第7話 告発
「そこの、お嬢さん、いい布地が入ってるよ。ちょっと買って行かない?」
「お嬢さん、絞り立てのジュースはどうだい? まけとくよ」
わたしの足取りに並んで、あちこちから声がかかる。お得意さんに話しかけるような、愛想のよさ。それでいて、腹の探り合いにもみえる。わたしは、顔をスカーフのようなもので覆ったまま、左右をきょろきょろとしていた。いろとりどりの商品に、いろとりどりの売り手たち。視線をうばうものが、そこかしこにあった。
「はぐれるなよ」
「分かってる」
「顔もみせるな」
「分かってるってば」
わたしは、ユーリの忠告をあしらって、手近な露天をのぞきこんだ。天幕の影に、さまざまな宝石類が眠っている。あれこれ吟味していると、スッと店主の手が伸びてきた。
「お嬢さん、いかがですか? 試しにつけてみては?」
差し出されたのがネックレスだったので、わたしは黙って遠慮した。
顔をみせられないからだ。それに、お金を持ち合わせていない。
「ヒナ、あまり覗き込むな。しつこい店だと、やっかいだぞ」
ユーリは、わたしにもういちど注意した。彼もまた、顔の下半分にスカーフをまいて、なんだかニンジャみたいな格好をしていた。もちろん、ユーリにそんな比喩を使っても、分からないでしょうけれど。
「あなた、わたしの本名を覚えてたのね。意外だわ」
「例の名前では呼べないからな。短いし、便利でいい」
そう、わたしたちはお忍びで、城下町の商店街にやって来ていた。石畳がどこまでも続く大通りに、大小の店が立ち並ぶ風景。わたしは、ものめずらしさと解放感で、あちこちに足をむけては、立ち止まっていた。
「あのインコみたいな生き物は、なに?」
「知らんな。インコとは、なんだ?」
「あそこにある、トゲのついた赤い果物は?」
「知らん」
わたしは、あきれてユーリを振り返る。
「さっきから、知らない知らないって、そればっかりじゃない」
「おれは、飼育係でもなければ、料理人でもない」
「お城での生活がながくて、一般常識がないんでしょ」
わたしの皮肉に、ユーリはすこしばかり口元をゆがめた。
「おれは、王侯貴族でもない。それから……」
わかったわかったと、わたしは右手でユーリを押しとどめた。
くだらない口喧嘩で、時間を使うのが惜しかったからだ。
ユーリは、わたしのうしろをぴったりとついてきた。そして、彼の横顔にむけて、年頃の少女たちが、意味深なまなざしを送っていた。正体がバレてるんじゃないかと思ったけど、そうではなかった。どうも、ユーリの顔立ちが原因らしい。なるほど、上半分だけみても、美形だろう。それと同時に、わたしのほうにも、とばっちりの視線が飛んできた。わたしはスカーフを深くかぶって、迷惑そうに首の角度を変えた。
「さっきから、見られてるわよ」
「気にするな。気にすると、かえって怪しまれる」
普段から、慣れているような反応だった。それがまた腹立たしい。
「あなた、顔バレしてないでしょうね?」
「親衛隊の顔など、庶民はだれも知らない」
わたしはもう、反論する気も起きなかった。
向かってくるひととぶつからないように、前を見すえた。
ユーリはと言えば、真昼の夜空を見上げて、なにやらくちびるを動かしていた。
「……月の傾きからして、そろそろだな」
「なにが?」
「変化の術が解ける」
わたしは、びっくりした。そんなこと、ひとことも聞いていなかったからだ。
「ちょ、ちょっと、マズいじゃない」
「マズくはない。むしろ、もとの顔のほうが、歩き回りやすいだろう」
ユーリはそう言って、わたしの顔をいきなり覗き見た。
「ああ、もどっているな」
わたしは、自分の顔に、なんの変化も感じなかった。
「ほ、ほんとに? 顔がひきつったりは、しなかったわよ」
「変化の術は、視覚にうったえかける魔法だ。おまえの顔が、ほんとうに変わっているわけじゃない。なんなら、たしかめてみるか?」
