第12話 トキュラを吹く女
ユーリはもどってこなかった。太陽は砂漠の地平に沈み、夜がおとずれた。カマルの夜は、漆黒の夜。地平線に靡いていた青空が、闇に飲まれていく。
わたしは待ちくたびれて、ベッドに横たわった。ユーリを待っているわけじゃない。彼が持って来る報告を……いや、強がりはよそう。わたしは、ユーリといるとき、ふしぎな安心感をおぼえた。殺人犯と一緒だというのに。心理学の講義で、テロリストに共感してしまう特殊な心理現象があると聞いた。そうなのかもしれない。わたしは、そういう現象から自分だけ逃れているなんてうぬぼれてはいない。
コンコン
わたしはベッドから跳ね起きた。ドアのほうを見かけて、動きを止めた――今のは、入り口からじゃなかった。そっと首を反対側へひねる。窓に、ひとの顔が映っていた。
わたしは悲鳴をあげかけた。その寸前に、コンコンと窓がノックされた。開けてくれと言っているようだ。この国のガラスは、日本のように薄手のものではなかった。ぼんやりとしか透けて見えない。
「……マリク?」
わたしの問いかけに、もういちどノックの音。わたしは錠がないか確認した。内側からねじ込むタイプのものが見つかった。わたしはそれを回して、ひとつずつはずしていく。最後の錠が落ちると、マリクの笑顔があらわれた。
「こんばんは」
「こんばんは……なにしてるの?」
わたしはマリクを室内に引き入れた。彼なら安全だと思ったからだ。わたしとふたりきりになっても、変なことはしないだろう。そういう直感があった。とはいえ、これはあとから冷静になって思ったことで――そのときは、ほとんど無意識だった。
マリクは窓枠を苦労しつつまたいだ。裾をはたく。
「失礼しました。おかげんはいかがですか?」
そうか、わたしの調子が悪いと思っているんだ。昼食のときの演技が効いている。
「ええ、まだすこし……」
マリクは、寝具が乱れていることに気づいたらしい。気不味そうな顔をした。
「すみません……お休みの最中でしたか」
「いいのよ……ところで、ユーリを見なかった?」
「ユーリですか? この時間帯は見回りでしょう」
指輪の件で呼び出されたあと、そのまま仕事に出ちゃったわけか。
わたしは軽い安堵をおぼえた。指輪の一件は、大したことにならなかったわけだ。とはいえ、ユーリは指輪のことを最初は知らないと言っていた。そこだけは、とてもちぐはぐな印象を受けた。ユーリが首謀者なら、王女の遺品を井戸に投げ捨てたりするかしら。しかも、あの井戸は底が浅すぎた。まるで、あわてて隠したような調子だった。
「ゼナさん、ほんとうに大丈夫ですか?」
「えッ……あ、ごめんなさい。マリクこそ、壁を登って平気だったの?」
わたしの質問に、マリクはきょとんとした。
「平気もなにも、ゼナさんがお造りになられたのでは?」
なにを、と訊きかけて、わたしは言葉を変えた。
「そういう意味じゃなくて、夜に抜け出して大丈夫だったの?」
「アハハ、そこはちょっと問題ありですね。お供に気づかれると大変です。いとまを出しても、四六時中、僕を見張っている女中がいるかもしれません」
マリクはそこまで言って、すこし気が引けたような顔をした。
「最近、トキュラをお吹きになられないんですね……」
「トキュラ……ああ、そ、そうね」
わたしは、壁際にかかっている木製の横笛を盗み見た。稽古のときにしか持ち出さないものだ。ユーリの話によれば、ゼナの愛用品らしい。マズい流れだと感じた。
「そうね……気分が乗らないと、演奏も楽しくないじゃない?」
テキトウな口実。お人好しのおぼっちゃんなら、これくらいで、と思いきや、
「気分がふさぐときこそ、音楽は心を癒してくれる……そうお伺いしましたが」
と返されてしまった。わたしは参ってしまった。理由はふたつ。ひとつは、わたしの嘘がうまくいかなかったこと。もうひとつは、ゼナ王女の気質が、わたしと同じだったことだ。さっきの発言はほんとうにテキトウで、わたしも気分が暗くなったとき、よく吹奏楽部の部室で居残り練習をしていた。静かな校舎と、校庭の秋風を思い出す――あのとき、目のまえがいきなり暗くなって――この世界につれてこられた。わたしは高校3年生で、大学受験をひかえていた。逃避行を願うわたしの気持ちを、神様がくんでくれたのだろうか。でも、わたしは神様を信じていない。
