短剣とイヤリング
それは、ひとつの短剣と、ひとつのイヤリングから始まった。
「あなたが殺したの?」
わたしはふるえる声で、そうたずねた。
血にまみれた凶器。それを持つ、美しい少年。褐色の肌。砂漠の民。青いバンダナから流れる、線のほそい黒髪。切れ長の眼には、つめたい光が宿っていた。
「そうだ」
感情のこもらない返事だった。
「なぜ?」
少年は答えずに、イヤリングをつまんだ。
そして、わたしの目の前に突きつけた。
「これをつけろ」
「おしえてちょうだい。ここは、どこ? 夢? それとも来世?」
「さっき答えたとおりだ」
少年は、わたしの手首をつかんだ。イヤリングを、手のひらへ押しつけた。
ひとごろしに触れたショックで、わたしはかれの手をはねのけた。
銀色の、三日月を模したアクセサリーが、絨毯のうえに落ちた。
少年は、首を左右にふって、イヤリングをひろいあげた。ギュッと握りしめ、それから宙にほうり投げた。イヤリングは放物線をえがいて、ふたたび少年の手におさまった。
とがめるような視線が、わたしに向けられた。
「ものおぼえのわるい女だな」
「記憶の問題じゃないわ! ここは、どこなの⁉」
「ここはカマルの王城だ」
「答えになってない!」
わたしのくちびるに、かれの人差し指が触れた。
一瞬、呼吸がとまる。それから、耐えがたいほどの羞恥心。
わたしは、かれの手の甲をはたき返した。
「さわらないで!」
「静かにしろ。もう一度だけ、説明してやる。ここは、カマル。砂漠と夜の国だ。おまえがどこの国からきたのか、そんなことはどうでもいい。興味はない」
「わたしは日本人よ」
「どうでもいいと言っただろう。おまえがここに召喚されたのは、ゼナ王女の身代わりをつとめるためだ。おれが殺した。代わりが必要だ。これから、シャムスの第一王子、マリク様と会ってもらう。ヘマはするな。打ち合わせどおりにやれ」
「そんなことも、たずねてないわ。召喚ってなんなの? それに……」
わたしは、鏡へと向きなおった。
「これは、だれなの⁉」
鏡に映っているのは、わたしじゃなかった。身ぶり手ぶりをしているのは、わたし。でも、髪の毛は金色で、腰までかかっている。私の地毛は黒だ。しかもショート。顔のかたちも、みたことのない女性に変わっていた。まつげは伸びて、鼻も高い。
爪先さえ隠れてしまいそうな、一枚布の赤いスカート。黒い帯が、胸下まで巻かれていた。どれも、むりに着替えさせられたものだ。わたしの学生服は、衣装棚に封印されてしまった。
「それも説明した。変化の術だ」
「わたしの顔を返して!」
そのときだった。
コンコン
鳥の文様がほどこされた木のとびらを、だれかが叩いた。
「ご支度は、お済みでしょうか?」
わかい女の声が、とびらごしに聞こえた。
「もうすこし待ってくれ……おい」
少年は、わたしの手のひらに、イヤリングをすべりこませた。
「右耳につけろ。それで最後だ」
わたしはイヤリングを、痛いほど強くにぎりしめた。
ガラスみたいに、こなごなにしてしまいたかった。
「……イヤだと言ったら?」
「王女さまは、腹痛でご欠席、ってところかな」
少年は五指を器用につかい、短剣の柄をくるりと回転させた。
むき出しの腹に刃先をあて、横一文字に斬るマネをしてみせた。
「わたしを殺したら、だれが王女のフリをするの?」
「代えはいくらでもいるさ」
「……最低ね。ひとを歯車あつかいして」
「怖いのか?」
わたしは、こくりとうなずいた。
怖くないと言えば、嘘になる。ただ、この非現実的な世界……召喚だとか、魔術だとか、あるいは、人殺しだとか……そういうものが、わたしの心をめちゃくちゃにしていた。分からない。なにも分からない。わたしはおびえているのか、それとも……。
コンコン
「もうしわけございません。陛下がお待ちかねです」
「すぐいく」
少年は、向かって左の耳朶をつまんだ。
さっさと身につけろ。そう言いたいのだ。
わたしは慣れない手つきで、イヤリングをはめようとした。
指がふるえて、うまくいかなかった。
「貸せ」
少年はイヤリングをうばいとると、わたしの耳にそっとはめてくれた。
「……重たいわ」
「よく似合ってるさ」
からかっているのか、本気なのか、見当もつかなかった。
「もう片方は?」
「ない」
少年はそれだけ言って、わたしに背を向けた。出口へ歩み寄る。
「あなた、名前は?」
問いかけにもかかわらず、少年はふり返らなかった。
「ユリディーズ」
「ユリ……ディーズ……」
「ユーリでいい。おまえは?」
おかしなことに、わたしたちはおたがいの名前を知らなかった。
「陽凪」
「ヒナ……おまえは今日から、ゼナだ」
少年は……ユーリは、ドアノブに手をかけた。
ゆっくりと、世界がひらける。わたしの知らない世界が。
ユーリは、うやうやしく胸に手をあてて、わたしに一礼した。
「さあ、舞踏会へまいりましょうか、王女さま」