第2話 愛の節穴
音楽が始まった。
わたしはなにをしてよいのか分からないまま、会場の雰囲気に身をまかせていた。そばに立つユーリに目くばせしても、彼は気づかないふりをした。それどころか、こちらを見るなという気配すら漂わせていた。わたしは、腹を立ててそっぽをむいた。
しばらくすると、左右のカーテンのうしろから、踊り子がひとりずつあらわれた。ホールの中央へと、すべるように舞い込む。ゆったりとした薄手のズボンに、腹部をさらけ出した上着。ふたりは静かなリズムに乗りながら、ひらひらと踊り始めた。もの珍しいショーに、わたしは集中しようした。
だけど、できなかった。緊張で、コップを強くにぎりしめる。
「ゼナ王女」
とつぜんの呼びかけに、わたしは身をふるわせた。
みれば、銀髪のマリク王子が、目のまえに立っていた。
「今宵は、お会いできて光栄です」
「こ、こちらこそ……」
わたしは、曖昧にくちびるを動かした。
なんと答えてよいのか、見当がつかなかった。
「具合がわるいのですか? 手がふるえていますよ?」
マリクは、心配そうにわたしの手をながめた。
「い、いえ……これは……」
わたしは、もういちど、ユーリに視線をむけた。
ユーリは、わたしのそばにたたずむだけで、手を差し伸べる気配がなかった。
(なにやってるの……あなたの計画じゃない……)
わたしは、混乱といらだちをおぼえた。この少年は、この人殺しは、わたしに何をさせたいのだろうか。演技がバレたら、困るのはわたしではなく、ユーリなのだ。
それとも、この場でマリクに、助けをもとめたほうがよいのかもしれない。自分はゼナなどではなく、ただの異世界人で……異世界人! そんな馬鹿げた話を、信じてもらえる気がしなかった。わたしは、ひらきかけた口をつぐんだ。
(ごまかせばいいのよ……異国から奴隷としてつれてこられたとか……)
「あの、マリク様……」
「殿下、今宵は、ごきげんうるわしく」
わたしのたくらみを防ぐかのように、ユーリが言葉をはなった。
「こんばんは、ユーリ、元気だったかい?」
「殿下のおかげさまで」
「その呼び方は、よしてくれ。わたしとユーリの仲だろう」
彼らが友人であることに、わたしはすぐさま気づいた。そして、困惑した。
マリクはわたしに向きなおり、王族とはおもえない、人なつこい笑みを浮かべた。
「さては、ユーリがなにかやらかしましたね? 違いますか?」
マリクの言い回しに、わたしはドキリとなった。
「問題児であるかのような言い方は、やめていただきたいですね」
ユーリは、言葉つかいこそ丁寧だったものの、ぞんざいに言い返した。
「ハハハ、冗談だ。しかし、ゼナ王女のめんどうをみるのは、おまえの役目。今夜の舞踏会に、これほど緊張させては、不手際と言わざるをえないな」
マリクは笑いながら、ユーリの肩をたたいた。
「年頃の女心というものは、分かりません」
ユーリは、眉ひとつうごかさず、そう答えた。
「それはわたしも同感だ……ゼナ王女、またのちほど」
マリクは去り際に、わたしのイヤリングを愛おしそうに撫でた。
わたしは反射的にからだを引いてしまう。
「おっと、失礼……ユーリ、うまくやれよ」
マリクは丁寧に会釈をすると、今度こそ、わたしたちに背をむけた。
どっとした疲れが、わたしの胸の奥から、とつぜんに沸き起こった。
ひたいの汗をぬぐって、わたしは大きく息を吐いた。
「うまくやるじゃないか。ひとをたぶらかす才能がある」
ユーリは、小声でそうささやいた。
「バカなこと言わないで」
「いまの顔を忘れるな。ゼナとマリクは幼なじみだ。不知は通じない」
わたしは、遠ざかったマリクに視線をむけた。かっぷくのよい、髭の男と談笑しているのがみえた。どちらかの国の重臣だろうと、わたしは勝手に推測した。
「……あなたとは、どういう関係なの?」
「俺は、親衛隊のメンバーだ。付き人だな」
「ただの裏切り者でしょう」
わたしの軽口にもかかわらず、ユーリは顔色を変えなかった。
「それに、わたしが訊いたのは、あなたとマリクの関係よ」
「俺と殿下?」
「さっきの様子だと……あなたたち、友人かなにか?」
ユーリは黙って、わたしを見つめ返してきた。
