第9話 得意でないなら
「たづなは緩めろ……きょろきょろするな、まえを向け」
ゆらゆらと、視界が揺れる。わたしは、馬のたてがみをこそばゆく思いながら、ユーリの指示を必死に追っていた。半分も頭に入ってこない。馬が一歩踏み出すたびに、心臓が跳ね上がりそうだった。
「手に余計な力を入れるな。姿勢はまっすぐ。馬に走らせるんだ」
指示が一度にたくさん出て、わたしはおおいに混乱した。
「もうすこし、丁寧に……キャッ!?」
いきなり、馬が立ち止まった。反動で、鞍から転げ落ちてしまう。
万事休すと思いきや、ふっと体が受け止められた。目を開けると、ユーリの顔。
「放しなさいッ!」
「暴れるな……どっちが馬か分からないな」
ユーリは軽口をたたいて、わたしを地面におろした。
わたしは両手を腰にあてて、ユーリをにらみつけた。
「いきなり乗ってみろだなんて、むちゃくちゃだわ。順番を考えなさい、順番を」
「乗る以外に、うまくなる手はないぞ。木馬で練習する気か?」
「お姫様に、乗馬なんて必要ないでしょ」
ユーリは困った顔で、いつもの青いバンダナへと手を伸ばした。
「ゼナは、馬に乗るのが好きだった。これでは困る」
「召喚のとき、条件づけしたって言ってたじゃない」
ふざけるな。わたしは、いきどおった。
「完全に条件どおりの女を探すのはムリだった……まあ、いい。ゼナの乗馬は、まわりから止められていたからな。乗らなくても、不審に思われないだろう」
ユーリは指笛を吹いて、馬を呼び寄せた。馬は耳をくるくるさせ、うれしそうにこちらへ駆けてきた。見てるのはおもしろいけど、乗るのはもうごめんだ。
わたしは気分を変えて、空をみあげた。天頂にむかって夜空が濃くなる、あいかわらずの不思議な光景だった。今日は、なぜか三日月が出ている。それが不吉なもののように見えてくるのだから、病は気からということだろうか。
「ゼナ王女、ここでしたか」
こどものように無邪気な声が、厩舎の反対側から聞こえてきた。振り返ると、マリク王子が、わたしのほうへ手を振っていた。スカーフが風になびいて、銀髪が揺れた。
ユーリは、ハァとため息をつく。
「いつもタイミングが悪いな……あいつは……」
マリク王子は、わたしたちの前まで来ると、ユーリと馬にもあいさつした。
「乗馬をなさってたんですね」
「え……あ、はい……」
「マリク、公務はどうした? 遊びにきているわけじゃないだろう」
「ガシェさんとの都合が合わなくてね。とても忙しいらしい」
「忙しいって、おまえ……自分の立場が分かってるのか?」
これには、ユーリも驚いたような顔をした。それは、そうだ。ガシェは、一国の宰相に過ぎない。しかも、宰相団というのだから、そのうちのひとり。一方、マリクは王子様。太陽の国シャムスの、次期国王陛下。どっちがえらいかは、部外者のわたしにでも分かる。
「気が進まなかったのもあるし……っと」
マリクは、この話題がイヤなのか、わたしのほうへ向き直った。
「わたしの馬も、連れてきていいでしょうか?」
マリク王子は、いきなり許可を求めた。
わたしは、うっかり首を縦に振ってしまった。
「では、少々お待ちください」
王子は、そう言い残して、もときた道を引き返して行った。よく整備された、やや湿り気を帯びた土のうえに、点々と往復の足跡だけが残った。
「ヒナ、どうして応じた?」
「ご、ごめんなさい……断りづらくて……」
「おまえは王女なんだ。もっと強気に出てもいい」
(そう言われてもね……押し引きの加減が分からないのよ……)
今度は、わたしがため息をつく番だった。
「ところで、あのひと、王子にむいてないんじゃない?」
「おまえも、そう思うか」
ユーリの返しに、わたしは目を白黒させた。
「幼馴染にたいして、ひどい言い草ね。やっぱりバカにしてるんでしょ?」
「他人の適性について語ったら、侮辱したことになるのか?」
「そういうわけじゃないけど……」
ユーリは、風に揺らぐバンダナの位置をなおした。横顔は、あいかわらず冷徹。ただ、以前よりも柔らかな、感情の起伏が見え隠れしていた。わたしの目が彼に慣れたのか、それとも、ユーリのほうがわたしに慣れたのか……両方かもしれない。
「正直に言って、ヒナのほうが、まだ王族向きだ。けっこう、狡猾のようだしな」
ユーリの評価を聞いて、わたしは頭に湯気がたった。
「わたしのどこが狡猾なのよッ!?」
「ガシェを言いくるめた手腕は、みごとだったぞ」