ユーリはそう言うと、人混みを離れて、わたしを小さな池のほとりに連れて行った。近くには、若い商人たちがたむろしていた。馬の代わりに、ダチョウのような巨大な鳥がつながれていた。羽毛は黄土色で、嘴がひらべったく、爪と爪とのあいだには大きな水かきならぬ砂かきが広がっていた。ユーリに訊くと、あれは砂漠を渡る鳥で、サフィーというらしい。別名【砂漠の船】だとも教えてくれた。商人たちは水を汲み、それを壷に入れては、幌のなかに仕舞い込んでいく。
「こっそりみろ」
わたしは、池のそばにかがみこんで、そっとスカーフをずらした。波ひとつない水の表面に、見知った顔が映った。目鼻立ちは浅く、ぱっちりとしたふたえ。
わたしは、安堵した。自分の顔を、取り戻したと感じた。
「おい、長々とみるな」
「待って、もうすこし……」
ユーリは、わざとらしくため息をついた。
「自分の顔にみとれるやつがあるか」
わたしは、しばらく水面を凝視した。
このスキに逃げて……も意味はない。どこかで野垂れ死ぬだけだろう。
ちらりとユーリを盗み見る。すると、ユーリは市場のほうを遠目にみていた。
「なにか買いたいものがあるの?」
「いや……ああいう品物は、いったいどこから届くのかと思ってな」
「そりゃあ、あちこちの国から動物なんかを使って運んでくるんでしょ」
「ヒナは、そういう旅をしたことがあるか?」
「ないけど……なに、旅行でもしたいの?」
「……そういう気分になることもある」
ノスタルジックな空気が、一瞬だけあたりをただよった。
ユーリはしゃべりすぎたと思ったのか、すこし強い口調で、
「いつまでかかるんだ」
と催促してきた。
わたしはスカーフをもとにもどした。
立ち上がろうとした瞬間、ふらりと足もとが揺らいだ。
池に落ちかけたところで、ユーリの腕がわたしのからだを支えた。
「おい、どうした?」
「さ、さわらないで……」
ユーリは、わたしをそばの石に座らせた。
わたしは額に手をやって、うつむく。
「気分が悪いのか?」
「立ちくらみだと思うわ……いきなり腰を上げたから……」
「いや、熱中症かもしれない。飲み物を買ってくる」
さすがに、池の水は飲ませられないと思ったのか、ユーリはその場を離れた。
わたしは、じっとしていた。逃げようかとも思ったが、逃げたところでどうしようもないだろう。それでなんとかなるなら、とっくに王宮の裏手から逃げ出している。
「……ッ!?」
体が宙に浮いた。いったいなにが起こったのか。
パニックになる間もなく、口を塞がれ、からだを乱暴に揺さぶられた。
運ばれてる? そう認識できたときには、背中に強烈な痛みが走った。
木の板にぶつかったような感覚。
「走らせろッ!」
目の前で、きらりとなにかが光った。
それが剣で、一本の綱を断ち切ったのだと分かった瞬間、馬車は動き始めた。
「なにッ!? なんなのッ!?」
「おいッ! ちゃんと押さえてろッ!」
もういちど、くちもとに手が伸びてきた。
わたしは、思いっきり歯を立てる。男の悲鳴と同時に、背中に痛みが走った。
「バカッ! 蹴るなッ! 王女だぞッ!」
「こいつ、噛みやがったッ!」
「いいから押さえてろッ!」
怒声。罵声。叫声。
助けを求めるわたしの顔に、麻袋のようなものがかぶせられた。
手をしばられ、身動きがとれなくなる。涙がとまらない。
なんでこんなことに。そうだ、ユーリのせいだ。
すべて、あいつのせいだ。
わたしは、怒りと憎しみと恐怖で混乱したまま、気をうしなった。
○
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目を覚ましたとき、わたしは床のうえに転がっていた。ひんやりとした、石の感触。からだを動かすと、ひじがこすれた。じめじめとした壁と天井。ちらちらと、壁にかけられた松明が燃えていた。空気が煤けている。
口を動かすと、さるぐつわの感触。わたしは、うめき声をあげた。
「お目覚めかね」
びっくりと、からだがちぢこまった。
おそるおそる、声のしたほうへと首をうごかす。
ゆったりとしたローブに身を包んだ、かっぷのいい髭の男が立っていた。よく日焼けしていて、おそろしく残忍な顔をしていた。頬の刀傷がみえた。右手のムチに気づいたわたしは、無意識のうちに身をよじらせ、うしろに逃げようとした。
ピシリ!
