表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/14

CU領域(3)

 胡散臭い二人の刑事から解放された僕は、夕暮れの街を学校へ向かって歩いていた。

 あのまま家に帰るつもりだったのだが、急に気が変わった。二人が変な事を言う物だから、それが気になっているのもあるだろう。だが、気になる事はそれだけではない。

 先輩の死の原因、結局それを警察はどう推理しているのだろうか? ストーカーではないが、ある意味ストーカーとも言える物って何だ? 誰が僕と九条先輩の関係を捏造したのか?

「……考えてたら、ここに辿り着くわけか」

 足を運んでいたのは伊凪第一の図書室だ。廊下に立ったまま、自分自身に呆れてしまう。

 要するにここに通って夢の事を考えたりするのは、体のいい現実逃避なのかもしれない。何かを考えている間は他の何かを考えずに済む……それはとても楽な事だから。

 立て付けの悪い引き戸を潜り、中へ。今日も相変わらず図書室には閑古鳥が鳴いている。前に二度来た時は数人の利用者が見えたが、既に十八時を回っているからか人気は殆どなかった。そう、ただ一人を除いて……。

 僕は周囲を見渡し本当に図書室の利用者がゼロかどうかを確認すると、適当に本棚から図鑑を一冊引っ張り出し、貸し出しカウンターへ向かった。

「あのー」

 恐る恐る声をかけてみる。そこにはこの図書室にたった一人だけ佇む少女の姿があった。

 貸し出しカウンターの向こう、パイプ椅子に腰掛けカウンターに突っ伏している少女。彼女は前回も前前回もここでこうして居眠りをしていた。

 ふわふわとした、癖のある黒い髪。カウンターに投げ出された眼鏡。学校指定の黒いセーター。平均と比べればやや小柄な身体を微かに上下させている。僕は咳払いし、もう一度声をかけてみる事にした。

「あのー、本借りたいんですけど」

 しつこく声をかけていると、少女は僅かに目を開く。そうして夢心地のまま、片手でカウンターの隅を指差した。

「……そこにペンあるから。図書カード……名前書いて、入れておいて……」

 そしてぱたりと力尽きたように手を下ろす。意地でも起きませんという様子だ。むしろ先ほどの眠たげな目からは声をかけるなという批判的な意図すら感じる事が出来た。

 大人しく図書カードが収められている手作りの木箱に向かい、名前とクラスを記入する。しかし何かおかしくないか? これって僕の仕事じゃないよな。明らかに図書委員……要するにカウンターで寝ているあいつがやるべき仕事の筈だ。

「……あのさ。これ、いいの?」

 返事はない。やはり寝ているようだ。頬を掻き、もう一度声をかける。

「勝手に本持ってく奴がいても、寝てたらわからないだろ」

 彼女は身じろぎ、そっぽを向く。どうやら無視を決め込むつもりらしい。

「おいサボリ、先生に言っちゃうぞー」

 やはり反応なし。一体どうすれば起きてくれるのだろうか。僅かに思案し、名案を思いついた。図書室は十九時には閉まる筈。別にここで僕があくせくしなくても、放って置けばこいつも起きざるを得ないという寸法だ。

 自分自身の頭の良さにニヤニヤしつつ席に着く。別に興味はないが、図鑑でも眺めているとしよう。あと三十分もすれば、奴は勝手に目を覚ます。そこで図書委員の仕事を全うさせれば良いだけの話だ。

