少女だった。わたしに、いろいろな情報を漏らした少女。
ユーリはわたしに目配せして、ドアのほうへ振り返った。
「なんでもない。すこし、うなされただけだ」
「左様でございますか……お申し付けは、なんなりと」
ユーリは、すぐさまこちらに向き直った。
「なにか、欲しいものはあるか?」
「……」
わたしは、沈黙を保った。ほんとうに、なにも欲しくなかった。
家に帰ること以外は。
ユーリは、なにもないと答え、少女の足音は、ふたたび遠ざかった。
「……」
「水でも飲むか?」
ユーリは、瓶からコップへ水を注ぎ、わたしに手渡した。
わたしは断りたかったけど、のどの渇きを覚えて、それを受け取った。
ひとくち飲むと、すこしだけ気持ちが落ち着く。でも、それがまた腹立たしい。ユーリの策略に、のってしまっているかのようだ。もっと強気に……そう、さっきの少女に聞こえるくらいの大声で、真相をバラしてしまったほうが、よかった気もしてくる。ただ、そのあとでなにをしたらいいのか、分からないけれど。
「顔は、もう王女にもどってるの?」
「ああ、もどしてある。医者にみせるまえで、ひと苦労だったが……鏡をみるか?」
わたしは、首を横に振った。
ユーリは椅子を引いて、ふたたび腰をおろした。
「ゼナ……いや、ヒナ、おまえに尋ねたいことがある」
「……」
「おまえの世界は、どういう世界なんだ? なぜ、王宮の生活をこばむ? それほど暮らしやすいのか? おれは、ゼナの代わりになってくれる少女を探した。カマルの国で見つけるのは、不可能だった。どの女も、どこでだれと繋がっているか分からない。そう、おまえを襲った盗賊団の一味かもしれない。それに、おまえほどの教養もない」
ユーリは、そこで言葉を切った。わたしの反応を、うかがっているらしかった。
わたしはコップにくちびるをつけ、じっと正面を眼差していた。
「おまえをこの世界に呼んだとき、おれは……おまえがべつの世界の王族かと思った。だから、正直に言うと、すこし焦ったんだ。どこぞの王女を脅迫して、べつの王女になりすませるのは、ムリがあるからな。だが、おまえはただの……この国で言えば、平民にすぎないという。おれには、いまだに信じられない」
わたしは、口をつぐんだ。
日本のことをユーリに話して、なんの得もないと思った。
ユーリは、しばらくわたしの横顔をみつめ、右肘をテーブルについた。
「……言いたくないなら、いい」
「ひとつ、訊きたいことがあるの」
「おれの質問には答えないのに、か?」
わたしは、シーツをにぎりしめ、勇気を出して質問を放った。
「ゼナ王女を殺したのは、なぜなの……?」
肝心要の動機。わたしは、それを知ろうとしていなかった。
「……おれが答えると思ったのか?」
「親衛隊が、この国でどれだけ偉いのかは、知らないわ。でも、王宮のひとたちがあなたに示してる態度、そこまでへりくだったものじゃない……むしろ、あなたのほうが、ほかのひとたちに気をつかってるようにみえる……だとすれば、あなたが王女殺しの張本人だとは思えないの……違う?」
「殺したのは、おれだ。凶器もみせただろう」
「そういう意味じゃないわ……背後に、だれかいるんじゃないの?」
沈黙。図星だろう。わたしは、手応えを感じた。
「おれひとりの犯行だ。そう説明しなかったか?」
「家来のあなたが王女を殺して、なんのメリットがあるの?」
「……私怨だな。つきあいが長ければ、いろいろある」
それだけ言って、ユーリは席を立とうとした。
そのとき初めて、わたしは彼が本を読んでいたことに気づいた。
「なに読んでるの?」
「おまえには関係ない」
ユーリは本を閉じ、小脇に抱えた。
なにか、ヒントが隠されているのではないか。わたしは目を凝らす。
コンコン
二度目のノックの音に、わたしたちは振り返った。
「……なんだ?」
「宰相のガシェさまが、お取り次ぎを願いたいとのことです」
さきほどの少女が、聞き慣れない名前を告げた。
ユーリは、かるく舌打ちをした……ように聞こえた。たぶん。
「用件は? 王女は、お加減が悪い」
「お見舞いとのことでございます」
ユーリは、断る理由を失ってしまったらしい。諦めたように、ため息を漏らした。
「……お通ししろ」
「かしこまりました」
しばらくして、とびらが開き、太鼓腹の中年男性が入ってきた。目は小さく、背丈もそれほど高くない。けれど、自然と貫禄のある風情。彼が、ガシェなのだろう。名前は、名乗らなかった。愛想のよい、商人のような笑顔で、わたしにうやうやしく拝礼した。
「このたびは、急なご不慮とうかがい、はせ参じました」
わたしは、動揺する……なんと答えればよいのか。
「して、お加減のほどは?」
ガシェは、わたしの顔を、まじまじと覗き込んできた。
わたしは、居住まいを正し、喉が引きつらないように努力する。
「……心配をかけました。ユリディーズのおかげで、ことなきを」
「それはそれは、祝着のかぎり」
ガシェは、左腕を背中にまわし、あまった右手でユーリの肩を叩いた。
「さすがは、ユリディーズ殿、王宮一の美丈夫ですな」
「いえ……王女が倒れられたのは、わたしの責任ですので……」
「なにをなにを、ご謙遜なさることはございまいせん」
ガシェは、ユーリの肩から手をはなし、急にマジメな顔つきになった。
「近時、王国内には不穏な動きがございます……くれぐれも、ご用心を」