「ゼナさん?」
わたしは我にかえった。マリクは、じっとわたしの目を見ていた。
なにかを期待している。わたしはその依頼を察した。
「……じゃあ、すこしだけ」
わたしは壁際に歩み寄った。横笛を手にし、丸椅子に腰掛ける。
「マリクも座ったら?」
「僕はここでけっこうです」
マリクは目を閉じた。よほど楽しみにしていたのだろう。
わたしはすこし心に棘を感じた。この世界の技法は知らない。でも――わたしは、自分が一番好きな曲を吹き始めた。フォーレの『子守唄』だ。やさしく、ゆっくり、フルートと合わせられない箇所は、なるべく音をはずさないように心がけた。100年の時を超えた音色が、異世界でよみがえる。夜風が、開け放たれた窓から吹き込んだ。
わたしは最後の音を吹き終え、しばらく余韻にひたった。マリクのことだから、拍手でもあるのかと思いきや、なんの反応もなかった。わたしはまぶたをあげた。気むずかしそうな、それでいて心を奪われたような、アンビバレントなマリクの顔がみえた。
「……マリク?」
マリクはハッとなって、目を開けた。
「あ、すみません……聞き惚れていました」
「どこか納得のいかないような顔だったけど?」
わたしは、あえて揺さぶりをかけてみた。
「僕はゼナさんの笛を批評できるほどの者では……」
「いいから、どこが納得いかなかったの?」
わたしは強めにたずねた。すると、マリクはしぶしぶといったようすで、
「音色が、いつもより柔らかかったように思います。それに、初めて聞いた曲でした」
と答えた。前半はお世辞に感じたけど、判断に迷った。もしかすると、ゼナ王女はもっとメリハリのある吹き方をしているかもしれないからだ。問題は後ろのほう。この世界の曲なんか知らない。有名なフルートの曲をアレンジして吹いたのだ。
「新しいレパートリなの……お気に召さなかった?」
「以前、この砂漠を越えた西の国から、ひとりの笛吹きがやって来ました。その笛吹きに聞かせてもらった曲に似ているように思います……あ、ただの勘ですけど」
マリクはしゃべりすぎたと感じたのか、ニガ笑いを浮かべた。
「ともかく、すごく良かったです」
王族らしからぬ感想。もうすこし褒め方があるように思った。
とはいえ、慇懃な美辞麗句は好きじゃない。マリクの率直さが微笑ましかった。
「お褒めにあずかり光栄です、王子様……っと。部屋までもどれそう?」
「た、たぶん」
入り口から逃したほうがいいんじゃないかしら。名目上は、わたしの許嫁なんだし、わたしの部屋から出るところを見られても、笑い話で済むだろう。
「マリク、すこし危ないと思うから、きちんとドアから出て行ったら?」
親切のつもりだったのに、マリクは強く拒絶した。
「ゼナさんに恥をかかせるわけにはいきません」
なるほど、どうやらこの世界は、貞操観念がひと昔前のようだ。婚前交渉はNGなのだろう。おかげでむりやり迫られるということもないから、助かるといえば助かる。でも、今回ばかりは廊下から出てもらう。ケガをされるのが一番困るのだ。いろいろな意味で。
「あのね、マリク、女性の部屋に窓から入ってくるのは失礼じゃないの?」
「そ、それはですね……えーと……」
「というわけで、失礼でないようにきちんとドアから出て行ってね」
わたしは腰に手をあてて、すこしばかり大げさなポーズをとる。
「さて、王子様のご退場よ。ご清聴、ありがとうございました」
マリクはわたしのまえに進み出て、胸に手をあてた。
「さきほどの感想がゼナさんを傷つけてしまったならば、謝罪いたします」
「ほんとに気にしてないわ。ともかく、もう夜中だし、就寝まえにひとが来るかも……」
そのときだった――ファーラビーの言葉が脳裏をかすめた。
おひとりで悩みなさるな……マリク王子に、よろしくお伝えくださいませ
昼食会のときから、わたしはこのセリフに引っかかるものを感じていた。
マリクは、今回の事件について、なにか知っているんじゃないかしら。正確に言うと、なにかを知っているはずなのに、それに気づいていない――ありうる。ファーラビーのあの助言は、わたしにそのことを悟らせるためだったのではないだろうか。