 こうして僕は暫し海洋図鑑に描かれた魚介類と睨めっこする事にした。別に興味があるわけではなかったが、眺めているだけで十分暇潰しになった。と、その時……。

「……海……好きなの?」

 カウンターからの声。目を向けると、彼女は突っ伏したまま僅かに顔を挙げ、僕を見ていた。

「いや、別に?」

「そう。この間も……図鑑、見てたから」

 言われて見るとそうだったかもしれない。これと同じだったかは定かではないが、魚が載っている図鑑だったような気がする。

 席を立ち、再びカウンターへ。そうして図鑑を差し出すと、彼女は不思議そうに首を捻り。

「……だから、図書カードはあっち」

「いや、それは君の仕事だろ? 君は図書委員の仕事をなんだと思っているんだ」

「私、図書委員じゃないから」

 これまた意外なお答えである。しかし彼女は億劫に身体を起こし、僕から図鑑を受け取った。小さな手で図鑑を捲り、裏表紙から図書カードを取り出し、ボールペンと共に僕に差し出す。

「名前とクラス」

「あー、うん。でも、図書委員じゃないんだろ?」

「図書委員じゃないよ。でも、図書室を使わせて貰ってるから」

 随分とゆったりした挙動で貸し出しの手続きを済ませ、彼女は荷物を纏め始めた。僕は何と無くその様子を眺める。

「……何?」

「いや。図書室閉めて帰るの?」

「そう。十九時までだから」

「手伝おうか? 鍵確認して、エアコン消して、カーテン引いて……そんなもんだろ?」

 振り返り、僕を見つめる。それから漸くカウンターから眼鏡を拾い上げ、頷いた。

 準備は二人ならば直ぐに終わった。最後に扉の鍵を閉め、職員室へ向かう。どうやら図書室の鍵は毎日ここに返却しているらしい。

 彼女に続いて職員室に入ると、職員は誰も彼女が入って来た事に反応を示さなかった。無視しているわけではなく、それが当たり前という感じだ。僕が知らなかっただけで、これはこの学校では既に日常の一部なのだろう。

「失礼します」

「はい、ご苦労様。気をつけて帰ってね」

 教師の一人が彼女にそう言った。僕らは揃って職員室を後にし、廊下を歩く。日が落ち、すっかり暗くなったそこで彼女は足を止めた。

「どうしてついてくるの?」

「君の事が気になるから、かな」

 前髪をさらっと掻き上げながらそんな事を言ってみる。向こうは完全にノーリアクションだ。

「用がないなら……ついてこないで」

「用があれば、ついていってもいいの?」

「あっても……ダメ」

 抑揚の無い声で、呆れるように目を伏せて呟く。しかし会話が成立するだけ以前よりマシか。

「この間の続きを聞きたいと思ってね。君に会いに来たんだ」

「この間って?」

「図書室で会っただろ? 正確には、夢の中で」

 相変わらず無表情だが、動きも言葉も停止した。この反応は驚き……だろうか。

 そう、僕は彼女と初対面ではない。前に二度、図書室で顔を合わせている。馬鹿げた発想だが、根拠はちゃんとある。まずはそれを説明すべきだろう。

「君は二度目に会った時、僕に尋ねたね。用があるからここに来たんでしょ? 会いに来るという意図が感じられた、って」

 彼女は答えない。だから僕は勝手に話を進める。

「一度目の時も言ってたな。迷惑だから他所でやってくれ……ってね。僕は考えたんだ。図書室という場所と君、そこには関連性と意味があるってね」

 元々僕が図書室を訪れた理由もそうだった。時間、場所……要するに環境。それが夢の中の出来事に影響を及ぼすのかどうかを検証する為だった。その結果、僕は夢と現実の環境には何らかの関連性があるという推測を得た。

 僕は彼女と夢の中で邂逅してから、もう一度彼女と会う為に試行錯誤していた。一度図書室で会った後、自宅でも眠る時に彼女の姿を探していた。だが見つける事は出来なかった。

「図書室で寝る、という事に意味があったんだ。だから二度目の邂逅……つまり君と会うつもりで図書室に向かった時、すんなり夢の中で会う事が出来た。他の場所ではダメで、図書室では会える。なら、図書室に理由があると考えるのは自然だろ?」