「……分かりました」
わたしの返答に満足したのか、ガシェはもう一度拝礼して、部屋をあとにした。
電光石火の挨拶回りとは、こういうことを言うのだろうか。
とびらが閉まったあとで、わたしは肩の荷をおろした。
「いまの、だれ?」
「宰相団のひとり、ガシェだ。舞踏会のとき、見なかったか?」
わたしは、記憶をたぐり寄せる……マリク王子と話していた男だろうか。
「ええ、ぼんやりと覚えてるわ」
「あいつには、気をつけろ。あまり話をするな」
ユーリの忠告に、わたしは眉をひそめた。
「どうして?」
「あの男は、二心ある。忠臣をよそおった権謀家だ」
「彼も、あなたには言われたくないでしょうよ」
わたしの返しに、ユーリはすこしばかり、口もとをゆがめた。
そのまま背を向けて、とびらに手をかけた。
「とにかく、あの男とは、あまり話をするな……いいな」
ユーリはそれだけ言い残して、部屋をあとにした。
窓からさんさんと降り注ぐ光が、床に濃い陰影をつくりあげる。わたしは、ぼんやりとそれを眺めつつ、これからさきのことを考え始めていた。
(アイデアが欲しい……でも、わたしには、その才能がない……)
盗賊団の……あのジンのまえでやらかした失態は、もう避けないといけない。大事な証拠品をうばわれただけだ。ユーリが犯人であるという証拠は、なにもなくなっていた。
「……」
わたしは、ベッドの一点をみつめて、とつとつと考えにふける。
コンコン
「……ユーリ? 忘れ物?」
「シスマです」
いつもの少女の声。
なるほど、あの少女がシスマだったのか。わたしは、念入りに覚えておく。
「どうしたの? 食事なら、まだいらないわ」
「ガシェさまが、ふたたびお目にかかりたいと……」
さっき帰ったばかりではないか。わたしは、ドキリとした。
「何の用かしら?」
「それはうかがっておりません」
「……入ってもらってちょうだい」
少女の足音が遠ざかり、また近づく。ガシェが姿を現した。
「たびたび、申し訳ございません。申し上げ忘れたことがございまして」
ガシェは、シスマが退室するよりも早く、そうまくしたてた。
まるで、彼女にわざと聞かせているかのようだった。
シスマはそんなことなど気にせずに、いつもどおりのスピードで、廊下に消えた。
「……なんでしょうか?」
ガシェは、わたしの近くによると、椅子を引いて腰をおろした。
座れとは言っていないのだが……長話なのだろうか。
わたしは、鼓動が速まるのを感じた。
(話をするなって言われてもね……断れないでしょ、バカユーリ……)
「で、なんの御用でしょうか?」
ガシェは、入り口をもう一度確認して、声をひそめた。
「ユリディーズ殿のまえでは、お耳に入れられないことでして……」
「また、奇妙なことをおっしゃいますね。どのようなことですか?」
「このたびのユリディーズ殿の失態、宰相団は、重く受け止めております」
なるほど……人事の話か。わたしは、言葉を慎重に選ぶ。
「ユリディーズの進退は、わたくしの関知するところではありません」
「それは、承知しております。しかし、あなたさま専属の親衛隊。とりあえずは、お耳に入れておかねばなりますまい……降格の議、反対なさらないおつもりで?」
困った……難題だ。
「わたしが盗賊に捕えられたのは、たしかに彼の失態……しかし、わたしが盗賊から助け出されたのは、彼の功績です。ユリディーズを首にして、代わりがいるのですか?」
「代わりならば、親衛隊にいくらでもおります。そもそも、あの少年がゼナさま専属になったのは、おふたりが幼馴染という、それだけのこと。親衛隊のなかには、それについて不満を持つ者も、少なからず」
また、めんどうな。わたしが言っているのは、そういうことではない。わたしが異世界人であるという、その情報を共有できるひとがいるのか、という意味。どう考えても、いるわけがない。代わりは、いないのだ。くやしいけれど。
「ユリディーズは、長年、わたしの手足として働いてくれました。ほかの者では、勝手が分からないことも多いかと」
「お言葉ですが……」
わたしは、右手でガシェを制する。
なぜそんなマネが堂々とできたのか、自分でもよく分からなかった。
地位がひとを作るというけれど、ほんとうなのかもしれない。
「ガシェ殿、ここはひとつ冷静に……ユリディーズの進退については、ともかく、カマルの城下町に盗賊団が跋扈するとは、いかなることなのですか? まずは、治安の回復に努めねばならないと思います」
「その回復のためにも、護衛の見直しを……」
「組織を不慣れなものにするのは、賊を利するにほかなりません。今回のユリディーズの活躍により、賊は彼を恐れるはず。違いますか?」
ガシェは、あきらかに驚いていた。簡単に言いくるめられると思っていた相手が、的確な反論をしてきたときにみられる、そういう驚き方だった。
ガシェは、なにかを見極めるように、わたしの顔をみつめた。
「……ご聡明なことで」
「ならば、ユリディーズの責任、しばらく据え置いてください」
ガシェは、急にくちもとを綻ばせると、ぽんと膝を叩いた。
一回目の訪問と同じ、愛想のよい顔つきになった。
「ごもっとも、ごもっとも。ゼナさまのご意見をたまわり、悩みが晴れました」
ガシェは席を立つと、わたしの手を取り、こうべを垂れた。
「それでは、失礼致します……今回のことは、くれぐれもご内密に……」




