第18話 2人の刺客
ランプの油が焼ける匂い。
わたしは息苦しい空気のなか、床の模様をチョークで書き足していた。
魔法陣は半分近くが消えていた。日数の経過と、ひとが出入りしたせいだろう。
予想していたよりも、はるかに重労働だ。
巻き物のイラストが簡単にみつかったのは、不幸中の幸いだった。それとにらめっこをしながら、床にひざをつき、腕を動かす。黒板に文字をきざむような音が、ファーラビーの部屋に小さくひびいた。いそがないと。
「……これで全部?」
わたしは、最後の三日月を描き終えた。
立ち上がって、全体をもういちど確認する。イラストと魔法陣に違いがないかどうか、360度、時計回りにひとつひとつ点検した。
(ちょっと歪んでるかしら……)
真円というわけにはいかなかった。慣れていないのだ。とはいえ、よーく見ないとわからないほどの差だし、書き加えるまえの魔方陣も、そこまで精緻なものじゃなかった。
「あとはユーリを……」
「ゼナさま?」
なぜここに――ドアのすきまから、シスマが顔をのぞかせていた。
「あの……なにをなさっているのですか?」
「し、シスマ、これは……」
わたしは咄嗟の言いわけを考える。
「ユーリが無実であることの、決定的な証拠をさがしてるの」
われながらうまいと思った。ファーラビーの部屋にいる理由としてふさわしい。
と思いきや、シスマは顔をくもらせた。
「ユリディーズさまの件は、さきほどの地下牢で解決したのでは?」
「証拠がないのよ。ほら、ハサラ王を納得させるには、物的な証拠が必要でしょ?」
「証拠……どのようなものでございましょうか? シスマもお手伝いいたします」
そこまでは考えていなかった。
すこしばかりうろたえる。具体的にはわからない、じゃ変だし――そうだッ!
「指輪よ」
「指輪? ……あッ、ゼナさまがお失くしになられた指輪でございますか?」
やっぱり知ってたのね。ひとの口に戸は立てられない。召使いたちのあいだでも、このうわさは漏れていると読んだ。正解だった。
「ファーラビーさまのお部屋で、お失くしになられたのですか?」
「ひょっとしたら、ね。捜してないのは、ここくらいだから……」
わたしはてきとうなウソをならべた。
シスマはすっかり信用してしまったようで、
「承知いたしました。シスマも誠心誠意、お手伝いさせていただきます」
と真顔になって手をあわせた。
これはこれで困る。とりあえず、すでに部屋のあちこちを調べ終えたことを告げた。物を動かしたから、それっぽくみえるはずだ。ところが、シスマはまったく妥協しないで、
「ランプの光では、見落としているところがあるやもしれません」
と言い出した。まいった。見落としているもなにも、この部屋にはない。あれは盗まれたのだ。しかたがないから、もうすこし捜すフリをする。まだ手をつけていなさそうな場所。それでいて、シスマがすぐに音をあげてくれそうな場所。
「……そこの棚のうしろは、まだ捜してないわ」
「こ、この棚ですか……とても重そうです」
よしよし、数センチくらい動かしたら、あきらめてくれそうだ。
わたしは、シスマに棚の片側を担当してもらうことにした。ふたりで左右にずらしていくのだ。音が多少するかもしれないけど、ここは王宮から隔離された施設だ。それに、わたしとシスマなら、衛兵にみつかっても見逃してもらえるだろう。
「それじゃ、反対側を持って。暗いから気をつけてね」
「はい」
わたしはかがみこんで、棚に手をかけた。ぐいっと力を入れる。
ビクともしない。
「シスマ、もうすこし力を入れてみてくれる?」
キンッ
闇のなかに火花が散った。
わたしはおどろいて顔をあげた。
すると、短刀を持ったユーリの姿が、ぼんやりとランプに照らし出された。
「きゃああぁああああああああッ!」
悲鳴をあげたとたん、わたしは突き飛ばされた。
肩が壁にぶつかり、棚から道具がころがり落ちる。
殺される――わたしは必死に悲鳴をあげた。
「ひと殺しッ! ひと殺しよッ!」
キンッ
ふたたび火花が散った。金属がぶつかる音。わたしは肩をおさえながら、這うように逃げ場を求めた。なんどもつまずきそうになる。もういちど金属音。わたしは、それが短剣のぶつかり合う音だと気づいた。
だれかが戦っている? わたしは盾になりそうなものを探しながら、視線を部屋のなかに走らせた。ランプの灯りに交差する人影。ひとつはユーリ、もうひとつは――
「シスマ!」
短剣を持ったシスマが、ユーリと刃を交えていた。
一瞬、なにが起こっているのかわからなくなる。
「ゼナ! ここは俺に任せて早く逃げろッ!」
「ゼナさまッ! ここはわたくしにお任せくださいッ!」
シスマがユーリの攻撃から守ってくれた? それとも逆?
頭が混乱する。ドアまで、あと数歩。
わたしが躊躇していると、ユーリはシスマをはねのけて怒鳴った。
「早く逃げろッ!」
その声に押されて、わたしはファーラビーの部屋から飛び出した。
階段を駆けおりる。服を着替えてくればよかった。ローブのすそを何度も踏みかけた。
(どっちが殺しにきたの? ユーリ? シスマ? それとも……あッ)
足をとられる感覚。あと1段というところで、派手に転倒してしまった。
「いたたた……」
「ゼナさまッ!」
助かった。わたしは心のなかでさけんだ。マリクの声だったからだ。
「マリク! たいへんなのよッ!」
そこまで口走って、わたしははたと困った。
なんて言えばいいの? ユーリに襲われた? シスマに襲われた?
