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青空の夜と、星空の昼  作者: 星野ナイル
第2章 動き出した探偵王女
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第5話 冷ややかな井戸の底で

 遅めの朝食をすませたわたしは、さっそく次の手を考えた。この世界には、警察というものがないのだろうか。いや、あっても使えないのだけれど……テクノロジーの水準は、わたしが住んでいた世界よりも低いみたいだった。自動車が道を走ったり、飛行機が空を飛んだりすることはなかった。

 わたしは水分補給をしてから、部屋を出た。まずは……そう、まずは、この城の見取り図を手に入れたい。あるいは、もう少し広範に聞き込みをしたい。そう決心したわたしは、廊下の左右を見渡した。ときおり、女性の侍従や、軽装の兵隊が横切った。皆、わたしのことを、怪訝そうにみていた。

「ねえ、ちょっといいかしら」

 わたしは、なるべくひとのよさそうな、若い少年兵に声をかけた。

 少年兵は、王女に声をかけられたのが意外だったのか、背筋をピンと伸ばした。

「は、はい、なんでありましょうか」

「ちょっと、落とし物をしちゃったんだけど……」

「落とし物ですかッ! よろこんで、捜させていただきますッ!」

 わたしは、興奮する相手をなだめた。もっと落ち着いたひとがよかったかしら。

「大丈夫よ、わたしひとりで捜すから……ただ、ひとつ問題があるの」

 少年は、すこしだけ怪訝そうな顔をした。このあたりは、まだわたしと同世代だと思う。ビジネスな顔ができないのだ。

「なんでございましょうか?」

「なくしたのは、昨日のお昼ごろなの。そのとき、どこでなにをしていたのか、うまく思い出せなくて……だれか、わたしのそばにいなかったかしら」

「その時間帯ならば、親衛隊(ハンジャル)のユリディーズ様かと」

 今度は、わたしが眉間にしわを寄せる番だった。

(よりによって、あいつか……)

 ちょっと、がっかり。だけど、これもひとつの証拠になる。わたしが疑われたとき、犯行現場に一番近かったのは、ユーリだということの証拠に。

「いま言ったこと、忘れないでちょうだいね」

「は、はいッ!」

「ウーン、まだよく思い出せないわね。ほんとうにユーリだけだったかしら?」

 わたしは、わざとらしく、独り言のようにつぶやいた。

「ユリディーズ様でなければ、シスマさんではないでしょうか?」

 聞き慣れない名前に、わたしは反応した。記憶にとどめておく。

 さすがにここで「シスマってだれ?」とは訊けない。

「ほかには、だれかいないかしら?」

「先月まででしたら、侍従長も……あ、いえ、なんでもありません」

 少年は、ひっかかるような言い方をしてから、口をつぐんだ。

(侍従長が、どうかしたのかしら? 病気? ……これも訊けないわね)

 王女の身代わりであるということ、そのことが、あまりにももどかしかった。こんな状況で、根掘り葉掘り調べられるわけがないのだ。

 わたしは、聞き込みに限界があることを悟った。

「ありがとう……さっき言ったことは、ほんとに忘れないでね」

「王女様のご命令とあらばッ!」

 少年は満面の笑みを浮かべて、その場をあとにした。

 一方、わたしは、あたまを抱えて、窓辺に寄りかかった。無骨に切り出された石造りの壁が、ひんやりと冷たかった。ガラスのない窓辺から身を乗り出すと、中庭がみえた。砂漠を思わせない、オアシスのような空間。道がXに交差して、その周囲を草木がおおっていた。花は、白を基調としたもので、ところどころをサボテンの赤がいろどっていた。

 天頂にのぼりはじめた太陽の光が、庭全体にふりそそぐ。そこから逃れている陰は、手前の片隅だけ。つかれたわたしの目は、自然とそちらのほうへ降りていった。

(……あら、なにかしら?)

 右手前の隅に、ぽつんと小さなマルがみえた。目を凝らすと、それは井戸だった。つるべがついていないから、おそらくは観賞用なのだろう。水にとぼしい国の、あこがれなのかもしれない。そんなことを考えたわたしの脳裏に、ふとある疑念がわき起こった。

(ああいうのって、なにかを隠すのに最適じゃない?)

