第5話 冷ややかな井戸の底で
遅めの朝食をすませたわたしは、さっそく次の手を考えた。この世界には、警察というものがないのだろうか。いや、あっても使えないのだけれど……テクノロジーの水準は、わたしが住んでいた世界よりも低いみたいだった。自動車が道を走ったり、飛行機が空を飛んだりすることはなかった。
わたしは水分補給をしてから、部屋を出た。まずは……そう、まずは、この城の見取り図を手に入れたい。あるいは、もう少し広範に聞き込みをしたい。そう決心したわたしは、廊下の左右を見渡した。ときおり、女性の侍従や、軽装の兵隊が横切った。皆、わたしのことを、怪訝そうにみていた。
「ねえ、ちょっといいかしら」
わたしは、なるべくひとのよさそうな、若い少年兵に声をかけた。
少年兵は、王女に声をかけられたのが意外だったのか、背筋をピンと伸ばした。
「は、はい、なんでありましょうか」
「ちょっと、落とし物をしちゃったんだけど……」
「落とし物ですかッ! よろこんで、捜させていただきますッ!」
わたしは、興奮する相手をなだめた。もっと落ち着いたひとがよかったかしら。
「大丈夫よ、わたしひとりで捜すから……ただ、ひとつ問題があるの」
少年は、すこしだけ怪訝そうな顔をした。このあたりは、まだわたしと同世代だと思う。ビジネスな顔ができないのだ。
「なんでございましょうか?」
「なくしたのは、昨日のお昼ごろなの。そのとき、どこでなにをしていたのか、うまく思い出せなくて……だれか、わたしのそばにいなかったかしら」
「その時間帯ならば、親衛隊のユリディーズ様かと」
今度は、わたしが眉間にしわを寄せる番だった。
(よりによって、あいつか……)
ちょっと、がっかり。だけど、これもひとつの証拠になる。わたしが疑われたとき、犯行現場に一番近かったのは、ユーリだということの証拠に。
「いま言ったこと、忘れないでちょうだいね」
「は、はいッ!」
「ウーン、まだよく思い出せないわね。ほんとうにユーリだけだったかしら?」
わたしは、わざとらしく、独り言のようにつぶやいた。
「ユリディーズ様でなければ、シスマさんではないでしょうか?」
聞き慣れない名前に、わたしは反応した。記憶にとどめておく。
さすがにここで「シスマってだれ?」とは訊けない。
「ほかには、だれかいないかしら?」
「先月まででしたら、侍従長も……あ、いえ、なんでもありません」
少年は、ひっかかるような言い方をしてから、口をつぐんだ。
(侍従長が、どうかしたのかしら? 病気? ……これも訊けないわね)
王女の身代わりであるということ、そのことが、あまりにももどかしかった。こんな状況で、根掘り葉掘り調べられるわけがないのだ。
わたしは、聞き込みに限界があることを悟った。
「ありがとう……さっき言ったことは、ほんとに忘れないでね」
「王女様のご命令とあらばッ!」
少年は満面の笑みを浮かべて、その場をあとにした。
一方、わたしは、あたまを抱えて、窓辺に寄りかかった。無骨に切り出された石造りの壁が、ひんやりと冷たかった。ガラスのない窓辺から身を乗り出すと、中庭がみえた。砂漠を思わせない、オアシスのような空間。道がXに交差して、その周囲を草木がおおっていた。花は、白を基調としたもので、ところどころをサボテンの赤がいろどっていた。
天頂にのぼりはじめた太陽の光が、庭全体にふりそそぐ。そこから逃れている陰は、手前の片隅だけ。つかれたわたしの目は、自然とそちらのほうへ降りていった。
(……あら、なにかしら?)
右手前の隅に、ぽつんと小さなマルがみえた。目を凝らすと、それは井戸だった。つるべがついていないから、おそらくは観賞用なのだろう。水にとぼしい国の、あこがれなのかもしれない。そんなことを考えたわたしの脳裏に、ふとある疑念がわき起こった。
(ああいうのって、なにかを隠すのに最適じゃない?)