強烈な打擲音に、わたしは目を堅くつむった。
だけど、痛みは感じない。脅しだろうか。わたしは、まぶたをあげた。
みると、叩かれたのは、男の横に立っている、別の男性だった。すこし痩せ気味で、気疲れしたようなその男は、赤く腫れたほほを押さえることもせず、頭をさげた。
「ジンさま、まことに申しわけございません……」
「なぜ顔を確認しなかった? おまえの目は節穴か?」
「依頼人の情報では、たしかに王女でした」
「バカどものタレ込みを、いちいち信用するやつがあるかッ!」
「事実、親衛隊のユリディーズに付き添われておりましたゆえ……」
「親衛隊と一緒にいる女は、みな王女か? ん?」
親玉とおぼしき男、ジンは、もういちどムチを振るおうとした。
だがそれよりも早く、痩せ気味の男は、鋭く視線をあげた。
「ユリディーズは、王女直属の親衛隊です。ほかの女にはつきません」
「ならば、このえものを、どう説明する? どこからみても、異国の女奴隷だ」
「理由はわかりませんが……この女、ゼナ王女の替え玉かと思われます」
痩せ気味の男の返事に、ジンは目を細めた。
「替え玉……? 王女には、まったく似ていないぞ」
「王宮には、名だたる魔術師が幾人もおります。容姿を変えるなど、たやすいこと」
この男、するどい。わたしは、そらおそろしくなった。
話を聞き終えたジンは、立ったままわたしを見下ろしてきた。
すさまじい威圧感。からだの震えが止まらない。
「女、いまのカイードの話、ほんとうか?」
「……」
「ほんとうか?」
ジンは、ムチを両手で伸ばした。わたしは、首を縦に振った。
ジンは舌打ちをすると、ムチをわたしの目のまえの床に振りおろした。
わたしは、三たび目を閉じた。
「替え玉ではしょうがない……殺せ」
戦慄。わたしは、鳥肌が立つ間もなく、床から引きずりあげられた。
ふたり組の男に反抗して、思いっきり暴れる。
その拍子に、さるぐつわが外れた。
「待ってッ! わたしの話を聞いてッ!」
退室しかけていたジンとカイードは、軽蔑したようにこちらを振り向いた。
「女奴隷よ、王女の替え玉とは、このようなリスクを負うものだ。すこしは王族の暮らしができただろう。感謝して死ぬがいい」
カイードは、眉ひとつ動かさず、冷酷な台詞を吐いた。
「待ってッ! わたしは奴隷じゃないのッ! 異世界の人間よッ!」
親玉のジンは、カイードに目配せして、人差し指をこめかみにあてた。
「カイード、どうやらこの女、気が触れたらしい」
そう思われてもしかたがない。わたしは、絶望に打ちひしがれた。
けれど、カイードのほうは、その残忍な目つきを、ますますとがらせていた。
「いえ、ジンさま、そうとも言い切れません」
「……なに?」
「王宮には、われわれとはべつの世界から、人間を呼び出す術があると聞きます。この女の容姿、どの国のものとも知れません。あるいは、真実やも」
この男なら、話が通る。わたしは、そう判断した。
「そうよ、魔法で連れてこられたのよ」
「なんのために?」
カイードは、わたしの話に耳をかたむけた。
「王女の身代わりになるため」
「なぜ、わざわざ異世界の人間を使う? ただの替え玉だぞ?」
「王女は殺されたからよ」
今度ばかりは、さすがのカイードも、眉間にしわを寄せた。
ジンは、下品な笑いを浮かべて、ひげをなでた。
「カイード、やはり気が触れているのではないか?」