 わたしは、中庭に繋がるルートを捜した、きょろきょろしていてせいで、周囲に見咎められてしまった。めげない。気にしない。わたしは、王女なのだ。そして、ようやく中庭に出ることができた。涼しげな空気に包まれて、わたしの重たい気持ちもやわらいだ。

 深呼吸する間もなく、井戸へと駆け寄った。ふたはされていなかった。落ちないように、すこし体をひいてのぞきこむ。いや、怖かったからだ。いきなり死体と顔を合わせるのが。わたしは、背中にじっとりと汗を感じた。

「……」

 なにもない。それどころか、ほんとうにただのレプリカだった。深さが1メートルもないのだ。まるで、浅く掘った池を石で囲んだような、そんな作りになっていた。底には、さらさらとした、うつくしい砂粒が溜まり、なめらかな白い石が転がっていた。

 気のせいか。そもそも、こんな人目につきやすい場所に、死体を捨てるわけがない。そう思ったわたしは、ホッとすると同時に、自分のしていることの無意味さを思い知らされた。いったいどうやって、ユーリの犯行を暴けるというのだろう。井戸ひとつのぞき込むのに、何分もかかっていた。

 わたしはため息をついて、きびすを返そうとした。

「……あら」

 わたしは、井戸の底、白い石の背後に、なにかが隠れているのをみつけた。

 なんだろう。わたしはひとがいないのを確認して、水中に手を伸ばした。ひんやりとした液体の感触に、わたしは不思議な安心感をおぼえた。

「……指輪?」

 それは、金色に輝く指輪だった。純金製? いや、そんなことは、どうでもいい。わたしはそれを、日陰のなかの薄い日差しにかざした。なんのひねりもないリングに、太陽の紋章が飾られていた。

(だれかが捨てたのかしら? なんでこんな高価そうなものを?)

 それとも、この井戸と同じように、レプリカなのだろうか。鑑識眼のないわたしには、金でできているのかどうかすら、さっぱり分からなかった。ただ、わたしの勘は、なにか重要なものを発見したと、そう告げているような気がした。

 わたしは、水のしたたるそれを袖で拭き、指にはめようとしてみた。

「ゼナ」

 わたしは、心臓が止まりかけた。

 振り返ると、ユーリがいつもより険しい顔つきで、こちらを睨んでいた。

「なにをしている? 部屋から出ていいとは言っていないぞ?」

 わたしは、指輪を素早く握りしめ、自然なかたちで隠した。

「出てはダメ、とも聞いていないけど?」

「手間をかけさせるな……マリク王子がお呼びだ」

 わたしは、眉をひそめた。

「マリク王子が……?」

 ユーリは黙って、わたしに背をむけた。思わず、安堵のため息が漏れる。

 バレなかった。あやしまれた形跡もない。そう思いたい。

「ついてこい」

 ユーリはそう言って、わたしを先導した。てっきり、部屋にもどるのかと思いきや、天文台のフロアへ連れて行かれた。わたしが今朝のぼった階段はスルーして、もうひとつ奥に足を運んだ。

「どこへ行くの?」

「……」

 返事がない。わたしは、空恐ろしくなった。

 用済みになったんじゃないだろうか。

 私は歩を止めた。

「ねえ……答えないと、大声を出すわよ」

「マリク王子は、屋上でお待ちだ」

「屋上で?」

 疑念にかられるわたしをよそに、ユーリはどんどん階段をのぼった。

 わたしは、黙ってあとを追った。

(大丈夫よ、陽凪(ひな)……わたしを殺したら、困るはず……絶対に……)

 手のなかの指輪を、わたしはギュッと握りしめた。

 最後の一段をのぼり終えたとたん、陽光が照りつけた。

 わたしは、額に手をかざした。まばゆさの向こうに、人影がみえた。

「ゼナ王女、ようこそ」

 わたしを待っていたのは、ほんとうにマリク王子だった。

「こ、こんにちは」

「失礼、すこしおどろかせてしまったようですね」

 まったくだ。マリクの笑みに、わたしは内心で憤った。

「なんの御用でしょうか?」

 あたりまえの質問……のはずなのに、マリク王子は顔をくもらせた。

「ごきげんが悪いようですね……昨晩のことで、なにか?」

 わたしは、あたまがハテナマークになった。

 このひとは、なにを言っているのだろう。

「マリク、ゼナは緊張しているんだ。ひさびさのデートだからな」

「!?」

 わたしは、びっくりした。心から。

 そして、自分の役割と、昨晩の会話を思い出した。

(ユーリのバカ……そうならそうと、はじめから言いなさいよ……)

 わたしが二重に腹を立てているよこで、マリク王子はユーリをねぎらった。

「すまない、ユーリ、めんどうな役目を押しつけてしまって」

「おれは構わないさ」

 ユーリはそう言って、砂時計を取り出した。

「無粋で悪いが、ゼナも忙しい。この砂が落ち切るまでだ」

 マリクは、分かった、というような、どこかさみしげな表情を浮かべた。

 ユーリは砂時計を城壁の欄干(らんかん)に置き、その場から立ち去った。

 わたしと王子。ふたりきり。

(ようするに……密会? ゼナ王女とマリク王子が、婚約者同士だとは聞かされていたけれど……なんで密会する必要があるの? それに、ゼナ王女は、結婚をいやがってたんじゃなかったかしら?)

