地
翌日も、この町は霧に包まれていた。日差しが悪く、よそでは一反の田んぼで得られる米の量が、ここでは一反半の面積を必要とするらしい。犂を引く牛の黒さが、霧の中だと、いやにはっきり認められた。
手当たり次第に商家や武家をまわってみたけれども、薬はなかなか売れなかった。眇になる薬と偽ってみようかと考えたが、やめた。この土地の者の、眇に対する執着は尋常ではないから、私はその報復が怖かった。
ぶらついていると、金貸し屋の娘と子守り女に出会った。薬をまた見せて、と娘にせがまれて、私たちは町の横を流れる川の堤防に座した。清く澄んだ川の水は、霧の向こうから流れてきて、そして、また霧の中に消えた。
娘は興味深そうに、薬をながめ回していた。色素の薄い茶色の瞳を見開いて、小さな口は半開きになっていた。夢中になっている子供の姿はいいものだな、と思った。
躾のとおり、娘は眼帯を外さなかった。
「やはり、天眼には憧れますか?」
私は、子守りの女にたずねた。彼女の瞳はそろっていた。
「ええ、うらやましいですわ。わたしも、奥さまのような美しい天眼になりとうございます」
女は形のよい切長の目で、それが色白のきれいな肌によく似合っていた。
「君は矯正はしなかったの?」
「ええ、わたしは百姓の子ですから。眼帯をつけられるのは、お屋敷のお嬢さんだけです。やっぱり、片目だと、しごとがしずらいですからね。物を見る力も落ちてしまいます。現にお嬢さまは、よくお転びになります」
見ると、少女の両膝には擦り傷ができていた。
「それに、百姓には、美しさを追い求めているヒマなんぞ、ありゃしません。食べていくだけで精一杯です」
そう言って、子守りの女は、川のむこうに広がる田んぼを見た。
次の日、私は修行僧と共に宿を出た。この町の者の吝嗇に匙を投げて、出立の用意をしていると、坊主がある提案をしてきた。この先にある○○峠を曲がったあたりに、いかなる病をも治しまうという霊水が湧き出る社があって、そこに一緒にいこうとのこと。せっかくだから、そのチンケな同業者の商売を見学することにした。
坊主と並んで、町の中心の道を歩く。
「しかし、眇に無理やりしてしまうやり方があったとは。わしも、そこまでは知らんかった」
「ええ、驚きです。そのまま、目を悪くして、失明してしまうってこともあるそうですよ」
「そこまでするかいな。わざわざ、眇にしてなんになるか。第一、天眼っちゅうのは、物事を広く見渡すちゅうことやろ。それにするために、目を見えなくするって、アベコベな話やな」
町のはずれの所に、金貸しの娘が立っていた。私を見送りに来てくれたそうだ。子守りの女はおらず、ひとりだった。
その日は、そよ風がある日だった。風は私たちの頬を涼しく撫でて、娘のやわらかい髪の毛を後ろに流した。あたりの霧は、まるで急いでいるかのように流れていった。
街道は田畑の間をぬけて、だんだんと高台に登っていった。目の前は山である。山々は腰元まで霧をまとって、浮いているかのよう。
「ここまでで、いいよ。わざわざ来てくれてありがとね」
礼を言うと、娘は照れくさそうにもじもじした。
町の方を振り返ると、霧が晴れつつあった。
「ええ景色やな」坊主が嘆息した。
風に追い立てられて、霧は四散していった。帰り際になってやっと、ここらの全景を見ることができた。遠巻きから眺めると、思っていたよりも町は小さく、そして、思っていたよりも緑の田畑は広かった。太陽は満遍なくここらを照らし出して、地に広がる緑を鮮やかにした。鍬をふっている農民たちがはっきりと見える。
娘も景色に見惚れていた。眼帯をしていない方の目は、美しく澄んでいた。
私は娘の眼帯を外してやった。
「見たいものを、見たい時に、見ていいんだよ」
娘は眼帯に手を伸ばしかけたが、私の目を見て腕を下ろし、そして小さくうなずいた。娘はかわいらしい両目をしかと開いて、己のふるさとを眺めた。
確かに、眇の女は美しい。でも、この子の目も、美しい。そして、世界も美しい。それだけだ。それだけがすべてなのだ。
別れ際、娘に砂漠の花をくれてやった。これは、この子に必要なものだ。
「この薬の効用を言っていなかったね。これは、世界一の目の薬なのだ。この薬があれば、決して目を悪くすることはない。でも、煎じて飲まなくてもいいよ。たまに、瓶のフタをあけて、ほのかなその香りをそっと、楽しむだけでいい。そうすれば、君を守ってくれるから」
娘は時々こちらに手を振りながら、町の方へ駆けていった。はやく帰って、子守りの女や母親に砂漠の花を自慢するのだろうか。
「優しいんやなぁ」
坊主はニヤつきながら言った。
「それで、あの薬の効用はホンマか?」
「さあね」
私は踵を返して歩き出した。少し強い風が吹いて、坊主がかぶっていた笠を飛ばした。