 彼女の言動からも、眠りについた場所に何かしら関係があるのは明白だ。どういう理屈かはさっぱりわからないが、図書室で寝る事により、彼女に会う事が可能になるのだ。

「時間も関係するのかなと思って、昼休みに図書室に行った事もある。でもその時は君に会えなかった。ここまでくれば分るだろ? 君に会う為にはあの時間帯、あの場所でなければいけなかった……それは何故か?」

 二度目の邂逅で彼女は言っていた。自分は僕が夢の中で作り出した空想ではなく、実体を持った人間であると。もし本当にそうだとすれば、それと夢の中で遭遇する為の条件とは。

「要するに、彼女も図書室で寝ている筈なんだ。僕と同じ時間帯、同じ場所でね。あの図書室で寝ている奴は何人か居たけど、二度の遭遇時両方寝ていたのは君だけだった。十九時前には撤退したのも分りやすかったね。十九時に閉まるのは図書室だけだから近くの別の部屋って事は無いし、君が図書室の戸締りをしていたのなら、あの時間に目覚めるのは当たり前だ」

 そこまでアタリをつければ後は簡単。それに単純な話、夢の中の彼女と目の前に居る彼女は容姿が酷似している。髪や目の色は違うし、あのファンタジックな服装ではなく伊凪の制服ではあるが、別人と呼べるほどの変貌ではないのだから。

「……それがどうかしたの?」

 すると彼女はあっさりと認めてしまった。こうなるとしたり顔で弁舌を振るっていた自分が恥ずかしくなってくる。肩透かしもいいところだ。

「ここで立ち話していても仕方ないから……一緒に来て」

 踵を返し歩き出す彼女。その後姿を追い、僕は共に校舎を後にした。

 日の暮れた帰り道を二人で歩く。彼女が前で、僕はやや後ろに続く形だ。こうしていると九条先輩と一緒に帰った日を思い出すが、あの時とは互いの心の距離が違いすぎる。

 先輩は僕の直ぐ隣で笑っていた。笑って話を聞いて、一つ一つ丁寧に答えを返してくれた。それと比べると彼女の無愛想さったらない。こんなんで友達出来るのだろうか? なんて余計な詮索をしてみたくなる。

「君ってさ……」

 しかしまさか、友達いるの? なんて聞けるわけもなく。

「図書委員じゃないんだろ? 何であそこにいるんだ?」

 当たり障りのない話を切り出していた。彼女は振り返らずそれに答える。

「図書室が、好きだから」

「本、好きなの?」

「……別に。好きといえば好きだけど……でも、それが理由じゃないから」

 本が好きである以外に図書室を好きになる理由があるとは。これを何一つ思いつかないのは、僕の発想が貧困だからなのだろうか?

 結局道中の会話はこれ一つきりだった。残りはずっと重苦しい沈黙に包まれたまま、彼女の小さな背中を眺めて時を過ごした。

 少女に案内され辿り着いたのは駅前にある雑居ビルであった。バブルにも再開発の波にも取り残されたシャッター街の隅にある、隙間に生えるようなビル。四階建てのそこには二つ、少女が通うには胡散臭すぎる店が入っているようだ。

「来て」

「え? 来てって……」

 ここに入るのか? おんぼろのビルを見上げ、ためらいを隠せない。彼女が平然と入っていったのは一階に構えた《一二三》という名前のスナックである。派手な蛍光色が瞬く看板がなんとも言えない哀愁と安っぽさを醸し出している。

「なんて読むんだ、これ……?」

 ともあれ、来いといわれたからには行くしかない。覚悟を決めて店に入ると、中もやはり見たままというか、予想通りの内装であった。寂れたスナックと聞いて思い浮かべる図柄があれば、それをそのまま適応すれば的確だろう。

「こっち」

 店内を見渡していると、奥で彼女が手招きしている。そういえばこの店はまだ営業時間ではないのだろうか。それとも休業日なのか……とにかく無人である。

 そんな店内を横断し、裏手に裏口と思しき場所を抜ける。するとビルの裏側に出て、そこに今度は日当たりの悪そうな小さなアパートが見えた。彼女はそこへ向かっていく。

「なんだか探検でもしている気分になってきたぞ」

 小走りで彼女に続く。二階にある右から三番目の部屋、そこに彼女は鍵を差し込んだ……という事は、ここが彼女の暮らしている部屋なのだろう。って、ちょっと待って欲しい。普通いきなり見ず知らずの男を部屋に上げるか?