わたしは、中庭に繋がるルートを捜した、きょろきょろしていてせいで、周囲に見咎められてしまった。めげない。気にしない。わたしは、王女なのだ。そして、ようやく中庭に出ることができた。涼しげな空気に包まれて、わたしの重たい気持ちもやわらいだ。
深呼吸する間もなく、井戸へと駆け寄った。ふたはされていなかった。落ちないように、すこし体をひいてのぞきこむ。いや、怖かったからだ。いきなり死体と顔を合わせるのが。わたしは、背中にじっとりと汗を感じた。
「……」
なにもない。それどころか、ほんとうにただのレプリカだった。深さが1メートルもないのだ。まるで、浅く掘った池を石で囲んだような、そんな作りになっていた。底には、さらさらとした、うつくしい砂粒が溜まり、なめらかな白い石が転がっていた。
気のせいか。そもそも、こんな人目につきやすい場所に、死体を捨てるわけがない。そう思ったわたしは、ホッとすると同時に、自分のしていることの無意味さを思い知らされた。いったいどうやって、ユーリの犯行を暴けるというのだろう。井戸ひとつのぞき込むのに、何分もかかっていた。
わたしはため息をついて、きびすを返そうとした。
「……あら」
わたしは、井戸の底、白い石の背後に、なにかが隠れているのをみつけた。
なんだろう。わたしはひとがいないのを確認して、水中に手を伸ばした。ひんやりとした液体の感触に、わたしは不思議な安心感をおぼえた。
「……指輪?」
それは、金色に輝く指輪だった。純金製? いや、そんなことは、どうでもいい。わたしはそれを、日陰のなかの薄い日差しにかざした。なんのひねりもないリングに、太陽の紋章が飾られていた。
(だれかが捨てたのかしら? なんでこんな高価そうなものを?)
それとも、この井戸と同じように、レプリカなのだろうか。鑑識眼のないわたしには、金でできているのかどうかすら、さっぱり分からなかった。ただ、わたしの勘は、なにか重要なものを発見したと、そう告げているような気がした。
わたしは、水のしたたるそれを袖で拭き、指にはめようとしてみた。
「ゼナ」
わたしは、心臓が止まりかけた。
振り返ると、ユーリがいつもより険しい顔つきで、こちらを睨んでいた。
「なにをしている? 部屋から出ていいとは言っていないぞ?」
わたしは、指輪を素早く握りしめ、自然なかたちで隠した。
「出てはダメ、とも聞いていないけど?」
「手間をかけさせるな……マリク王子がお呼びだ」
わたしは、眉をひそめた。
「マリク王子が……?」
ユーリは黙って、わたしに背をむけた。思わず、安堵のため息が漏れる。
バレなかった。あやしまれた形跡もない。そう思いたい。
「ついてこい」
ユーリはそう言って、わたしを先導した。てっきり、部屋にもどるのかと思いきや、天文台のフロアへ連れて行かれた。わたしが今朝のぼった階段はスルーして、もうひとつ奥に足を運んだ。
「どこへ行くの?」
「……」
返事がない。わたしは、空恐ろしくなった。
用済みになったんじゃないだろうか。
私は歩を止めた。
「ねえ……答えないと、大声を出すわよ」
「マリク王子は、屋上でお待ちだ」
「屋上で?」
疑念にかられるわたしをよそに、ユーリはどんどん階段をのぼった。
わたしは、黙ってあとを追った。
(大丈夫よ、陽凪……わたしを殺したら、困るはず……絶対に……)
手のなかの指輪を、わたしはギュッと握りしめた。
最後の一段をのぼり終えたとたん、陽光が照りつけた。
わたしは、額に手をかざした。まばゆさの向こうに、人影がみえた。
「ゼナ王女、ようこそ」
わたしを待っていたのは、ほんとうにマリク王子だった。
「こ、こんにちは」
「失礼、すこしおどろかせてしまったようですね」
まったくだ。マリクの笑みに、わたしは内心で憤った。
「なんの御用でしょうか?」
あたりまえの質問……のはずなのに、マリク王子は顔をくもらせた。
「ごきげんが悪いようですね……昨晩のことで、なにか?」
わたしは、あたまがハテナマークになった。
このひとは、なにを言っているのだろう。
「マリク、ゼナは緊張しているんだ。ひさびさのデートだからな」
「!?」
わたしは、びっくりした。心から。
そして、自分の役割と、昨晩の会話を思い出した。
(ユーリのバカ……そうならそうと、はじめから言いなさいよ……)
わたしが二重に腹を立てているよこで、マリク王子はユーリをねぎらった。
「すまない、ユーリ、めんどうな役目を押しつけてしまって」
「おれは構わないさ」
ユーリはそう言って、砂時計を取り出した。
「無粋で悪いが、ゼナも忙しい。この砂が落ち切るまでだ」
マリクは、分かった、というような、どこかさみしげな表情を浮かべた。
ユーリは砂時計を城壁の欄干に置き、その場から立ち去った。
わたしと王子。ふたりきり。
(ようするに……密会? ゼナ王女とマリク王子が、婚約者同士だとは聞かされていたけれど……なんで密会する必要があるの? それに、ゼナ王女は、結婚をいやがってたんじゃなかったかしら?)