 わたしは、昨日の王様の話を思い起こした。

 不仲なら、密会などしないだろう。わたしが王様の言葉を誤解しただけで、ふたりは相思相愛だったのだろうか。それとも、マリク王子の焦りだろうか。

 わたしが激しく混乱するなか、会話はすすんだ。

「ゼナ王女、今日は突然呼び出してしまい、非礼をお詫びいたします」

 マリク王子はそう言って、わたしの手を取ると、慇懃(いんぎん)にあたまをさげた。

「こうしてふたりきりになるのも、ひさしいことですね」

「は、はあ……」

 わたしの気のない返事に、マリク王子は、不安げな表情を浮かべた。

「やはり、ご迷惑でしたか? 急にお呼びだてして?」

「あ、いえ、その……」

 わたしは、必死に言葉をさがす。

「と、とりあえず、腰でもおろしませんこと?」

 言い慣れない言葉を使いながら、わたしは城壁の欄干に視線を伸ばした。

 砂時計は、まだ十分の一も落ちていなかった。滝がひどく細い。

「これは失礼いたしました」

 マリク王子は、大きめのハンカチのようなものを取り出して、欄干のうえに敷いた。

 わたしは一礼して、すそをなおし、腰を下ろした。

 そのとなりに、マリク王子も座った。しばらくのあいだ、沈黙が続く。気まずい。

「あいかわらず、うつくしい空ですね」

 マリク王子は、昼間の夜空をみあげた。星々が澄み切っていた。

 地平線には、すばらしい青と黒のコントラストがあった。

「そ、そうですね」

 おとなしくするわたしに、マリク王子はひとりでしゃべり続けた。やたらとこの国を褒めたかと思えば、自分の国シャムスの現況を語ったりもした。わたしは、シャムスをみたことも訪れたこともないから、聞いていて、まったく想像もつかなかった。

 ただ、ひとつだけ興味の湧いたことがあった。シャムスは太陽の国。夜の国カマルとは逆で、夜も青空がひろがっているようだ。仕組みはよく分からないけど、さぞかしキレイな気がした。そう、気がしただけ。なぜそう感じたのか……それは、王子のしゃべり方だった。なんというか……とても純朴そうなイメージ。まさにおぼっちゃんって雰囲気だ。わたしを楽しませようとして、どこか滑っている。ときどき、ことばに詰まると、気品のある真面目な顔で、物語を紡ごうと努力していた。そのときの表情が、王子の素顔なのだろう。その努力の裏側に、下心は見え隠れしていなかった。

「そういうわけで、ラクダから落ちた大臣が……」

 笑顔で話していたマリク王子は、ふと、わたしの顔をのぞき込んだ。

「……つまらなかったですか?」

「あ、いえ……そういうわけでは……」

 マリク王子は、ちょっぴり肩を落とすと、かるく目を閉じた。

「いえ、ムリなさらないでも結構です……前回のこともありましたし……」

 わたしは直感的に、マズいと感じた。返事ができない。

「指輪も、さぞ迷惑だったかと思います」

「指輪……?」

 わたしは、握りしめた手のひらに、堅い金属の感触をおぼえた。

 緊張のあまり、すっかり忘れていたものだ。太陽の国シャムス。太陽の紋章。

 わたしの指が、自然とほどけた。そして、王子の顔がくもった。

「……わたしに返してくれるわけですか」

「い、いえ、その……お礼を申し上げようと……」

 とても空々しい答え。なぜ指にはめていないのか、理由になっていなかった。

 マリク王子は、あからさまな嘘をつかれたような顔で、わたしを見つめ返した。

「あのとき、あなたがとても困った様子で、わたしは……」

「マリク、ゼナ」

 ユーリが、階段の入り口から、顔をのぞかせた。

 砂時計は、いつの間にか落ち切っていた。

「ああ、もうこんな時間か」

 マリク王子は腰をあげ、わたしをエスコートしてくれた。

 立ち上がったわたしをよそに、マリク王子はユーリの肩を叩いた。

「ありがとう、うまくやってくれて」

「時間がない。マリクも、付き人が心配してるんじゃないのか」

 マリク王子はうなずいて、わたしのほうへ振り返った。

「ゼナ王女、ひとつお願いできますか?」

「……なんでしょうか?」

 マリク王子は、とても言いにくそうな顔をした。

 そして、意を決したように、こくりと首を縦に振った。

「わたしと結婚するかどうかは、あなたのご意志にゆだねます。もしイヤならば、あなたのお叔父さまに……カマル王に、はっきりとそうお伝えください。もしカマル王がそれを承服なさらなくても、わたしのほうではあなたの意志を尊重すると、そうお答えしますから」

 王子の真剣な瞳に、わたしはただ、うなずき返すしかなかった。

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