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雨音は唯  作者: 雪乃夕陽
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苦味は前兆




見ているだけで幸せだとか、陰からそっと見つめる恋だとかが美化されて素敵な物語として成立する世の中であっても、見詰め続けるだなんて考えたくもない。

それは例え私が自分の中をフィルターで遮ってしまったとしても、捻くれた性格がそれを潜り抜けるだろうから。

この男は達が悪い事を思い知って尚、苛立ちが歪んできそうな程には。

とはいえ、それは普段の私の話で。




『随分と楽しそうだねえ』

「嫌味ですか」

『昨日から雰囲気が違う様だからね』

「特別に何もありませんよ。あったとしたら言触らすくらいですから」

『そう、


僕には冗談抜きで、君が楽しそうに見えて仕方がないんだよ。




図らずも透き通って通り抜けた声が妙に気持ち悪かった。


好意は無きにしもあらず。

そう言い張る。



只、この男にさえ苛立たないの今の私は妙に寛容なのだろう。

少し浮かれている。






独り暮らしらしくこじんまりと溜め込んだ番組を消化する。

仕事付き合いのモデルの彼女が切なさを押し出した恋愛を演じていても、隣に居る男のせいで真面目に観られない。

無理だな、大人が海で水の掛け合いとか。



「何時まで居座るつもりですか」

『都合が悪いなら直ぐにでも帰るよ』

「この後、チョコレート作る予定なので」

愛しさよりも依存が勝ってしまっていると自覚して相当が経つ。

僅かでも離れられたのならば突然に離れられるのに。

恋愛の問題ごときを引き摺るようなら仕事にならない上司とはいえ、未だ隣で足を抱えるだけ。


『味見目的で待っていようかな』

「此方に決定権はないですね」

貴方はどうせ。

男性にしては細く整った指が腰へ添えられて膝へ引き上げられる。

ソファが軋んだ音から耳を背けた。


耳元へ吹き込む息に囁かれてクッションへ手を伸ばした。

密かな反抗は何の役にも立たない。


客観的に愛されていると確信を持たれても、離れる方法をまだ考える。









チョコレートが融けて光沢を持つこの瞬間が好きで、真面目な顔して目を輝かせる。

熱したクリームが飲み込まれる瞬間が苦手で、真面目な顔して少し目を閉じる。

望むだけの私。




ガナッシュを冷蔵庫へ入れてソファに倒れ込む。

手を抜くと言いつつ結局凝ってしまうのも私。

面倒事とは一線引こうとして失敗するのも私。

自分が一番理解出来ない。



ヘッドホンを手繰り寄せて音楽を耳にして目元を緩ませ閉じた途端に気配が近くへ寄った。

勝手に本棚から小説を取っていたようで放っておいたら読破したらしい。

粘着質な恋愛小説だったけれど大丈夫だろうか。


「どうかしましたか」

ヘッドホンを浮かせて隙間から音を取り込む。

『大人しいから襲おうかと思って』

「冗談の精度が落ちましたね」

『結構本気で言ったつもりだけれどね』

何をするでもなくソファの下のラグへ座って背を向けられた。

冗談に冗談を重ねて穏やかで何とも歯痒いけれど心地よいような心地悪さ。

自分で思って回りくどい。

ヘッドホンを耳に乗せて周りを遮断した。



響きが気に入りの歌詞の大半が少し前までの私と重なった。

君がいない日々、か。





息を吸って吐く。

一拍置いて後ろから腕を絡めるのと首だけ振り返った目と合うのが同時だった。


ヘッドホンを外されて現実に寄ると気恥ずかしさが強引に距離を縮めた。

「私達も随分慣れた付き合いになりましたね」

焦点が合わなくても気にならない不本意さという誤魔化し。

「此処で如何するべきと思いますか」

『僕の頭の中の同じだろうね』

「貴方が普通だとか自惚れないでください」

『手厳しい』

「仕様がないじゃないですか」

『悪いね』


瞬間、腕を掴まれてラグへ引き込まれる。

滑った足をそのままに絡めとられて慌てて地面へ手をつく。

私が押し倒したとでも言わんばかりの体勢に一言文句を言うのは諦めて身を向けてみてもいいかもしれない。

「如何して欲しいですか」

『キスでもするかい』

「貴方でも普通の事言うんだ」

珍しい。


男のカットソーへぞんざいに指を掛けて鎖骨へ噛みつけば多少は驚いた息が聴こえる。

ついでに舌を這わせれば明らかに動揺した指先が視界の端へ映る。

彷徨わせる程初心でも無いくせ何を。

喉を辿って歯を立てて、また舌を這わせて口付けてもまだ尚呆けるものだから。

これもまた男性の割に細い髪に指を絡めて口を寄せる。

鼻にかかった甘ったるい吐息が漏れるのは気のせい。

名残惜し気に離れてみれば笑える程に見たことのない表情。

胸に倒れてそのまま笑った。


『滅多に仕掛けて来ない癖に色気が増して来るのは何故かい』

「自覚無いですよ」

『達が悪いね』

「貴方にだけは言われたくありません」


互いに息が落ち着かないまま、手探りで指先を探す。

繋いだ手が所謂恋人繋ぎになっていて手元に唇を寄せた。

態と上目使いで見れば視線が一瞬遠くへ飛んだ。

「何時まで動揺する気ですか」

『参ったな』

「参っておいてください、私はチョコレートの続きに戻りますから」



飄々さに引き摺られて悪戯心が引き出されるのは私が馴染んできた証拠。








もう一度チョコレートを融かす。

クリームを加える工程が無くて光の角度で変わる色を見詰めた。

干渉されないといえば冷たくとも、好きに出来ると言い換えるだけで上向きになるのは言葉遊びだろうか。

ガナッシュをチョコレートの中へ潜らせ並べた。






飾ったナッツが動かなくなる頃には歯痒さは混じらなくなった。



『女の子達は皆君みたいに好んで作るわけではないんだろう』

「分かっているなら大勢の女性へのお返しに追われる筈ですよね」

『君はそこへ自分を含まないのかい』


派手な包み紙が積み上がっていた先月を思えば冗談じゃない。

「寧ろ含まれるなんて御免です。貴方へ媚びを売る方々の気持ちは理解しかねますから」

媚びを売られていると理解しつつ放って置くのだこの男は。

外見からの利益を存分に吸い尽くす事を考えれば私はまだ良い方かもしれない。

とはいえ碌でもなさが目に見えないのは卑怯だ。







形の崩れた物を口に運びつつ箱へ詰めれば丁度良い甘さ。

檸檬と生姜を入れて正解だった、今の私に只管甘いだけのチョコレートは不向きだから。

『紅茶飲むかい』

「貰います」


背後からマグカップがことりと置かれる。

その手が戻り際に顎を捉えて首を回す。

何、と問い掛けて開いた口をこれ幸いと吸われる。

『甘い』

「苦い」

ほろ苦い。


「家で煙草止めてください、苦手なの知ってるでしょう」

『君が甘いものばかり作るから丁度釣り合いが取れていいじゃないか』

「理屈可笑しいですよ」

色気があるのはどっちだ、と思ったのは自己完結で。

徐々に奪われる甘さが苦さに変えられていく。

動作ごとに休日が休まる日では無くなり、融かされる気が増した。





ほろ苦いより苦い 。



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