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青空の夜と、星空の昼  作者: 星野ナイル
第3章 奪われた証拠品
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第10話 もうひとりの助っ人

 静かな寝息をたてて、ユーリは眠っていた。一晩たったというのに、ユーリはまだ目を覚まさない。医者が言うには、ただの脳震盪(のうしんとう)らしいけど……わたしは、不安になる。だけど、その不安がなにに由来しているのかは、ぼんやりとしていた。ユーリが死んだら、わたしはこの世界でどうしたらいいのか、わからない。それが、ひとつ。個人的な事情が優先しているのは、わたしも感じていた。けれど……それとは、なにかべつの……。

「ゼナさま、一度、お部屋におもどりください」

 水桶を替えてきたシスマが、わたしに声をかけた。わたしが振り返ると、シスマも心配そうな顔をしていた。その不安げな眼差しは、わたしだけでなく、ユーリにも向けられているようだった。彼女もまた、ユーリの容態を気遣っていた。

「昨晩は、お休みになられなかったのでは」

「テーブルで寝てたから、大丈夫よ」

「それでは、お体にさわります。寝室でお休みください」

 シスマは、頼み込むように頭をさげた。

 わたしも、すこしばかり疲れを覚えて、席を立った。

「またあとでくるわ。くれぐれも、よろしくね」

「かしこまりました」

 わたしは看護室を出て、自分の部屋へと向かった。記憶をたよりに進むけど、だんだん行き先がおぼつかなくなってくる。どうも、違う廊下へ迷い込んでしまったようだ。ひとに尋ねるわけにもいかないので、ますます混乱してくる。

(あら……ここ、見覚えがあるわよ)

 わたしは、周囲の風景を、よく観察してみた。古い石壁と、装飾のない窓。床は、あちこち汚れていて、掃除が行き届いていない感じ。

(天文台か……)

 わたしは、角を曲がって、うえにのぼる階段を探した。なぜか、館長のファーラビーに会いたくなったのだ。いや、なぜか、じゃない。ユーリが目を覚まさない今、わたしの正体を知っているのは、ファーラビーしかいなかった。すくなくとも、王宮に限定すれば。

 わたしは、最上段をあがりきって、目の前のとびらを叩いた。

「だれじゃ?」

「ゼナよ」

 足音。がちゃりと、錠がおりた。ギィっと、蝶番のきしむ音がした。

 ファーラビーは、するどい目つきで、とびらの隙間から、こちらを覗き込んだ。

「おひとりか?」

「ええ、もちろん」

 ファーラビーは、わたしを部屋に入れると、ひとこともしゃべらなかった。

「ちょっと、相談したいことが……」

 ファーラビーは、自分の口もとを手でおおった。

 なんの動作か一瞬分からなかったけど、静かにしろということらしい。

「ゼナさま、このたびは天体観測におこしいただき、まことに光栄でございます」

「……はい?」

「今日は特別に、望遠鏡を屋上へあつらえておきました。さあ、こちらへ……」

 ファーラビーは、右手で、さらなるのぼり階段を示した。どうやら、屋上へ通じているらしかった。わたしは、その場でポカンとする。約束した覚えなんか、なかった。

 そうこうしていると、ファーラビーはしきりに、あごで合図した。あがれ。そう命じているようだ。わたしは、なにか異変があることに気づいた。

「……わかりました。お先に」

 わたしは、狭い階段をのぼった。うしろに、ファーラビーがついてくる。この状況は、あまり楽しめたものじゃない。老人とはいえ、喧嘩でわたしが勝てる保証はなかった。伏兵が隠れていたら、それでおしまいだ。

 ファーラビーが裏切っていないことに賭けるしかない。そう決心したとき、目の前が急に開けた。わたしはひたいを手で覆って、真昼の夜空を見上げた。

「ゼナさま、あちらに」

 ファーラビーは、小さな望遠鏡と、ふたつの椅子を指し示した。

 わたしはかるくうなずいて、椅子に腰掛けようとした。

「ゼナさまは、望遠鏡のほうへ」

 ファーラビーは、わたしを望遠鏡のみえる位置に座らせた。そのあいだも、心臓がドキドキする。横からブスリとやられるのは、ほんとうにごめんだ。

 わたしは、距離をとった。

「どうぞ、ごらんください」

「ファーラビー、そのまえに、ひとつ尋ねたいことが……」

「どうぞ、ごらんください」

 ファーラビーは、丁寧な、それでいて、断固とした指示をくだした。目が、わたしになにかを訴えかけてきている。覗け。そうしないと、大変なことになる……そう言いたげ。

「では、失礼します」

 わたしは、サイドが無防備にならないように、左腕でガードした。そして、のこりの右手で望遠鏡の筒をつかみ、おそるおそる覗き込む。視界が暗くなり、満天の星空が、小さなレンズの空間に浮かんだ。