でも、なぜ? ファーラビーとユーリは、陰謀の仲間じゃないの? それとも、わたしの知らないレベルで、彼らのあいだに亀裂があったのだろうか? 分からない。
「それでは、ゼナ王女、おやすみなさいま……」
「マリク、ちょっと待って」
わたしの制止に、マリクは顔をあげた。
「なにか?」
「えっと……廊下で足音が聞こえた気がするわ」
マリクは、ドアのほうへ視線を向けた。
「耳がよろしいのですね」
「お、音楽には耳が大事なのよ……ところで……」
この接続詞の先が続かなかった。ヘタを打てば、やぶ蛇になる。
「ところで、なんでしょうか?」
「……ごめんなさい、ちょっとど忘れしちゃったんだけど、わたし、マリクになにか頼みごとをしなかったかしら。ほら、あの件で……」
わたしは、できるだけぼやかした質問をしてみた。
「すみません、僕も思い出せないのですが……」
マリクは、半分不安そうな表情を浮かべた。
「んー、なんだったかしらね。わたしの身辺に関することだったと思うのだけど……」
「僕ではなく、召使いにお話になられたのではないですか?」
脈なしか――そう判断しかけたとき、マリクは突然、
「ひとつ、占ってさしあげましょうか」
と言い始めた。
「う、占い?」
「ゼナさまも、僕の占いの腕はご存知でしょう。剣はからっきしダメですが、魔法についてはある程度自信があります。ちょうど占い用の水晶玉も持っていますし……」
「い、いいわ、そこまでしてもらわなくても。引き止めてごめんなさい」
この国の占いがどんなものか、わたしは知らない。でも、ヘタをしたらわたしがゼナではないことがバレてしまうかもしれんかった。その事態は回避する。
「では、ゼナ王女、失礼いたしました。おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」
ドアが閉まる――しばらくの静寂がもどった。
「賢明な判断だったな」
ユーリの声。いつのまにか、入り口に立っていた。
「ユーリ、遅かったわね」
「いろいろと処理に手間取った。マリクが占いをすると言い出したときは、ヒヤリとしたぞ。あいつの占いは怖いくらいにあたる。さすがは偉大な魔術師を輩出してきた家系だ。ところで、俺は途中からしか聞いてないが、マリクとなにを話していた?」
「笛を吹いてって言われたのよ」
「それは聴こえた」
「聴こえたなら、わざわざ質問しなくてもいいでしょ」
「なにを話していた、と尋ねたんだ。笛を吹いたかどうかじゃない」
そういうことか。めんどうになった。
途中から立ち聞きしていた、というのも疑わしい。
最初から全部聞いていたんじゃないだろうか。
「音楽の話よ。どういう気分のときに吹くかとか、そういう」
「それだけか?」
「ほんとにそれだけ。っていうか、どういう話をしていたら満足なの。初夜のプラン?」
この冗談に、ユーリはすこしばかりとまどった。
「そ、そういうことを聞いてるんじゃない」
ふーん、そういうところが奥手なわけか。なかなか可愛いところがある。
なんて考えている場合じゃない。わたしはこのスキを見逃さなかった。反撃する。
「で、指輪の件は、どうなったの?」
「なんとかごまかした。修理に出していると言ってある」
「修理? ……それじゃあ、あとで見せないといけないじゃない」
「ヒナの説明をもとに、おなじものを作らせているところだ」
「バレない?」
「正式な婚礼の品じゃない。二等品なら、なんとかなる」
あれを二等品と言えるなんて。わたしは驚いてしまった。
「そう……それなら安心だわ」
「とはいえ、ガシェはおまえが偽物だと知っている。俺とヒナを引き離す作戦に出るはずだ。そのときはファーラビーを頼れ。すくなくとも、暗殺まではしないだろう」
「……あなた、そのときは守ってくれるんでしょうね」
「もちろんだ」
捨て駒にする気では――わたしは確信が持てなかった。
「そう怖い顔をするな。おまえがいなくなると困るのは俺だ」
「……そうであって欲しいわね」
「窓はきちんと閉めておけ。その抜け道は、侍従たちも知らないからな」
ユーリは背を向けた。おやすみのひとことを残して、部屋を出て行く。
わたしはドッと疲れを感じて、ベッドに横たわった。
次に目が覚めたとき、わたしは不思議な音色を聴いた。