「どうぞ」

「えーと、確認だけど……僕はこの部屋に上がっていいのかな?」

「私はどうぞって言ってるよ」

「いや聞こえてるけど……まあいいか、お邪魔します」

 相手が気にしていないんだ、僕が意識しても仕方ない。大人しく部屋にあがろう。

 部屋は六畳二間。恐らく扉の向こうに寝室があるのだろう居間に通された。彼女はうさぎの形をしたふかふかのクッションを小さなコタツの前に置き、片手でぽんぽん叩いている。

「ここ、座ってて。お茶淹れるから」

「あ、おかまいなく……」

 っていうかこのうさぎは僕が乗っかったら間違いなくぺしゃんこになって、見るも無残な姿に変貌すると思う。仕方ないのでカーペットの上に直に座り、うさぎは膝の上に抱えた。

 居間に隣接した狭いキッチンで彼女がヤカンを火にかけている間、手持ち無沙汰な僕は部屋の中を眺めるしかなかった。全体的に見て、出てくる感想は……飾り気がないという事だろうか。女子高校生の部屋にしては可愛らしい雰囲気はない。この扉の向こうはどうだか知らないが、少なくともこの居間に関して言えば、必要最低限の機能しか有していないように見える。

「一人暮らしなの?」

「半分くらい一人暮らし」

 彼女はこちらに目を向けずにそう答えた。半分か。中々斬新な一人暮らしだなあ……。

「えーと……誰かと同居してるとか?」

「半分くらい正解。私、一人で生活出来る程自立した子じゃないから。保護されて、囲われていないと生きていけないの」

 どんな反応をすればいいのか分らず黙り込む。沈黙を切り裂いたのはヤカンが蒸気を吐き出す音だった。ガスコンロからヤカンを外し、彼女は寿という文字が描かれた大き目の湯飲みに緑茶を淹れてくれた。銀色のこれまた特用サイズの箱から煎餅を取り出し、一緒に持ってくる。

「ありがとう」

「お礼は飲んでから言って。お茶淹れた事、あんまりないから」

 二人してコタツに入り、湯飲みを傾ける。そうして二人して渋い表情を浮かべた。

「あー、うん。いや、女子が淹れてくれたお茶というだけでも美味しいと思うよ」

「……それより、本題に入りたいんだけど」

 それは僕もそうだ。色々と訊きたい事がたんまり溜まっている。

「とりあえず、自己紹介でもする? 冷静に考えてみると、僕らはお互いの名前も知らないわけだし……まあ、僕はこの間したけど、改めて」

 咳払いし、顔色を伺う。向こうは僕の存在等歯牙にもかけずと言った様子で、湯呑から立ち上る湯気をぼんやりと眺めている。

「僕の名前は桜井美春。伊凪第一の二年二組で、帰宅部……えーと、趣味は……特になし」

 我ながら面白味のない自己紹介だ。というよりこの面白味のなさというのは、僕の人生そのものが平凡だという事実に起因しているような気がするが。

 相変わらず向こうの反応は無い。壁にかけられた古びた時計が刻む音が沈黙に響き始めて暫くして、ようやく彼女は口を開いた。

「……真尋。安藤真尋」

 ……って、それだけですか。まあ、いいんですけどね。期待はしてませんでしたよ。

「それで、安藤はどうしてわざわざ僕を家まで連れてきたんだ? 名前も素性も知らない男を部屋に連れ込むっていうのは、無用心だと思うんだけど」

「無用心じゃない。あなたの事はこの間大体分ったから。ううん、わかったのは半分くらいだけど……。あと、私の事は安藤じゃなくて、真尋でいい」

 また半分ときた。一体何が半分なのかはわからないが、とにかく僕は信用されていると考えていいのだろうか? それと、苗字ではなく名前で呼べと。馴れ馴れしく接されるのは苦手なタイプかと思ったのだが、推測が外れたか。