「少々、お待ちを……殺されたとは、どういうことだ? 政争か?」
「分からないわ。でも、犯人はユーリよ」
「ユーリ?」
「ユリディーズよ。あなた、さっき言ってたじゃない」
そうだ。ユーリだ。ユーリの犯行を暴けば……。
わたしの期待とは裏腹に、カイードは鼻でせせら笑った。
「女奴隷よ、罪をなすりつける相手を間違えたな」
「え……?」
「ユリディーズが王女殺しだと? ……ありえん」
「ほんとうよッ! 証拠ならあるわッ! 指輪よッ!」
わたしの大声に、カイードはすばやく反応した。
「指輪? なんの指輪だ?」
「マリク王子から、ゼナ王女にプレゼントされた指輪よッ!」
「どこにある? 王宮に忘れたでは、話にならんぞ」
わたしは、指輪がローブの隠しポケットに入っていることを伝えた。
乱暴に、部下がそれを取り出す。そして、カイードに手渡した。
カイードは、宝石商のようなするどい目つきで、指輪を鑑定しはじめた。
「本物ではあるまい。奴隷が好む、金メッキであろう」
はなから信じていないのか、親玉のジンは、そう言い捨てた。
「いえ……これは純金です。ここに、シャムス王家の紋章が」
「なに?」
ジンは、指輪をカイードから取り上げると、それを近くの松明にかざした。
「……たしかに、これはシャムスの紋章。寸分違わぬ」
「そうでしょう……納得してくれた?」
ジンは、わたしの問いかけを無視した。
代わりにカイードが、慇懃にこうべを垂れた。
「どこの女奴隷かは分からないが、貴重な情報、感謝する」
「だったら、わたしを……」
「おまえたち、その女はもう用済みだ。殺しておけ」
「ッ!?」
わたしは、しばらくのあいだ、口をぱくぱくさせた。息ができない。
「ウソ……でしょ?」
「このカイード、命に関わることがらで、ウソを吐いたことはない」
「話が違うじゃないッ!」
「だれも助けるとは言っていない。おまえがひとりでしゃべったのだろう」
「そんな……」
わたしは、反論する気力も失せて、その場にへたりこんだ。
「待って……わたしは……」
ジンとカイードは、そのままとびらの向こうがわへと消えた。
のこった手下たちは、縛ったひもの端を引っ張る。
わたしは、力なく床にころがった。
「どうする? このまま殺すか?」
「いやいや、どこの国の女かは知らないが、なかなかべっぴんじゃないか」
「そうか……じゃあ、俺も乗る」
わたしのなかから、スーっと血の気が引いた。
「あ、あなたたち……なにを……」
「どっちが先だ?」
「こういうときは、コイントスだろ」
「ちょっとッ! わたしに触ったら殺すわよッ!」
片方の男は、古びたコインを取り出し、それを宙に放った。
「表? 裏?」
「表」
「……チッ」
わたしは叫んだ。のどから血が出るほどに。
だが、それを楽しむかのように、男はわたしのうえに覆いかぶさってきた。
「暴れるな。おい、そっちの足を押さえてくれ……おい」
男の手が緩んだ。わたしは、ぐるりとからだを横に転がす。
一ミリでも遠くに逃げようと、必死にもがいた。
ムダだと分かっていても、遠くに。そして、背中に手が触れた。
わたしは、もういちど絶叫した。
「うるさいぞ、静かにしろ」
その声に、わたしはハッとなった。ふりかえると……ユーリが立っていた。顔に血しぶき、左手に短剣を持って。わたしは、視線を床に落とす。真っ赤な血だまりが見えたとたん、わたしはふたたび、意識を失った。