「ユーリの件は、すでに聞いておる」

「ッ!?」

 わたしは、望遠鏡から目を離そうとした。

「そのまま見ていろ。こっちを向くな」

 わたしは、姿勢を戻した。

「なぜ、こんなところへ連れて来たの?」

「監視されとる」

 二度目の驚き。わたしは、望遠鏡から目をそらしそうになった。

 だけど、ぎりぎりのところで我慢した。

「監視されてる? だれに?」

「ヒナ、わしはユーリから、こういう事態に備えて、伝言を受け取っておる。今から話すことを、よく聞け」

 わたしは、首を縦に振った。視界の夜空が、上下に動いた。

「ユーリの落馬は、ただの事故ではない……罠だ」

「罠?」

「王室御用達の馬が、あんな暴走などせん。あれは間違いなく、薬のせいだ」

 薬物……興奮剤だろうか。わたしは、じっと耳をかたむけた。

「狙われたのは、だれ? マリク王子? それとも、わたし?」

「そこまでは分からん。馬は、マリクのものだったのか?」

 わたしは、うなずきかえした。

「ならば、マリク王子の可能性が高いな」

「カマルとシャムスのあいだで、なにが起きているの? 戦争?」

「戦争ではない……政争だ」

「せいそう……政治闘争ってこと? マリク王子を暗殺する理由は?」

「それを、これから話さねばならん……夜の国カマルと、太陽の国シャムスは、もともとひとつの王国だった。もう、何百年もむかしの話じゃがな。あるとき、兄弟の争いから戦争が起こり、現在の国境が形作られた。したがって、カマル王家とシャムス王家は、もとをたどれば、家族ということになる。両家は、あるときは武器に、あるときは婚姻に頼って、関係を傷つけたり深めたりした……ここまでは、わかるか?」

「えっと……よくある国の関係、でいいのかしら?」

「そうだ……そして、ゼナ王女とマリク王子との婚姻は、後者のケースにあたる。もともと幼馴染だったふたりに目をつけて、親睦を深めようというわけじゃな。これには、いろいろと思惑があった」

「どういう?」

「まず、先王が亡くなり、弟のハサラさまが王位を継承なされた。ゼナは、先王の娘。したがって、おまえの……いや、おまえではないな。ゼナの子には、ハサラ王が亡くなられた場合、王位を継承する優先権が認められる」

「それは、おかしいでしょ? ゼナは、隣国へとつぐのに……」

「そこで、もうひとつの問題だ。実はな、カマルとシャムスとのあいだでは、お互いの王族が相手の王家を継承した事案、一、二度ならずある。つまり、養子ということだ。ゼナの子が男子で、ハサラ王の養子になれば、おそらくは皇太子に選ばれるじゃろう」

「それのなにが問題なの?」

「考えてみよ。その皇太子の父親は、次期シャムスの王……母親は王妃……両国の政治的なバランスが、シャムスに傾いても、おかしくはない。それを危惧する連中がいる」

 わたしは、王様になったマリクを思い描こうとしてみた……けど、ムリ。

「あのマリクよ? そんな野心があるようには、みえないわ」

「マリク王子がお人好しなのは、わしも認める……だからこそ、危うい」

 ファーラビーは、そこで言葉を切った。

 訊きたいこと、知りたいことがたくさんある。でも、彼は先を続けなかった。

「して、ゼナさま、星はよく見えますかな?」

「え? ええ……よく見えるわ」

「昨日は、三日月……古来より、不吉なかたちとされております」

 ……だれかいる。わたしは、左斜めうしろに、ファーラビーと異なる気配を感じた。

 ファーラビーが話題をすりかえた理由を、わたしは悟った。

「そうね……不吉ね……昨日は、もっと気をつけるんだったわ」

「王女さま」

 聞き慣れない女の声に、わたしは振り返った。

 シスマと同じ、だけどすこし着飾った服装のおばさんが立っていた。

「侍従長より、伝言をうけたまわっております」

「……なにかしら?」

「昼食は、陛下およびマリク王子ととっていただきたいとのことです」

「……遠慮させてもらえないかしら。お腹が空いてないの」

「陛下より、ぜひにと」

 どうやら、断れないらしい。わたしは、腹をくくった。

「わかりました」

「それでは、沐浴と着替えのため、寝室におもどりください」

 女性は、そこを動こうとしなかった。

 どうやら、このまま連行するつもりのようだ。

 わたしは、椅子から立ち上がって、ファーラビーにいとまを告げる。

「おもしろいものが観られました。ありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ、足を運んでいただき、光栄に存じます」

 ファーラビーは、腰に手をあてたまま、深々とおじぎをした。

 わたしは、きびすを返す。

「ゼナさま」

 急な呼び止め。わたしは、首だけで振り返った。

「なにかしら?」

「おひとりで悩みなさるな……マリク王子に、よろしくお伝えくださいませ」


 わたしは、階段をおり、自室にもどって、水浴びを終えた。冷水シャワーを強要されてるみたいで、どうも慣れない。そして、いつもより着飾ったあと、部屋をあとにした。ひたいには、黄金のティアラ。気分は悪くない。