「ッ!?」
わたしは喫驚して、一歩うしろにさがった。
「あなた……盗み聞きしてたの?」
「当然だ。あの男が、ただの見舞いなわけがないだろう」
ないだろう、と言われても、わたしにはさっぱり。ただ、ガシェの二度目の訪問から、なにか内心に含むところがあったのは、なんとなく察しがついていた。お見舞いは口実で、本命はユーリの首切りだったと思う。
「あれは、あなたのために弁護したわけじゃないのよ。あなたがいなくなると、わたしの正体を知ってるひとが、いなくなるから、困るってだけ。勘違い禁止」
「……そんなところだろうな」
ユーリは、まじめな顔つきで、厩舎のほうをみやった。何頭もの馬が、こちらを興味深そうにうかがっている。色も様々で、見ていて飽きない。
「……ヒナ、ひとつ重要なことを訊きたい」
「質問次第ね」
「なぜガシェは、おまえが賊に襲われたことを知っていた?」
「宰相だから、でしょ?」
当たり前だ。そう思ったわたしに、ユーリは問いたげな眼差しをむけた。
「今回の件を知っているのは、大宰相と親衛隊長だけだ」
「え……?」
ユーリは、かかとで半回転して、わたしにまっすぐ向き直った。
なんだか、尋問されているような雰囲気になる。
「な、なにを言ってるの? ガシェは、お見舞いだって言って、シスマさんも、それを疑問に思ってなかったみたいだし……あなたも……」
「シスマは疑問に思わないさ。おまえは『城下町で熱中症になった』のだからな」
「……」
わたしは、ヘビににらまれたカエルみたいに、そこへ突っ立っていた。
ユーリの視線から、目を離すことができなかった。
「ユーリ、冗談は……」
「冗談だと思うなら、三人でいたときのことを思い出せ。おまえが賊に誘拐されたと、だれか言ったか? ……おれは言っていない。ガシェもだ」
わたしは、ユーリとガシェの会話を、なんとかして思い出そうとする。だけど、そんな細かい言葉のやり取りを、いちいち覚えているわけがなかった。ユーリがわたしに脅しをかけているのか、それともほんとうのことを言っているのか、判然としない。
「信じられないわ……王様にも伝えなかったってこと?」
「王女が町中でさらわれたと吹聴して、なんになる? パニックが起こるだけだ」
「それって情報操作じゃないッ!? あなた、首になりたくないだけでしょッ!?」
ユーリは、なじるわたしをものともせず、一歩前に出た。
わたしは、さらに一歩さがる。
「ヒナ……盗賊団にさらわれたとき、なにか話さなかったか?」
呼吸が止まる。数秒にも、数時間にも感じられる時間の流れ。
「わ、わたしは……」
くちびるを動かしたわたしに、ユーリは手を伸ばした。
殴られるのかと思って、わたしびくりと目を閉じた。だけど、痛みはなかった。
「マリクが、もどってきた」
そのひとことで、わたしはまぶたをあげた。どうやら、ユーリが手を伸ばしたのは、わたしに黙れと言いたかっただけのようだ。
マリクは、お供と一緒に、一頭の白馬をつれていた。
「マリクには、病気のことすら話してない。なにも言うなよ」
わたしは、さきほどのことがごまかせるならと、しきりにうなずいた。
ふたりして、マリクの到着を待った。
「お待たせしました。ひとつ、走りに行きませんか?」
マリクは、わたしとユーリのあいだの空気などおかまいなしに、笑顔を振りまいた。
「……どうしました? ごめいわくでしたか?」
「ゼナは、つかれてしまってな」
ユーリは、しれっとウソをついた。
「でしたら、わたしとふたりで乗りませんか?」
マリクは、期待に満ちた目で、わたしをみた。これは……ちょっと露骨過ぎるんじゃないのかな。あきれてしまう。ただ、指輪の件もあるし、これ以上マリク王子とのあいだを悪化させるのは、よくないとも思った。マリクと仲違いすれば、ユーリは、わたしを役に立たない女と考えるかもしれない。それに、マリクとの仲が(もちろん、お友だちとして)進展すれば、いろいろ便宜をはかってもらえるだろう。わたしって打算的。
「わかりました。ふたりで乗りましょう」
「おい、ヒ……ゼナ、いいのか?」
予想外なことに、ユーリのほうから止めに入ってきた。
「なにか、問題でも?」
わたしは、ユーリを牽制した。
ユーリは、両腕を組んで、肩をすくめてみせた。
「……おまえがいいというなら、かまわん。どうなっても知らんぞ」
(なんか様子が変だけど……ま、いっか)