それとも、だれかわからないけど危害を加えられたことにする?
わたしが逡巡していると、マリクはけげんそうな顔をした。
「すみません……なぜその衣装をお召しなのですか?」
「衣装?」
わたしは自分が着ているものを確認した。ゼナの普段着だった。
寝巻きじゃないから不審に思われた? だとすると、早く答えないと――
「マリク、うえの部屋で……」
「あなたはだれですか?」
マリクはそう言って一歩引いた。わたしは意味がわからず、まえに出ようとする。
ところが、マリクは腰の三日月刀に手をかけた。
「ゼナさまのお召しものを、どこで手に入れたのですか?」
わたしはそのとき、最悪の可能性に思いあたった――変化の術が切れた?
手を顔にあてながら弁明する。
「ちがうのよ、マリク、話を聞いて……」
「衛兵ッ! くせものですッ! 衛兵ッ!」
あっというまに廊下の奥から金属音が聞こえてきた。
マズい。わたしは反対がわに駆け出した。
「待てッ!」
剣を抜く音。マリクは衛兵の到着を待たずに追いかけてきた。これは誤算だった。マリクの性格からして、安全策をとると思ったからだ。王族の足が遅いことに賭けて、わたしは屋上への通路を全力で駆け抜けた。階段をのぼり、ファーラビーと話したあの広場へと出る。夜風が上気した頬をなで、すこしだけ呼吸がもどった。
あたりをみまわす。べつの出入り口はないか確かめた。そして、ちょうど対角線上に、今出てきたドアと似た出入り口があった。わたしはそちらへ駆け出す。途中でまたころびそうになったから、ローブのすそを手で引きちぎった。ほつれていたところから破ると、簡単に裂け目ができた。
わたしはドアに手をかけ、すぐに開けようとした。
「声がしたのはこっちのほうか?」
「わからん。天文台からだったと思うが」
男の声。わたしはあわててドアを閉め、閂をかけた。その音に反応したのか、ガチャガチャと階段をのぼる音が急ピッチになった。
「おい、閉まってるぞ」
「体当たりしろ」
ダメだ。そんなにもたない。わたしは引き返そうとして、息を呑んだ。
「マリク……」
三日月刀を持ったマリクが、わたしの目のまえに立っていた。わたしはそのとき、この世界がまだ野蛮さを残していて、あのおひとよしのマリクにすら、殺人をためらわせないのに十分なものであると気づいた。マリクは王族らしく、さまになる構え方をした。
「マリク、ちょっと待って、これは……これはユーリの陰謀なのよッ!」
「それに加担した、ということは認めるわけですね? 王女はどこに?」
それは……こっちが知りたい。殺されているとしたら、この世にはいない。死体もないのだ。マリクを説得する方法は、まったくないように思われた。わたしは息が詰まりそうになるなかで、一歩一歩うしろにさがる。石造りの欄干の向こうには、例の小さな足場があるはずだ。そこに飛び移れば……ダメだ。そこから先は王女の部屋にしかつながっていないし、あんな足場を駆け抜けたら転落死してしまう。
永遠の夜を湛えた中天から、満月がわたしたちを照らす。脱出の術がない石畳の荒野。わたしは言葉にならない言葉をつむごうとした。声がでない。
「もういちどたずねます。王女はどこに?」
「……」
「この国の拷問は、少々きついですよ。わたしに話してもらったほうが賢明です」
「……」
マリクは剣をふりあげた。斬られる。そう思った瞬間、笛の音が聞こえた。
マリクは動きをとめ、あたりをみまわした。
「これはゼナさまの……ゼナさまは生きているッ!」
マリクは衛兵に指示を出す。
「この笛の音を追いなさい。そこにゼナさまはいます」
3人ほど離脱した。けど、まだ10人近くいる。
マリクは、わたしのほうへ向きなおった。
「さて、あなたには、まだ聞かねばならないことがあります。衛兵、縄を」
「ハッ」
兜をつけた兵士が、縄を持ってわたしのほうへ歩み寄った。
殺されはしない……けど、拷問がどうとか言っていた。そんなことなら、ここで死んだほうがマシに思えてくる。いっそ、飛び降りて――
「ゼナ、3、2、1で飛び降りるぞ」
耳元でささやかれた声に、わたしは驚愕した。
「あな……」
「おとなしくしろ」
兵士に変装したユーリは、裏声を使って、わたしを黙らせた。
腕に縄を巻かれる。ユーリはさらにその縄を、欄干に手早く巻いた。
マリクが眉をひそめる。
「ここで尋問するのではありません。そこに繋ぐ必要は……」
「3、2、1」
わたしは体を抱きかかえられ、宙を舞った。あっという間のできごとだった。
マリクと衛兵たちの声すら、はるか頭上へと消え去る。地獄へむかうような浮遊感。
だけど、ユーリの胸のなかで、不思議と恐怖はなかった。
途中、3度ほど壁に蹴りを入れて、ユーリは速度を調整した。
それでも落下時の衝撃は強い。わたしはかるく悲鳴をあげた。
ユーリはすぐに縄を切り、わたしの手を引く。
「こっちだ。時間がない。マリクたちもすぐに降りてくる」
ユーリは、近くの潅木にわたしを連れ込んだ。こんなところへ身を隠したら、捕まるに決まっている。わたしはほかの場所へ移るようにうながした。ところが、ユーリは黙って壁を調べ、一箇所の石を思いっきり押した。
ゴゴゴゴッ……
重厚な音とともに、ひとがギリギリ通れるくらいの隙間ができた。
遠くからひとの声が聞こえる。追っ手は近い。
「ヒナ、先に入れ。ここで真相を話す」