 食堂へ入るまえに、ひとつ手前の小部屋へと案内された。待合室だろうか。

「少々お待ちください」

 わたしはポツンと椅子に座って、入室の合図を待った。

 

 コンコン

 

 ノック……ではなかった。背後の壁から、音がしたような気がした。

 

 コンコン

 

 耳を澄ますと、タペストリーのうしろから音が聞こえた。わたしは、巨大な月と一角獣が描かれたタペストリーを、そっと動かしてみた。

「……マリク!」

「シーッ、静かに」

 みれば、タペストリーのうしろに、直径十センチほどの穴が開いていた。周囲がギザギザで、あとから開けたものに違いなかった。

「ゼナさん、お体の具合は?」

「だ、大丈夫よ……あなたとユーリのおかげ」

 あのとき、マリクはわたしを抱きしめて、クッションになってくれた。そして、そのマリクを助けるかのように、ユーリが馬から飛び出して……傷ついた。そのことは、ユーリを解放した医者から聞かされていた。

「ユーリのほうは?」

 わたしのときと同じくらい真摯に、マリクは尋ねた。

「……あまり、よくないのですね」

 マリクは、わたしの顔色から、そう察したらしい。

「頭を打ったショックだって……そう言ってたわ」

「ユーリは、あんなことで死ぬ男じゃありませんよ」

 マリクは、笑顔になった。むりやり作っているのだろう。なんとなく分かる。

「あまり食事をする気にはなりませんが、陛下の御前です。明るくいきましょう」

「ええ、そうね……」

 わたしは、軽くため息をついた。その瞬間、ファーラビーの声がこだまする。

 

 おひとりで悩みなさるな……マリク王子に、よろしくお伝えくださいませ

 

 わたしは、ハッとなった。

(別れの挨拶にしては、へんだわ……気取りすぎてる)

 なにかのメッセージ……アドバイスではないか。わたしは、そう推測した。

「ねえ、マリク、出席者は、わたしたちと王様だけなの?」

「王様とは、ずいぶん他人行儀ですね」

 わたしは、もどかしくなる。

「ごめんなさい……わたしと……陛下だけ?」

「いえ、ガシェさんもご同席とか」

「ッ!?」

 わたしは、くちびるを噛み締めた。

(あの女、ガシェに言及しなかったじゃない……わざとね……)

 なにか、薄暗い影を感じた。直感とでも、いうのだろうか。この昼食会、なにかがおかしい。ファーラビーは、監視されていると言った。だれに? それは、分からない。でも、そのひとりが、ガシェだとしたら……ユーリは、ガシェにはめられたの? 落馬直前、門が閉まっていたときのユーリの驚き方は、本物だった。

(馬に薬を打って……門が閉められていたとしたら? 城に詳しいひとなら、ユーリが門から逃げ出すことくらい、予見できたはず……犯人は……いや、でも……)

 ガシェなのだろうか。だけど、ガシェがゼナやマリクを狙う理由は?

 頭がこんがらがって、思考がまとまらない。

 そこへ、ふたたび、ファーラビーの声がリフレインした。

 

 マリク王子に、よろしくお伝えくださいませ


「そろそろですね。では……」

「マリク、お願いがあるの」

 わたしの呼びかけに、マリクはきょとんとした。

「なんでしょうか?」

「もし食事の最中に……わたしが話を振ったり、詰まったりしたら……全力でサポートしてちょうだい……いいわね?」

「はぁ……気分がすぐれないのですか?」

「ええ、とても」

 わたしの返事に、マリクの顔が引き締まった。

 いい顔、できるじゃない。

「わかりました。頑張ります」

 足音。わたしたちは、タペストリーを急いでもどした。

 さきほどのおばさんが入ってくる。

「食事の支度がととのいました」

 わたしは席を立ち、黙って食堂に案内された。まず目を引いたのは、テーブルのうえに並べられた銀食器の数々。まっしろなテーブルクロスのうえで、まばゆい光を放っていた。それから、左右の壁にかけられた、色とりどりのタペストリー。どれにも、見知らぬ動物、例えば、火を吐く猛禽類、双頭のライオンなどが描かれていた。

 そして、最後に、ハサラ王と……宰相ガシェの姿。

「ゼナよ、よく参った。マリク殿も、ご同席に感謝いたす」

 主賓席に座ったハサラ王は、老人特有の、くったくのない笑みを浮かべた。

 わたしは、ハサラ王の向かって右側に、マリクは左側に、ガシェは、マリクの左隣を占めた。テーブルの一辺に、わたしは孤立した格好。心もとない。

「それでは、乾杯としよう。ぞんぶんに楽しんでいただきたい」

 ハサラ王は、赤い液体の入ったグラスを持ち上げた。

 わたしたちも、それに続く。

 澄んだ赤の向こう側に揺れる、マリクの横顔……ゲームは、始まった。

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