ユーリは、さっきまでわたしが乗っていた馬にまたがった。ついてくるらしい。
「では、お先に」
マリクは、馬丁に手伝ってもらいながら、鞍に乗った。
「さあ、どうぞ」
(どうぞって……手を貸さないの? 失礼なひとね)
「えっと、手を……」
「ゼナ、どうした? いつもは、手伝われるのを嫌がっていただろう?」
とユーリ。そういうことか。わたしは、内心で舌打ちした。
「ごめんなさい、つかれてるの。手伝ってくださらない?」
「よろこんで」
わたしは、マリクの手を借りて、なんとかうしろにまたがることができた。
そのあいだも、馬は落ち着かない様子をしていた。
「マリク、ムリはするなよ。おれについてこい」
ユーリは、マリクの返事を待たずに、先に馬を走らせた。
「ちゃんと捕まっててくださいね」
「は、はい」
わたしは、マリクの胸に両腕をまわした。
ひょろひょろかと思ったら、意外とそうでもなかった。
「それッ!」
マリクのかけ声に合わせて、馬が駆け始めた。あっというまに、ユーリに追いついた。そう、あっというまに。
「ちょ、ちょっと速過ぎません?」
わたしは、舌を噛まないように注意しながら、マリクに尋ねた。
「そうですか? ユーリと並びましたよ?」
速い。馬がここまで速いとは、思わなかった。時速何キロ出てるのか分からないけど、バイクに乗ったらこんな感じなのかもしれない。わたしは、恐怖で全身をこわばらせ、マリクの背にギュッとしがみついた。
「マリク、並走しろ。前に出ようとするな」
風のむこうがわから、ユーリの声。
「ゆ、ユーリもああ言ってますし、スピードを落としてみては?」
わたしは、背中越しに懇願した。
「……」
「マリク? 聞こえてる?」
「……馬が止まりません」
「……はい?」
わたしは、背中から顔をあげた。
マリクの顔はみえないけど、焦っている感覚がバリバリと伝わってきた。
「マリク! 両足を締めて、こぶしを控えろッ!」
「いまやってるッ!」
スピードが、さらに増した気がする。気のせいじゃない。
風鳴りの音が、さっきよりも大きくなっていた。
わたしはパニックになって、かるく悲鳴をあげた。
「ヒナ! 暴れるなッ!」
左から、馬のひづめの音。振り向けば、ユーリが並走していた。砂塵をあげながら、マリクのつなを片手に取る。それを軽く操って、わずか十数センチのところまで接近した。
「くッ! 止まらないッ!?」
「そうなんだよッ! 暴走してるッ!」
ふたりのやりとりに、わたしのパニックが増した。
「ユーリ! マリク! 冗談はやめてッ!」
「これが冗談にみえますかッ!?」
「マリク! この先を左に曲がれッ! 門があるッ! そこから砂漠に出るぞッ!」
「わ、分かったッ!」
「砂漠に出て、どうするつもりなのッ!?」
「出れば足がゆるむッ! 振り落とされても心配ないッ!」
ユーリは、必死の形相で、二頭のたづなを同時に操った。
馬の距離が開いたり縮まったりするたびに、心臓がとまりそうになる。
ぶつかりでもしたら、どうなるのか。しろうとにも、綱渡りだと分かる作業だ。
ユーリは体をかたむけて、二頭を左に曲げた。おどろいた通行人たちが逃げ惑う。だれも助けてくれない。いや、助けられないのだ。暴走馬なんて、だれも制止できない。わたしはマリクにしがみつくだけで、なんの手伝いもできなかった。
大きく遠心力に逆らいながら、わたしたちはふたたび直線に入った。
「マリク、すぐ前方の……ッ!?」
信じられない光景に、わたしたちは絶句する。
「門が閉まってるわよッ!」
「バカなッ!」
ぶつかる。そう思った瞬間、マリクが上半身をねじり、わたしを抱きしめた。
視界がふさがれる。そして、左から強烈な衝撃。
わたしは地面に転がり落ち、二転三転して、あちこちに痛みが走った。
「いたた……」
わたしは、うっすらとまぶたをあげた。
「……マリク!」
クッション代わりになったマリク王子は、わたしよりもひどい状態で、地面に突っ伏していた。左腕を押さえて、歯を食いしばっているのが痛々しい。
「だ、大丈夫? 折れたんじゃないでしょうね?」
「強く打っただけです……それよりも、ユーリを……」
そうだ。ユーリは、どうなったの。
わたしは、門のほうへ視線を走らせかけた。そして、近くに彼のバンダナをみた。
「そんな……ユーリ……」
落馬したユーリは、額から血を流して、死んだように目を閉じていた。