「わかった……いや、僕も半分くらいわかった」

「半分くらいでいいと思う。それで、桜井君は何が聞きたいの?」

「僕の事も美春って呼んでいいよ。こっちだけ真尋って呼ぶのは不公平っていうか」

「別にいい。それに桜井君、自分の名前あんまり好きじゃないでしょ」

 一瞬だけ僕の目を見て真尋はそう言った。すぐ目を逸らしてしまったが、その眼差しには僕の考えを見透かすような、そんな鋭さがあった。

「この間の話の続きを聞かせてくれ。《CU領域》とか《エゴ》とかって言ってたろ? あれはどういう意味なんだ? あの夢の世界と関係してるのか?」

 真尋が質問に答えるには、結構なタイムラグがある……その事実には嫌でも気付いてしまう。

 だから僕は真尋が質問の答えを考えている間、やたらと渋いお茶を飲み、固焼き煎餅の袋を開けて待つしかなかった。

「……私にも、よく分らない。だから、分る事だけで……いい?」

 小声の問い掛けに頷き返す。彼女は深く息を吐き、それから語り出した。

「小さかった時から、よく夢を見たの。夢って普通は自分の好きに出来ないらしいけど、私にはそれが出来た。眠っている間、私は夢の中身を自由に出来た。そういう人間の事を、《エゴ》って……《エゴイスト》……だったかな。半分くらいあってると思う。多分そう言ってた」

 僕もまた、真尋の言葉を噛み砕いて反芻する。要するに真尋は幼少時から好きな夢を見る事が出来た。そう意識出来る時点で、それは明晰夢と言えるだろう。つまり明晰夢、しかも内容を思い通りに出来る明晰夢……それを彼女は見る事ができた。そういう人間の事を《エゴ》だか《エゴイスト》だかと言う……と。

「それは誰に言われたの?」

「……分らない。覚えてないから」

「覚えてないって……。じゃあ、《CU領域》っていうのは?」

「あの夢の世界の事。寝ている人間は皆あそこにいるって誰かが言ってた」

「それも誰に言われたか覚えてないの?」

 ゆっくりと頷く真尋。しかし、そんな事ってあるのか? 何故覚えていないんだ?

「じゃあ、あの黒い靄は?」

「わからない。けど……もしかしたら、《エス》っていう奴かも」

「《エス》?」

「《エゴ》の他に《エス》っていう人がいるって……。でも、わからない。私、ずっとあそこにいるけど……ずっと一人だったから。あなたが現れるまで、他の《エゴ》にも会った事なかったし……」

「僕は多分その《エゴ》っていうのじゃないと思うけどね。夢を好きにする能力はないし」

「……みたいだね。でも、《エゴ》には《エゴ》でしか接触出来ないんだと思う。普通、眠っている人達の意識はCUに溶けてるから、私には認識出来ない。互いに認識し合えるという事は、お互いが《エゴ》である証拠……だと思う」

 段々ついていけない感じになってきたが、一旦纏めよう。

 彼女、安藤真尋は《エゴ》である。《エゴ》とは自分が見る夢の内容を操作出来る人間を指す言葉らしい。あの夢の世界は《CU領域》と呼ばれており、《エゴ》の力を持たない人間は眠っている間意識をあの世界に同化させている。故に《エゴ》は領域に溶けている人間の意識を認識する事は出来ない。仮に領域内で他人の意識を認識出来るとすれば、それは相手も《エゴ》の力を持っているからだと推測出来る。この理屈から彼女は初めて遭遇した自分以外の自意識……つまり僕に尋ねたのだ。お前も自分と同じか、と。