そして、フッと肩をすくめた。
「勘のいい女だな」
「あれで気づかないほうが、どうかしてるわ……で、どういう関係なの?」
「俺はもともと、シャムスの出身でな。マリクとは幼いころからの知り合いだ」
「知り合い……ね。友だちじゃないの?」
「王族と家臣のあいだに、友情は存在しない」
ユーリはそれだけ言って、口をつぐんだ。
わたしも、押し黙る。なぜ饒舌になってしまったのか。極度の緊張から解放されると、ひとはとりとめもなくしゃべり始めるという。わたしはコップにくちびるをつけて、冷ややかなそれをのどに流し込んだ。自分を落ち着かせるためだ。
「あのひと、ゼナ王女の婚約者なんでしょ?」
「説明したとおりだ」
「婚約者を替え玉でだませると思ってるの?」
ユーリは、なにも答えなかった。
音楽が、深まっていく。やさしげな音色がつづいた。
踊り子たちもそれに合わせて、手足のうごきをゆるめる。
まるで、砂漠のどこかをさまよう、陽炎のようだった。
「気にいってもらえたかな?」
しわがれた、老人の声。
振り返ると、ハサラ王の姿があった。
杖をつき、腰を曲げた老人は、澄んだ瞳でわたしを凝視した。
「は……はい……」
「どうした? 気分でも悪いか?」
「い、いえ、そんなことはありません」
わたしはごまかすと、踊り子たちへと目をそらした。
頬に、ハサラ王の視線を感じる。
「マリク王子とは、もう話をしたのか?」
「はい」
「返事のようなものは?」
わたしは、ことばに詰まった。
(返事って、なに? ……まさか、プロポーズ?)
「な、なにも……」
わたしは、一番あたりさわりのない答え方をした。
マリクから特別なことを聞かされていないのは、事実だから。
「そうか」
老人はそれだけ言って、鼻息をもらした。
落胆しているのか、それとも安堵しているのか、どちらにもとれた。
「ゼナよ、おまえは、マリク王子のことを、どう思っている?」
唐突な質問。
(どうって……初対面なのに答えられるわけないじゃない)
「たいへん……よい方だと思います……」
わたしは、第一印象を素直に答えた。
「最近のおまえは、ずいぶんとふさぎこんでいたようだな。そう、王子との婚約が決まったときから……ゼナ、ひとつだけ理解してもらわねばならないことがある。おまえは、ひとりの女であるまえに、カマル王家の長女。だれを愛し、だれに嫁ぐかは、おまえの意思では決められぬことだ。そのことを、わきまえて欲しい」
わたしは、あいまいにうなずき返した。
思考が、もやもやとしてくる。
(ゼナ王女は、マリクと結婚したくなかったの?)
わたしはその情報を、すこしばかり意外に思った。ユーリは、そんなことを匂わせもしていなかったから。わたしが演技過剰で、マリクにベタベタしたら、どうするつもりだったのだろうか。人殺しの立てた計画など、理解できるはずもない。
「すまぬな、歳をとると、どうしても愚痴がこぼれる」
「いえ……そんな……」
「おぬしは、兄王のひとり娘。兄が若くして亡くなるとき、臨終のまぎわ、おまえをワシに託した。そのときの約束は、一度も違えたことはない。おまえがシャムスの王族に嫁げば、兄王も大いに満足してくれるはずだ。ワシも、安心して死ぬことができる」
そんなのは、親のエゴではないのか。わたしは、そう思った。けれど、この世界の価値観は、わたしの住んでいた国や時代と、異なっているのかもしれない。それとも、21世紀ですら、王族ではそういう風習が守られてるのだろうか。
わたしは、生返事をしながら、そんなことを考えていた。
「おまえは聡明な子だ。それに……」
ハサラ王は、ユーリに向きなおった。
「信頼できる親衛隊もいるからな」
わたしは、失笑しかけた。
(そのハンジャルに殺されたのよ、ゼナ王女は……まるで節穴だわ)
もうろくしているのではないかと、毒気のある考えがよぎった。
それと同時に、音楽が転調した。明るく、ノリのよいリズムへと変わった。
「うす暗い話は、これまでにしよう。今宵は、ぞんぶんに楽しむがよい」
わたしは会話から解放されて、そのままユーリのそばにとどまった。
見えないナイフにおびえるよりは、そばに置いておきたい……そんな気分だった。