わたしは、昨日の王様の話を思い起こした。
不仲なら、密会などしないだろう。わたしが王様の言葉を誤解しただけで、ふたりは相思相愛だったのだろうか。それとも、マリク王子の焦りだろうか。
わたしが激しく混乱するなか、会話はすすんだ。
「ゼナ王女、今日は突然呼び出してしまい、非礼をお詫びいたします」
マリク王子はそう言って、わたしの手を取ると、慇懃にあたまをさげた。
「こうしてふたりきりになるのも、ひさしいことですね」
「は、はあ……」
わたしの気のない返事に、マリク王子は、不安げな表情を浮かべた。
「やはり、ご迷惑でしたか? 急にお呼びだてして?」
「あ、いえ、その……」
わたしは、必死に言葉をさがす。
「と、とりあえず、腰でもおろしませんこと?」
言い慣れない言葉を使いながら、わたしは城壁の欄干に視線を伸ばした。
砂時計は、まだ十分の一も落ちていなかった。滝がひどく細い。
「これは失礼いたしました」
マリク王子は、大きめのハンカチのようなものを取り出して、欄干のうえに敷いた。
わたしは一礼して、すそをなおし、腰を下ろした。
そのとなりに、マリク王子も座った。しばらくのあいだ、沈黙が続く。気まずい。
「あいかわらず、うつくしい空ですね」
マリク王子は、昼間の夜空をみあげた。星々が澄み切っていた。
地平線には、すばらしい青と黒のコントラストがあった。
「そ、そうですね」
おとなしくするわたしに、マリク王子はひとりでしゃべり続けた。やたらとこの国を褒めたかと思えば、自分の国シャムスの現況を語ったりもした。わたしは、シャムスをみたことも訪れたこともないから、聞いていて、まったく想像もつかなかった。
ただ、ひとつだけ興味の湧いたことがあった。シャムスは太陽の国。夜の国カマルとは逆で、夜も青空がひろがっているようだ。仕組みはよく分からないけど、さぞかしキレイな気がした。そう、気がしただけ。なぜそう感じたのか……それは、王子のしゃべり方だった。なんというか……とても純朴そうなイメージ。まさにおぼっちゃんって雰囲気だ。わたしを楽しませようとして、どこか滑っている。ときどき、ことばに詰まると、気品のある真面目な顔で、物語を紡ごうと努力していた。そのときの表情が、王子の素顔なのだろう。その努力の裏側に、下心は見え隠れしていなかった。
「そういうわけで、ラクダから落ちた大臣が……」
笑顔で話していたマリク王子は、ふと、わたしの顔をのぞき込んだ。
「……つまらなかったですか?」
「あ、いえ……そういうわけでは……」
マリク王子は、ちょっぴり肩を落とすと、かるく目を閉じた。
「いえ、ムリなさらないでも結構です……前回のこともありましたし……」
わたしは直感的に、マズいと感じた。返事ができない。
「指輪も、さぞ迷惑だったかと思います」
「指輪……?」
わたしは、握りしめた手のひらに、堅い金属の感触をおぼえた。
緊張のあまり、すっかり忘れていたものだ。太陽の国シャムス。太陽の紋章。
わたしの指が、自然とほどけた。そして、王子の顔がくもった。
「……わたしに返してくれるわけですか」
「い、いえ、その……お礼を申し上げようと……」
とても空々しい答え。なぜ指にはめていないのか、理由になっていなかった。
マリク王子は、あからさまな嘘をつかれたような顔で、わたしを見つめ返した。
「あのとき、あなたがとても困った様子で、わたしは……」
「マリク、ゼナ」
ユーリが、階段の入り口から、顔をのぞかせた。
砂時計は、いつの間にか落ち切っていた。
「ああ、もうこんな時間か」
マリク王子は腰をあげ、わたしをエスコートしてくれた。
立ち上がったわたしをよそに、マリク王子はユーリの肩を叩いた。
「ありがとう、うまくやってくれて」
「時間がない。マリクも、付き人が心配してるんじゃないのか」
マリク王子はうなずいて、わたしのほうへ振り返った。
「ゼナ王女、ひとつお願いできますか?」
「……なんでしょうか?」
マリク王子は、とても言いにくそうな顔をした。
そして、意を決したように、こくりと首を縦に振った。
「わたしと結婚するかどうかは、あなたのご意志にゆだねます。もしイヤならば、あなたのお叔父さまに……カマル王に、はっきりとそうお伝えください。もしカマル王がそれを承服なさらなくても、わたしのほうではあなたの意志を尊重すると、そうお答えしますから」
王子の真剣な瞳に、わたしはただ、うなずき返すしかなかった。