 そして僕らが遭遇したあの黒い靄。あれは《エス》と呼ばれる物である可能性があるらしい。非常に回りくどい言い方だが、この《エス》という奴については今の所詳細な情報がないのだから止むを得ないだろう。

「じゃあ、あの黒い奴も人間なのか?」

「……多分。しかも、もしかしたら《エス》じゃないかも」

「おいおい、どっちなんだよ」

 頭の中でずらずらと確認した直後にそんなにふわっとした発言をされても困ってしまう。

「わからない。私だって自分の姿形を隠す事は出来る。向こうも同じ様に自分の姿を隠そうとしているのなら、私達と同じ《エゴ》かもしれない」

 確かに最初の遭遇時、真尋も白い靄を纏っていた。詳しく聞いてみると、あの時は初めて自分以外の人間の存在を感じ取り、警戒心を抱いていたらしい。相手が自分と同類なのか、或いは違う何かなのか……それをはっきりさせるまで、姿を隠そうと思ったのだとか。

「……つまりさ、真尋も良くわかってないって事だろ? あの現象の事を」

 煎餅を齧りながら頷く少女。僕は半ば呆れていた。こいつはこれまでずっとあんな超常現象の中に居て、何も疑問に思わず、何も検証せず、何も確かめようとしなかったのだろうか。

「のんきな奴だなあ、お前。僕だったらそんなわけのわからない状況、耐えられないよ」

「耐える必要なんてない。毎日そうなら、それが日常。私にとってあっち側もこっち側も一緒。向こうの方が一人で気楽でいい……ただ、それくらい」

 醤油のついた指を舐めながら真尋は無感情にそう言った。そして目を瞑り、小声で語る。

「なら、誰に訊けば良かったの? 誰も信じてくれない。頭のおかしい人間だと思われるだけ。可哀想とか、変人だとか、そういうのはうんざり。当たり前の事を当たり前だと思って何が悪いの? 私にとって当たり前じゃないのは私以外の全部。私は……間違ってない」

 息を吸って、吐く。一呼吸に長台詞を話すのは苦手なのだろう。少し肩を上下させ、最後にもう一度溜息を吐いた。

「真尋の言う事、わからなくないよ。自分の中の当たり前と世の中の意見が食い違うのって、結構めんどくさいよな」

 何時間か前、ファミレスでの会話を思い出す。そういえば僕も現実逃避気味にこいつに会いに行ったんだっけ。

「訂正するよ。真尋は真尋なりに非日常的な出来事を受け入れる為に頑張ってたんだな」

 顔を挙げ、なんとも言えない表情で僕を見る。それが本当になんとも言えない感じなのだ。一番に見て取れるのは照れ。ややそこに怒りが混じっていて、瞳は悲しそうでもある。嬉しいような、苦しいような……分ったような事を言うな、とでも思っているのか。とにかくそういう複雑で、愛らしい表情で僕を見ていた。

「私、寝るから」

 突然そんな事を言い出すので、こっちもきょとんとしてしまう。

「だから、出てって」

「あ、ああ……うん。え、お前まだ寝るの? 図書室でさんざん寝たろ?」

「いいから……」

 そうまで強い口調で言われてしまったら、大人しく退散するしかないだろう。よくよく見ると真尋の様子がどこかおかしい気もする。具体的には体調が悪そうというか、肩で息をしながら俯いているのだ。

「またこの話の続きをしたいんだけど、会いに行ってもいいか?」

 真尋は何も言わずにベッドの上にうつ伏せに倒れた。こっちに足を投げ出している格好なので、なにやら色々見えそうだったので目を逸らした。

「今日はありがとう。またね、真尋」

 一声かけて部屋を出る。彼女はやはり、何も言わなかった。でもそれは無視していたのではなく、時間切れだったのだろう。

 彼女の返事にはタイムラグがある。僕はその事実をまだ把握しきれていなかったのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