彼岸
B4判程に切り抜いたダンボール板の4辺にそれぞれ、3センチ幅くらいのこれもダンボール製の縁を切り貼りして額縁風に仕上げた工作物の真中に真っ赤な彼岸花。その横には「前向きに生きよう。」なんて意味ありげな言葉が添えてあって。
私はある日自室の壁にそんなものが飾ってあることに気が付いた。
みすぼらしいくせに洒落た工作で、4辺を取り巻く縁には実物の枯葉が数枚、糊で貼り付けてある。主役の真っ赤な彼岸花は画用紙に描かれたものを実に大雑把に切り抜いて額縁の中央に糊で貼り付けてある。
「前向きに生きよう。」
真っ赤な彼岸花の細長い花弁からすっと一筋に伸びる茎の儚げなそれでいて潔く、凛とした直立の姿勢が私の目には痛かった。
ずっと気が付かなかった。この粗末な額縁はいつ頃から飾ってあったのだろうか?今日はたまたま、本当に久しぶりでこの部屋の掃除をしたのだ。
私がこの十数年積もりに積もった埃や毛玉と格闘している間中、真っ赤な彼岸花はずっと壁から私を見下ろしていたのだ。そして私は作業が一段落付いたところでタバコに火を点してぼんやりと虚空を見つめ様、この鮮やかな色彩を発見した。
情けない。自分の部屋の情景さえも満足に見てはいなかったのだ、私は。わかりやすく目に映るものさえ見えていないのに、形を持たず触れることさえできないものが見えていたはずもない。
この部屋の壁に飾ってあるのだ。だから、私がこの手で飾ったに違いないのだ。私はこの彼岸花の絵を受け取って、壁に画鋲で留めたのだ。
全く覚えていない。
十代後半の私は前向きに生きていた。何事にも単純に反応していれば良かったし、周囲のほとんどがそんなだったから疑問を感じる余地すらなかった。
涙が流れてしまうのだ。ハナが垂れてしまうのだ。噛みしめた唇に歯が食い込んで血が滴り落ちるのだ。ふるふると全身が震えて、真っ赤な彼岸花の茎は私の血と涙を吸いながら、なお赤く儚げで潔く。
「私がおまえ位の年の頃は…」それがどうした! 彼には彼の十代があったのだ、私の頃より遥かに複雑な十代があったのだ! それを、それを私は、それを私は!
彼はどれ程に無邪気な笑顔と共にこの絵を私にくれたのだろうか? 口惜しい。2度と見られぬその笑顔をすら、覚えていない私。
私のいい加減な記憶はうすらぼんやりと顔がなく、ただ彼岸花の脇に4年2組と書いてあるからきっと、小学4年の彼が描いた真っ赤な彼岸花。
もう一度、いっそその根になって、私は彼を抱きしめたい。
育みたい。